教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|下巻・第九章 ボールヴォワールのラ・ピュセル/パリのカトリーヌ・ド・ラ・ロシェル/ピエロンヌの処刑
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アナトール・フランス著『ジャンヌ・ダルクの生涯(Vie de Jeanne d'Arc)』全文翻訳を目指しています。完訳達成。原著は1908年発行。
1920年:ジャンヌ・ダルク列聖
1921年:A・フランス、ノーベル文学賞受賞
1922年:ローマ教皇庁の禁書目録に登録
現在、禁書制度は廃止されてますが、教皇庁は「カトリック教義を脅かす恐れがある禁書だった本を推奨することはできない」という立場を表明しています。
▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか
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9.1 ボーヴェ司教ピエール・コーションの軽率な献身
ジャンヌ・ラ・ピュセルはボーヴェ司教区で捕虜になった。[458]
当時、ボーヴェ司教兼伯爵を務めていたのはランス出身のピエール・コーションだ。彼はパリ大学の偉大で尊大な聖職者であり、1403年に同大学の総長に選出された。
彼は穏健な人物ではなく、激しい情熱でカボシャンの暴動に身を投じた。[459]
1414年、ブルゴーニュ無怖公(フィリップ公の父)はジャン・プティの教義を擁護するため、コンスタンツ公会議にピエール・コーションを使節として派遣した。[460]
その後、1418年には彼を請願官(maître des requêtes)に任命し、最終的にボーヴェの司教座に昇格させた。[461]
⚠️カボシャン(Cabochiens):ブルゴーニュ無怖公が、王弟殺害に反発する政敵アルマニャック派を排除するため、食肉業者組合(ギルド)カボシャンと結託してパリで暴動を扇動した。カボシュの乱またはカボシャン蜂起と呼ばれる。
⚠️ジャン・プティ(Jean Petit):パリ大学で教鞭を執った神学者(1360年頃〜1411年)。ブルゴーニュ無怖公ジャン(Jean sans peur)による、王弟オルレアン公ルイの暗殺(1407年)を合法であると擁護する論陣を張った人物。
⚠️請願官(maître des requêtes):フランス国務院の顧問官であり、行政における高位の司法官。日曜や祝日に、国王が教会へ行くときに請願官2人が同行し、ミサ中は国王に寄り添い、民衆からの請願を受け付ける。高等法院では裁判長と同じ立場。
ボーヴェ司教ピエール・コーションは、イングランドからも同様に寵愛されて高い地位につき、ヘンリー六世の顧問官、フランスの大宮内祭司長、イングランド王妃の宰相を務めた。
⚠️フランス大宮内祭司長(grand aumônier de France):王室の宗教儀礼と慈善を司る最高職。
1423年以来、彼の普段の居住地はノルマンディー地方の首府ルーアンだった。
(戴冠式の遠征で)ボーヴェの町の人々はシャルル王に服従したため、コーションは司教としての収入を奪われたも同然だった。[462]
当時のイングランド人は「フランス王の軍隊は修道士リシャールと乙女(ラ・ピュセル)に操られている」と言い、それを信じていたため、哀れなボーヴェ司教ピエール・コーションはジャンヌに対して個人的な恨みを抱いていた。
確かに教会は、ジャンヌを偶像崇拝者、占い師、悪魔の使者かもしれないと疑っていた。だが、コーションの個人的な復讐心のために教会の名誉を汚すようなやり方は、彼自身の評判のためにも避けるべきだっただろう。
彼はイングランド摂政ベッドフォード公に雇われており[463]、摂政もまたジャンヌへ激しい憎悪を燃えたぎらせていた。[464]
繰り返すが、ボーヴェ司教(コーション)は自身の名誉のためにも、「ジャンヌを信仰の問題で訴追する(異端審問にかける)ことは、主君の怒りに従って、現世の権力者の世俗的な利益を助長することになる」とみずからを振り返るべきだった。
⚠️原文がわかりにくいので補足。コーションは「信仰の問題」を口実にジャンヌを訴追することで……
🔸主君の怒りに従う:イングランドの政略(シャルル七世とその勢力の弱体化)に協力するために動いている。
🔸現世の権力者の世俗的な利益を助長する:イングランドの権力者の世俗的な利益(フランス支配)に貢献している。
ようするに、コーションがジャンヌを訴追する動機は、純粋な信仰上の理由からではなく、政治的な思惑や個人的な恨みなど不純なものである。司教としての良心よりも、イングランドへの忠誠や自身の地位保全を優先している——と著者は非難している。
だが、ボーヴェ司教はこれらのことを振り返らなかった。
それどころか、この世俗的かつ霊的な事件(ジャンヌの訴追問題)は、彼自身の立場と同じくらいあいまいで、彼の激しく最悪な情熱をかき立てた。
彼は、暴力的な人間らしい軽率さでこの事件に身を投じた。
告発されるべき乙女、異端者、おまけにアルマニャック派だ。ヘンリー王の顧問官を務めるこの高位聖職者にとって、これほどそそられる(芳醇な)獲物があるだろうか!
7月14日、彼はパリ大学の博士や教授たちと協議した後、コンピエーニュの陣営を訪れて、ジャンヌを自分の管轄下に置くよう要求した。[465]
9.2 パリ大学からの手紙(1)ブルゴーニュ公宛とジャン・ド・リュクサンブール宛て要約版
ボーヴェ司教ピエール・コーションは、アルマ・マーテル(母校、ここではパリ大学を指す)からブルゴーニュ公とリニー伯ジャン・ド・リュクサンブール卿に宛てた手紙で、自身の要求を裏付けた。
パリ大学は、最も高名な君主であるブルゴーニュ公に対して、「かつて一度、乙女(ラ・ピュセル)と呼ばれるこの女を引き渡すよう要求したが、返事がなかった」と明かしている。
「私たちは非常に恐れています」と博士たちと教授たちは続けた。
「地獄の敵の偽りの誘惑力と、
邪悪な者たちの悪意と狡猾さによって、
あなた方の敵である対戦相手たちは、
この女を不正な手段で救出しようと
あらゆる手を尽くしていると言われています。
何らかの方法で、彼女を
あなた方の手から奪い去るのではないかと。
それゆえ、大学は、
フランス王家の「最もキリスト教的」な名声に
大きな不名誉が降りかからないよう願うとともに、
ブルゴーニュ公爵殿下には、この女を
異端の悪事を取り締まる異端審問官か、
彼女が捕らえられた地の管轄権を持つ
ボーヴェ司教に引き渡していただくよう、
改めて懇願いたします」
次に、パリ大学の博士と教授たちがジャン・ド・リュクサンブール卿に宛てて、ボーヴェ司教に託した手紙だ。
⚠️原著では手紙全文が掲載されているが、回りくどくて長文だからか、旧翻訳版では翻訳者・吉江孤雁氏による要約にとどまっている。
先に要約版に目を通してから手紙全文を読んだほうが理解しやすいと思われるので、本稿ではそのようにする。
⚠️以下、旧翻訳版から「訳者による要約部分」を引用。
この手紙はまだずっと長いのであるが、その全体の意味は要するに、礼を篤くし、辭を卑くして、諭すが如くあるいは脅すが如くして、乙女ジャンヌを宗教裁判もしくはボーヴェの監督の手に引き渡してくれという内容だった。
その理由は、この手紙の前半に書かれているように、ジャンヌを異教徒・偶像崇拝者とみなしての上である。
パリ大学の博士や学者たちは、フランス方が非常な陰謀をめぐらせて乙女を奪還しようとしていることを再三反復し、もし不幸にしてそのようなことが起これば、これはジャン卿(リュクサンブール卿)にとっての最大の不名誉であり、またキリスト教世界にとっても最大の不幸であるから、すぐさま引き渡すようにと要求するのであった。
この手紙の中で最も力を込めて書いてあったことは、すなわち、かくの如き大逆罪を犯したジャンヌのような罪人は、決して金銭のために手放してはならぬということだ。
パリ大学の先生たちがもっとも心を悩ませたのはここにあった。
シャルル王の方では、いかなる巨額の金でも乙女のためなら支払うに違いない、そして当時の習慣として戦場で捕虜になった貴族や勇士、いや一兵卒といえど、身請金(身代金)さえ出してくれる人がいれば自由の身となって味方の方へ帰ることができたのである。
つまり、この身代金のために彼女を手放すことは神に対する不敬罪であり、人類に対しても許しがたい大罪であると力説しているのである。
⚠️旧翻訳版からの引用はここまで。
9.3 パリ大学からの手紙(2)ジャン・ド・リュクサンブール宛て完全版
次に、パリ大学の博士と教授たちがジャン・ド・リュクサンブール卿に宛てて、ボーヴェ司教に託した手紙だ。
「最も高貴で、誉れ高く、力ある君主よ、
あなたの高貴なる御身に心から敬意を表します。
あなたの賢明なご見識は、
すべての良きカトリック騎士が
その力と権力をまず神への奉仕に、
次に公共の福祉のために用いるべきことを
よくご存じであり、認識しておられます。
何よりもまず、騎士道の第一の誓いは、
神の名誉、カトリックの信仰、
そして聖なる教会を守り、
維持することにあります。
あなたがその高貴な力と身を投じて、
自らを乙女(ラ・ピュセル)と名乗る女を捕らえた時、
まさに、この神聖な誓いを
心に留めていたからに違いありません。
この女によって、
神の栄光は甚だしく冒涜され、
信仰は深く傷つけられ、
教会は大きな不名誉を被りました。
なぜなら、彼女によってこの王国に
偶像崇拝、誤ち、偽りの教義、
そして数え切れないほどの悪事と災厄が
蔓延したからです。
忠実なキリスト教徒は皆、
聖なる信仰と王国全体のために
これほどの偉大な貢献をしてくださった
あなたに心からの感謝を捧げなければなりません。
私たちは心から神に感謝し、
精いっぱいの敬意を込めて、
あなたの高貴な力に感謝を捧げます。
しかし、このような捕縛も、
ふさわしい結末が伴わなければ、
取るに足らないものとなってしまうでしょう。
その結末とは、この女が、
慈悲深き創造主、その信仰、
聖なる教会に対して犯した罪、
そして数えきれないと言われる
その他の悪行について責任を問い、
償いをすることです。
もし事態が現状のまま続くか、または
この女が解放・奪還される事態に陥った場合、
災厄はこれまで以上に大きくなり、
人々は以前よりもさらに深い誤ちに陥り、
神の威信は耐え難いほどに損なわれるでしょう。
伝えられるところによると、
さまざまな敵があらゆる秘密手段を用いて、
さらには賄賂や身代金によって、
この女の解放あるいは奪還を望み、企て、
実行しているとされています。
しかし、神がこれほど大きな災厄を
ご自身の民に降りかかることを
お許しになりませんように、
そして、あなたの偉大で賢明なご見識が、
そのような災厄が起こることを許さず、
あなたの高潔さにふさわしい対策を
講じられることを、私たちは願っております。
もし、当然受けるべき報いを受けることなく
彼女が解放されるようなことがあれば、
あなたの偉大なる高貴さと、
この件に関わったすべての人々に、
取り返しのつかない不名誉が降りかかるでしょう。
ですが、あなたの賢明で高潔なご見識は、
この醜聞を一刻も早く終わらせる方法を
編み出されるに違いありません。
それこそが今、切実に必要とされているのです。
そして、この件におけるあらゆる遅延は、
この王国にとって非常に危険で有害です。
ですから、私たちは心からの敬意を込めて
あなたの力強く誉れ高き高貴さに
お願い申し上げます。
神の栄光のため、
聖なるカトリック信仰の維持のため、
そして王国の善と名誉のために、
この女を正義(司法)に引き渡し、
信仰の異端審問官に引き渡していただきたい。
異端審問官はすでに彼女を要求しており、
今まさに、緊急に要求しています。
それは、彼女が抱えている重大な罪を調査し、
神を満足させ、人々を善良で聖なる教義によって
正しく啓蒙するためです。
または、もしあなたがより良いとお考えなら、
この女を敬虔なる神父、我らが高名なる
ボーヴェ司教に引き渡してください。
なぜなら、彼女は
彼の管轄下で捕らわれたため、
彼もまた彼女を要求しているからです。
この司教と異端審問官は、
信仰に関する事柄において、
この女の裁判官であり、
いかなる身分のキリスト教徒も、
この件に関しては、重い法的処罰の下で、
彼らに従う義務があります。
そうすることで、
あなたは至高なる神の愛と恵みを得て、
聖なる信仰を高める手段となり、同様に、
あなた自身の高貴で気高い名前、
私たちが畏怖すべき領主であり、
最も高貴で力ある君主、
ブルゴーニュ公爵殿下の名をも
輝かせることになるでしょう。
すべての人が、
あなたの最も高貴な崇拝の繁栄を
神に祈るよう求められるでしょう。
我らの救い主である神が、
その恵みによって、あなたを導き、
すべての事柄において守り、
最終的に永遠の喜びを与えてくださいますように。
1430年7月14日、パリにて記す」[466]
9.4 イングランドの奸計(1)見せかけの異端審問と本当の目的
これらの手紙(パリ大学からの手紙、ブルゴーニュ公宛とリュクサンブール卿宛)を携えていたのと同時に、尊敬すべき神父・ボーヴェ司教ピエール・コーションは金銭(賄賂)を差し出すよう命じられていた。[467]
リニー伯ジャン・ド・リュクサンブール卿に対し、パリ大学の名において「捕虜を売ることは罪を犯すことになる」と説いていたまさにその時、司教本人がジャンヌを購入すると申し出たのは、実に奇妙だ。(矛盾している、理屈が破綻している)
これらの聖職者たちの言い分によれば、「ジャン・ド・リュクサンブールが戦いのルールと慣習に従い、身代金と引き換えに(フランス陣営に)捕虜を引き渡した場合、現世と死後で恐ろしい罰を受けるだろう。彼女を死刑にしようとする者(パリ大学の聖職者)に捕虜を売り渡した場合、称賛と祝福を得るだろう」と言っているのだ。
だが、この司教は、名目上「教会のために」ジャンヌを買いに来たのだから、少なくとも教会の資金で彼女を購入するのだろう、と思うかもしれない。
とんでもない!
購入資金はイングランドが用意したのだ。
したがって、ジャンヌは最終的に教会ではなくイングランドに引き渡される。そして、司教の管轄権に基づき、神と教会の利益のために行動する司祭が、この取引を成立させる。
ボーヴェ司教は1万リーヴルを提示した。
この金額に対する見返りとして、「フランスに広く浸透している慣習によれば、いかなる捕虜であろうと、たとえ王族の血を引く者であっても、国王に引き渡す権利がある」と彼は主張した。[468]
*
高貴で厳粛な聖職者であるピエール・コーションが、ジャンヌに魔術の疑いをかけていたことは間違いない。彼女を裁判にかけることを望み、彼は聖職者として職務を遂行した。
同時に、コーションは、ジャンヌが自分自身の敵だけでなく、イングランドの敵でもあることを知っていた。その点については疑いの余地はない。
そのため、彼はジャンヌを裁判にかけようとした時、イングランド王ヘンリー六世の顧問官として行動した。
彼が1万リーヴルで買い取ったのは、魔女だったのか?
それとも、イングランドの敵だったのか?
もし、神の栄光のために、聖なる異端審問官、パリ大学、そして司教が、金銭と引き換えに要求したのが、単なる魔女であり偶像崇拝者だったとしたら、なぜこれほど騒ぎ立てる必要があったのか? なせ、これほど多額の費用を費やしたのか?
この件に関しては(本当にジャンヌを異端の疑いで告発する気なら)、シャルル七世側の聖職者と協力して行動する方がよいではないか?
アルマニャック派は異教徒でも異端者でもなく、トルコ人でもフス派でもない。彼らはカトリック教徒で、ローマ教皇をキリスト教世界の真の指導者と認めている。王太子シャルルもその聖職者たちも破門されていない。
トロワ条約(当時王太子だったシャルル七世を廃嫡し、フランス王位をイングランドに譲渡した条約)を無効とみなした者も、条約に同意し誓約した者も、教皇から破門宣告を受けていない。
これら(英仏間の争い、フランスの王位継承と内乱)は信仰の問題ではない。
シャルル王が統治する地域では、聖なる異端審問所が奇妙なやり方で異端を訴追し、世俗の権力機関は教会が宣告した判決が死文化しないように配慮・監視していた。アルマニャック派もフランス人もブルゴーニュ人も同様に魔女を火刑に処している。
今のところ、彼ら(シャルル七世陣営の聖職者)はジャンヌが悪魔に取り憑かれているとは信じていない。それどころか、彼らの大半は彼女を聖人とみなす傾向だった。
彼らは欺かれていたのか? 彼らに、教会法上の優れた論拠を提示することは、善良なキリスト教の慈悲ではないのか?
もし、ジャンヌに関する容疑が、教会法廷で審理されるべき事件なら、なぜ両陣営の教会関係者が連携して、教皇と公会議の前にジャンヌを引きずり出して訴えないのか?
ちょうどその頃、教会改革と王国の平和確立のための公会議がバーゼルの町で開催されていた。パリ大学は代表団を派遣し、そこでシャルル王の聖職者たち、そしてフランス教会の特権に固執するガリア主義の聖職者たちと会うことになっていた。[469]
⚠️バーゼル(Bâle):現在のスイス北部、ライン川上流にある河港都市。フランスとドイツの国境沿いに位置する。
9.5 イングランドの奸計(2)シャルル七世を断罪したい欲望
なぜ彼らは、このアルマニャック派の預言者(ジャンヌ)を、バーゼル公会議に集まった聖職者たちの手で裁かなかったのか?
だが、ヘンリー・オブ・ランカスター(ヘンリー六世)のため、そして古きイングランドの栄光のために、この事態を別の方向へ進ませなければならなかった。
イングランド摂政ベッドフォード公の顧問官たちは、ジャンヌが天の王(神)の名においてフランスから立ち去るよう命じた時点で、すでに彼女を魔術の疑いで告発している。
オルレアン包囲戦のとき、彼らはジャンヌが派遣した使者を火刑にしようとし、もし彼女本人を捕らえたら火刑に処すと脅したではないか。
実にこの頃から、彼ら(イングランド摂政とその家臣)の確固たる決意であり、一貫した意図だったのだ。
したがって、ジャンヌを捕らえたイングランドが、彼女の身柄をすぐに教会に引き渡すことはありえない。
彼らは自国で、多くの魔女や魔法使いを火刑に処していたが、異端審問所を自国に設立することを許さず、その種の正義(教会の司法制度)にうとかった。
⚠️補足:当時のイングランドには正式な異端審問をおこなう機関がなく、王侯や宮廷レベルでも世俗の裁判と教会の裁判(異端審問)があいまいで区別されてなかった模様。そのため、彼らの理屈は矛盾をはらんでいる。
ジャンヌが捕らわれ、リュクサンブール卿の手に渡ったことを知ったイングランド大評議会は、満場一致で「いかなる代価を払ってでも彼女を買い取る」ことに賛成した。
何人かの貴族は、ジャンヌを手に入れたらすぐに袋に詰めて川に投げ込む、つまり溺死刑に処すよう進言した。
しかし、そのうちの一人(ウォリック伯爵だったと言われている)は、まずジャンヌを教会法廷で異端と魔術の罪で裁判にかけ、有罪判決を受けた後、彼女の王(シャルル七世)も共に貶められるように、厳粛に身分を剥奪されるべきだと進言した。[470]
もしパリ大学が、フランスの教会高官、司教、修道院長、参事会員(世俗の職を持つ聖職者)——、ようするに普遍教会が、
「魔女が王の評議会に出入りし、魔女が王の軍隊を率いて、悪魔に取り憑かれた者が王を不敬虔で冒涜的で無効な聖別式(戴冠式)へと導いた」
と宣言したら、フランス王を称するシャルル・ド・ヴァロワにとってなんと不名誉なことだろう!
こうして、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)の裁判はシャルル七世の裁判となり、ジャンヌの断罪・有罪判決はすなわちシャルル七世の断罪・有罪判決とみなされる。
この計画はイングランド陣営にとって都合が良いと思われ、採用された。
ボーヴェ司教(ピエール・コーション)はこの計画を実現するために熱心に取り組んだ。
司祭であり国務顧問でもあった彼は、「不幸な異端者を裁く」という名目の下で、クロヴィス王、聖シャルルマーニュ、そして聖王ルイの血を引く子孫(シャルル七世)を裁きの場に引きずり出したいという強い欲望に駆られていた。
⚠️訳者のこぼれ話:
推しゆえに、ひいき目に見てしまうのかもしれませんが。シャルル七世は正面衝突を避けるためにたびたび裏工作を駆使するものの、どちらかというと「理屈っぽくて筋を通す」タイプ。
一方で、イングランドの工作は「道義から外れた下衆な手段」が多い気がする。
オルレアン包囲戦のときも、本当なら領主不在(捕虜にしている)の町を攻撃するのは非道なことだと言われてたし……。
9.6 ボールヴォワールへ移送(1)親切な貴婦人2人と好色な貴族
8月初旬、リニー伯ジャン・ド・リュクサンブール卿は、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)を安全とは言えないボーリュー城からカンブレー近郊のボールヴォワール城へ移送した。[471]
そこには、叔母のジャンヌ・ド・リュクサンブール夫人と、妻ジャンヌ・ド・ベテューヌ夫人が住んでいた。
ジャンヌ・ド・リュクサンブール夫人は、甥のジャン卿を心から愛していた。
かつてイザボー王妃(シャルル七世の母)の侍女で、シャルル七世の代母(名付け親)を務めた。彼女の人生でもっとも重要な出来事のひとつは、アヴィニョンで亡くなった享年90歳の兄・リュクサンブール枢機卿を列聖するよう、教皇マルティヌスに嘆願したことだ。
彼女は、世俗の権力者たちの中で聖人のように生き、生涯結婚しなかったため「リュクサンブール嬢」として知られていた。
当時は67歳、病弱になり死期が迫っていた。[472]
*
妻のジャンヌ・ド・ベテューヌ夫人は、前夫のロベール・ド・バール卿がアジャンクールの戦いで戦死した後、1418年にジャン・ド・リュクサンブール卿と再婚した。
彼女は慈悲深い女性として知られていた。なぜなら、1424年にボールヴォワールに捕虜として連れてこられ、斬首と四つ裂き刑に処される寸前だったピカルディ出身の貴族の恩赦を夫から得たからである。[473]
この貴婦人2人は、ジャンヌに親切に接した。
彼女たちはジャンヌに女装用の衣服、またはそれを仕立てるための布地を提供して、ふさわしくない服装をやめるよう勧めた。ジャンヌは、「主(神)から許可を得ておらず、まだその時ではない」と主張して拒否した。
後にジャンヌは、「もし男装をやめることができたなら、王妃を除き、フランスのどの貴婦人よりもこの貴婦人2人の頼みに応じてそうしただろう」と認めた。[474]
**
この頃、ブルゴーニュ派の貴族エイモン・ド・マシーがしばしばジャンヌに会いに来て、喜んで彼女と会話を交わした。ジャンヌは言葉も行動も慎み深い女性に見えたが、当時30歳だったエイモン卿は個人的な魅力を感じていた。[475]
ジャンヌに近しい派閥(フランス陣営の仲間たち)の証言を信じるならば、ジャンヌは美しかったものの、男たちの欲望をかき立てるような人ではなかった。
しかし、この特異な魅力はアルマニャック派にのみ当てはまり、ブルゴーニュ派には当てはまらなかった。
少なくともエイモン卿は違ったようで、ある日、ジャンヌの胸に手を入れようとした。彼女は全力で抵抗し、彼を拒絶した。
エイモン卿は、彼の立場であれば誰もがそうしただろうと言い、「彼女は稀に見る美徳の持ち主である」と結論づけた。それ以来、彼は慎んで振る舞うようにした。[476]
⚠️補足:エイモン・ド・マシーはこの時の出来事から、ジャンヌは簡単に誘惑できるふしだらな女ではなく、強い意志と道徳観を持つ貞淑な女性だと認識した。
⚠️「彼の立場であれば誰もがそうしただろう」について:当時の階級社会では、権力者が一方的に性的な関係を求めることを当然と考える風潮があった。有力者の大半は、無力な女性の抵抗など無視して強引に事を進めるだろうが、エイモン・ド・マシーはジャンヌの拒絶を尊重し、それ以上手を出さなかった……と後に告白している。
⚠️さらに補足:ジャンヌ・ダルクの物語では、獄中で強引に服を剥がされた〜強姦まで性的な嫌がらせを受けるエピソードが多々あり、それが事実だと思っている人も多い。
だが、この件に関しては、エイモン・ド・マシーは軽率な行動に出たものの、ジャンヌに拒絶されて態度を改め、むしろジャンヌの毅然とした姿勢を称賛している。ブルゴーニュ派ではジャンヌの悪い噂が主流だったので、エイモン・ド・マシーはジャンヌ本人と接して「そうではない」と認識したのだろう。
シャルル七世の根拠なき悪印象もそうだが、彼もまた物語で描かれるほど卑劣漢ではない。ジャンヌの功績を高めて悲劇性をかき立てるために、事実を曲げて必要以上に悪人にされている事例のひとつだろう。
9.7 ボールヴォワールへ移送(2)塔から飛び降りる
ボールヴォワール城の要塞塔に閉じ込められたジャンヌは、コンピエーニュの友人たちのもとへ帰ることをずっと考えていた。彼女の頭の中を占める唯一の考えは、ここから脱出することだった。
どういうわけか、フランスから悪い知らせがジャンヌの耳に届いた。
ジャンヌは、コンピエーニュの7歳以上の住民全員が虐殺され、「火と剣で滅ぼされる」という考えに取り憑かれた。実際、もし町が陥落すれば、そのような運命が待ち受けているのは確実だった。
ジャンヌは苦悩と抑えきれない脱走願望を聖カタリナに打ち明け、こう尋ねた。
「どうして神は、主君に忠実だったコンピエーニュの善良な人々を見捨てて破滅させるのでしょうか?」[477]
ジャンヌは夢の中で、教会の絵画に描かれた寄進者のように聖人たちに囲まれ、ひざまずいて恍惚に浸りながら、コンピエーニュの哀れな人々のために天の助言者たちと格闘した。
ジャンヌが聞いた彼らの運命は、彼女に計り知れない苦悩をもたらした。立派な人々がこのように滅ぼされた後まで生き続けるより、死んだ方がましだと考えた。
ジャンヌは「塔の頂上から飛び降りたい」という強い誘惑に駆られた。
この誘惑に反対する意見もすべて知っていた。ジャンヌは自分の「声」が議論するのを思い出しながら聞いた。
聖カタリナは、ほとんど毎日ジャンヌに語りかけた。
「早まってはいけません。神はあなたとコンピエーニュの人々を助けてくださるでしょう」
「神がコンピエーニュの人々を助けてくださるなら、私はそこにいたい」
すると聖カタリナは、羊飼いの娘と王の素晴らしい物語を再び語った。
「すべてのことに耐え忍ばなければなりません。イングランド王に会うまで、あなたが解放されることはないでしょう」
これに対して、ジャンヌはこう答えた。
「正直に言って、私はイングランド王に会いたいと思いません。イングランド軍の手に落ちるくらいなら死んだほうがましです」[478]
*
ある日、ジャンヌはイングランド軍が迎えに来たという噂を耳にした。
ボーヴェ司教ピエール・コーションが、血の代償(身代金)を提供するためにボールヴォワールに到着したことが、噂の発端になったのかもしれない。[479]
たちまちジャンヌは取り乱し、我を忘れた。
もはや、命がけの飛び降りを禁じる声に耳を貸さなくなった。
塔の高さは少なくとも70フィート(約21メートル)はあった。
⚠️塔の高さ70フィート:階高3〜3.5メートルで換算すると、6〜7階くらい。
ついにジャンヌは自分の魂を神にゆだねて、塔から飛び降りた。
地面に落ちたジャンヌは、「彼女が死んだ!」という叫び声を聞いた。
衛兵たちは急いで現場に駆けつけた。ジャンヌがまだ生きているのを見て、驚きのあまり、「飛び降りたのか?」と尋ねるのが精いっぱいだった。
ジャンヌはひどく動揺していたが、聖カタリナが語りかけてきた。
「勇気を出しなさい。あなたは回復するでしょう」
同時に、友人たちの良い知らせを教えてくれた。
「あなたは回復し、コンピエーニュの人々は救済を受けるでしょう」
聖カタリナは、その救済は冬の聖マルティヌスの日(11月11日)までに与えられると付け加えた。[480]
⚠️聖マルティヌスの日:キリスト教の聖人・トゥールの聖マルティヌスの祝日だが、民俗行事としては収穫祭が行われる日であり、冬の始まりの日ともされる。
それ以来、ジャンヌは、自分を助けて死から守ってくれたのは聖人たちのおかげだと信じるようになった。彼女は、声に逆らってそのような飛び降りを試みたのは間違いだったとよくわかっていた。
聖カタリナはジャンヌに言った。
「飛び降りたことを告白(懺悔)して、神に赦しを請いなさい」
ジャンヌは告白し、神に赦しを願った。
告白の後、聖カタリナは神が赦してくれたことをジャンヌに知らせた。
ジャンヌは3〜4日間ほど飲食を断っていたが、その後、少し食べ物を口にすると元気を取り戻した。[481]
**
ボールヴォワールからの飛び降りについては、別の話も伝わっている。
ジャンヌはシーツか何かを使って窓から逃げようとしたが、それが破れて窓から落ちたという。
しかし、私たちはジャンヌの言葉を信じなければならない。
彼女は「飛び降りた」と言っている。もし(シーツの)縄で繋がっていたなら、罪を犯すことも告白して赦しを請うこともなかっただろう。
ジャンヌの飛び降りは知れ渡り、脱走に成功して仲間の陣営に加わったという噂が広まった。[482]
⚠️補足:ジャンヌ・ダルクの物語の飛び降りシーンで、たいてい「脱走未遂」説が採用されるのは、本人の言い分を認めてしまうと聖人としてふさわしくないからだろう。美化されていない等身大のジャンヌは、自死を図るほど思い詰めていたようで胸が痛む。
9.8 預言者カトリーヌ・ド・ラ・ロシェルの捕縛と証言
一方そのころ、オルレアンではあの善良な修道士リシャールが四旬節の演説をおこなっていた。彼はジャンヌに不満を抱き、ジャンヌも彼を嫌って離れていた。
オルレアンの人たちは敬意のしるしとして、町の金属細工師であるフィリップという人物が銅に刻んだイエス像をリシャールに贈った。さらに、書籍商のジャン・モローは町の費用で彼のために時祷書を製本した。[483]
リシャールは王妃マリー・ダンジューをジャルジョーに連れて帰り、寵愛を得ることに成功した。
皮肉なことに、ジャンヌは獄中にいたおかげで、「オルレアンの友人たち、愛するシャルル王とマリー王妃が、自分を見捨てて価値のないカトリーヌ・ド・ラ・ロシェルを好んだ修道士を歓待していることを知る」という苦悩を味わわずに済んだ。[484]
ごく最近、カトリーヌを起用するという考えはジャンヌを不愉快にさせていた。ジャンヌはその件について国王に手紙を書き、国王と面会するなりカトリーヌを雇わないよう懇願した。
だが、国王はジャンヌの言葉を気に留めず、修道士リシャールの《《お気に入り》》が、善良な町々から資金を集めたり、ブルゴーニュ公と和平交渉をおこなう使命を受けて旅立つことを許可した。
しかし、おそらくこの聖女(カトリーヌ)は、男の仕事や王への奉仕を遂行するために必要な知恵を全部備えていたわけではなかったようだ。なぜなら、彼女はすぐに友人たちにとって悩みの種となったからである。
⚠️男の仕事:当時の社会では男女の役割がはっきり分かれていた。「女の仕事」は家事・育児など家庭内の活動のことで、「男の仕事」は資金調達や交渉など実務的な政治・経済活動のこと。
トゥールの町に滞在中、カトリーヌはこんなことを言い出した。
「この町には働く大工がいるが、家を建てているのではない。注意しないと、この町は悪い結末に向かっている。町の中にはそのことを知っている人もいる」[485]
これは、たとえ話を用いた告発だ。カトリーヌは、トゥールの聖職者や市民が、彼らの主君であるシャルル・ド・ヴァロワに敵対する活動をしていると非難したのだ。
この女性(カトリーヌ)は国王とその親族、そして王の評議会に影響力を持つと思われていたに違いない。
トゥールの住民は恐怖に陥り、アウグスティノ修道会の修道士ジャン・ブールジェをシャルル王、シチリア女王(シャルル七世の義母ヨランド・ダラゴン)、セー司教、トレヴ卿のもとに派遣して、彼らがカトリーヌの言ったことを信じているかどうかを尋ねた。
シチリア女王とシャルル王の評議会の議員たちは、修道士に手紙を渡し、トゥールの住民に対し「そのようなことは聞いたことがない」と伝えた。シャルル王は「トゥールの聖職者と市民、その他の住民を全面的に信頼している」と宣言した。[486]
カトリーヌは同様に、アンジェの住民も中傷した。[487]
*
この信心深い女性(カトリーヌ)はコルビーの聖コレットの例にならって、ある陣営から別の陣営へと移ろうとしたのか、あるいはブルゴーニュ派の兵士に偶然捕らえられたのか、経緯はわからないが、パリの教会裁判の役人(異端審問官)の前に連れてこられた。
⚠️聖コレットについては、下巻・第四章の『下4.8 ラ・シャリテ包囲戦(2)ムーランのプティ・アンセル、聖コレット』参照。
カトリーヌ・ド・ラ・ロシェルに対する尋問では、カトリーヌ本人のことよりも、当時訴追が始まろうとしていた乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)について、より関心があったようだ。
カトリーヌは乙女についてこう証言した。
「ジャンヌには二人の助言者(Counsellors)がいて、彼女は彼らを『泉の助言者』と呼んでいます」[488]
これはジャルジョーとモンフォコンにいた頃の会話の記憶だが、カトリーヌの記憶はかなりあいまいだったようだ。
ジャンヌが自分の「声」について話す際に用いた言葉は「評議会(Council)」である。
カトリーヌは、ジャンヌのもとを訪れた天からの訪問者と、ジャンヌの故郷ドンレミのグーズベリーの泉について聞いた話を混同していた。
ジャンヌはカトリーヌに対して悪感情を抱いていたが、カトリーヌもまたジャンヌに対して好意的ではなかった。
彼女は、ジャンヌの使命を無意味だと断言することはなかったが、当時ブルゴーニュ軍に囚われていた不運な乙女が、悪霊を呼び出すことに夢中になっていることを明確に示唆した。
「もしジャンヌが厳重に警備されていなければ、彼女は悪魔の助けを借りて牢獄から逃げ出すでしょう」とカトリーヌは役人に言った。[489]
ジャンヌが悪魔の助けを得ていたかどうかは、ジャンヌ本人と教会の聖職者たちの間で審議されるべき問題だ。
とはいえ、ジャンヌが拘束を断ち切ることばかり考えて、絶えず脱出方法を思い描いていたことは確かである。カトリーヌはジャンヌの性格をよく知っており、彼女の不幸を願っていた。
カトリーヌ・ド・ラ・ロシェルは釈放された。もしジャンヌについて好意的な証言をしていたら、教会の裁判官たちはカトリーヌをこれほど寛大に扱わなかっただろう。彼女はぶじにシャルル王の元に帰ってこれた。[490]
9.9 預言者ピエロンヌの異端審問と処刑
ジャンヌがシュリーから旅立つときに同行し、コルベイユで捕らえられた敬虔な女性2人、下ブルターニュ出身のピエロンヌとその仲間は、春からずっとパリの教会の牢獄に監禁されていた。
彼女たちは、「神がジャンヌ・ラ・ピュセルを助けるために自分たちを遣わした」と公言していた。彼女たちにとって、修道士リシャールは「霊的な父」であり、乙女の仲間だった。
そのため、彼女たちは神とその聖なる宗教を冒涜した疑いが濃厚だった。
(イングランド支配地域における)フランス大審問官で、パリのジャコバン(ヤコブ)派修道会の院長ジャン・グラヴランは、この地域で慣例となっている形式に従って2人を起訴した。
彼は、(裁判権を持つ)管区司教と共同で訴訟手続きを進めた。
ピエロンヌは「ジャンヌは善良な女性で、彼女がおこなったことはすべて正しく、神の御心にかなっている」と主張し、実際にそう信じていた。
また、その年のクリスマスの夜、ジャルジョーで修道士リシャールが彼女に二度、ジャンヌに三度、イエス・キリストの聖体を授けた(聖体拝領の儀式)ことを認めた。[491]
この件は、目撃者の情報によって「事実である」と十分に証明されていた。
神学の権威者である裁判官たちは、「修道士がこのような女たちに気前よく天使のパン(聖体)を与えるべきではない」と判断した。
しかし、頻繁な聖体拝領は教会法で正式に禁止されていなかったため、ピエロンヌがこの件で非難される理由にはならない。
そもそも、当時ジャンヌに不利な証言をした密告者たちは、ジャルジョーでの聖体拝領について覚えていなかった。[492]
下ブルターニュ出身の女性2人は、より重い罪に問われた。
魔術(witchcraft)と妖術(sorcery)の容疑で告発されたのだ。
⚠️魔術(witchcraft):ハーブ(薬草)などの生薬を用いた技術。
⚠️妖術(sorcery):超自然的な現象を引き起こす神秘的な能力。
ピエロンヌは「神がしばしば人間の姿で現れて、友人同士のように話しかけてきた」と述べ、さらに「最後に神に会ったときは、紫色のマントと長い白いローブを着ていた」と言って宣誓した。[493]
彼女を審理していた高名な聖職者たちは、「そのような幻影について語ることは神に対する冒涜である」と告げた。そして、「この女たちは、悪霊に取り憑かれ、言葉と行いにおいて誤りを犯している」と断罪された。
*
1430年9月3日の日曜日、彼女たちは説教(判決)を聞くためにノートルダム大聖堂の広場に連れて行かれた。
慣例に従って演壇(舞台)が設けられ、この教訓的な見世物からより多くの人が恩恵を受けられるように日曜日が選ばれた。
ある有名な神学博士が、この女性2人に慈悲深い訓戒を述べた。
2人のうち若いほうの娘は、彼の話を聞き、立てられた火刑台(杭)を見て、後悔の念に駆られた。彼女は「悪魔の使いに誘惑された」と告白し、自分の誤謬(誤った思想)を正式に撤回した。
その一方で、ピエロンヌは撤回のすすめを拒否した。
自分が言った通りの服装で、神がしばしば現れるのを見たという頑固な信念を持ち続けた。
教会は、彼女のためにしてやれることは何もなかった。
世俗の権力(俗権)に引き渡されたピエロンヌは、ただちに用意されていた火刑台に連れて行かれ、処刑人によって生きたまま火刑に処された。[494]
このようにして、(イングランド支配地域における)フランス大審問官とパリ司教は、王太子シャルルのために働き、修道士リシャールに従っていた聖女のひとりを、不名誉な死へと残酷に追いやった。
しかし、これらの聖女たちの中で最も有名で、最も多くの功績を残した女性は、彼らの手中にあった。ピエロンヌの死は、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)に待ち受ける運命の予兆だった。
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