見出し画像

比べられると,子どもは守りに入る―「勝った」「負けた」の中で,学びはどこへ行くのか

この話の続きです

あゆみを渡したあとの教室で,
こんな声を聞いたことがあります

「勝った!」
「負けた!」
「マル(○)の数,何個あった?」
「ぼくは,あほやねん」

教師として,胸が少し痛くなる瞬間です……

もちろん,教師は子どもを比べさせたくて,
あゆみを渡しているわけではありません
 その子のよさを伝えたいし,がんばりを認めたい
 そして,次につながる課題を示したい
 保護者にも,学校での様子を丁寧に伝えたい

そんな思いで,
一人ひとりの顔を思い浮かべながら,
所見を書いていました

でも,子どもたちの手に渡った瞬間,
評価は別の意味をもつことがあるのです

それは,
自分は上なのか,下なのか
を確かめる情報になってしまうのです


評価が,学習情報ではなく,序列情報になる

本来,評価は子どもの学びを支えるためにあります

「ここまで分かっているよ」
「次はここを考えてみよう」
「この力が伸びてきたね」
「この方法を使うと,もう少し進めそうだよ」

そうした情報が返ってくることで,
子どもは次の学びに向かうことができます

でも,評価が「マル(○)の数」や「A・B・C」として
目に見える形で渡されると,
子どもはそれを比べ始めてしまうのです

「自分は友だちより多いのか,少ないのか」
「上なのか,下なのか」

評価が,次の学びへの手がかりではなく,
自分の位置を知るためのものになってしまう

これが,とても怖いところです

子どもは大人が思う以上に,敏感に自分の位置を感じ取ります
 勉強ができる子,できない子
 ほめられる子,注意される子
 丸が多い子,少ない子

そうした空気の中で,
「評価される」という経験が積み重なると,
子どもはだんだん学びよりも,身を守ることに向かってしまいます

守りに入る子どもたち

比べられると,子どもは挑戦しにくくなります

 間違えたくない,できないと思われたくない
 友だちより下だと思われたくない
 先生にがっかりされたくない
 保護者に怒られたくない

そう感じたとき,子どもの中では,
学びたい気持ちよりも,傷つきたくない気持ちが
前に出ることがあります

 だから,分からないと言えないし,難しい問題に手を出さず
 できそうなことだけを選ぶ
 友だちの様子をうかがう
 失敗する前にふざける
 「どうせ無理」と言って,自分を守る……

表面だけ見ると,やる気がないように見えるかもしれません
でも,その奥には,
比べられることから自分を守っている姿
があるのかもしれません

「ぼくは,あほやねん」

この言葉は,単なる冗談ではないでしょう
子どもが,自分の傷つきを先に言葉にして,
これ以上傷つかないようにしているようにも見えます

「見せ合いをやめなさい」では解決しなかった

担任だったころ,あゆみを配ったあとに,
「見せ合いをしないよ」
「人のものをのぞかないよ」
と伝えたことがあります

でも,それで本当に解決したのかといえば,
そうではありませんでした

子どもたちは,
直接見せ合わなくても会話の中で比べます
表情で感じ取ります
家庭で比べられることもあります
きょうだいで比べられることもあります

つまり,問題は「見せ合うこと」だけではなかったのです

評価が,子どもにとって
自分の価値を測るもの
になってしまっている

そこに,もっと大きな問題があったのだと……

評価は,子どもに何を伝えているのか

私たちは,評価を渡すとき,子どもに何を伝えているのでしょうか

 あなたは上,下
 あなたはできてる,できていません

もし子どもがそう受け取っているのだとしたら,
評価は学びを前に進めるどころか,
子どもを守りに入らせているのかもしれません

評価は,子どもを比べるためのものではありません
子どもが,次の一歩を見つけるためのものです

だからこそ,私たちは問い直したいのです

この評価は,子どもの学びを動かしているのか
それとも,子どもを序列の中に置いてしまっているのか

比べられると,子どもは守りに入ります

そのことを忘れずに,
評価のあり方をもう一度見つめ直したいと思うのです

次……


いいなと思ったら応援しよう!