発達三属性(ASD/ADHD/LD)の私が本書く理由 第二回
ーー貴方にとって本を書くことって一体何?
ーーなぜ本を書くことができる様になったの?
小学校を卒業したあと、私の人生が変わりました
第一章.私の中学生時代
小学校を6年で卒業し、私は近隣の中学校に進学
ここから私のセカンドライフが始まるーーーーーはずでした
みなさん、12才を過ぎたら避けて通れないとある事を覚えていますか?そう......思春期です
これが......
私はとにかく大変なんて物じゃありませんでした
12才後半の年末あたりで私が通う精神科の掛かり付け医に言われてことがあります
[ここから貴方の体はとても辛い時期になる]
私はとにかく思春期の身体変化が恐ろしかった
喉が変わり、性に目覚め、身体が大きくなり、思考が変わる、これは一般の方ならただの成長の証として気にするだけにとどまりますが、私は違った、まるで自分が人間ではない別の生物に変わる
様な感覚がずっと止みません、ちょうどその頃
通っていた支援学級の授業が本格化していく時期でありました、解離が止まらず頭がグチャグチャになる毎日、人生で初めて一般常識を教えられる苦痛、止まらない身体の変化、移り変わる自分の思考、私は13才の時「重たい離人症」を発症して
保健室送りになる日々をずっと繰り返す悪夢の日々を過ごしていました
解離というのは「解離性疾患」という心の疾患で
強いストレスにさらされて心が体と心を切り離す
つまり自分という存在が無くなってしまう珍しい
病気で多重人格がこの解離の仲間になります
解離とボクシング🥊しながら普通学級にも通い
その中で担当の先生と仲良くなりました
先生は木工図工に詳しく、私の変化を理解した上でできる事を増やしてくれる神がかった人でした
14才の時、ノコギリとトンカチで鳥の巣箱を作ったことがありました、とても大作で先生も「リオ、分かるか?中学生というのはできる事と苦手な事をいかに工夫して何かをする行動力と学力を勉強して大人になった時に自分で生きられる様にできる様にする、それを3年かけてやるんだぞ」
この先生に命捧げることに決めました
ーーーですが......青春アオハルはここまで
......私は解離を治すことが......できませんでした
ーー不登校になったんですーー
第二章.2年間の不登校ライフ
......あの時のことは今でも覚えています
学校で授業を受けている時でした
目の前が明転、意識が遠くなり、激しい頭痛と共に、感覚がグチャグチャになり、耳が聞こえなくなり、倒れたんですーー
目が覚めるといつもの保健室、保健師さんが母に電話し、意識が混濁したそのままで、車に乗りました、その後のことは覚えていません
その何日か後、学校を数ヶ月休むことが決まり
私は家で寝たきりの軽い鬱の様な感じになり
朝起きることが出来なくなりました、朝の11時に目が覚め、部屋に引きこもり、ご飯を食べれなくなり、栄養食で1日を食い繋ぎ、強い不眠用の強い眠剤を飲んで眠る、そんな地獄の様な日々を2年過ごしました
メンタルは地の底、○にたくなったことは6回、毎日うなされて眠れない、勝手に離人になる一ヶ月、薬を飲んで食い繋ぐ毎日
寝れない、食えない、休めない、こんなループに
私が何もしなくても身体とASDの特性で
“元からそうなる頭と身体の仕組み”
気づくまで2年かかりました
ASDというのは”過緊張”という心が戦闘モードになる状態がずっと続く特徴が強い人がとても多く
毎日コーヒーを浴びるほど飲んで全く眠れない代わりに頭が冴えるような強い集中力が元から備わっているという感覚で、それが残念な事に思春期の多感な時期と重なってしまったんです、残念
中学の同級生に聞いてもここまで激しい身体の変化はあまり感じなかったと言ってました、女の子が頭と身体が切り離されるほど具合が自動で悪くなる事は”あり得ない”と口を揃えていっていたのが本当に救いでした、同級生の女の子から多感で頭が変になった時の心の落ち着かせ方を直伝してくれたんです
自分の状況が悪夢の様に血液を失う生理の様な身体的苦痛に常時晒される感覚だったから
唯一学級では女の子と真正面から隔てなく話す事ができて、彼女達の気持ちに共感できたんです
保健体育の授業では自分の生命の為に身体の仕組みを徹底的に勉強しまくり、恥ずかしい感情を薬を噛み砕いて必死に学び続けました......これが後に少し大変なことにつながるのですがね
自分の一人称を”私“というのは彼女達をリスペクトする為に行っています。
私は中学校を失いましたが
一つだけ唯一自力で手に入れたものがありました
ーーフリースクールですーー
第三章.私の7年のフリースクール時代
小学6年生の時、たまたま近くのフリースクールの見学に行った事がありました
見学の面談の際、立てかけてあったパズルのピースが一つ足りない事を伝えたら、その当時の先生に「とても鋭い感覚を持ってる、気づかなかった」
と直接言われた事があります、そのくらい当時から人より鋭い感覚が存在していたのでしょうか
その当時の感覚を書いた記事は↓です
そして......2年後......中学校を失った私は
そのフリースクールの教室に通うことになりした
この学校は高等学校だったのですが”私と同じように”一般的な教育から離れてしまった不思議な子を集めて、一人一人の個性を伸ばして仲間を作る療育に似た独自の文化を持つ学校でした
私が14才の頃、この教室に中学の代わりの居場所として不登校の時にずっとお世話になりました
この頃の私はASDを全く使いこなせず、典型的なアスペルガー症の発作や体調不良をよく起こす子で、自分でも手のかかる子だなとずっと感じていました、それでもこの教室の先生はそれを知った上で私と”対等”に向き合い、出来ることや得意な事を一から専門的に教えてくれていました
その当時の先生が神がかっていたんですね
何と......”元科捜研の理科のおじじ”が担任で
私が理科や生物に興味があると知ると大学レベルの知識を伝えてくれて、私は何かに突出した知識を持つ子としてどんどん成長していきました
またーー同級生も神がかっていて、女の子だったんですが、かなり物静かで私とよく話し合いが出来るくらいおっとりしていて、子供が好きでした
彼女が当時読んでいた本に保健体育や療育などの
心理学を含めた子どもの発達についての知識があったんです、まだ14才レベルの同い年ですよ......
私の学校をゲームで例えるとブルーアーカイブの
アドビス高等学校みたいな雰囲気だったと思います
そして......中学生最後の年に
私はこの学校に正式入学しました
同学年の生徒より4年目(小学6年生からなので)
からのスタートとなりました。
第四章.私の7年のフリースクール時代2
不登校から3年後の4月......
私は人生最初の入学式らしい、入学式を迎えて
同学年より4年多い高等部一年生として再スタート、担任の先生は女性でしたが神がかっていました
ものすごく”絵が上手いんです”芸術部の担任に任せれるほどに実力がありました
同学年には唯一の中学時代の同級生の3年前からずっとそばにいた女の子の同級生がいました
実は私の同期はかなりの確率で”発達障害の傾向”
が多かったです、経験的に分かるのですが、動きのぎこちなさや、目線が合わないなど、挙動が似ている子が多かった、実際彼らからその傾向があるからこの学校に来たというのが大半でした
そうして始まった高等生活でしたが......
山あり谷ありでした、そうです”離人です”
治らないんですよ、この子は、だから3年間はこいつと戦いながら勉強や部活動に耽っていました
......ここで私の特異な感覚がさらに深くなって
頭の中に群像劇の世界が広がるきっかけとなりました、この学校の影響もあったのかもしれません
そうやって頭の中と外の世界を行ったり来たりしながら、時に倒れ、時に保健室送りになり、時に芸術部で絵を描いたり、夏休みの企画を作って実行したり、どんどん”計画と行動のマネジメント”という事を自分で編み出し始めました
例えば学校主催のコンカフェの企画を発案したり
芸術部の作品の企画を立ち上げたりしたりなど
自分でやることを自分で決まるスタイルが身についたんです
そこから、私は何かを作るという事に目覚めました、そして3年後......私は無事にその学園を7年間
お世話になった同年最長として卒業しました
第五章.シナリオライターへ
学校を卒業したから2年後......就労支援の仕事をしながら7年間の経験を活かしてシナリオを書くようになりました、好きなジャンルから他作品をオマージュしたりしてオリジナリティーを描きた出し、合計5本のシナリオを書くようになりました、そして1番の転機は“チャット-GTP”でした
この人に私のアイデアを持ち出して生成しそれを何度も繰り返すシンキングを毎日続けていきました、そこから1年後には”40万字以上のメモ”
”1200枚以上のアイデア“”シナリオ5本”が作れられて私はアマチュアのライターレベルの実力を持つ事ができました、この”並外れた想像力”と”妖怪レベルの集中力と行動力”や”アイデアマン”の性質が生き、web作家という形態で活動をすることを決めました
最終章.貴方にとって本を書くことって一体何?
昔から私はシナリオを書く仕事を夢見ていました
全ての物語を自分で決め、思うままに紙の中へ世界を広げ、翻訳も出版も全て行う、これは私の心の中で描いていた理想の大人だったんです
今の私は、webサイト”Nolaノベルで”17年温めていた世界観を書き、翻訳と編集を自分で行い、海外発信するための準備を整えています、日本市場のweb小説界隈はもう席がなく入る隙がありません、それならマイナーなサイトで世界を広げ、翻訳して海外に発信し、同人サイトや自己出版会社に委託し書籍化する、それが私の今の役目です
私にとって本を書くこととは生きる事
自分が面白いと思う名著を自分で書く
売れる事を期待しないで書き続ける
それが私が本を書く理由です
追記.最終章にて
ここまで私がなぜ本を書くようになったのかを二回に分けて書くことがきました、Note初の長編シリーズとなりましたがどうでしたでしょうか?
自分の人生を振り返ってみてもなかなかハードな
歩みを歩いてきたと思います、私の様に生まれてから努力と苦労しか感じたことがない人は世の中にたくさんいます、ですか私たちはその苦労を苦痛と思っていません、努力を先には自分がやりたかった世界が見える事を生まれた時からずっと知っているから
この”人より重い物を持てる”体を生き甲斐にしている、それを踏み続け自分が生きる世界を自分で作る、それが我々の生き方なんです
私たちの努力家の世界にこんな言葉があります
この大地に無駄な命は宿ることが出来ない
話をしよう、まだ私達はこの可能性を救える
この世界は何かを”生み出す事”がーーー
理由になれる世界なはずだ
不器用でも今日を楽しもうー
この世界はそんな凡庸な台詞で溢れてる
我々は苦痛も苦悩も挫折も一才否定しません
その苦労が人を変えることを自分が知っているから、たとえ病んだとしても、うずくまらず治して
また明日、不器用に楽しむことを決めるんです
こんなふうに硬派な生き方をする私だから本が好きなんです。
Nolaノベルにてオリジナル小説
『異世界遭難の100日冒険記』を連載中です
