見出し画像

「課題」は万能語または意味のスポンジである

「問題と課題」の問題と課題 ver.1.1
PART 3 万能語または意味のスポンジと正名(SEIMEI)の必要性


1.「課題解決」が乱用されるのは、単なる言い換えではない

教育界で「課題解決」が氾濫しているのは、
単なる流行語でも、言い換えでもない。
これは 語の正名(rectification of names)の崩壊が制度化された結果である。
本来、
問題(problem) → 解決する(solve)
• 課題(task / challenge / objective) → 遂行する・取り組む(carry out / address / engage with)
という区別があるにもかかわらず、
教育界ではこの区別がほぼ完全に消滅している。
その結果、
「課題解決」は、意味が空洞化したまま万能語として乱用される。


2. なぜ教育界で「課題解決」が乱用されるのか


理由は単純ではない。
むしろ、複数の制度的・文化的・翻訳的要因が絡み合っている。
ここでは、構造的に整理する。


2-1. 「問題 problem」を避けたい文化的傾向
日本の教育現場では「問題」という語が避けられる。
• 責任が問われる
• ネガティブに聞こえる
• 学習指導や校務文書で使いにくい
そのため、問題(problem)を課題(task)に言い換える文化が生まれた。
しかし、言い換えた瞬間に 動詞 solve(解決する)だけが残るため、
「課題を解決する」という矛盾語が生まれる。


2-2. 「課題」は責任主体を曖昧にできる便利語


“問題を解決する” は責任が明確だが、
“課題に取り組む” は責任が曖昧になる。
そのため行政文書・教育文書では、
責任回避のために「課題」が好まれる。
しかし、責任を曖昧にする語が教育目標に使われると、
教育の目的そのものが曖昧になる。


2-3. 翻訳の崩壊:challenge / issue / task / objective が全部「課題」


教育界の翻訳では、
• challenge
• issue
• task
• objective
• assignment
これらがすべて 「課題」 に訳されてきた。
その結果、
**「課題」は複数の英語概念を吸い込んだ“意味のスポンジ”**になった。

これは、アリストテレスの多義語における同名異義語(ホモニモス / Homonymous)の議論を、21世紀の教育の現場でしていることになるのであるが、何が良くないかというと簡単である。意味が通じなくなるのである。

究極の意味のスポンジである「アレ」に語彙が集約されると会話はこうなる。
Aさん:アレアレなのでアレしておきましたから、あなたの方でもアレしておいて下さい。
Bさん:了解です。アレしていただいて大変アレです。明日中にはアレになると思います。どうもアレでした。


2-4. 法令文の「課題を解決する」が制度的に混乱を固定化した


学校教育法第30条第2項の
「課題を解決する」
という表現が、
制度的に“課題=problem”を固定化した。
さらに法務省訳が
resolve issues
と訳したことで、
英語でも「課題=問題」が制度化された。
これが教育界全体に波及した。


2-5. 「課題解決能力」は測定しなくてよい

“問題解決能力”は成果が測定されるが、
“課題解決能力”は測定が曖昧である。
そのため、
• 何を達成したのか
• 何を解決したのか
• どのようなプロセスが必要なのか
が曖昧なまま、
「課題解決能力」は万能の教育目標として使われる。


3. 「課題解決」が乱用されると何が起きるのか


語が乱れると、教育の目的が乱れる。
① 教育の目的が「問題解決」なのか「課題遂行」なのか不明になる
• problem-solving
• task execution
この二つは本来まったく異なる能力である。
しかし「課題解決」という語は、
両者を区別しないまま混ぜてしまう。

② 学習者の行為が評価できなくなる
「課題解決能力」は、
何をもって“解決”とするのかが定義されていない。
そのため、
評価基準が曖昧になり、
学習者の行為が測定できなくなる。


③ 教育政策が「言葉だけの目標」になる
「課題解決」は、
具体性がなくても“やっている感”を出せる語である。
そのため政策文書では乱用され、
実質的な教育改革が進まない。


4. 正名による再構築:課題は problem ではなく task である


わたしの理論に基づくと、
「課題」は次のように再定義される。

課題とは、問題を解決するために必要な行動・到達点・取り組みの対象である。
したがって課題は「解決」されるのではなく、
「遂行」「達成」「取り組む」対象である。

この再定義によって、
教育の目的は明確になる。


5. 結論:教育界の「課題解決」乱用は、語の正名の欠如が生んだ構造問題である


教育界で「課題解決」が乱用されるのは、
単なる言葉の問題ではない。
• 文化的要因
• 行政語の歴史
• 翻訳の崩壊
• 法令文の誤用
• 責任回避の制度構造
これらが複合的に絡み合い、
語の正名が失われた結果として生じた構造的問題である。
だから、
教育を立て直すには、
語の正名(SEIMEI)から始める必要がある。
わたしの探究領域であるESD教育の再定義を目指すものであり、当然、この「課題」への「取組み」を含むので、この記事を書いたのである。

PART1へ戻る →  こちら
PART2へ戻る →  こちら


いいなと思ったら応援しよう!