#創作大賞【小説】オネエのいる結婚相談所、嘘からはじまる家族計画⑨
第9話 マリッジブルーと隠れゲイ
「何にする?」
マスターが勝彦に声をかける。マスターも又エキゾチックな顔立ちのいい男だったが、勝彦は今しがた店を出て行った――天川と名乗った結婚相談所の仲人の方が好みだった。
はじめてあの事務所で迎え入れられた時、電流が走るような衝撃を感じた。彼の滑らかな肌にぽってりとした唇。猫のような瞳。シャツの上からでも感じられる細身なのに締まった身体の筋肉がたまらない。春という婚約者がいるのに、舐めるように見てしまったと後悔してしまうほどにタイプだった。こんな場所に出入りしているのならば、彼も男好きなのだろう。
勝彦はマスターに水割りを頼みながら、天川の事を考えていた。
「もしかして・・・・・・タカの事、タイプなの?」
マスターが彼にグラスを差し出しながら言う。漆黒の瞳が勝彦を射貫いた。
「タカって?」
わかってはいたが敢えて尋ねる。
「さっき出てった男よ」
問いかけに黙っていると
「アイツはダメよ。妻子持ちだもの」と彼が勝彦の思考を遮った。
妻子持ち、なのか。――そう言えば左手にプラチナの指輪が光っていたように思う。でも……こういう店に出入りしてるってことは、男が好きなんだろうとも思う。
マスターと勝彦の間に流れる時間が止まった。
「個人的なことは本人に聞くことね。アタシからは何も言えないわ」
しばらくしてマスターがそう言う。確かにノンケ――異性を恋愛対象とする人たち――がゲイバーに出入りすることもあるだろうとは思うが、天川の所作から自分と同類であることを感づいていた。勝彦の様子に何か感じるものがあったのか、それからは何を聞いても天川に関する質問には応えてもらえなかった。
「あんたさ、無駄モテしてんのね」
勝彦が祐司の店に立ち寄ってからちょうど一週間後、貴之が久しぶりに仕事上がりに再訪していた。祐司がからかうように彼に言う。
「無駄モテって何よ」
本人は無自覚らしく、首をひねっていた。ライオンの子供のような明るい髪の向こう側にやや緑がかった色素の薄い瞳が見える。こんな見た目でも最近の仲人の服飾規定では許されるようだ。整えられた指先でカクテルグラスを持つと絵になる。ゲイでも妻帯者はいるし、偽装結婚しているケースもある。だが彼の場合は、理由のある結婚だったし家族を裏切る気は一切ないことを祐司は知っていた。
あの男が貴之の事を物欲しげな視線で見ていたのは感じているが、本人は一切気づいていない。ならば祐司が首を突っ込む問題ではないのだが。
「あんた、男遊びをする気はあるの?」
「急に何を言い出すのよ」
祐司に突っ込まれて、貴之が咽る。彼にお冷を差し出しながら祐司は続けた。
「こないだあんたがここを出るときにすれ違った男がいたんだけど、あんたに気がありそうだったから。実際どうなのかなってね」
「やめてよ。アタシが好きなのはあいつだけだもん」
貴之が遠くに視線をやる。
「そうよね。あんたはもう誰とも付き合わないって決めたもんね」
「そうよ。だから美奈と結婚したんだもの」
親友と結婚したのも、彼女の娘たちの父親になることを決めたのも全ては「あいつ」に頼まれたからだ。
「うんといい男が現れても、心は動かないって言える?」
「克久よりいい男なんて現れないわよ」
貴之が言い放つと、祐司が目を見開いた。視線が入り口の方を向いている。――振り向いた貴之の視線の先にいたのは、水戸勝彦だった。
「どうも」
なんだか居心地が悪い空気の中、貴之と勝彦は乾杯していた。間を持たせるために祐司が出したモスコミュールだ。銅製のグラスは指先が張り付くほど冷やされている。グラスの合わさる金属音が店に響いた。
「先日はおめでとうございました」
まずは貴之が大人の対応を見せると勝彦は複雑な顔をした。
「……めでたいんでしょうか」
「あら、マリッジブルーですか」
あくまでも結婚相談所を介して出会った相手である。というスタンスを崩さない貴之に対して、勝彦は羨ましそうな拗ねたような顔をしていた。
「マリッジブルーってやつなんですかね」
「質問しているのはこっちなんだけど」
からかうように貴之が言うと、勝彦が眉根を寄せた。
「こっちは結婚するのは初めてなんだから、わかるわけないじゃないかよ」
貴之は勝彦の煩悶の理由を知らない。祐司はそれに気づいているが、知らないふりをしながらつまみのナッツをハワイ土産の民芸品の皿に入れて二人に出した。せっかく親が認める相手と結婚が決まったが、目の前にはタイプの相手がいるという状況で、今にも獲物に食らいつきたいというような視線で勝彦は貴之を見つめていた。
「天川さん」
黙っていても埒が明かないと思ったのか、勝彦が貴之を呼ぶ。
「ねえ……既婚者の浮気ってどこからだと思います?」
真剣な顔をして尋ねる彼を一瞥しながら、貴之はナッツを口に運んだ。
「結婚が決まったのに、もう浮気の話?穏やかじゃないわね」
「何を聖人面してるんだ。あんただってタイプの人間が目の前にいたら、浮気の一つくらいちらつくでしょうに」
気づけば勝彦の前のグラスは空になっている。責めるような貴之の口調に勝彦は反論するように応えた。
「ずいぶんお酒が進んでいるようね。私は浮気なんて全く考えたことも無いけれど、まだ結婚に対する覚悟はできていないってところかしら?」
結婚に対する覚悟、と言われて勝彦の顔色が戻った。親の圧力に負けたとはいえ、あれだけの準備をして金をかけてプロポーズしたのだ。性的に興味のない彼女との結婚だったとしても、人として人間性が合うのなら不幸にはならない。そう思ったからこその決断だったのに。
――ちょっとタイプの男が目の前に現れたら、すぐに目がくらんでしまう。
「まだ僕には、結婚は早かったのかもしれません」
落ち込みながら呟く勝彦に
「春さんと話し合ってみたらどうかしら?」と、貴之は告げた。
「え?」
「浮気のボーダーラインも、今後の人生の不安も、あなたの人としても未熟さも。全部じゃなくてもいいから春さんと共有してみたらどうかしら?」
貴之がゆっくりとグラスをかき混ぜる。
「あなた、ゲイなんでしょ? 多分春さんにカミングアウト出来てないし、彼女はあなたの事をすっかり信じ切っているから、このまま結婚していいのかって、良心の呵責に苛まれてるのよね」
「はい」
指摘通りだった。彼女がこっちに惚れている、その弱みを握って愛のない結婚をしようとしている自分があまりにアンフェアで嫌だった。でも自分さえ我慢すれば、皆が幸せに過ごせる。そう思っていたのだが
「あんた、それは傲慢よ」
貴之の人差し指が勝彦の顔を指す。
「ちょっと頭が良くて背が高くて金持ちでイケメンだからってさ、噓ついて結婚して。あんたに人の人生狂わせる権利なんかないわよ」
貴之が前にあるお冷のグラスを手に取りその中身を勝彦に引っ掛けた。勝彦の頭上に氷水がぶちまけられ、目の前に冷水がしたたり落ちてくる。
「ちょっとあんた、何やってんのよ!」
祐司が慌てて止める。彼は加温庫からおしぼりを数本取って勝彦に渡すと、勝彦の服や髪を拭きはじめた。
「いや、俺が悪いんで……いいんです」
勝彦はそう言いながら財布からお札を出し、祐司に差し出すとそのまま店を後にする。
祐司はあきれ顔で貴之を見ながら、肩をすくめていた。
つづく
