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発達三属性(ASD/ADHD/LD)の私が本書く理由 第一回

ーー貴方にとって本を書くことって一体何?
ーーなぜ本を書くことができる様になったの?

皆さんは私の記事を見てきて0.01%そう思う様に
なってきているかもしれません、シナリオ理論をマガジンにまとめ、Nolaノベルで小説を投稿して
このサイトで自分の考えを書き記す

なぜーーこの様なことをしているのか
本日はそのことについてお答えしたいと思います
今回の記事は第一回と第二回に分けて話します


第一章.リオ監督ってどういう人?

ではまず最初に私にとって本を書くということは一体どういう事なのかを教えるために私自身ーー
ノクティス.リオ監督という人間について
もう一度話していこうと思います
前回お話しした内容は↓ に載せました

ではまず自己紹介からーー
私は自閉スペクトラム症(ASD)
注意欠陥・多動障害(ADHD)を持つ
20才あたりの男か女かなんですが...
発達障害を二つ持っているダブルユニーク君
なんです、生まれつきの脳の仕組みでこうなっていて、ADHDの活力と行動力/ASDの理論的な思考と職人気質のこだわりを両方使えるんです
発達障害っていうのは二つの特性を持っていたり
片方の特性が強く現れていたりなど
結構バリエーションが多彩なんですが、私の場合はASD/ADHDの他にLD(学習障害)を持っていて数学できません
この三つの個性を生まれつき体の仕組みとして
20何年か付き合って、今では同人作家兼ライター
として、仕事を休職し月に定期的に入ってくる
障害年金二級を貰いながら、心と体を整える生活を日々送っています


第二章.私の保育園時代

私の子供時代は普通の子と全く違うユニークな
日常を送っていました、ことの発端は三才の頃
中釣りになってズリズリ這いつくばって走る楽しい一人ごっこ遊びをしていたら保育園の先生から両親に電話をピ→ポ↑パ↓☎️されてーー

「リオ君かなり普段の様子が不思議だがら検査を受けてみて?」と言われ、地元管内の児童相談施設で知能検査を受けたんです

その時の様子は覚えていて、優しそうなお姉さんがパズルやクイズで質問して私はそれに真剣に取り組んでいました

結果は
発達の遅れがお手本になるくらいにガタガタ
脳的に出来ること、出来ないことの差が人より
お空と谷底くらい激しかったのです、ここで私は
“自閉症”のお墨付きをもらいました

特にワーキングメモリーと数学理解が終わってました...パスワードを暗記できないし、物は神隠しになりますし、暗算もできません、割り算は無理
120%小学校の勉強についていけない事が判明し
父母ショック✝️その代わり絵が上手かったです

検査を受けてから何年後...
私は保育園では最強に手が掛かる子になりました
先生の徹夜を4徹5徹にした事が唯一の自慢です 特にお昼寝の時間は最高で...
私まっっっっったく”寝れないんです”
私は睡眠障害があり、うなされたりそもそも眠りにつく事が出来ない事が後でわかりました
先生の職員室でお話をするのが日課で絵を見せる時間か、保健室で休む事が多かったです
そして給食は食えない食わないの一点張り子
海鮮がもう無理であんかけが来ると顔面蒼白に...
平成のお残し禁止の時代だったので
当時はとにかく決意を飲んで食べていました...
そのおかげで”二度と”魚は食わないという約束を自分に刻み込んでいます...寿司はサーモン🍣しか食べませんし、食べさせます

そして...その後に私の小学校生活が始まりました


第三章.冒険の小学校時代

6才の時、ドタバタ保育園を卒業し私は地元の小学校の特別支援教室に入学

午前を普通学級、午後を支援学級で勉強し
子供が生きるために必要な教育を学びましたが
私は国語、算数は芸術的に赤点だらけで
その代わり理科、社会、図工は学校三位🥉でした
特に図工で無双しており、当時の担当の先生に
リオ君の作品はとても丁寧で素晴らしい‼︎」と
呼ばれ、実際に校内で評判が高かったんです 
私は自由時間の時には学校のグラウンドで一人で
架空の人物と一緒に冒険や探索を楽しむ一人っ子
で、みんなと遊ぶときは鬼ごっことドッチボールな大好きでした、今でも大好きです

...とここまでが調子がいい時の話ーー
ここが私のアートポイントで...
私は解離という病気を貰ってしまいました
解離というのは「解離性疾患」という心の疾患で
強いストレスにさらされて心が体と心を切り離す
つまり自分という存在が無くなってしまう珍しい
病気で多重人格がこの解離の仲間になります
その中でも「離人症」と「解離性遁走」になってしまい、六年間私はこの病気とボクシングすることになりました、多分学校嫌だったんでしょうね❤️

よく心と体が離れてパニックになったり、授業中に突然何かから追いかけられると思い込んで逃げ出したりと、かなり手のかかる子でした


第四章.人生で初めて本を書く

そんなドタバタの小学生時代の私にはとある
楽しみがありました、それは本を書く事

当時に支援学級のワープロを使ってゾンビ小説を
しっかりと書いて、学校の先生に驚かれていました、またそれを活かして劇の台本を提案した事もありました、当時はもう劇の台本が決まっていたので私の台本は受け付けられませんでした、ですが私は10才の頃から本を書く事をしていたんです
この頃から自分の中の図書館がしっかりとあったんですね

ちなみにその図書館とは何か↓に記事があります


最終章.入学から卒業からまでの6年間

小学校時代後半からは普通学級に行かなくなり
支援学級で宿題や勉強を消化しつつ、児童向けの本を読みまくる日々とグラウンドで冒険をし続ける日々を過ごしていました

この時のことはよく覚えていて、とても不思議な世界にずっと過ごしていた感覚が今でも思い出せます、運動会の時は父が水筒にラーメンの汁を入れてラーメンを弁当として食べたことも沢山ありました、学校中を探検し、具合が悪い時は保健室でずっと寝ていて、保健室が私の第二の居場所でした

私は他の子より大人びていて、洋画をずっと聴きまくる不思議な子だったらしいです

古いiPhoneに洋画を沢山入れてイヤホンで聴く事が多くて同年代より音楽の趣味の時空が違いました、そのため小学生の頃私は浮き足だって不思議な子だったんですね

そうやって自分の世界で暮らしていって6年後...
無事小学校を卒業し近隣の中学校に入りました...が...ここから先は次回の記事に掲載します。


次回↑

追記.Nolaノベルにてオリジナル小説を投稿中
↓のリンクからNolaノベルサイトへアクセスして
ご来館をお待ちしております

前作↓

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