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建物は、こうやって見ると面白い。― 私が建物巡りで意識している、たった三つのこと


建築の見方に、正解はない。
私はそう思っている。

建築を専門にしているかどうか、
知識があるかどうかは、実はあまり関係がない。
建築が好きで、空間に興味があるなら、それで十分だ。

建築探訪というと、
様式や年代、設計者の名前を知らなければならない、
評価できなければ意味がない、
そんなふうに感じている人も少なくないかもしれない。

けれど本来、建築を見るという行為は、
もっと自由で、もっと個人的なものだと思う。



ルールはない、という前提

建築の見方に、マニュアルは存在しない。
正しい順番も、唯一の答えもない。

むしろ、
「こう見なければならない」
「こう評価すべきだ」
という意識が、建築を見る楽しさを狭めてしまうこともある。

この記事で書こうとしているのは、
建築の見方を教えることではない。
ただ、私はこうやって見ているという視線の置き方を、
共有したいだけだ。


私は、だいたいこの三つから見ている

では、実際に私は建物を見るとき、
どこから見ているのか。

意識していることは多くないが、
振り返ってみると、
だいたい次の三つから見始めていることが多い。


一つ目は、建物がどう立っているか

正面のデザインを見る前に、
まず建物が敷地にどう置かれているかを見る。

周囲との距離感。
高さやスケール。
この建物は、強く主張しようとしているのか、
それとも静かにそこに在ろうとしているのか。

ファサード以前に、
建物の「立ち方」には、
その建築の態度がよく表れる。


二つ目は、近づくときの感覚

次に意識するのは、
建物に近づくときの身体の動きだ。

どこから歩かされ、
どこで足が自然に止まるのか。
入口が分かりやすいかどうかよりも、
身体がどう誘導されているかを感じる。

歩きながら、
少しずつ気持ちが切り替わっていく。
そのプロセス自体が、すでに建築体験の一部だ。


三つ目は、空間に入った瞬間の空気感

中に入ったら、
形やディテールを見る前に、
まず空気を感じる。

光の方向。
明暗の変化。
音の反響。
落ち着き方や、わずかな緊張感。

居心地の良さや違和感は、
多くの場合、この一瞬で決まってしまう。


あいまいな空間に惹かれる理由

私は、外のようで外ではなく、
内のようで内でもない、
そうしたあいまいな空間がとても好きだ。

中と外をはっきり分けるのではなく、
そのあいだを緩やかにつなぐ場所。
ピロティ、ポーチ、バルコニー、テラス、コートヤード。

こうした空間は、住宅に限らず、
ほとんどすべての建築に共通して現れる、
とても重要な領域だと思っている。

人は無意識のうちに、
そうした境界的な場所で立ち止まり、
居心地の良さを確かめている。

私は建物を見るとき、
この「あいまいな場所」で、
自分がどれだけ自然に居られるかを、
ひとつの判断材料にしている。


評価しなくていい、ということ

建築を見たあと、
いい建築か、悪い建築かを決める必要はない。

言葉にできなくてもいいし、
誰かの評価と同じである必要もない。

建築探訪はテストではない。
自分の感覚を確かめる行為だ。


建築を見るという体験について

SNSを開けば、
世界中の建築や街並みを見ることができる時代になった。
Googleストリートビューを使えば、
仮想的な建築探訪もできる。

それらは、建築を知る入口としてとても有効だ。

それでもなお、
建築の見方という点において、
その場に立ち、空間に身を置く体験に勝るものはない。

数百枚の写真や映像よりも、
たった一度、建物の中で立ち止まり、歩き、振り返った体験の方が、
はるかに多くの情報を身体に残す。

建築を見るという行為は、
視覚だけではなく、
光、風、音、距離感といった
五感すべてを使った体験だ。


結論|私はこうやって建物を見ている

だから私は、
建築を評価する前に、
まずその空間に身を置き、
自分の感覚を確かめるようにしている。

それが、
私が建物を見ている方法であり、
この記事で伝えたかったことだ。


もし、どこかで心が動いたなら、
「いつか」ではなく、
その感覚を大切にしてほしい。

最後に、私の座右の銘を記して、筆を置きたい。

「自分の熱い心の中で決めたものには、直ちに行動する」




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