言語化で、人生は変わる。
はじめに
私は副業で、
相談員(心理カウンセラー/キャリアコンサルタント)として活動しています。
仕事として何をしているかというと、
苦しみを手放しながら、本当はどうしたいのかを、一緒に探す伴走。
これだけです。
活動を始めて1年ほど。
おかげさまでご紹介などもいただけるようになり、
少しずつ、
いろいろな方とお話をする機会が増えてきました。
[▼👇これまでお話を聴かせていただいた方々より]
転職を考えている方、
職場の人間関係に悩んでいる方、
パートナーとの関係に迷っている方、
人生の方向に迷っている方。
来られる理由はそれぞれ違いますが、
対話の中で結局していることは、たぶんひとつだけです。
白紙の感情に、一緒に名前をつける。
相談者の中には、確かに何かがある。
重さがあり、
違和感があり、
引っかかりがある。
でも、
それが何かはわからない。
輪郭がない。
形がない。
名前がない。
私の仕事は、
それに名前をつけていく作業です。
一緒に、ゆっくりと。
そしてこの活動を続けてきて、
ひとつ確信していることがあります。
苦しみとは、見えないこと、そのものである
ということ。
何が苦しいのかが見えれば、
苦しみの半分はもう終わっています。
残り半分は、
対処すればいい。
逃げる、
戦う、休む、人に話す、
選択肢が出てきます。
でも、見えていないとき。
何が苦しいのかわからないとき。
人は、ただ消耗します。
そして一番厄介なことに──
見えていないと、見えていないことにも、気づけない。
なぜ私がこの話を、
これほど確信を持って書いているのか。
それは、
相談員として向き合ってきたからだけではありません。
かつての私自身が、
20年以上、自分の本音が見えないまま生きてきた人間だからです。
その話は、
この記事の最後に、もう一度します。
今は、まず、「見えていない」ということが何なのかを、
一緒に見ていきたいと思います。
この記事は、長いです。
でも、最後まで読み終えたとき、
あなたの中にあった「なんかしんどい」の正体が、
少しだけ輪郭を持って見えているはずです。
そして、
その輪郭に名前をつけていく作業
それを、私は言語化と呼んでいます。
言語化で、人生は変わる。
──これは、私が、自分の人生で証明した話です。
さて、
はじめましょう。
第1章 「見えていない」とは、どういう状態なのか
たとえば、こんな経験はないでしょうか。
夜、布団に入った瞬間、胸のあたりが重くなる。
理由はわからない。
今日、特別嫌なことがあったわけでもない。
でも、なんとなく、しんどい。
そのまま眠って、朝になって、忘れる。
また夜、同じ重さが戻ってくる。
あるいは、休日の昼下がり。
やりたかったことができる時間のはずなのに、
何をしてもどこか気が乗らない。
SNSをひらいて、閉じる。
動画を流して、内容が入ってこない。
「なんで楽しくないんだろう」と思いながら、
その「なんで」に答えられないまま夕方になる。
職場で、誰かの一言が引っかかる。
悪気のない言葉だと頭ではわかっている。
それでも、家に帰ってお風呂に入りながら、
もう一度その言葉を再生してしまう。
なぜそんなに引っかかるのか、自分でも説明できない。
これらに共通しているのは、
「何か」がそこにあるのに、「それが何か」がわからない、
という状態です。
感じてはいる。
でも、見えていない。
これが、「見えていない」ということです。
見えていない、とは「ない」ことではない
ここは、誤解してほしくないところです。
「見えていない」と聞くと、
何もない、空っぽ、と思うかもしれません。
でも、違います。
そこには、確かに何かがあります。
重さがある。違和感がある。
引っかかりがある。だから、しんどい。
何もなければ、しんどくならないんです。
しんどい、ということは、何かがある、という証拠です。
ただ、その何かに形がない。輪郭がない。名前がない。
形がないものは、つかめません。
つかめないものは、扱えません。
扱えないものは、ずっとそこにあり続けます。
これが、「見えていない」苦しみの正体です。
川の流れと、岸辺の話
ひとつ、たとえ話をさせてください。
私たちの心の中には、
川のように、絶えず何かが流れています。
感じたこと、
思ったこと、
引っかかったこと、
嬉しかったこと、嫌だったこと。
それらは、形になる前のまま、流れています。
岸辺に立ってその川を眺めるとき、
はっきり見えるものもあります。
「ああ、私は今、嬉しい」「私は今、怒っている」
── 名前がついている感情は、岸から見える石のように、
輪郭がはっきりしています。
でも、川の中には、まだ名前のついていない流れもあります。
何かが流れている。
なんとなく、暗い色をしている。
重そうな気配がある。
でも、形がはっきりしないまま、流れていく。
その流れは、消えません。
岸辺の人が見ようとしないだけで、
川の底には、ずっと溜まっていきます。
そして、川の底に何が溜まっているかは、本人にもわかりません。
なぜなら、岸辺からは、底が見えないからです。
「見えていない」とは、そういう状態です。
何かは、確かに流れている。
何かは、確かに溜まっている。
でも、それが何かは、岸辺からは、見えない。
一番こわいこと──「見えていない」ことに、気づけない
ここから先は、少し腰を据えて読んでほしい話です。
ここまでは、
「見えていないものがある」と本人がうっすら感じている状態の話でした。胸の重さ、引っかかり、なんとなくのしんどさ。
気配は、感じている。
でも、本当に厄介なのは、気配にすら気づいていない状態です。
たとえば、毎朝の通勤電車で、
本当はとても疲弊している人がいるとします。
でもその人は、
「みんなこんなものだろう」
「社会人なんだから当たり前」と思って、
何年も乗り続けている。
胸の重さは、あります。
違和感も、あります。
でも、それが当たり前の景色になりすぎていて、
もう「重い」と感じることすらしなくなっている。
これが、見えていないことに気づいていない、という状態です。
本人は、自分は元気だと思っている。
本人は、特に問題ないと思っている。
でも、体は静かに削れている。
心は、ゆっくり鈍くなっている。
ある日、ふとしたきっかけで涙が止まらなくなる。
ある朝、起き上がれなくなる。
そういう形で、
ようやく、
「ああ、私、しんどかったんだ」と気づく。
そのときには、もう、かなりのところまで来ている。
なぜ、見えていないことに気づけないのか
理由は、ひとつではありません。
でも、おそらく一番大きいのは、これです。
気づいてしまうと、これまでの自分が崩れてしまうから。
たとえば、
ある人が「この仕事、本当はずっと向いていないと感じていた」と気づいたとします。
その瞬間、過去の十年間が、別の意味を持ち始めます。
我慢してきた時間、自分を納得させてきた言葉、
続けてきた理由、すべてが揺らぎます。
たとえば、
「あの人との関係、ずっと苦しかった」と気づいたとします。
その瞬間、その関係の中で笑っていた自分も、
選んできた自分も、許してきた自分も、
もう一度見直さなければいけなくなる。
気づくということは、ただ「わかる」ことではないんです。
気づくということは、
今までの自分の見方を、書き換える作業です。
そしてそれは、しんどいときもある。
ものすごく、しんどいときもある。
だから、心は賢くて、優しい。
本人がまだ受け止めきれないものを、
見せないようにしてくれている。
「気づかない」のではなく、「気づかないでおいてくれている」。
これは、心のサボりではありません。
むしろ、心が本人を守ろうとしている、自然な働きです。
ただし、と続けます。
守ってくれている、ということは、
ずっとそこに置きっぱなしになっている、ということでもあります。
見ないようにしているだけで、なくなったわけではない。
気づかないようにしているだけで、消えたわけではない。
だから、それは、ずっと胸の奥で重さを発し続けます。
言葉にならないまま、夜眠るとき、
休日の昼下がり、誰かのふとした一言で、ふわっと顔を出す。
そして、見ないでいる時間が長ければ長いほど、いざ向き合うときの重さも、増していきます。
第1章の終わりに
ここまで読んで、もし少しでも、ざわっとした感覚があったなら。
その「ざわっ」こそが、見えていなかった何かの、輪郭のはじまりです。
第1章では、「見えていない」とはどういう状態なのかを書いてきました。
整理すると、こうなります。
見えていない、というのは、何もないことではない。確かに何かがある、けれど、形と名前がない、という状態のこと。
形と名前がないものは、扱えない。だから、ずっとそこに残り続け、私たちを消耗させ続ける。
そして一番こわいのは、見えていないものがあること自体に、気づけないこと。それは、心が本人を守ろうとしている自然な働きでもあるけれど、放っておくと、ずっと積もっていく。
──では、どうすれば、見えるようになるのか。 形のないものに、どうやって、形を与えていくのか。
それが、言語化という作業です。
第2章では、言語化とは何なのか、
それは才能なのか技術なのか、
できる人と、できない人の間に何があるのか、を一緒に見ていきます。
第2章 言語化とは、見えないものに名前をつける作業
名前がつくと、見えるようになる
第1章で、見えていない苦しさの話をしました。
胸の重さがある。違和感がある。引っかかりがある。でも、それが何かはわからない。形がない。輪郭がない。名前がない。
ここで、ひとつの問いが立ちます。
形のないものに、形を与えるには、どうすればいいのか。
名前のないものに、名前をつけるには、どうすればいいのか。
その作業のことを、私は言語化と呼んでいます。
言語化とは、自分の内側に気づくこと
言語化、というと、
なんだか難しい技術のように聞こえるかもしれません。
人にわかりやすく説明する力。
整理して伝える力。
プレゼンがうまくなる、文章が書けるようになる
── そんなイメージを持つ方も多いと思います。
でも、私が話したい言語化は、それらも当然含みますが、
今回は少し違います。
言語化とは、ただ言葉にすることではありません。
自分の中でぼんやりしていたものに気づき、
「ああ、自分は本当はこう感じていたんだ」と、さとることです。
つまり、
言語化 = 説明すること ではなく、
言語化 = 自分の内側に気づくこと
言語化 = 自分の本音をさとること
人にうまく伝えるためにする作業ではないんです。
自分自身に、自分のことをわかってあげるためにする作業。
それが、今回、私の言う言語化です。
「さとる」とは、何か
「さとる」という言葉、少し立ち止まらせてください。
「悟る」と書くと、何か特別な、宗教的な響きを感じるかもしれません。 でも、もとの意味は、もっと素朴です。
「さとる」── 古語の語源をたどると、
「気づく」「わかる」「目覚める」という意味です。
寝ぼけていた頭が、ふっと冴える。
霧の中にいた目が、急に開ける。
それまで見えていなかったものが、見えるようになる。
それだけのこと。
そして、これは大きな出来事である必要はありません。
日常の中で、ふとした瞬間に、誰の中にも起こりうる、小さな目覚めです。
私は相談の場で、こういう問いかけをよくします。
「それって、こんな感覚ですか?」
「それは、あなたにとって、どういうことですか?」
「それは、どんな意味があったんですか?」
すると、相談者の方は、一瞬「えっ」となります。
質問されて初めて、自分の内側に意識が向くからです。
それまで外側ばかり見ていた目が、ふっと内側を向く。
そして、しばらく沈黙したあと──
ある言葉が、ぽろっと出てきます。
「あ……これ、寂しかったんだ、私」
「あ……怒ってたんじゃなくて、悲しかっただけだ」
「あ……本当は、ずっとこう言いたかったんだ」
その瞬間、相談者の表情が変わります。
肩から力が抜けたり、目が少し潤んだり、背筋が伸びたり、人によってさまざまですが、共通しているのは、
「見えていなかったものが、見えた」という顔です。
これが、「さとる」瞬間です。
そしてこの瞬間こそ、言語化が起きている瞬間そのものです。
名前がつくと、何が変わるのか
自分の中で、何かが「さとられた」あと、何が変わるのか。
3つあります。
ひとつ目。扱えるようになる。
第1章で書いたように、形のないものは、つかめません。
つかめないものは、扱えません。
でも、名前がついた瞬間、それは手のひらに乗るものになります。
「私はいま、怒っている」 この一文が言えた瞬間、もう怒りは、自分の中に広がる霧ではなくなっています。目の前に置けるものになっている。
霧と一体化していたときは、自分が怒りそのものでした。 でも、名前がついた瞬間、自分と怒りの間に、隙間ができます。
「怒っている自分」を、見ている自分が、立ち上がる。
この隙間が、すべての始まりです。
ふたつ目。自分が、自分でいられる。
隙間ができると、何が変わるか。
自分が、感情に飲み込まれずに済むようになります。
名前がつく前の私たちは、感情そのものになっていました。
怒りが湧けば、自分が怒りになる。
悲しみが来れば、自分が悲しみになる。
不安が来れば、自分が不安そのものになる。
そうなると、自分は、もうそこにいません。
感情の波の中に、消えてしまっている。
でも、「私はいま、怒っている」と名前をつけた瞬間、何かが変わります。
怒りは、まだそこにある。
でも、その怒りを眺めている自分が、立ち上がっている。
感情と一体化していたところから、
ほんの少しだけ、自分が引き離される。
感情はそこにあるけれど、自分は、自分のままでいる。
これは、感情を抑え込むことではありません。
感情を消すことでもありません。
感情と、適切な距離を取れる、ということ。
そして、その距離を作ってくれる道具が、言葉なんです。
「私はいま、怒っている」 このたった一文が、
感情と自分の間に、ほんの少しの空間を作ってくれる。
その空間の中で、ようやく、自分は自分でいられます。
「感情をコントロールする」という言い方を、よく耳にします。
でも、本当に起きていることは、コントロール=支配ではないと、
私は思っています。
ただ、見ていられる。 ただ、距離を取れる。
ただ、飲み込まれずにいられる。
それだけのこと。
でも、それだけのことが、
できるかできないかで、人生は驚くほど変わります。
みっつ目。伝えられるようになる。
そして、もうひとつ。
ここで初めて、人にも伝えられるようになります。
自分でわかったから、人にも届く言葉になるんです。
「なんかしんどい」では、相手に何も伝わりません。
でも、「先週、上司に言われたあの一言が、ずっと引っかかっていて、家に帰ってからも何度もそのことを考えてしまう」と言えれば、相手はあなたを理解できます。
理解されれば、人はそれだけで、少し救われます。
理解されなくても、伝えようと言葉にする中で、
自分自身が一番、救われます。
言葉にするとは、外に出すこと。
外に出るということは、
もう、自分の内側だけに溜めずに済む、ということ。
言語化は、内側に溜まったものを、外へ運んでいける、唯一の出口です。
なぜ、言語化できる人と、できない人がいるのか
ここまで読んで、こう思った方もいるかもしれません。
「言語化って、そんなに大事なら、誰だってやればいい。なのに、なんで、できる人とできない人がいるんだろう?」
これは、私もずっと考えてきた問いです。
相談員として、たくさんの方の話を聞いてきて、ひとつの結論にたどり着きました。
言語化できる人とは、自分と対話してきた人です。
言語化できない人とは、自分を置き去りにしてきた人です。
これだけだと抽象的なので、少し丁寧に説明させてください。
私たちは毎日、たくさんの情報の中で生きています。
仕事、家族、友人関係、SNS、ニュース、誰かの正しさ、誰かの幸せ、誰かの成功。
意識を、外に向ける時間は、いくらでもあります。
でも、意識を自分の内側に向ける時間は、意識して作らないと、
ゼロのまま過ぎていきます。
外ばかり見ていると、何が起きるか。
「誰かの正しさ」が、
いつのまにか「自分の正しさ」にすり替わります。
「誰かが望む幸せ」が、
いつのまにか「自分が望む幸せ」になっていきます。
「誰かの基準」で、
自分を採点するようになっていきます。
そして、ある日、ふと立ち止まったときに、思うんです。
「気づいたら、自分はどこにいるんだろう。」
外の正解ばかり集めてきた結果、
自分の現在地がわからなくなっている。
自分の声を、聞かないまま、人生が進んでいる。
これが、自分を置き去りにする、ということです。
逆に、言語化できる人は、日ごろから自分と対話する時間を持っています。
立ち止まる。
自分に聞く。
「いま、何を感じている?」 答えを待つ。
出てきた感覚に、言葉を当てはめてみる。
しっくりくるまで、何度か言い直してみる。
これを、習慣的にやっている。
だから、いざ何かが起きたときにも、
自分の中で起きていることに、言葉を与えられる。
そして、自分と対話する時間を持っている人は、
不思議なことに、他人の話もよく聞ける人です。
なぜか。 自分の声を聞ける人は、
声を聞くという行為を知っているから。
自分にしてあげていることを、他人にもしてあげられる。
言語化のいちばん深いところ──自分の言葉に、意味を与える
ここまで、言語化とは何か、
何が変わるのか、できる人とできない人の差はどこか、を見てきました。
最後に、もうひとつだけ、深いところに踏み込ませてください。
冒頭で、言語化とは、自分の内側に気づくこと、自分の本音をさとることと書きました。
それを続けていくと、どこへ向かうのか。
向かう先は、ここです。
自分が使う言葉に、自分で意味を与えること。
言葉を借り物のまま使うのではなく、
自分の経験、感情、価値観と、結び直すこと。
そのとき初めて、言葉は、
「ただの説明」ではなく、 「自分の言葉」になります。
私たちは、たくさんの言葉を使って生きています。
「幸せ」
「成功」
「自由」
「ちゃんとしている」
「いい人」
「普通」
「大人」
── どれも、毎日のように口にしたり、
頭の中で使ったりする言葉です。
でも、立ち止まって考えてみてください。
その言葉、あなたにとって、どういう意味ですか?
「幸せになりたい」と言うとき、
あなたにとっての幸せって、どういうことですか?
「ちゃんとしたい」と言うとき、
あなたにとってのちゃんと、って何ですか?
「いい人でいたい」と思うとき、
あなたにとってのいい人、って何ですか?
──答えに、詰まりませんか?
実は、私たちが日常で使っている言葉のほとんどは、借り物です。
親が使っていた言葉。
先生が使っていた言葉。
友達が使っていた言葉。
SNSで誰かが使っていた言葉。
どこかの本に書いてあった言葉。
なんとなく真似して、なんとなく使っているうちに、
その言葉が自分のものになったような気がしている。
でも、本当は、自分の経験とも、
感情とも、価値観とも、結び直されていない。
借り物の言葉で生きるということは、
借り物の人生を生きるということです。
なぜなら、
言葉が他人のものだから。
基準が他人のものだから。
「幸せ」の意味が他人のものだから、
いつまでも、他人の幸せを目指してしまう。
ゴールに着いても、しっくりこない。
なぜなら、それは自分のゴールじゃなかったから。
でも、
自分の言葉を、
自分の経験と結び直し始めた瞬間、
人生が動き出します。
「私にとっての幸せは、こういうこと。
──こんな朝に、こんな景色を見て、こんな気持ちになれること。」
「私にとってのちゃんと、は、こういうこと。
──誰かの基準ではなく、自分が納得できているか、ということ。」
「私にとってのいい人、は、こういうこと。
──嫌われないことではなく、自分にも他人にも誠実でいられること。」
意味を、自分の中から立ち上げ直した人は、
もう、他人の基準で揺れません。
自分の人生の主導権を、言葉から取り戻しているからです。
そして、不思議なことに、
自分の言葉に意味を与えられるようになると、
他人の言葉の輪郭も、見えるようになります。
「あ、この人は、『成功』をこういう意味で使っているのかもしれない」 「この人にとっての『普通』は、私の『普通』とずいぶん違うな」
他人の言葉と、自分の言葉が、混ざらなくなる。
そしてそこから、もう一歩進むと、こう問えるようになります。
「この人がこの言葉に込めている意味は、どこで身についたものなんだろう?」
これは、相談員としての私の仕事の、根っこにある問いです。
人が苦しんでいる多くの場合、その苦しみは、
いつのまにか身についてしまった、
誰かの言葉の意味に縛られていることから生まれています。
「ちゃんとしないと、いけない」
「いい人で、いないといけない」
「普通の人生を、送らないといけない」
その「ちゃんと」「いい人」「普通」は、
いつ、どこで、誰から、もらった意味ですか?
そして、それは、いまの自分にも、本当に当てはまる意味ですか?
その問い直しを、ひとつずつ、
自分の経験と結び直しながら、自分の意味でつけ直していく作業。
それこそが、言語化の、いちばん深いところです。
言語化は、特別な才能ではなく、習慣である
最後にひとつだけ、お伝えしたいことがあります。
言語化は、特別な才能ではありません。
語彙の多さでも、文章のうまさでも、頭の良さでもありません。
言語化とは、自分の感じたこと、考えたこと、
違和感を、日々すくい上げる習慣のこと。
ただ、それだけのことです。
立ち止まる。
自分に聞いてみる。
「いま、何を感じている?」 答えを待つ。
出てきた感覚に、言葉を当ててみる。
違うな、と思ったら、言い直してみる。
たったこれだけ。
でも、これを毎日5分でも続けた人と、
一度もしなかった人とでは、半年後、まるで別人になります。
なぜなら、自分との対話の量が、ぜんぜん違うから。
自分との対話を続けてきた人は、
自分の中の言葉が増えていきます。
増えていくと、感覚に当てはまる言葉が、見つかりやすくなる。
見つかりやすくなると、もっと細かい感覚にも、気づけるようになる。
好循環が、回り始めます。
ただし。
これを、ひとりで続けるのは、けっこう難しいんです。
なぜひとりだと難しいのか。
そして、ひとりではないやり方とは、何なのか。
それを、最後の章で話します。
第3章 ひとりでは、見えないものがある
私たちは、自分の内側に意識を向ける方法を、教わってこなかった
第2章の最後に、こう書きました。
「言語化を、ひとりで続けるのは、けっこう難しい。」
なぜか。 その理由を、ここから話していきます。
少し、思い出してみてほしいんです。
私たちは、子どもの頃から、
たくさんのことを学校で習ってきました。
国語、算数、理科、社会、英語。歴史の年号、
化学の元素記号、英語の文法。
これらは全部、自分の外側にあるものです。
世界の仕組み、人類の歴史、言葉のルール、数字の決まりごと。
でも、思い出してみてください。
「自分の感情に、意識を向けるやり方」を、
私たちはどこかで習ったでしょうか?
「いま自分が何を感じているのか、立ち止まって聞いてみる時間」を、
誰かが教えてくれたでしょうか?
折れない心。
回復する力。
自分で考え、自分で選ぶ主体性。
他者と一緒に生きる力。
自分の内側に意識を向けて、自分を学んでいくこと。
これらを、
誰かが教科として教えてくれたことは、
ほとんどなかったはずです。
私たちは、自分の外側のことばかり、教わってきました。
そして、自分の内側のことは、
自分で気づくか、誰かに導かれるかするしかなかった。
ここに、ひとりでは難しい理由の、ひとつ目があります。
そもそも、自分の内側に向き合うやり方を、知らない。
知らないことは、できません。
やり方がわからないまま、自分と向き合おうとしても、
何から始めればいいかすら、わからない。
これは、決して、あなたが鈍いからでも、
努力が足りないからでもありません。
そういう機会が、人生のどこにもなかっただけのことです。
ただし、と続けます。
どこかのタイミングで、
自分の内側に意識を向けることに、
出会う人がいます。
本を読んで、誰かと出会って、
人生の出来事に揺さぶられて、
ある日、「自分の内側を見てみよう」と思える瞬間がやってくる。
そして、その瞬間に出会えた人は、
少しずつ、変わっていきます。
何が変わるかというと、ブレなくなるんです。
人の意見に流されにくくなる。
誰かの正解で、自分を採点しなくなる。
悩みを抱えても、抱え方がうまくなる。
深みにハマらなくなる。
なぜなら、自分の中に、
自分の言葉の地図を持っているから。
何を感じているのか、何を望んでいるのか、
何が大切なのか── 自分の現在地を、いつでも確認できるから。
そういう地図を持っている人は、
嵐の中でも、自分を見失わない。
思い込みに、思い込みだと気づけない
ここから、もう一段深い話をします。
ひとりで内省していると、ある壁にぶつかります。
この壁は、ひとりでは絶対に越えられない種類の壁です。
それが、これです。
自分が思い込んでいるとすら気づいていないことを、人は、思い込んでいる。
たとえば、「私は、人に頼ってはいけない」
と思っている人がいるとします。
本人は、それを「思い込み」だとは思っていません。
「それは事実だ」と思っています。
「人に頼ったら、迷惑をかける」
「人に頼るのは、弱い人がすること」
「自分のことは、自分でなんとかするのが当たり前」
本人にとって、これは当たり前の前提です。
空気のように、生まれたときから自分の中にあった、ように感じている。
でも、本当はそうじゃない。
どこかで、誰かから、何かのきっかけで、もらった意味です。
親が、「自分のことは自分でやりなさい」と何度も言っていた。
頼ろうとしたとき、「それくらい自分でやれるでしょ」と冷たくされた。
頼った先で、傷ついた経験があった。
その記憶が、いつのまにか、
「人に頼ってはいけない」というルールとして、自分の中に固まった。
そして、それが固まりすぎて、もうルールだとさえ気づけなくなった。
これが、思い込みに思い込みだと気づけない、ということです。
ここがやっかいなんです。
第2章で、「自分の言葉に、自分で意味を与えること」と書きました。
言葉を借り物のまま使うのではなく、自分の経験と結び直すこと、と。
でも、結び直そうにも、
もとの言葉が、自分のものか借り物かすら、わからない。
当たり前すぎて、ルールだと気づけないから。
「これは事実だ」と思っているから。
ここに、ひとりでは難しい理由の、もっとも深い壁があります。
なぜ、外からの問いかけが必要なのか
では、どうすれば、その壁を越えられるのか。
答えは、ひとつしかありません。
自分の外から、問いかけてくれる存在がいること。
「それって、本当にそうですか?」
「それは、どこで身についた考えですか?」
「あなたにとって、その言葉はどういう意味ですか?」
こういう問いを、誰かが外から差し込んでくれること。
問われると、人は初めて、自分の中を見にいきます。
それまで「事実」だと思っていたものを、
「これって、思い込みだったのかもしれない」と疑い始めます。
そこから、ようやく、結び直しの作業が始まります。
私が相談の場でしているのは、この問いかけです。
「それって、こんな感覚ですか?」
「それは、あなたにとって、どういうことですか?」
「そのとき、どんな意味があったんですか?」
質問されて、相談者の方は、一瞬「えっ」となります。
それまで、意識が外側ばかりを向いていたから。
質問を受けて初めて、ふっと、内側に目が向く。
そして、しばらくの沈黙のあと、ぽろっと言葉が出てくる。
「あ……これ、寂しかったんだ、私」
「あ……怒ってたんじゃなくて、悲しかっただけだ」
その瞬間、相談者の表情が変わります。
肩から力が抜けたり、目が少し潤んだり、背筋が伸びたり。
それは、見えていなかったものが、見えた瞬間の顔です。
これが、第2章で「悟る」と呼んだ瞬間です。
言語化を続けると、人生はどう変わるのか
ここまで読んで、もしかしたらこう感じている方がいるかもしれません。
「で、結局、言語化ができるようになると、何が変わるの?」
ここまでは、言語化とは何か、
なぜ難しいのか、を話してきました。
最後に、言語化を習慣にできた人の人生に、何が起きるのかを話します。
言語化を続けていくと、人は、こうなります。
ブレなくなる。
自分の中に、自分の言葉の地図ができていきます。
「私にとっての幸せはこういうこと」
「私にとってのちゃんと、はこういうこと」
── 一つひとつ、意味が自分のものになっていく。
地図ができてくると、人は迷わなくなります。
誰かに何かを言われても、
「あ、この人はこの言葉をこういう意味で使っているのか。
私の意味とは違うな」と、自分のほうへ戻ってこられる。
流されなくなる。
SNSで誰かの正しさを見ても、もう焦らなくなります。
本に書いてある「成功者の習慣」を見ても、もう自分を責めなくなります。 他人の人生は、他人の人生として、置いておけるようになる。
代わりに、自分の人生を、自分のペースで進めていける。
悩みにくくなる。
正確に言うと、悩みがなくなるわけではありません。
人生に悩みは、ずっとあります。
でも、悩み方が、変わるんです。
悩みの正体が早く見えるようになる。
何が辛いのか、何が引っかかっているのか、自分で名前をつけられる。
名前がつけば、第2章で書いたとおり、扱えるようになります。
扱えるようになると、深みにハマる前に、対処できる。
「なんかしんどい」が長引かない。
「なんかわからないけど辛い」が、ずっと続かない。
これだけで、人生の苦しみの総量は、確実に減っていきます。
私が、なぜ、この仕事をしているのか
ここから、私自身の話を、少しだけさせてください。
「はじめに」で書いた約束を、ここで回収します。
私は元々、HSP気質と言われる、
人の気持ちや場の空気をひどく敏感に感じ取ってしまう性質を持って生まれました。
それに加えて、小学校時代に、いじめを受けた経験があります。
その経験から、私は無意識に、ある思いを強く抱えるようになりました。
「嫌われたくない。」「いい人で、いないといけない。」
それから20年以上、私は、空気を読み続けて生きてきました。
人に合わせて、なるべく争わず、自分の意見はなるべく言わず。
「こうすれば、うまくいくはず」と、自分を押し殺しながら。
そうしているうちに、ある日、ふと気づいたんです。
自分が、何を感じているのか、わからない。
楽しいのか、悲しいのか。
やりたいのか、やりたくないのか。
好きなのか、嫌いなのか。
自分の本音が、もう、自分でもわからなくなっていた。
結婚生活でも、同じパターンが続きました。
なるべく相手に合わせて、自分の本心を、
はっきり伝えることができなかった。
「こうすれば、うまくいくはず」と、また自分を押し殺していた。
結果、私は、離婚を経験しました。
自業自得でした。
たくさんの人に迷惑をかけて、
自分の中も、空っぽになりました。
それまでの自分を、丸ごと失った感覚でした。
離婚してから1年ほど、私はどん底にいました。
何をしていいかも、何を感じているかもわからない。
ただ、毎日をやり過ごすだけの、空っぽの時間。
そんな時期に、縁があって、
キャリアコンサルタントの資格取得を決意しました。
何かを変えたかった、というより、ただ、
藁をもつかむような気持ちだったと思います。
そしてその学びの中で、私は、ひとつの言葉に出会いました。
「内省」
言葉自体は、固く感じるかもしれません。
でも、難しいことではありませんでした。
要するに、自分の感情の裏にある思い込みや、過
去の傷の影響を、
「自分を学ぶ」ことで、自分で自分に気づいていく作業のことでした。
これに出会ったとき、何かが、線でつながる感覚がありました。
「ああ、私が20年以上、
自分を見失っていたのは、こういうことだったのか。」
「自分の内側に、これほどたくさんのことが眠っていたのか。」
「気づいてあげていなかったのは、私自身だったのか。」
そこから、少しずつ、心が整っていきました。
全部いっぺんには、変わりません。
でも、毎日少しずつ、
自分の感じていることに気づいて、
名前をつけて、結び直していく作業を続けていったら、
半年、一年と経つうちに、別人のようになっていました。
人生が、真逆の方向に進み始めました。
良い方向に、です。
そして、今、私は副業として、相談員の活動をしています。
かつての私と同じように、
自分の本音が見えなくなって苦しんでいる方の前に座って、
一緒に、白紙の感情に名前をつける仕事を。
私がこの仕事をしているのは、
たぶん、かつての自分に会いに行きたいからです。
20年以上、空気を読んで、
自分を押し殺してきた、あの頃の自分。
離婚して、空っぽになって、
どん底にいた、あの頃の自分。
誰かが、外から、問いかけてくれていたら、
もっと早く気づけたかもしれない、あの頃の自分。
その自分に会いにいくつもりで、
いま、目の前の方の話を聴いています。
あなたへ
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
もしこの記事のどこかで、
「あ、これ私のことだ」と感じる瞬間があったとしたら。
それは、あなたの中にあった白紙の感情に、ほんの少しだけ、輪郭が立ち上がった瞬間です。
その輪郭に、名前をつけていく作業を、
これから続けていけば、人生は、必ず変わっていきます。
ひとりでは、難しいかもしれません。
でも、あなたはもう、ひとりではない方法があることを知っています。
おわりに──あなたの声を、すくい上げる場所
▶ なぜ私が、これを「副業」として選んだのか
私は今、本業を持ちながら、
副業として相談員の活動をしています。
なぜ副業という形を選んだのか。
40歳の節目、見ず知らずの土地で本当の”一人”になり、
自分の人生と本気で向き合ったときの話を、別の記事に書きました。
「このままの人生でいいのだろうか」 そう感じている方には、何かのヒントになるかもしれません。
[▼ だから僕は、副業を始めた。]
最後に、もう少しご案内させてください。
▶ 言語化について、もう少し、深く読んでみたい方へ
この本記事は、「言語化とは何か」を伝える記事です。
読むだけでは、変わりません。
ぜひ、やってみてください。
[▼ noteを読む]
▶ 言語化を、本気で身につけたい方へ
常時、言語化の伴走プログラムを開講しています。
形式は、オンラインまたは対面の、個別伴走型。
一緒に言語化のトレーニングをしながら、
あなた自身の白紙の感情に、ひとつずつ名前をつけていきます。
ひとりでは越えられない壁を、一緒に越えていく場所です。
お問い合わせは、「LINE公式」からお気軽にご連絡ください。
[▼ LINE公式「みち」に登録する]
▶ これからも、言語化の話を読みたい方へ
このnoteでは、これからも、言語化、自分との向き合い方、思い込みの手放し方について、書いていきます。
よろしければ、フォローして、続きを読みにきてください。
最後に。
この記事のはじめに、私はこう書きました。
苦しみとは、見えないこと、そのものである。
そして、こう続けました。
見えていないと、見えていないことにも、気づけない。
ここまで読んでくださったあなたは、
もう、気づいてしまった人です。
自分の中に、見えていない何かがあること。
それに名前をつけていく道があること。
気づいてしまったものは、もう、気づかなかったことには戻れません。
それは少し、こわいことかもしれません。
でも、こわいということは、新しい自分への扉が、開きかけているということでもあります。
その扉の向こうで、お待ちしています。
<おまけ>|【エッセイ】より。
よければ、聞いてみてください✨
【第四弾:歌ってみた】
恋に落ちて-Fall in love- 小林明子
その他のラインナップは、こちらのYouTubeより👇
