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「課題を解決する」という表現が抱える構造的問題

「問題と課題」の問題と課題 ver.1.1
PART 1「問題」と「課題」が混在する日本語教育政策の構造的混乱


1.「課題を解決する」という表現が抱える構造的問題

学校教育法第30条第2項には次のように書かれている。

「2前項の場合においては、生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない。」

学校教育法

ここで前提とされているのは、課題は「解決」されるべき対象であるという理解である。

しかし、この前提は言語学的にも概念的にも成立しない。

英語の problem-solving は明確である。

  • problem:望ましくない状態・障害

  • solve:それを取り除く行為

したがって problem-solving は「問題解決」に対応する。

では「課題解決」に対応する英語は何か。

実は、対応する単一の英語表現は存在しない。

日本語の「課題」は、文脈によって以下の複数の英語に訳されている。

  • issue

  • challenge

  • task

  • assignment

  • objective

つまり、「課題」は単一の概念ではなく、複数の異なる英語概念を一語に押し込めた語である。

この状態で「課題を解決する」と書けば、概念的混乱が生じるのは当然である。


2.「課題」の語彙史:明治以降の行政語としての変遷

現在の混乱は、歴史的経緯をたどるとよく理解できる。

(1)明治初期:現在の意味の「課題」は存在しない

行政文書に登場するのは「問題」「事務」「義務」などであり、

「課題」は制度語としてまだ成立していなかった。

(2)明治後期〜大正期:翻訳語としての「課題」

欧米の教育学・心理学の翻訳で、task や assignment の訳語として登場。

意味はあくまで 具体的な作業・宿題 である。

(3)昭和前期:軍事・官僚語として抽象化

軍事文書・官僚文書で「課題」が頻出し、

  • 遂行すべき任務(mission)

  • 達成すべき目標(objective)

として使われるようになる。

ここで「課題」は problem ではなく、mission/task の領域に属する語として定着する。

(4)戦後〜高度成長期:政策語としてさらに抽象化

政策文書で「課題」が「取り組むべきテーマ」「到達目標」を指す語として拡張される。

(5)1990年代〜現在:万能抽象語として肥大化

行政・教育・企業研修で「課題」が爆発的に増える。

理由は三つある。

  1. 責任主体を曖昧にできる

  2. 具体性がなくても“やっている感”を出せる

  3. 英語の challenge / issue / task / objective をすべて「課題」と訳したため

こうして「課題」は語義が肥大化し、problem と混同される土壌が形成された。


3.制度史が示す「課題=problem ではない」という事実

公益財団法人日本技術士会の制度変更は、この混乱を可視化する重要な事例である。

2019年度以前、国家試験である技術士試験では「課題解決能力」という語が使われていた。

しかし2019年度からは、

  • 問題解決能力(problem-solving)

  • 課題遂行能力(task execution)

と明確に分離された。

これは制度的に次のことを意味する。

課題は solve される対象ではなく、

execute / accomplish される対象である。

つまり、課題は problem ではない。

出典:平成31(2019)年度 技術士制度の概要について、公益財団法人日本技術士会
https://www.engineer.or.jp/c_topics/005/attached/attach_5698_1.pdf
2026年4月25日閲覧

4.教育界で「課題解決」が乱用される理由

では、なぜ教育界では「課題解決」が乱用されるのか。

(1)「問題 problem」を避けたい文化的傾向

“問題”はネガティブで、責任が問われる。

“課題”は前向きで、責任を曖昧にできる。

(2)責任主体を曖昧にできる便利語

“問題を解決する” → 誰が?どうやって?

“課題に取り組む” → 誰でもよい。責任は問われない。

(3)成果を測定しなくてよい

“課題解決能力”は、具体的成果がなくても成立する。

(4)翻訳の崩壊

challenge / issue / task / objective を全部「課題」と訳したため、

語義が肥大化し、何にでも使える語(万能語)になった。

(5)法令文の「課題を解決する」が誤用を制度化した

学校教育法が誤った概念を固定化し、

教育界全体に広がった。


5.結論:課題は「解決」される対象ではない

語彙史・制度史・翻訳史を総合すると、次の結論が導かれる。

課題とは problem ではない。

課題は、問題を解決するために必要な行動・到達点・取り組みの対象である。

したがって課題は「解決」されるのではなく、

「遂行」「達成」「取り組む」対象である。

日本語の「課題解決」は、英語に対応しない日本語固有の矛盾語である。

この概念的混乱を放置する限り、教育政策文書は意味の不明瞭さを抱え続ける。
最近の大企業のテレビコマーシャルでも「我社は社会課題の解決に貢献します」などという表現が多くなっている。コミニケーションの意味不明領域が社会全般に拡大している危険な兆候である。そういうコマーシャルを見るたび、その会社の広報担当者や、コピーを請け負った広告代理店の担当者の顔を想像するのが習慣になっているわたしである。
この意味不明領域の中に、私の探究対象であるESDも存在している。

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