狂気を孕む 第一章 六話
御門と話して数日経ち、深海はおまじないについてネットで情報収集に暮れていた。
大学生の一人暮らしにしては広く、高価なマンションの一室。
そこで、唯一置かれていた高スペックなデスクトップパソコンを使い、モニターを見つめていた。
そこに、いつも受かべている飄々とした雰囲気はない。
「先輩のお姉さんは……あった。八月の新聞。ええと……八月九日の午前から十日未明にかけて死亡。先輩はたしか、十日の昼過ぎに電話がかかったって言ってたっけ……」
ふうん、と声を漏らす。
ならば、先輩へ姉からの電話なんて来るはずはない。
ーー先輩は、ナニからの電話を受け取った……?
「いいねいいねぇ。楽しくなってきたじゃぁん」
深海はニンマリと悪どい笑みを浮かべる。
これはきっとホンモノだ。ホンモノの、人ではないナニカ。
きっと今頃、御門教授もそう考えているに違いない。新聞でも見返しているか、おまじないについて調べ始める頃合いだろう。彼は民俗学を専門にしているだけあり、儀式や慣習なんかにめっぽう強いのだ。どこからか、似たような文化を発掘してくるはず。
(一番の鍵はきっと「キチショウカ」。これが何を指しているのか知ること)
カタカナで検索するも、ヒットしない。マイナーなものなのか、別称ゆえ浮上しないのか。またはーー。
ーーピロン、ピロン!
深海のスマホが軽快に音を鳴らした。チャットアプリの通知音である。
きょとんとして、画面に表示されるポップを見る。
「木下樹」、件の先輩だ。
ーーピロンピロンピロンピロン……
絶えずメッセージが送られてきているようで、音が途切れない。
連投など普段はしない人だが、一体どうしたのだろうか。
深海はスマホの画面をタップして、トークルームを開く。
そして、「はぁ!?」と驚愕の声を上げ、次いで、胃の底からこみ上げてきた物を床に撒き散らす。
「うぷ、おぇえ……」
ゼエゼエと肩で息をし、生理的に流れる涙を拭って見つめる。
「は、ハハハ……マジかよ、やっべえじゃん……」
乾いた笑みを浮かべるも、その思考は、感情は停止している。
信じられないのだ。自分の目に映ったそれが。
ーー深海が視界に入れたそこには、一番最初に送られた「おまじないについては忘れろ」という簡潔な一文と、続々と送られる助けを乞う内容。そして、
ぐちょり、ぬちょり、べちゃり。
悲鳴、慟哭、肉の潰れる音、何かが破ける音、物が壊れる音、無邪気な笑い声ーー。
ーー先輩が、赤黒いナニカに襲われ、動かなくなっていく様子を切り取った動画が投下されていたのだった。
日が暮れ、星が顔を出し始めた夜。
薄曇りゆえ月明かりはないが、サワサワとした風の吹く良い日。
研究室で会話をした一週間後、深海と御門は、先程まで通夜に出席していた。
会場に入った時、全身が黒一色の出で立ちをした人間がザワザワとしていた。儀式のようにも見えて、とても落ち着かない。口さがなく根も葉もない噂を立てる者もチラホラと見受けられ、人間が持つ業の深さを実感する。
故人は「木下樹」。件の先輩だった。
遺体はとてもじゃないが目にすることができない有り様だそうで、棺の窓は閉ざされたまま、ただ静かに置かれている。微かに錆びた鉄の臭いがするため、悲惨であったのは誰もが察せるほどで、動揺する者も居る。
唯一、深海、同伴の御門は動じなかった。
「イツキ、イツキぃい……!」
「どうして、美桜に加えてこの子までっ」
泣き崩れ、棺にすがりつく両親であろう中年の男女二人を見て、複雑な心境を隠せなくなる。
普通の事故事件ではない。一般的に猟奇殺人だろうと推測されるものに、実の子供二人が犠牲者となった。
ご焼香まで済ませ、すぐさま会場外の駐車場まで避難したのだった。
「まさか、こんなことになるなんてなぁ……」
ポツリと深海がつぶやく。
「……なんだ、自己嫌悪か?」
「そりゃそうじゃん。面白そうだって思ってたら先輩がああなって、何も感じないほど人間捨ててないよぉ」
「へえ。てっきり、ソレはソレ、コレはコレと割り切るタイプだと思っていたが。案外繊細なんだな」
「センセは動じなさすぎでしょ。もしかして、人間性捨ててるタイプ?」
「捨ててないが、感情移入するタイプでもない……というより、現実味が無くて感情移入できるほどでもないというべきか」
「通夜出てんだから現実味はマシマシじゃんか」
ブツクサと文句を言いつつ、深海は周囲に人がいないことを確認して、コソコソとスマホを取り出す。駐車場とはいっても、隅にある木々が生い茂った場所だ。めったに人は来ないだろう。
音量をかろうじて聞こえる程度に調整し、御門に手渡した。
「それで、これが実際の映像か」
そう言って、御門はそれらに目を向ける。
「……これは……」
御門は目を見開いた。
ーー動画は、唐突に始まった。スマホを触っていたのだろう、驚いた顔をしたイツキが画面を見つめている。
なにに驚いているのだろうか。そう思っていると。
「おじちゃん」
無邪気で、可愛らしく、そして空虚な響きを持った子どもの声が響いた。
ヒュッとイツキの呼吸音が響く。
「おじちゃん、あそぼう」
振り返れないでいる彼に、声はそう言った。
「何が……なんなんだよ……」
イツキは声を震わせていた。
振り返らずともわかったのだろう、その声の主が、人間ではないということを。
自分を「おじちゃん」と、そう呼ぶ声の主の正体を。
べちょん、ぬちゃぁ……ぴちょん
「あそぼう、アソボウ、アソボウヨぉ」
「ひっ……」
年齢性別の問わない複数の声が歪に交わり、鼓膜を振るわせる。
明らかに、人間ではない者の声だった。
ズズ、ズズと引き摺るような音がゆっくり近づいていく。
「逃げなきゃ……逃げねぇと……っ!」
イツキは凍らせた体を叱咤し、スマホを持ったまま、よたよたとふらつきながら部屋を出た。
「おじちゃあん、オじチゃぁン!」
ガラシャン!ドン!バタン!
何かの壊れる音が響く。
チラリと映ったのは、赤黒いナニカ。
廊下に出て、玄関までを走る。その速度はかなり遅く、不規則に大きく揺れる。恐怖と混乱で上手く体を動かせていないようだ。
「まってぇ……ドゴいぐのぉお……おジぢゃンん……」
どんどん濁り、低くなっていく声。
イツキは振り返らずに玄関を降り、ドアに手をかける。
ガチャガチャ、ガチャガチャ。
「なんで、開かないっ……!」
ドアは開かなかった。鍵はかかっていないのに、びくともせず、ドアノブを動かす音だけが響いた。
「おじちゃん」
唐突に、はっきりとした発音で高い声が呼びかける。そう、最初のように。
「あ……」
いつの間にか、ソレはイツキの背後に立っていた。
ひゅう、ひゅうと息を切らす。
生ぬるい滑りとしたものが、イツキの首を鷲掴む。
そして。
「あがぁ…アッ!? ご、グゲェ……ッ」
グポッと、無理やり彼の首を真後ろに回した。まるで、フクロウのような可動域だった。
「ァア……だず、げ……ェ」
「あそぼう、おじちゃん」
そうして、カメラは赤い液体に染まる。
そこからは、微かな悲鳴、水音、破壊音、無邪気な笑い声が続いたのだったーー。
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