見出し画像

建築家の休憩室-4|家事は、間取りの中に隠れている見えない家事を、動線と収納から考えてみた

家事という言葉を聞くと、まず思い浮かぶのは料理、洗濯、掃除あたりだと思う。

ご飯を作る。
洗濯機を回す。
床を掃除する。
食器を洗う。

たしかに、それらは家事だ。

けれど実際の暮らしをよく見ていると、家事はその作業だけでできているわけではない。

料理をする前には、冷蔵庫の中を確認する。
残っている野菜を見て、今日中に使うべきものを考える。
足りないものを買いに行く。
買ってきたものをしまう。
賞味期限を気にする。
食べ終わったあとには、食器を洗い、台を拭き、生ごみをまとめ、ゴミの日を思い出す。

洗濯も同じだ。

洗濯機に入れる前に、色物を分ける。
ポケットの中を確認する。
干す場所を確保する。
乾いたら取り込む。
畳む。
それぞれの場所に戻す。

掃除も、掃除機をかけるだけでは終わらない。

片づける。
どかす。
戻す。
捨てるか残すか判断する。
いつか使うかもしれないものと、もう使わないものの間で少し迷う。

こうして見ると、家事とは単なる作業ではなく、かなり複雑な判断の連続なのだと思う。

そして建築の仕事をしていると、ときどきこう思う。

家事の大変さは、家事そのものだけでなく、
間取りの中にも隠れているのではないか。


家事は、作業そのものよりも「移動」と「戻す場所」に現れる。

たとえば、キッチンと冷蔵庫の距離。

ほんの数歩の違いに見えるかもしれない。
けれど毎日、何度も行き来する場所であれば、その数歩は意外と大きい。

冷蔵庫を開ける。
シンクに戻る。
調理台に置く。
もう一度冷蔵庫に戻る。
ついでに調味料を取る。
また戻る。

一回一回は小さな移動でも、それが毎日積み重なると、家事の疲れ方は変わってくる。

洗濯もそうだ。

洗濯機の近くに、洗剤を置く場所があるか。
洗い終わったものを一時的に置ける台があるか。
干す場所までの動線は短いか。
乾いた服をしまう収納まで、無理なく運べるか。

これらは、図面の中ではとても小さなことに見える。

けれど暮らしの中では、かなり大きな差になる。

家事がしやすい家とは、単に広い家のことではない。
高価な設備が入っている家のことでもない。

むしろ大事なのは、
やることの流れが、空間の中で途切れないことだと思う。

料理をする。
片づける。
しまう。
捨てる。
乾かす。
戻す。

その一連の流れが自然につながっていると、家事は少し軽くなる。

反対に、流れが途中で切れていると、家事は少しずつ重くなる。

たとえば、ゴミ箱の位置。

キッチンで料理をしているのに、ゴミ箱が遠い。
分別用のスペースが足りない。
生ごみを一時的に置く場所がない。
ペットボトルや缶を洗ったあと、乾かす場所がない。

すると、家事そのものよりも、その前後の処理に小さなストレスが生まれる。

収納も同じだ。

収納は、たくさんあればいいというものではない。

大切なのは、
使う場所の近くに、戻す場所があること

よく使うものが遠くにあると、出すのが面倒になる。
戻す場所が決まっていないと、出しっぱなしになる。
奥にしまい込むと、存在を忘れる。

そしてある日、同じものをもう一度買ってしまう。

家事というより、これはもう小さな都市計画に近い。

人がどこを通り、どこに立ち止まり、どこで迷い、どこで物を置くのか。
それを毎日、家の中で繰り返している。

住まいとは、家族の小さな移動が積み重なる場所でもある。

韓国の住宅を見ていると、この「家事の場所」が比較的はっきり見えることがある。

たとえば、多用途室。
洗濯機を置いたり、食品を保管したり、掃除道具を置いたりする、生活の裏側を受け止める場所だ。

あるいは、キムチ冷蔵庫。

日本では少し特別なものに見えるかもしれないが、韓国の住まいではかなり日常的な存在として扱われることが多い。

キムチだけでなく、食材の保存、発酵食品、作り置き、時期によってはキムジャンの準備とも関係してくる。

つまり、冷蔵庫が一台あるかどうかという話ではなく、
食文化そのものが、住まいの設備や収納計画に影響している

日本の住宅では、限られた面積の中で水回りや収納をコンパクトにまとめる工夫が多い。
韓国の住宅では、家事や食材保管のための余白が、別のかたちで現れることがある。

もちろん、どちらが正しいという話ではない。

ただ、住まいを見ていると、その国や地域が家事をどのように扱ってきたのかが見えてくる。

家事を表に出すのか。
裏側にしまうのか。
個人の努力に任せるのか。
空間として受け止めるのか。

そこに、暮らし方の違いが出る。

最近、便利な家電やサービスが増えている。

食洗機。
乾燥機。
ロボット掃除機。
宅配食。
ミールキット。
家事代行。

どれも、家事の大きな味方だと思う。

けれど建築家として考えると、家事の味方は家電やサービスだけではない。

取り出しやすい棚。
戻しやすい収納。
濡れたものを一時的に置ける場所。
すぐ手が届くコンセント。
分別しやすいゴミ箱の位置。
洗濯機の近くにある小さな作業台。
買い物袋を一度置ける玄関脇の余白。

そういう小さな場所も、家事の味方になる。

むしろ、毎日の暮らしを支えているのは、そうした目立たない工夫なのかもしれない。

家事は、誰かがやってくれているときほど見えにくい。

食卓にご飯が出てくる。
洗濯物が畳まれている。
床がきれいになっている。
冷蔵庫に食材が入っている。
シャンプーが補充されている。
ゴミがいつの間にかなくなっている。

それらは突然そうなったわけではない。

誰かが気づき、考え、動き、片づけ、戻している。

その意味で、家事とは日々の小さな設計行為だと思う。

何を先にするか。
どこに置くか。
何を残すか。
何を捨てるか。
どうすれば次に使いやすいか。

それを毎日、暮らしの中で判断している。

建築設計では、動線という言葉をよく使う。

人がどこから入り、どこを通り、どこに座り、どこで作業するのか。
その流れを考えながら、空間を組み立てていく。

けれど家事にも、同じように動線がある。

料理の動線。
洗濯の動線。
掃除の動線。
買い物から収納までの動線。
ゴミをまとめて出すまでの動線。

家事がしんどいとき、もしかするとそれは、やる気が足りないからではない。

空間が、その人を余計に歩かせているのかもしれない。
収納が、毎回少しずつ迷わせているのかもしれない。
設備の位置が、作業を細かく分断しているのかもしれない。

もちろん、間取りだけですべてが解決するわけではない。

家族の協力も必要だ。
時間の余裕も必要だ。
便利な道具やサービスに頼ることも、とても大事だと思う。

でも、住まいの側にもできることはある。

家事を誰か一人の根性に任せないこと。
見えない作業を、空間の中で見えるようにすること。
そして、毎日の小さな負担を少しずつ減らしていくこと。

それは、建築が暮らしに対してできる、かなり現実的な役割だと思う。

家事は、家の中で起きている。
けれど家事の大変さは、家事をしている人の中だけにあるわけではない。

間取りの中にもある。
収納の中にもある。
動線の中にもある。
そして、まだ名前のついていない小さな作業の中にもある。

だからこそ、家事を見ることは、住まいを見ることでもある。

冷蔵庫の前で少し立ち止まる。
洗濯機から干す場所までの距離を考える。
ゴミ箱の位置を見直す。
よく使うものの置き場所を変えてみる。

それだけでも、暮らしは少し変わる。

家事の味方は、特別なものばかりではない。

棚の高さかもしれない。
通路の幅かもしれない。
小さなカウンターかもしれない。
手の届く場所にあるフックひとつかもしれない。

そして何より、
家事がそこにあると気づくこと。

それが、家事への見方を変える最初の一歩なのだと思う。

家事は、暮らしの裏側にある作業ではない。
暮らしそのものを支えている、毎日の設計である。

そして住まいは、その設計を少しでも楽にするための場所であってほしい。

だから私は今日も、図面を見るときに少しだけ考える。

この家で、誰が、どこを、何度歩くだろうか。
どこで少し疲れるだろうか。
どこに小さな味方を置けるだろうか。

家事は、間取りの中に隠れている。

そしてたぶん、
やさしい住まいもまた、そこから始まる。


こうした日韓の住まい・建築文化の違いについて、無料記事ではできるだけ読みやすくまとめています。

一方で、設計実務の細かな話や、記事にする前のメモ、時間建築論につながる考察などは、今後もう少し深く共有できる場所を作りたいと考えています。


関連記事として、韓国の住まいに見られる冷蔵庫やキムチ冷蔵庫の考え方についても書いています。家事や食文化が、どのように住まいの形に影響するのか。あわせて読むと、今回の記事の背景が少し立体的に見えてくると思います。


はじめて読んでくださった方へ。
このnoteでは、建築、暮らし、時間、そして日本と韓国の住文化について、建築家の視点から記録しています。
私がどのような立場で、どんなテーマを大切にしながら書いているのかは、こちらのプロフィール記事にまとめました。
よろしければ、あわせて読んでいただけるとうれしいです。

▶︎ 建築家として、時間と暮らしを記録する|新しいプロフィール



いいなと思ったら応援しよう!

Shinji よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!