狂気を孕む 第一章 四話
「腹部破裂って、一体何の話をしてるんです? せんせい」
ふんわりとした髪を緩くお団子に纏め、白いワンピースの上に薄手のニットカーディガンを羽織った女性。
研究室の入口に佇んでいた愛海(あいみ)が、鈴のような声で問いかけてきた。
「ノックくらいしてくれ」
御門は眉をしかめ、強い語調でそう言った。
「すみません、せんせいに早く会いたいと思ったら、つい」
悪びれた様子もなく、ローズピンクのリップをつけた唇で笑みを携えた愛海に深く溜め息を吐く。
御門は、自分のゼミに所属する愛海が心底苦手であった。なにが楽しいのか、いつだって笑みを浮かべて側に寄ってくるのだ。
「それで、何を話してたんですか? 私も混ぜてくださいよ」
「生憎サマだけどぉ、男同士の話ってやつに介入するのは野暮ってもんじゃない?」
せせら笑うように、深海は言った。
「今時男だとか女だとかで区別するなんて、時代遅れもいいところよ」
「空気を読めって言ってんのぉ」
可愛らしくすねた表情をする愛海に苛立ち、そう吐き捨てた。
「お前たちは、いとこであるのに相性が悪いな。いや、血縁があるから仲が良いなんて暴論もいいところだが」
黒田深海に黒田愛海。二人は父方のいとこらしい。
両者とも御門ゼミに所属しているため、顔を合わせるたびにいつも気を揉むのだ。ゼミの日でもないというのに研究室へ入り浸る様はひどく似通っているが、自分に無頓着で好奇心のまま自由に振る舞う深海と、可愛らしく着飾り、何かと御門へ寄ってくる愛海の性質は正反対とまで言わずとも異なっている。
「はあ……深海の言ったこと全てに同意とは言わないが、女性に……というより、他者へ話すのを憚られる内容だ。私も、気分の悪くなる話を聞かせたいとは思わない」
「そうですか。それなら、私はせんせいに新しいお茶でも用意しますね!」
「センセは遠回しに帰れって言ってんだよ!」
「それじゃあ、少々お待ちくださいー」
「聞けよ……」
にこやかに深海の言葉を無視して研究室隣の給湯室にかけて行った姿を見送った。
普段は飄々とした態度で内心を悟らせない深海がこうも疲弊するとは。
いつものことながら、凄いと感心すらする。
「……気分が萎えたわ。センセ、俺帰るね」
「まだ話が終わってないだろう」
「だってアイツが居るんじゃ話の続きできないじゃん」
ぐぐっと腕を伸ばし、立ち上がった深海は「今度また話すよ」と告げて荷物を手に取った。
大学生向けアパートの一室にて。
イツキは、スマホの画面を凝視したまま動けずにいた。表示されているのは、姉のスマホから送られてきた、おまじないの内容。
そうして思い起こすのは、姉の妊娠を聞いた昨年十一月某日のことである。
ーー昨年の十一月某日。建物の間を風の群れが掻い潜り、人々に身を凍てつかせるような冷たさを味合わせる頃。
イツキは、姉に指定されたカフェに居た。
「イツキ、やったわ。妊娠したの!」
いつになく明るい表情で現れた姉は、弾んだ声音で告げた。
思わず口にしていたアイスティーを吹き出すところであった。ゲホゲホと咳き込み、涙目になりながら「マジで?」と問う。
「マ、ジ、よ!」
「お、おめでとう姉さん! いつわかったんだ?」
「昨日ね」
「ええ、昨日! それじゃあ、俺が報告一番乗り?」
「そうよ。一番暇してそうだったしね」
誂うような言葉を放ちながらも、幸せそうな姉の表情を前にして文句など出てきやしなかった。まだ腹も大きくなってないというのに、マタニティ用の衣服着ているらしく、気が早いと苦笑する。
「ふふふ、これもアレの効果かしら」
「アレ?」
「なんでもないわ。それより、今日は前祝いよ。好きなもの何でも奢ったげる!」
「やった!」
思いもよらなかった提案に、ぐっと拳を握って喜ぶイツキ。
そんな姿を、姉は幸せそうに笑いながら見つめていたーー。
(あの時は流してたけれど……『アレ』とやらがこのおまじないだとしたら……)
ゾッとした。
額から鼻筋を通って画面に冷や汗が落ちる。背中はぐっしょりとして不快感を訴えていた。手はカタカタと震え、動いていないのにもかかわらず息が浅くなる。
恐怖だ。イツキは、恐怖に侵されていた。
冗談なんかじゃないのだ。姉は、確かにナニカを孕んでいた。
自分は確かに、エコー写真も、姉の膨れた腹も見て、触って、腹の子が蹴った振動を感じだのだから。それなのに、姉の遺体から妊娠の痕跡がないなんて。
ならーー姉は一体、何を孕んでいたんだ?
そう疑問を抱けば、途端に心臓は太鼓のような鼓動を刻みだし、内臓がキュッと冷たく引き絞るような感覚を覚えた。
なにか、人知を超越した、とんでもないことが起こっているような気がしてやまないのだ。もしくは、姉の異常な死に方に精神がおかしくなってしまったのか、はたまた、姉が子供を宿していたというのは自分の夢、幻覚であったのだろうか。そうやって自分を疑ってしまうのだ。
たしかに、姉がナニカを孕んでいたことは事実であるのに。
ふと、昼間に話した後輩はなんと言っていたのか思い出した。たしか、「興味深いから、センセに相談してみる」だったか。普段飄々として食えない笑みを浮かべていることが多い後輩との接点はあまりなかったはずだ。
なぜ、自分は彼に話そうと思ったのだろう。
(……ダメだ、思考が錯綜してる。きっと、疲れてるんだ。アイツにも気分の悪い話を聞かせちゃったし、謝っておかないと)
深呼吸をして、画面を操作する。開くのは、チャットツール。相手は後輩だ。
そうして、スイスイと文字を打ち込んでいるとーー
「おじちゃん」
背後から、聞き覚えのない子どもの声が投げかけられた。
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