教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第十二章 オルレアンのラ・ピュセル
【創作大賞2026参加中】期間限定で全体公開にします。
アナトール・フランス著『ジャンヌ・ダルクの生涯(Vie de Jeanne d'Arc)』全文翻訳を目指しています。完訳達成。原著は1908年発行。
1920年:ジャンヌ・ダルク列聖
1921年:A・フランス、ノーベル文学賞受賞
1922年:ローマ教皇庁の禁書目録に登録
現在、禁書制度は廃止されてますが、教皇庁は「カトリック教義を脅かす恐れがある禁書だった本を推奨することはできない」という立場を表明しています。
▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか
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12.1 左岸か右岸か(1)行軍ルートの誤解
4月28日木曜日の夕方、ジャンヌはオリヴェの丘から、オルレアンの町の鐘楼、サン・ポール教会とサン・ピエール・アンポン教会の塔を一望することができた。そこから見張り番がジャンヌの到来を知らせた。
⚠️サン・ピエール・アンポン教会(Saint-Pierre-Empont):オルレアン市内のブルゴーニュ通りとポテルヌ通りが交差する北西角にあった教会。聖ペテロ・アンポンとも。
軍隊はロワール川に向かって斜面を下り、ブーシェの波止場で立ち止まった。
一方、荷馬車と家畜は川岸に沿ってさらに進み、1リーグ(2.5マイル/4キロ)上流にあるシェシーの対岸、イル・オ・ブルドン(マルハナバチ島)まで進んだ。[922] そこで荷降ろしをする予定だった。
見張り番からの合図を受けて、「オルレアンの私生児」卿は、ティボー・ド・テルムや他の何人かの隊長をつれて、ブルゴーニュ門から町を出て、サン・ジャン・ド・ブレイで小舟に乗り、輸送隊を指揮していたジル・ド・レとアンブロワーズ・ド・ロレの両卿と協議するために川を下ってきた。[923]

一方、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)は自分が左岸のソローニュ側にいることにようやく気づき[924]、行軍ルートについて騙されていたと思いこんで、悲しみと怒りに取り憑かれた。
⚠️行軍ルートについて補足
▼ジャンヌが希望した「ラ・ボース経由の右岸ルート」:ロワール川の北側。地図の左上に、オルレアンを包囲する敵の堡塁がいくつか築かれているのが見える。敵と遭遇する可能性が高い。
▼実際に行軍した「ラ・ソローニュ経由の左岸ルート」:ロワール川の南側。シャルル七世の勢力下につき安全だが、町に入るには川を渡らなければならない。
ジャンヌがラ・ソローニュを経由する左岸ルートに導かれたのは確かだ。
しかし、それは意図的に行われたことだったのか?
彼らは本当にジャンヌを欺くつもりだったのか?
言い伝えによると、ジャンヌはラ・ボースを経由する右岸ルートを希望し、「ジャンヌ、ご安心ください。ラ・ボースを通ってご案内します」という返事を受け取ったといわれている。[925]
⚠️ラ・ボース(La Beauce):ボース平野。パリの南西部からロワール渓谷に広がる穀倉地帯。
だが、そんなことがあり得るのだろうか?
王から護衛を任され、すでに仲間の多くに敬われている「聖なる乙女」を騙してこのように弄ぶだろうか?
彼らの中に「ジャンヌは本物の聖人ではない」と侮り、嘲笑した者がいたのは事実だ。
しかし、もしそのうちの誰かが、ラ・ボース経由をラ・ソローニュ経由と偽ってジャンヌに伝えたとしても、彼女の誤解を解く者はひとりもいなかったのだろうか?
ジャンヌの従軍司祭パスケレル修道士をはじめ、司祭や執事、そして誠実な従騎士ジャン・ドーロンが、このような不謹慎な冗談に加担するだろうか?
すべてが、非常に不可解だ。
よく考えてみれば、ジャンヌが「ラ・ボースを経由してオルレアンに行きたい」と明言した件が、もっとも不可解だろう。
ブロワを出発してすぐ、ブロワ橋を渡った時点でラ・ソローニュに入ったと全く気づかないほど、ジャンヌは地理に疎かった。そんな彼女が、オルレアンの位置を正確に把握し、南から入るか西から入るかをみずから選ぶ可能性はかなり低い。
オルレアンに入る門の名前以外、行軍ルートについて何も知らなかったジャンヌが、「悪意のある隊長にそそのかされて誤ったルートを選ぶように仕向けられる」というのは、まるでマザーグースのおとぎ話のようだ。
(⚠️マザーグースのおとぎ話のようだ:ジャンヌとフランス軍を「無知な少女をだます悪い男たち」というステレオタイプな寓話に当てはめることを、著者は批判している)
12.2 左岸か右岸か(2)ジャンヌとオルレアンの私生児の対面
ジャンヌはオルレアンについて、バビロン(紀元前の古代都市。聖書ではバベル)について知っているのと同程度しか知らなかった。
したがって、何か誤解が生じたのだろうと推測できる。
ジャンヌは「ソローニュ」とも「ボース」とも言わなかったのではないか?
ジャンヌの「声」は、イングランドは「budge(動かない/譲歩しない)」と告げていた。その一言以外に、町のビジョンも地図も計画も見せなかったのだから、兵士たちからすれば「ジャンヌから行軍ルートの提案」など与えられていないも同然だ。
おそらくジャンヌは、(対面してすぐ)オルレアンの私生児に繰り返した言葉を、ブロワ出発前に隊長と司祭たちに言ったのだろう。
「私はタルボットとイングランド軍のところへ行かなければならない」
それに対して、司祭と隊長はざっくばらんにこう答えた。
「ジャンヌ、私たちはタルボットとイングランド軍のところへ行くつもりだよ」[926]
オルレアンまでどのルートを経由して到着しようが、包囲を指揮するタルボットが目の前にいることに変わりない。だから、彼らは、ジャンヌにうそをついているつもりはない。
しかし、どうやら彼らはジャンヌが言ったことを十分に理解していなかったようで、ジャンヌもまた彼らの返事の真意を理解していなかった。
ジャンヌは今、自分が砂と川の水によって町から隔てられていることに怒りと悲しみを感じていた。
このとき、ジャンヌは何に腹を立てていたのだろうか?
当時ジャンヌと一緒にいた人々はその理由がわからなかったが、精神的で神秘的なものが理由だったために誤解が生じたのだろう。
軍隊と食料をソローニュ経由で運んだことが軍事的に間違っているかどうか、ジャンヌには判断できなかったはずだ。
ジャンヌは地理を知らない。最良のルートがどれかを判断することは不可能だ。
敵の規模も、包囲する軍の堡塁の位置も、包囲される町の防衛手段も何も知らなかった。
ジャンヌは、川のどちら側に町があるかをようやく知ったばかりだったが、それでも不満を抱く十分な理由があると思ったようだ。ジャンヌは、迎えにきた「オルレアンの私生児」卿に近づくと、鋭い口調で問い詰めた。
「あなたがオルレアンの私生児?」
「そうです。あなたの到着を嬉しく思います」
「私を町の対岸に来させて、タルボットとイングランド軍がいる場所にまっすぐ行かなかったのは、あなたの計画なの?」
「私と、私よりも賢明な者たちが立てた計画です。最善かつ最も安全な行軍だったと確信しています」
しかし、ジャンヌは言い返した。
「神の名において! 神の助言はあなたたちよりも優れていて賢明です。あなたは私をだまそうとして、自分自身をだましている。なぜなら、私は騎士や都市にこれまで来たことのない、より確実な助けをもたらすからです。それは天の王の助けであり、神ご自身からのものです。神は私のためだけでなく、聖ルイと聖シャルルマーニュの祈りによってオルレアンを憐れんでいます。敵が公爵(オルレアン公)の肉体とオルレアン町の両方を同時に支配することを許さないでしょう」[927]
ジャンヌを苛立たせた本当の理由は、タルボットとイングランド軍のところに直接連れて行かなかったことだと結論づけていいだろう。
12.3 左岸か右岸か(3)ジャンヌを苛立たせた本当の理由
ジャンヌは、タルボットの陣営が右岸(北側)にあると聞いたばかりだった。
また、ジャンヌが「タルボットとイングランド軍」について言及するとき、それは「タルボットと共にいるイングランド軍」のみを指していた。
なぜなら、ジャンヌはロワール渓谷に下りてきて、サン=ジャン=ル=ブランの浅瀬にさしかかったとき、大橋の先にあるレ・オーギュスタンやレ・トゥーレルの砦を見たはずで、つまり「左岸(南側)にもイングランド軍がいる」ことを知っていたはずだからである。
しかし、それでもまだ疑問が残る。
なぜジャンヌは最初にタルボットとそのイングランド軍の前に姿を見せようとしたのか。なぜ、ロワール川を挟んでタルボットから隔てられていることにこれほど腹を立てているのか。
ジャンヌは、スケールズ、サフォーク、タルボットが指揮するサン=ローラン=デ=オルジェリルの強固な陣地を、行きがけに簡単に攻撃できるとでも思ったのだろうか?
いや、そんな考えが浮かぶはずがない。
ジャンヌはそれらの位置さえ知らなかったのだから。
また、「家畜と荷馬車を率いる輸送隊が、塹壕を備えた強固な敵陣に攻撃を仕掛ける」などという常軌を逸したアイデアをジャンヌに吹き込む兵士もいなかっただろう。
しばしば主張されるように、ジャンヌがサン・ピエールの砦と森の外れの間を強行突破することを考えていたとも思えない。ジャンヌは砦のことも森のことも、他の場所と同様にほとんど知らなかったのだから。
もしそのような意図があったなら、ジャンヌはそれをオルレアンの私生児にはっきりと告げただろう。
なぜなら、ジャンヌは自分の考えを明確に伝える術に長けており、教養のある人々でさえジャンヌは口が達者だと認識していたからだ。
それでは、ジャンヌの考えとその真意は何だったのか?
その時、聖女の心の中に何があったかを想像するヒントは、ジャンヌがこれまでどのような言動によって自分の使命を宣言し、準備してきたかを思い出せば、おのずと理解できる。
ジャンヌは、ポワティエの学者たちにこう言った。
「オルレアンの包囲は、私が神の名において降伏するよう呼びかけ、その後、敵は引き上げていき、町は敵から解放されるでしょう」[928]
ジャンヌは「天の王の名において」、つまり神の代理人としてスケールズ、サフォーク、タルボットに包囲を解くよう呼びかけた。ジャンヌは和平を結ぶ用意があると手紙を書き、彼らにイングランドに帰るよう命じた。
そして今、ジャンヌはタルボット、サフォーク、スケールズに手紙の返事を求めている。
イングランドは、ジャンヌが派遣した使者を送り返さなかった。
そこで、ジャンヌ自身が神の使者として彼らの指導者のもとへやって来た。
ジャンヌは和平を要求しに来たのであり、もし和平を拒むのであれば、戦う用意があると告げた。
彼らがはっきりと拒否するまで、ジャンヌは結論を確信できなかった。
それは人間的な理由からではなく、ジャンヌの「声の評議会」がそう約束したからである。
おそらくジャンヌは、聖カタリナ、聖女マルガリータ、大天使ミカエルを従えて、軍旗を手にイングランド軍の隊長たちの前に現れれば、フランスから立ち去るように説得できると考えた。
タルボットがひざまずき、ジャンヌではなく、ジャンヌを遣わした神に従うだろうと信じたのかもしれない。
そうすれば、大切なフランス人の血を一滴も流さず、憐れなイングランド人の肉体も魂も失うことなく、目的を達成することができる。
いずれにせよ、神に従わなければならず、慈愛を示さなければならない。そのような代償を払ってこそ、勝利を得ることができる。
精神的な勝利、天使のような征服。
ジャンヌはそれを勝ち取るためにやってきたのだ。
しかし今、味方の指導者たちの誤った知恵によって、そのチャンスが奪われようとしている。
ジャンヌからすれば、彼らはジャンヌが使命を果たし、約束したしるしを示すのを妨げた上に,成功の確信もなければ高潔な精神もない戦争にジャンヌを巻き込もうとしていたのである。それゆえに、ジャンヌは悲しみ、怒っていたのだ。
到着時にこうして落胆した後も、ジャンヌは神を喜ばせるために、敵に和平を申し出る義務がなくなったとは考えなかった。[929] タルボットがいる陣営に直行できないのであれば、サン=ジャン=ル=ブランの砦の前まで行き、姿を見せようと考えた。[930]
このとき、砦の柵の向こうには誰もいなかったが、もしジャンヌがそこへ行って敵がいるのを見つけたら、まず和平を申し入れただろう。このことは、その後、ジャンヌのオルレアンの城壁内での行動が明確に証明している。
オルレアン解放におけるジャンヌの使命は、町を防衛する作戦計画や戦略を授けることではない。それよりももっと天高く、尊いものだ。
苦しんでいる人々、弱く、不幸で、我欲に囚われている人々に、愛と信仰という不滅の力と、犠牲の美徳をもたらしたのである。
「オルレアンの私生児」卿は、ジャンヌの使命とは純粋に宗教的なものだと考えていたため、軍事的な事柄についてこの農民の少女に相談すべきだと言われたら非常に驚いただろう。したがって、ジャンヌが行軍ルートについて辛辣に非難したことが理解できない様子だった。[931]
その後、彼は、自分が立てた計画に従って作戦が実行されるのを見届けるために去っていった。
12.4 ロワール川を渡る(1)ジャンヌ、帰ろうとする
すべてが慎重に計画され、準備されていたが、ちょっとした障害が発生した。
オルレアンの人々が食糧を運ぶために派遣するはずだった艀船(はしけ。重い貨物を積んで航行する平底の船)がまだ係留されてなかった。[932]
それは帆船で、東から風が吹いているときは出航できない。(風向き次第で)予定がどのくらい遅れるか誰にもわからず、時間は貴重だった。
ジャンヌは不安を募らせる人々に、自信を持って言った。
「少し待ちましょう。神の名において、すべてが町に入れますから」[933]
ジャンヌの言うとおりになった。
風向きが変わり、帆が広げられ、艀船(はしけ)は順風に運ばれて川を上った。その風は、小舟1隻が他の2〜3隻を牽引できるほど強くなった。[934]
そして、何ら邪魔されることなく、サン=ルー要塞を通り過ぎた。
オルレアンの私生児卿は、ロドス島騎士団のフランス大修道院長であるニコル・ド・ジレスム(Nicole de Giresme)と共に、これらの小舟の1隻に乗船した。
船団はシェシーの港に到着し、そこで一晩停泊した。[935]
その夜、救援軍はブーシェの港に野営し、川の下流を見張って輸送船団を警護した。分隊のひとつは、ジャルゴー方面に向かって川上を監視するため、シェシーの島々(中洲)の近くに配置することが決まった。
何人かの隊長、そして武装兵と弓兵の一団とともに、ジャンヌはイル・オ・ブルドン(l'Île-aux-Bourdons)まで川岸に沿って進んだ。[936]
オルレアンまで輸送隊を率いてきた隊長たちは、荷揚げ(荷下ろし)の後、すぐに引き返すことを決定した。
軍は輸送任務の前半を完了したら、残りの食料と弾薬を取りにブロワに戻る予定だった。物資は二手に分かれており、すべてを一度に運んできたわけではなかったからだ。
ジャンヌは、オルレアンまで一緒に来た兵士たちが帰ると聞いて、彼らについて行きたいと願った。オルレアンに連れて行ってほしいとあれほど強く願っていたのに、今やその城門の手前で、ジャンヌの唯一の願いは帰ることだった。[937]
このように、神秘家の魂は気まぐれで、聖霊の息吹によってあちらこちらへと吹き飛ばされやすい。
今も昔も、ジャンヌは純粋に霊的な衝動に導かれていた。
ジャンヌはこれらの兵士たちと別れたくなかった。なぜなら、この兵士たちは神と和解したと信じることができたが、他の兵士たちが同じように悔い改めているとは限らないと恐れていたからだ。
ジャンヌにとって、戦闘員が「恵みの状態」にあるか「罪の状態」にあるかによって、戦いの勝敗は決定されるのである。ジャンヌの戦術はただひとつ、兵士たちを告解(懺悔・罪を告白)に導くことだった。包囲戦だろうと野戦だろうと、それ以外の戦術を知らなかった。[938]
ジャンヌは「町に入ることについて」熱心に語り出した。
「みんなと別れるのはつらいし、私を傷つけたくないなら別れるべきではない。私の兵士たちは全員、告解を済ませているので、彼らと一緒なら、私はイングランド軍がどんなに力強くても恐れないだろう」[939]
実際のところ、誰でも容易に想像できるように、罪を告白していようがいまいが、ジャンヌの近くにいるか遠くにいるかに関係なく、これらの傭兵たちは単純な精神(幼稚な精神)に見合うだけのあらゆる罪を犯していた。
しかし、無垢な乙女はそれを見ていない。
ジャンヌの目は、目に見えないものに敏感だったが、物質的なものには盲目だった。
ジャンヌを連れてきた隊長たちは、王の命令を理由に彼女を連れ戻したいと考えており、ジャンヌはますますブロワに戻るという決心を固めた。
彼らは、聖女が幸運をもたらすと信じていたので、ジャンヌを手元に置いておきたかったのだ。
しかし、オルレアンの私生児卿は、ジャンヌを帰還させれば深刻な障害と危険を引き起こすと感じていた。[940]
オルレアンの人々を置き去りにした状態で、乙女が彼らの前に現れずにいなくなれば、町の人々は怒りと絶望に駆られて、叫び、脅し、暴動を起こし、虐殺に至るまで暴力を振るう恐れがあった。
オルレアンの私生児卿は、隊長たちに「王の利益のために、ジャンヌがオルレアンに入ることに同意してほしい」と懇願した。大した苦情もなく、彼らはジャンヌを残してブロワに戻ることを了承した。
しかし、ジャンヌはそう簡単には屈しなかった。
オルレアンの私生児卿は、ジャンヌにロワール川を渡ることを決意するよう懇願した。
それでも、ジャンヌはかたくなに拒否し、その執拗さに、彼は聖人に影響を与えることがいかに難しいかを悟ったに違いない。
ジャンヌを連れてきた指揮官の一人、ジル・ド・レ卿またはアンブロワーズ・ド・ロレ卿が、オルレアンの私生児卿の懇願に加わり、ジャンヌにこう言う必要があった。
「あなたはオルレアンに行かなければなりません。私たちはすぐにあなたのもとに戻ると約束しますから」[941]
結局、パスケレル修道士がジャンヌの軍旗を掲げて彼らとともにブロワに行くという条件を経て、ついにジャンヌは、自分の部下が良い精神的指導者を得られると信じて、オルレアン滞在を聞き入れた。[942]
12.5 ロワール川を渡る(2)輸送作戦
ジャンヌは、実の兄弟であるジャンとピエール、小規模な仲間たち、「オルレアンの私生児」卿、ブサック元帥、ラ・イル隊長とともにロワール川を渡り、シェシー(オルレアンから東へ2.5マイルにある町)に到着した。
そこは当時からすでに立派な都市で、教会がふたつもあり、診療所とハンセン病患者のための施設があった。[943]
ジャンヌは裕福な市民であるギイ・ド・カイイに迎えられ、彼が所有するルイィ荘園で一晩を過ごした。[944]
*
4月29日の朝、シェシーに停泊していた艀船(はしけ。重い貨物を積んで航行する平底の船)はロワール川を渡り、輸送隊に同行していた人たちはブロワから運んできた食料、弾薬、家畜などの物資を積み込んだ。[945]
ロワール川は増水しており、水位は高かった。[946]
艀船は左岸近くの航行可能な水路を漂流することができた。
イル・オ・ブフ(ブフ島。ここでは中洲のこと)に生えているシラカバとヤナギの木が、サン・ルー砦にいるイングランド軍の視界から艀船の航行を目隠ししてくれた。
その上、艀船が航行しているまさにその瞬間、敵軍は他の場所に気を取られていた。
町の守備隊は、敵の注意をそらすために小競り合いを仕掛けていた。
戦闘はやや激しかった。死傷者が出て、双方で捕虜がつかまり、イングランド軍はバナー旗を失った。[947]
誰もいないサン・ジャン・ル・ブラン砦の見張りの下を、艀船は無防備に通り過ぎた。[948]
イル・オ・ブフ(中洲)とマルタン小島の間で、艀船は右舷に転じ、再び下ってイル・オ・トワル(中州)の下を、右岸に沿って進み、町の南東の角にあるロワール川に洗われたラ・トゥール・ヌーヴ(ヌーヴ塔)まで辿り着いた。
その後は、ブルゴーニュ門近くの堀に避難した。[949]
*
ジャンヌが滞在するルイィ荘園は、「約束された乙女」を一目見ようと、命を危険にさらしてやってくる市民の行列に一日中包囲されていた。
ジャンヌがシェシーを出発したのは、同日の夕方6時だった。
隊長たちは、騒ぎになることを恐れ、また周囲の人だかりが激しくなることを考慮して、ジャンヌがオルレアンの町に入るのが夕暮れ時になるように取り計らった。[950]
おそらく彼らは、サン・マルク教区とサン・ジャン・ド・ブレイ教区の境界にある、スモワから南へ続く広い谷に沿って進んだのだろう。途中でジャンヌは、同行者に言った。
「何も恐れることはない。あなたたちに危害は及ばないから」[951]
実際、唯一の危険は歩兵だけで、馬に乗ってさえいれば、騎手が敵に追われて襲撃される危険はほとんどなかった。このころのイングランド軍は、馬が欠乏し切っていた。
12.6 オルレアン到着1日目
4月29日の金曜日、暗闇の中、ジャンヌはブルゴーニュ門からオルレアンに入城した。全身に甲冑をまとい、白馬にまたがっていた。[952] 白馬は、神の使者や大天使の乗り物といわれている。[953]
オルレアンの私生児卿は、ジャンヌを右側に配置した。
ジャンヌの前には、2人の天使がフルール・ド・リスを持つ絵が描かれた軍旗(standard)と、受胎告知の絵が描かれた小さいペノン旗(pennon)が掲げられていた。
その後ろに、ブサック元帥、ギー・ド・カイイ、ジャンヌの兄弟ジャンとピエール、ジャン・ド・メス、ベルトラン・ド・プーランジ、ジャン・ドーロン、そしてシェシーでジャンヌを迎えた領主、その他の隊長、兵士、市民たちが続いた。[954]
オルレアンの人々は、まるで神自身が降りてきたかのように心から喜び、手に手に松明を掲げながらジャンヌの周りに押し寄せた。[955]
町の人たちは大きな困窮に苦しみ、もう救いは来ないのではないかと恐れていた。
しかし今、彼らはことごとく勇気づけられ、この乙女に宿る神の力によって、すでに包囲が解かれたように感じていた。
彼らは愛情と尊敬の念をもってジャンヌを見た。男も女も子供も、聖遺物に触れるかのように、ジャンヌの体と彼女の白馬に触れようとして、互いにひじで突き合い、押し合いながら駆け寄ってきた。
群衆が殺到しすぎて、松明の火がジャンヌのペノン旗に燃え移った。
ジャンヌはそれを見ると、馬に拍車をかけて旗に突進し、奇跡を思わせるような見事な手際で火を消し止めた。ジャンヌのすることなすこと全てが驚くべき奇跡だと受け止められた。[956]
兵士や市民はますます熱狂し、群衆となってジャンヌを追いかけて、サン・クロワ教会までついてきた。ジャンヌはまずそこで感謝を捧げ、その後、宿泊先となるジャック・ブーシェの住居に向かった。[957]
ジャック・ブーシェと呼ばれていた男は、長年オルレアン公の会計士を務めていた。非常に裕福で、市内で最も影響力のある市民の娘と結婚していた。[958]
包囲戦が勃発して以来、ずっと町にとどまり、小麦、オーツ麦、ワインを寄付したり、弾薬や武器の購入資金を前払いすることでオルレアン防衛に貢献した。
城壁の管理は市民に任されていたため、ジャック・ブーシェは彼の住居があり、イングランド軍の攻撃に最もさらされていたルナール門を修理し、防衛の準備を備える義務を負っていた。
彼の住居は、町で最も立派で大きな邸宅のひとつだった。かつてはルナール門の名前の由来となったルナール家が住んでおり、城壁のすぐ近く、タルムリエ通りにあった。
艦長たちは、ローズ通りにあるギヨーム・クジノ宰相(Chancellor)の邸宅で会合しないときは、ブーシェの邸宅で軍議を開いた。[959]
ジャック・ブーシェの住居は、銀食器や物語が描かれたタペストリーで豊かに装飾されていた。部屋のひとつには、3人の女性を描いた絵がかけられ、そこには「正義・平和・団結」という碑文が刻まれていた。[960]
この家で、ジャンヌは二人の兄弟、彼女を王のもとに連れてきた二人の仲間(ジャン・ド・メスとベルトラン・ド・プーランジ)、そして彼らの従者たちとともに迎えられた。ここでようやくジャンヌは鎧を脱いだ。[961]
ジャック・ブーシェの妻と娘がジャンヌとともに夜を過ごした。
ジャンヌは子供のベッドを共有して、一緒に眠った。彼女は9歳で、父の領主であるオルレアン公(シャルル・ドルレアン)にちなんでシャルロットと呼ばれていた。[962]
当時の習慣では、主人は男性客とベッドを共にし、女主人は女性客とベッドを共にしていた。これは礼儀作法であり、市民だけでなく王もこれを守った。
子供たちは、寝ている相手に対する振る舞い方について、①ベッドの自分の場所に留まること、②そわそわと落ち着きなく動かないこと、③口を閉じて眠ることを教えられた。[963]
このようにして、オルレアン公の会計士はジャンヌを自宅に招き入れ、町の費用でもてなした。ジャンヌの馬は、ジャン・ピラスという名の市民によって厩舎に預けられた。
一方、ジャンヌの兄弟はテヴナン・ヴィルダールの家に宿泊した。
彼らにかかる費用も、オルレアンの町が全額負担した。他にも、必要な靴やゲートル(膝下や足首を覆う布か革製の脚絆)を提供し、金貨を何枚か与えた。
ジャンヌの仲間のうち、非常に貧しく、オルレアンまでジャンヌについてきた3人は食料を与えられた。[964]
12.7 オルレアン到着2日目(1)暴徒と化した民兵
翌日の4月30日、オルレアンの「民兵」たちは朝早くから活動を始めた。
朝から晩まで、町中が沸騰したかのような騒ぎだった。
長い間抑えつけられていた暴動がついに爆発したのだ。
2月には早くも、オルレアンの人々は騎士たちを信じなくなり、憎み始めていたが[965]、ついに彼らは騎士のくびき(牛などの家畜が勝手に進みすぎないように制止する棒)を振り払い、それを打ち砕いた。[966]
これからは、王の代官も総督も領主も将軍も認めない。
彼らにとって、唯一の力となり、防衛手段となるのは、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)のみだ。[967]
ジャンヌ・ラ・ピュセルは民衆の指導者だった。
この乙女、この羊飼い、この修道女は、騎士たちの存在意義をこれまでにないほど大きく傷つけた。ジャンヌの存在は、彼らを「無きもの」にしてしまった。
30日の朝、人々は民衆革命が起こったと確信したに違いない。
暴徒と化した民兵の軍隊は、ジャンヌを先頭に立たせ、彼女とともにすぐさまゴドン(イングランド人への蔑称)に向かって進軍するのを待っていた。
隊長たちは、ブロワから次の軍隊が来ることと、その夜軍隊を迎えるために出発したブサック元帥の部隊を待たなければならないことを説得しようと努めた。
しかし、武装した市民は何も聞かず、大声で乙女を呼んだ。
だが、ジャンヌは現れなかった。
甘言に長けた(honey-tongued)「オルレアンの私生児」卿が、ジャンヌに表に出ないように助言していた。[968] これが、軍の指導者たちがジャンヌに対して得た最後の優位だった。
そして今、以前と同じように、ジャンヌは彼らに譲歩しているように見えても、彼女はただ自分の好きなようにしているだけだった。
市民は、乙女がいてもいなくても、戦う覚悟を決めていた。
もはや、「オルレアンの私生児」卿は彼らを止めることができなかった。
暴徒と化した民兵たちは出撃し、ラ・イル隊長が率いるガスコーニュの傭兵たちとフロラン・ディリエ卿の兵士たちが同行した。[969]
彼らは勇敢にも、イングランド人が「パリ」と呼んでいたサン・ピエール砦(堡塁)を攻撃した。この砦は、オルレアンの城壁から800ヤード(731メートル)ほどの距離にあった。
彼らは前哨地を制圧し、砦の本体にかなり接近したため、柵に火をつけるために「薪(たきぎ)と藁を町から持ってこい」と叫び始めた。
しかし、「聖ジョージ!」の雄叫びとともにイングランド軍が集結し、激しく血みどろの戦いの末、市民と傭兵の攻撃を撃退した。[970]
*
ジャンヌは何も知らなかった。
神から遣わされた彼女は、白馬にまたがり、武装しながらも平和的な使者として振る舞うことを望み、和平の申し出を拒絶される前に戦うことは正義にも信心にも反すると考えていた。
この日も以前と変わらず、ジャンヌの唯一の願いは、真の聖人らしい方法で、タルボットの元へ直接行くことだった。
ジャンヌは、ブロワからイングランドに宛てた手紙の消息を尋ねた。
その結果、イングランド軍の隊長たちは手紙に注意を払うどころか、ジャンヌが派遣した使者ギュイエンヌを拘束したことを知った。[971]
イングランドに宛てた手紙によって、引き起こされた状況は次の通りである。
オルレアンの私生児卿は、ジャンヌの手紙を「単純(幼稚・下品)な言葉遣いで書かれている」と評したが、イングランド軍に驚くべき印象を与えた。
その手紙は、彼らを恐怖と怒りで満たし、手紙を届けた使者を拘束するに至った。
慣習上、主人の意向を伝える役割でしかない「使者」の身の安全は、保証されなければならない。
それにもかかわらず、イングランド軍は「魔女の使者は異端者である」と主張して、彼を捕らえて鎖につなぎ、簡単な裁判の結果、扇動者の共犯者として火刑に処すことを宣告した。[972]
12.8 オルレアン到着2日目(2)ジャンヌを恐れる理由
イングランド人は、ジャンヌの使者を(火刑台に)縛り付ける杭まで立てた。
しかし、刑を執行する前に、パリ大学に意見を求めるのが賢明だと判断した。
なお、18カ月後、ボーヴェ司教のピエール・コーションも、ジャンヌを火刑にする際、パリ大学に意見を求めている。[973]
⚠️ボーヴェ司教のピエール・コーション:ジャンヌの異端審問と火刑を主導した人物。
彼らの悪意は恐怖から生じていた。
フランスで悪魔扱いされた不幸な人々(フランスに駐留するイングランド人)もまた悪魔を恐れていた。
イングランド人は、狡猾なフランス人が死霊術師(ネクロマンサー)や魔術師(ソーサラー)であると疑っていた。
彼らは、アルマニャック派(シャルル七世を支持する勢力)が魔法の呪文を繰り返したせいで、偉大な王ヘンリー五世の死を招いたと考えていた。
敵が自分たちに対して魔術や呪文を使うことを恐れ、あらゆる悪影響から身を守るために、魔除けの呪文を刻んだ羊皮紙の帯「ペリアプト」を身に着けていた。[974] これらの護符の中で最も効果的だったのは、新約聖書『ヨハネによる福音書』第一章だった。
当時、天体の動きは不吉な予兆とされ、占星術師は空を見上げて、破滅が到来する兆候を読み取っていた。
彼らの亡き王ヘンリー五世は、オックスフォードで学んでいたころに占星術のルールを学んだ。
彼は、自分専用の特別な用途のために、銀製と金製のアストロラーベ(天体観測用の機器)を2つも金庫に保管していた。
フランス王女カトリーヌ・ド・ヴァロワ(英名:キャサリン・オブ・フランス)を王妃に迎え、臨月を迎えるために幽閉を考えていたころ、ヘンリー五世はこれから生まれてくる子供のホロスコープをみずから作成した。
イングランドでは、「ウィンザーはモンマス(ウェールズ南東の町)が得たものを失うだろう」という予言があったため[975]、ヘンリー五世はキャサリン妃をウィンザー城に幽閉して出産させてはならないと考えた。
しかし、運命に逆らうことはできない。
英仏王家の血を引く王子が、ウィンザー城で生まれた。
父親となったヘンリー五世は、王子誕生の知らせを聞いたときフランスにいた。
ヘンリー五世はこの知らせを凶兆と見なし、当時「占星術の大家」といわれ、三位一体派またはマチュラン派(Trinitarians or Mathurins)修道会の総長だったジャン・ハルブールをトロワから呼びつけた。彼は、子供の出生図を作成したが、国王の悲観的な予感を裏付けることしかできなかった。[976]
そして今、ついにその時が訪れた。
ウィンザーが支配するが、すべてが失われるだろう。
かつて魔術師マーリンは、「イングランドがフランスから追い出され、ひとりの乙女によって完全に破滅させられる」と予言していた。
したがって、(ジャンヌの手紙によって)乙女が現れたと知ると、イングランド人は恐怖で青ざめ、隊長から兵士に至るまで恐怖に取り憑かれた。[977]
恐れ知らずだった連中は、この乙女を魔女だと信じて震え上がった。
イングランド人から見て、ジャンヌは「神から遣わされた聖人」には見えなかった。もっともましな解釈は「非常にずる賢い魔術師」だけだった。[978]
ジャンヌ・ラ・ピュセルは、救いを与えられる者には「神の娘」のように見えるが、滅びを与えられる者には「女の姿をした恐ろしい怪物」のように見えた。
この二面性こそが、ジャンヌの強さの源だった。
フランス人にとっては天使で、イングランド人にとっては悪魔だった。
そして、どちらにしてもジャンヌ・ラ・ピュセルは無敵で超自然的な存在に見えたのだ。
12.9 オルレアン到着2日目(3)和平の申し入れ
4月30日の夕方、ジャンヌは、サン・ローラン・デ・オルジェリルの陣営に、アンブルヴィルという使者を派遣し、最初に送った使者ギュイエンヌを帰還させるように求めた。3月に手紙を託してブロワから派遣されて以来、いまだに戻っていなかった。
2人目の使者アンブルヴィルは、ジョン・タルボット卿、サフォーク伯爵、スケールズ卿に、「神の名において、乙女はあなたがたにフランスから撤退し、イングランドに帰るよう要求する。さもなければ、大いなる災いを受けるだろう」と伝えるよう指示された。
イングランド軍は、アンブルヴィルに悪意ある返答を持たせて送り返した。
彼は、ジャンヌにこう伝えた。
「イングランド軍は、私の仲間(最初の使者ギュイエンヌ)を捕らえて火あぶりにしようとしています」
ジャンヌは「神の名において、彼らがギュイエンヌに危害を加えることはあり得ない」と答えた。そして、アンブルヴィルに帰るよう命じた。[979]
ジャンヌは憤慨し、大いに失望した。
実際、ジャンヌは『聖カタリナと聖マルガリータと聖ミカエルから霊感を受けた手紙』を、タルボットと包囲軍の指導者たちがこのように《《歓迎》》するとは考えもしなかった。
しかし、ジャンヌの慈悲心はとてつもなく広かった。
この程度で諦める気はなく、さらなる和平を申し出るつもりだった。
ジャンヌの無邪気な心は、神の代理人である自分の宣言が、イングランド軍に誤解されていると思ったのかもしれない。それに、何が起ころうとも、ジャンヌは最後まで自分の使命をやり遂げる決心をしていた。
夜になると、ジャンヌは大橋に通じる門から出撃し、ラ・ベル・クロワ(オルレアンの城壁と対岸にかかる大橋に設置されている「美しい十字架」)がある堡塁まで赴いた。
両陣営が、砦の境界線までやってきて、互いに呼びかけ合うのは珍しいことではない。
ラ・ベル・クロワは、包囲戦の初期にイングランドに奪われたレ・トゥーレル要塞のすぐ近く、声が聞こえるほどの距離にあった。
ジャンヌは壁によじ登り、イングランド軍に向かって叫んだ。
「神の名において降伏せよ。命だけは助けてあげるから」
ところが、イングランド軍の守備隊ばかりか、指揮官のウィリアム・グラスデール隊長までもが、ジャンヌに下品な侮辱と恐ろしい脅迫を浴びせた。
「乳搾り女! 貴様を捕まえたら、生きたまま焼き殺してやる」[980]
ジャンヌは「嘘だ。そんなことはありえない」と答えた。
しかし、彼らは本気で真剣だった。この乙女が、自分たちに対抗するために大勢の悪魔を武装させていると固く信じていた。
12.10 オルレアン到着3日目(1)市民の熱狂
5月1日の日曜日、「オルレアンの私生児」卿はブロワから来る軍隊を迎えに行った。[981]
彼はこの辺りの土地勘に明るく、精力的かつ用心深かったので、以前の輸送隊を迎えたときと同じように、次の輸送隊の行軍も積極的に支援したいと考えていた。
彼は、少数の護衛を連れて出発した。
ジャンヌを連れて行く気はなかったが、いわば「聖女の保護下に身を置いている」ことを示し、オルレアンの人々の信仰心と愛情を巧みにくすぐって喜ばせるために、ジャンヌに仕える執事で従騎士でもあるジャン・ドーロンを連れて行った。[982]
こうして「オルレアンの私生児」卿は、ジャンヌに好意を示す最初の機会をつかんだが、これからは聖女の庇護なしでは何もできないだろうと察していた。
*
オルレアン市民の熱狂は少しも衰えなかった。
この日も、聖女を一目見たいという熱烈な思いから、ジャック・ブーシェの家に群衆が押し寄せた。ピュイの巡礼者がラ・ヴィエルジュ・ノワールの聖域に押し寄せたのと同じくらい騒々しかった。
⚠️ピュイ巡礼と聖域について:上巻・第九章「9.2 ジャンヌの従軍司祭、ジャン・パスケレル修道士」参照。
出入り口のドアを押し破ってしまいそうな勢いがあった。
町の人たちの叫び声が、ジャンヌの耳にも届いていた。
ついに、彼女が姿を現した。
善良で、賢明で、使命にふさわしい、人々の救済のために生まれた者だ。
荒れ狂った群衆は、ジャンヌからの号令を今か今かと待っていた。隊長や兵士が出払っている今こそ、敵の要塞に突撃して騒ぎを起こし、聖女が約束したしるしが投じられて、敵の命が尽きるのを待つばかりだった。
ジャンヌは戦争の幻影に悩まされていたにもかかわらず、このとき、人々が期待している号令を与えなかった。ジャンヌはまだ子供で、人生と同じくらい戦争のことを知らなかったが、ジャンヌの中には災いを遠ざける何かがあった。
ジャンヌはこの人間の群れを、敵の要塞ではなく町の教会へと導いた。
ジャンヌは馬に乗ると、多くの騎士と従者をつれて町の通りを駆け下りた。
男も女も、聖女を一目見ようと追いかけ、どこにでも押し寄せ、一向に見飽きることがなかった。
彼らは、ジャンヌの乗馬の仕方や所作のひとつひとつに驚嘆し、どこから見ても立派な武人だと評した。もし、聖ジョージ(聖ゲオルギウス)がイングランドの守護聖人でなければ、彼らはジャンヌを本物の聖ジョージと見なして歓迎しただろう。[983]
12.11 オルレアン到着3日目(2)和平の申し入れ再び
その日曜日、ジャンヌは二度目となる和平の申し入れのために、王国の敵のもとへ出かけた。ルナール門を出て、焼け落ちた郊外を通ってブロワ街道を進み、イングランドの砦(堡塁)へと向かった。
二重の堀に囲まれたその堡塁は、ラ・クロワ・ボワセと呼ばれる十字路の斜面に築かれていた。ラ・クロワ・ボワセの名の由来は、オルレアンの市民がそこに十字架を立て、毎年、聖枝祭の日曜日に司祭に祝福されたツゲの枝で飾っていたからだ。
ジャンヌは間違いなくこの要塞にたどり着き、さらに、ラ・クロワ・ボワセとロワール川の間に位置するサン・ローラン・デ・オルジェリルの敵陣営まで行くつもりだったようだ。そこにはタルボットとイングランド軍がいる。
ジャンヌはまだ、包囲軍の指導者たちに話を聞いてもらう望みを捨てていなかった。
しかし丘のふもと、ラ・クロワ・モランという場所で、ジャンヌは見張りをしていた何人かのゴドン(イングランド人への蔑称)に出会った。そこでジャンヌは、厳粛かつ敬虔な言葉を選び、高貴な話し方で、神の軍勢の前から退却するよう呼びかけた。
「降伏すれば命は助ける。神の名においてイングランドへ帰りたまえ。さもなければ、その報いとして、私は汝らに災いを与えるだろう」[984]
兵士たちは、レ・トゥーレル要塞の兵士たちと同じように侮辱の言葉で応えた。そのうちの一人、「グランヴィルの私生児」はジャンヌに向かって叫んだ。
「我々に、女に降伏しろと言うのか?」
彼らは、ジャンヌに同行していたフランス兵たちを「女衒(売春斡旋人)」や「異端者」と呼び、いかがわしい悪女や魔女の仲間と見なして恥をかかせようとした。[985]
しかし、ジャンヌの魔法の効果で無敵だと思ったからか、あるいは、使者を攻撃するのは不名誉だと考えたからか、他の機会と同様に、彼らはジャンヌを直接傷つけることを控えた。
*
同じ日曜日、ジャケ・ル・プレストルという名の町の従僕が、乙女(ジャンヌ・ラ・ピュセル)にワインを差し入れた。[986]
オルレアンの行政官や市民は、自分たちの隊長とみなしているジャンヌを、これ以上ないほど敬っていた。男爵や王、女王を町で歓待するときと同じように接待した。
当時、ワインは「特別な恵みの力がある」とされ、非常に値打ちの高いものだった。
ジャンヌは願いごとを強調するときによく「今から復活祭(イースター)までの間、一滴もワインを飲まないとしても!」と言った。[987]
しかし実際には、ジャンヌは水で割ったワイン以外は飲まず、食事もほとんど食べなかった。[988]
⚠️補足:のちの異端審問で、ジャンヌは不謹慎な状況下でこの口癖を発言し、不利な立場に追いやられる。
12.12 市民の疑心暗鬼(1)ふくらむ妄想
この待機の期間中(次の輸送隊が来るまで)、ジャンヌは一瞬も休まなかった。
5月2日の月曜日、ジャンヌは馬に乗り、イングランド軍の要塞を視察するために町の郊外へ向かった。人々は群衆となってジャンヌの後を追った。彼らは恐れを抱くことなく、聖女の近くにいられることを喜んだ。
見たいものをすべて見終わると、ジャンヌは街の大聖堂に戻り、そこで夕べの祈りを聞いた。[989]
翌日の5月3日は「聖十字架の発見の日」で、つまり大聖堂の祭典の日だった。
ジャンヌは行政官や町の人々とともに行列に加わった。
その時、大聖堂の先唱者を務めるジャン・ド・マコン師が[990]、ジャンヌに挨拶して次のように尋ねた。
「お嬢さんは、包囲を解くために来たのですか?」
ジャンヌは「はい、神の名において」と答えた。[991]
オルレアンの人々は皆、街を包囲しているイングランド軍は空の星のように無数にいると信じていた。公証人ギヨーム・ジローは、「奇跡が起こる以外に助かる道はない」と予想していた。[992] 毛織物商のジャン・ルイリエは[993]、市民がこれほど圧倒的に優勢な敵に対して、これ以上持ちこたえることは不可能だと考えていた。[994]
ジャン・ド・マコン師も、ゴドン(イングランド人に対する蔑称)の勢力と敵の数に危機感を抱いていた。
彼は引き続き、「お嬢さん」とジャンヌに呼びかけた。
「彼らの勢力は大きく、強固な陣地を構えています。追い出すのは難しいでしょう」[995]
もし、公証人ギヨーム・ジロー、毛織物商ジャン・ルイリエ、そして大聖堂の先唱者ジャン・ド・マコンが、暗い妄想をふくらませる代わりに、包囲された者と包囲する者の数を数えていたなら、自分たちのほうがはるかに優位な立場だと気づいただろう。
スケールズ、サフォーク、タルボットが率いるイングランド軍は、ヘンリー五世の時代の大規模な包囲軍と比べると、取るに足らない弱々しいものに見えたはずだ。
もう少し注意深く見ていれば、ロンドンやパリという大袈裟な名前をつけた砦(堡塁)は、豊富な兵站(穀物、家畜、豚、兵士など)が数日おきにオルレアンに運び込まれるのを防ぐ力さえないことに気づいただろう。
これらの巨大なハリボテは、その前を毎日通り過ぎる行商人たちに嘲笑されていたのだから。
ようするに、オルレアンの人々は、少なくともこの時点ではイングランド軍よりも恵まれていた。冷静に現実を見つめればわかることなのに、彼らは自力では何も調べようとしなかった。
彼らは、公正でも正確でもない世論を鵜呑みにして、堅く信じていた。
ジャンヌは、ジャン・ド・マコンの妄想を共有しなかった。
彼と同じくらいイングランド軍について何も知らなかったが、ジャンヌは聖人らしく、静かに答えた。
「神は、どんなことでも可能です」[996]
そして、ジャン・ド・マコンは、ジャンヌがそう考えるのはよいことだと思った。
12.13 市民の疑心暗鬼(2)私生児の首を刎ねる
事態を悪化させ、危険とパニックを増大させたのは、市民が裏切られたと信じたことだった。彼らは「ニシンの戦い」でのクレルモン伯を思い出し、国王の軍隊はオルレアンを見捨てようとしているのではないかと疑った。
あれだけ多くの努力を払い、あれだけの多額の費用を費やしたあげく、自分たちはイングランド軍に引き渡されるのだと悲観した。
この被害妄想が、オルレアン市民を狂わせた。[997]
ブサック元帥が、2回目の輸送隊を迎えるために「オルレアンの私生児」卿とともに出発し、5月3日の火曜日に帰還する予定だったが戻ってこないという噂が広まった。また、フランス宰相ルニョー・ド・シャルトルが軍を解散させようとしているという噂も流れた。いずれも馬鹿げたデマだった。
それどころか、国王シャルル七世の評議会とシチリア女王(ヨランド・ダラゴン)の評議会は、オルレアン市の解放に向けてあらゆる努力を続けていた。
しかし、オルレアン市民の頭の中は、長い苦しみと恐ろしい危険によって混乱を極めていた。
もっと現実的な懸念もあった。ブロワからの輸送隊が、行軍中に敵と遭遇して、「ニシンの戦い」と同じ災難がまた起きるのではないかということだ。
ジャンヌの仲間たちは、オルレアン市民の不安に感染していた。
そのうちの一人は、ジャンヌに不安を打ち明けたが、彼女は動じなかった。
啓示を受けた者らしい、輝くような静けさでジャンヌは言った。[998]
「元帥は戻って来ます。彼に悪いことは起きないと確信しています」[999]
その日、ジアン、シャトー・ルナール、モンタルジの小規模な守備隊が市内に入ってきた。[1000] しかしブロワからの輸送隊は来なかった。
翌日の夜明け、ロワール川の右岸、ラ・ボースの平原で輸送隊の姿が確認された。
ジル・ド・レ卿が率いる輸送隊一行は、ブサック元帥と「オルレアンの私生児」卿に護衛され、オルレアンの森の外周を回り込むように進んでいた。[1001]
この知らせを聞いて、オルレアン市民は「乙女がタルボットに向かってまっすぐ進軍しようとしたのは正しかった!」と叫んだ。なぜなら、隊長たちは今やジャンヌが希望した行軍ルートをたどっているではないか。
しかし、実のところ、彼らが考えているのとは少し事情が違っていた。
今回はブロワからの輸送隊を二手に分け、その一部を使って、右岸・西側の堡塁の間を強行突破することが可能かどうかを試したのである。
輸送隊の本隊は、最初の輸送隊と同じく左岸ルートを通り、護衛とともにラ・ソローニュを通過し、ロワール川を渡って町に入る予定だった。最初に成功した物資搬入のさまざまな取り決めは、当然ながら今回も繰り返された。[1002]
ラ・イル隊長と他の指揮官たち数名は、兵士500人とともに市内に残っていたが、ジル・ド・レ卿、ブサック元帥、オルレアンの私生児卿を迎えに出かけた。ジャンヌも馬に乗り、彼らと一緒に出発した。
彼らはイングランド軍の陣営を通り抜け、少し先で軍隊と合流した後、一緒に町に戻った。
従軍司祭たちの中に、ジャンヌのバナー旗を掲げたパスケレル修道士もおり、賛美歌を歌いながらパリ砦の下を最初に通過した。[1003]
*
ジャンヌは、執事のジャン・ドーロンとともに、ジャック・ブーシェの家で夕食をとった。
食事が終わってテーブルが片づけられると、オルレアンの私生児がブーシェ邸を訪れ、ジャンヌとしばらく話をした。彼は礼儀正しく丁寧だったが、言葉は控えめだった。
「確かな筋から聞いた話だが、包囲戦を指揮しているイングランド軍に、もうすぐファストルフが合流する。彼は物資と援軍を携えており、すでにジャンヴィルに到着している」
この知らせを聞いて、ジャンヌはとても嬉しそうに笑いながら言った。
「私生児さん、私生児さん、神の名において命じます。ファストルフが到着したらすぐに私に知らせるように。もし私の知らないうちに彼が来たら、あなたの首を刎ねると警告しておきます」[1004]
オルレアンの私生児卿は、そのような無礼な冗談に腹を立てるどころか、ジャンヌに「心配はいらない。必ず知らせるから」と答えた。[1005]
12.14 最初の戦い(1)夢の中の評議会
ジョン・ファストルフの接近は、4月26日時点ですでに知らされていた。
ブロワからの輸送隊がラ・ソローニュを通る左岸ルートを選んだのは、まさに彼を避けるためだった。5月4日の知らせが来るまでは、確かな根拠がなかったのかもしれない。
しかし、オルレアンの私生児卿は別のことを知っていた。
二度目の輸送隊の穀物は、最初の輸送隊と同じように(左岸ルートの陸路をいったん上流まで進んでから)ロワール川を下ってオルレアンに運びこむ予定だった。
軍議では、午後に隊長たちが(右岸の上流にある)サン・ルー砦を攻撃し、4月29日のようにイングランド軍の注意を逸らすことが決定されていた。[1006]
このとき、サン・ルー砦への攻撃はすでに始まっていたが、私生児卿はジャンヌにこのことを一言も漏らさなかった。
彼は、ジャンヌが町における唯一の力の源泉だと考えていた。
しかし、戦争における彼女の役割は、純粋に精神的なものだと彼は信じていた。[1007]
⚠️補足:オルレアンの私生児は、ジャンヌの役割について「味方の精神安定剤」として期待しているものの、軍事関連の助言をもらったり戦闘に参加させる気はなかった。
私生児卿が退席した後、朝の遠征で疲れ切っていたジャンヌは、女主人とともにベッドに横になり、少し眠った。
従騎士のジャン・ドーロン(オルレアンの私生児とともに輸送隊の護衛に出かけていた。ジャンヌは出迎えのみ)は非常に疲れていたので、同じ部屋の長椅子で体を伸ばし、必要な休息を取ろうとした。
しかし、眠りに落ちるかどうかのうちに、ジャンヌがベッドから飛び上がり、大きな音を立ててドーロンを起こした。彼はジャンヌに何が欲しいのか尋ねた。
「神の名において」
ジャンヌはひどく動揺して答えた。
「私の評議会は、イングランド軍と戦うようにと私に命じた。だけど、彼らの砦に向かうのか、物資を運んでくるファストルフ隊に向かうのか……、どちらと戦うべきかわからない!」[1008]
夢の中で、ジャンヌは聖人たちの評議会に出席していた。
ジャンヌは聖カタリナと聖マルガリータを見た。
すると、いつも起こることがまた彼女に起こった。
聖人たちは、ジャンヌが知っていること以上のことは何も話さない。
聖人たちは、ジャンヌが知る必要のある情報を何も明かさない。
ちょうどその瞬間、フランス軍がサン・ルー砦を攻撃し、大きな被害を受けていることをジャンヌに知らせなかった。聖人たちは「何が起こっているか」も「何をすべきか」も伝えないまま、ジャンヌを《《誤り》》の中に置き去りにして去っていった。
善良なジャン・ドーロンは、ジャンヌの当惑を解消できる人物ではなかった。
軍議から除外されていたため、作戦のことも何が起きているかも知らなかった。
彼は何も答えず、できるだけ早く武装し始めた。
通りから大きな音と叫び声が聞こえたとき、彼はすでに武装を整えていた。
通行人から、サン・ルー砦の近くで戦闘があり、敵がフランス軍に大きな損害を与えていることを聞き出した。ジャン・ドーロンはそれ以上尋ねることなく、すぐに小姓のところへ行き、鎧を着せた。
ほぼ同時に、ジャンヌが下りてきて尋ねた。
「私の鎧職人はどこにいる? 我が民族の血が流されている」[1009]
通りで、ジャンヌの従軍司祭であるパスケレル修道士と小姓のミュゴが他の司祭たちとともにいるのを見つけて、ジャンヌは叫んだ。
「ああ! 残酷な少年よ、フランスの血が流されていることをどうして私に言わなかったの……! 神の名において、私たちの民は大変な目に遭っているのに」[1010]
ジャンヌは「馬を連れて来るように」と小姓に命じ、ジャック・ブーシェの妻と娘の手を借りて武装の準備を仕上げた。
小姓が戻ってくると、ジャンヌは完全に装備を整えていた。
ジャンヌは部屋から軍旗(standard)を取ってこさせ、小姓は窓からそれを手渡した。軍旗を受け取ると、ジャンヌは馬に拍車をかけてブルゴーニュ門に向かって大通りへと走らせた。道の敷石から火花が散るほどの勢いだった。
ジャック・ブーシェの妻は「急いで彼女を追いかけて!」と叫んだ。[1011]
ジャン・ドーロンは、ジャンヌが出発する姿を見ていなかった。
なぜそう思ったのかは不明だが、ジャン・ドーロンは、ジャンヌが徒歩で出かけ、通りで馬に乗った小姓に出会い、彼を降ろして馬を譲らせたと思い込んだ。[1012]
ブーシェ邸に近いルナール門(町の西側)と、戦闘が起きている場所に近いブルゴーニュ門(町の東側)は、町の反対側に位置していた。
ここ3日間、ジャンヌはオルレアンの通りを行ったり来たりして歩き回っていたので、最も直線的な近道を選んだ。ジャン・ドーロンと小姓は急いで追いかけたが、ジャンヌがブルゴーニュ門に到着するまで追いつけなかった。
そこで彼らは、負傷者が町に運ばれてきたのを目撃した。
ジャンヌは、担ぎ手に「その男は誰なのか?」と尋ねた。
フランス人だと聞いて、ジャンヌはこう言った。
「フランス人の血が流れるのを見て(恐怖とショックで)髪が逆立つ思いがした」[1013]
ジャンヌとドーロンは、仲間の兵士数人とともに、サン・ルー砦に向かって野原を急いだ。途中で、仲間の何人かに出会った。
この善良な従騎士(ジャン・ドーロン)は大規模な戦闘に慣れておらず、これほど多くの兵士を見たことは過去に一度もなかった。[1014]
12.15 最初の戦い(2)サン・ルー陥落
ジル・ド・レ卿が率いるブルターニュ兵とル・マンの兵士たちは、1時間前から砦(堡塁)の前で小競り合いをしていた。慣例として、最後に到着した兵士が警戒をしていた。[1015]
しかし、今朝に町に到着したばかりの彼らが、息つく暇もなく攻撃を仕掛けているということは、かなり苦戦していたに違いない。
彼らは4月29日に行われたのと同じことを、同じ理由でおこなっていた。[1016]
つまり、穀物を積んだ艀船(はしけ。重い貨物を積んで航行する平底の船)がロワール川を下って堀に到着するまでの間、イングランド軍の注意を逸らして敵兵を足止めしていたのだ。
高い丘の頂上にある堅固な要塞で、イングランド軍は少数で立て篭りながら簡単に持ちこたえていた。
フランス王の兵士たちは、ジャンヌとドーロンが野原に散らばった状態の兵士をすぐに見つけたことから、ほとんど対抗できていなかったと考えられる。
ジャンヌは彼らを集め、攻撃に戻るよう導いた。
彼らはみんな、ジャンヌの仲間だった。
一緒に旅をし、一緒に賛美歌を歌い、一緒に野原でミサを聞いた。
彼らは乙女が幸運をもたらすことを知っていたので、ジャンヌについて行った。
先頭に立って進軍する際、ジャンヌの頭に浮かんだのは宗教的な考えだった。
この砦(堡塁)は、サン・ルー修道女会の教会と修道院の上に築かれていた。
ジャンヌはラッパの音とともに「教会から何も奪ってはならない」と宣言した。[1017]
ジャンヌは、包囲軍の最初の司令官ソールズベリー伯がノートルダム・ド・クレリー教会を略奪したせいで悲惨な最期を迎えた話を思い出し、自分の仲間たちを悲惨な死から守りたいと願った。[1018]
これは、ジャンヌが初めて見た戦闘だった。
戦場に足を踏み入れた途端、ジャンヌはすぐに最高のリーダーになった。
ジャンヌは他の誰よりも優れていたが、それは他人より多くのことを知っていたからではない。ジャンヌが知っていたことは他人より少なかったが、心は誰よりも高潔だった。
みんなが自分だけのことを考えているとき、ジャンヌは他人のことを考えた。
みんなが自分の身を守ることを考えているとき、ジャンヌは自分の身を捧げることを考えた。
そして、この少女は、他人は自分と同じように苦しみと死を恐れていることを知っていた。声と予感によって、自分が傷つくことを知っていたにもかかわらず、まっすぐに進み、矢と砲弾の雨の中で、堀の端に立ち、軍旗を手に、兵士たちを鼓舞した。[1019]
ジャンヌの行動によって、単なる陽動作戦だったものが本格的な攻撃へと変わり、サン・ルー砦は陥落した。
*
サン・ルー砦が攻撃されていると聞いたジョン・タルボットは、サン=ローラン=デ=オルジェリルの陣営から出撃した。おびやかされている砦に到達するには、戦線を下り、森の境界に沿ってある程度の距離を進む必要があった。
タルボットは出発し、途中で西側の砦の守備隊から増援を受けた。
町の見張り番が、タルボットの動きを感知して警報の鐘を鳴らした。
ブサック元帥はパリシス門を通過し、北のフルーリー方面でタルボットを迎撃した。イングランド軍の隊長(タルボット)はフランス軍(ブサック)を突破しようとしたが、サン・ルー砦の上に立ち上る濃い煙を見た。
フランス軍が砦を占領して火をつけたことを理解し、悔しそうにサン=ローラン=デ=オルジェリルの陣営へ引き返した。[1020]
**
攻撃は3時間続いた。
砦が焼け落ちた後、イングランド軍の残党は教会の鐘楼にのぼった。
フランス軍は彼らを追い出すのに苦労したが、危険にさらされることはなかった。
捕虜は40人ほどで残りは殺害された。
ジャンヌは敵兵が多数死んでいるのを見て、非常に悲しんだ。
教会で告解もできずに死んだこれらの哀れな人々を憐れんだ。[1021]
聖職者の衣服と装飾品を身につけたゴドン(イングランド人への蔑称)たちがジャンヌに会いに来た。ジャンヌは彼らが女子修道院の聖具室から奪ったストールとフードで変装した兵士だと気づいた。
しかし、ジャンヌは、彼らが見せかけた通りの姿の人物(敵の残党は修道女に変装している)として受け入れ、彼らに危害が及ばないように自分の宿泊先まで連れて行った。ジャンヌは慈悲深い冗談を言った。
「司祭を疑って質問してはいけません」[1022]
焼け落ちた砦を離れる前に、ジャンヌは従軍司祭のパスケレル修道士に告解した。そして、兵士たち全員に次の宣言をするよう命じた。
「罪を告白し、勝利を神に感謝しなさい。さもなければ、乙女は二度とあなたたちを助けず、あなたたちと一緒にいることもないでしょう」[1023]
1500人のフランス軍に攻撃されたサン・ルー砦は、わずか300人のイングランド兵によって守られていた。彼らが積極的に防衛しなかったことは、フランス軍の戦死者が2〜3人しかいなかった事実からもわかる。[1024]
フランス王の兵士たちがこの有利な状況を得たのは、厳しい精神的努力や深い計算によるものではなかった。
この戦いは、フランス軍にほとんど犠牲を強いることなく、しかし途方もない成果をもたらした。
それは、①包囲軍とジャルゴーの連絡を遮断したことと、②ロワール川上流が開放されたことを意味し、オルレアン包囲解除への第一歩となった。
さらに良いことに、それは、これまで恐怖の対象だった悪魔たちが、ネズミのように罠にかけられ、巣の中のスズメバチのように煙で炙り出されるような哀れな生き物であるという確かな証拠となった。
このような予期せぬ幸運は、乙女のおかげだった。
ジャンヌはすべてを成し遂げた。
ジャンヌがいなければ、何も成し遂げられなかっただろう。
ジャンヌは、隊長や傭兵の知識よりも「賢明な無知」によって、無益な小競り合いを本格的な攻撃に変え、自信を鼓舞することで勝利をもぎ取ったのである。
その日の夕方、オルレアンの行政官たちはサン・ルーに労働者を派遣し、占領した砦を解体させた。[1025]
12.16 軍議と最後通牒(1)
その夜、宿舎に戻ったジャンヌは従軍司祭に、「明日は昇天節だから甲冑を身に付けず、戦いを控えて祭日を守ろう」と告げた。
さらに「告解を済ませるまでは、何人たりとも町を離れたり、攻撃したり、突撃することを考えてはならない」と命じ、「罪のせいで、神が兵士たちを敗北させてしまう恐れがあるため、淫らな女が後についていかないように注意しなければならない」と付け加えた。[1026]
必要とあれば、ジャンヌ自身が、いかがわしい悪女や冒涜者に関する命令が厳守されるよう見張った。ジャンヌは従軍している女性たちを何度も追い払い、むやみに誓いを立てたり冒涜したりする兵士を叱責した。
ある日、広場である騎士が誓いを立て、神の名をみだりに口にした。
ジャンヌはそれを聞くと、彼の喉をつかんで叫んだ。
「ああ、騎士さま! 主人である神の名をみだりに口にするなんて、よくもそんなことができますね? 神の名において、私がここから立ち去る前にその言葉を取り消しなさい」
ちょうどその時、通りを歩いていたある市民の妻がこの光景を目撃した。
女性の目には、偉大な貴族に見えるこの男は、聖女の叱責を謙虚に受け止めて、悔い改めを表明していた。[1027]
*
昇天祭の翌日、隊長たちはローズ通りにあるオルレアン宰相クジノの邸宅で軍議を開いた。[1028]
クジノ宰相のほか、オルレアンの私生児卿、ゴークール卿、ジル・ド・レ卿、グラヴィル卿、ラ・イル隊長、アンブロワーズ・ド・ロレ卿、その他数人が出席した。
翌日、包囲軍の主要拠点であるレ・トゥーレルを攻撃することが決定した。
それまでの間、サン・ローラン・デ・オルジェリルの陣営にいるイングランド軍を牽制する必要があった。
前日、タルボットは援軍を率いてサン・ローランを出発したが、西から東へと町を大きく回りこむ道のり辿らざるを得なかったため、サン・ルーに間に合わなかった。これによって、敵はロワール川上流の支配権を失ったが、下流は依然として確保していた。
フランス軍がイル・オ・トワル(布の島と呼ばれる中洲)を経由してロワール川を渡るのと同じくらい早く、敵軍もまたサン・ローランとサン・プリヴェ[1029]の間で川を渡ることができる。イングランド軍がル・ポルテローに集結する可能性があった。
⚠️イル・オ・トワル(l'Île-aux-Toiles):ロワール川にある中洲のひとつ。直訳すると布の島。当時、洗濯した布を干す場所だったことに由来。
フランス軍はこれを阻止し、可能であれば、レ・オーギュスタンとレ・トゥーレルの守備隊をサン・ローラン・デ・オルジェリル(タルボットがいる陣営・本陣)から引き離さなければならない。
この目的のため、オルレアン市民とコミューン、つまり村の人々が、マントと薪(たきぎ)とはしごを使って、サン・ローランの陣営を偽装攻撃を仕掛けることが決定された。
その間に、貴族たちはイル・オ・トワル(中洲)を経由してロワール川を渡り、イングランド軍が放棄したサン・ジャン・ル・ブランの監視下にあるル・ポルテローに上陸し、レ・オーギュスタン砦を攻撃する。そこを占領したら、レ・トゥーレルの砦を攻撃する。[1030]
こうして、市民による攻撃と貴族による攻撃を同時におこなう。
ひとつは本物、もうひとつは偽装攻撃。どちらも有益な戦闘だが、騎士にふさわしく栄光に満ちているのはひとつだけだ。
計画がこのように練られたとき、一部の隊長が、乙女を呼んで決定事項を伝えるのがよいと考えた。[1031] 実際、前日の戦いで、ジャンヌは非常にうまくやっていたため、もはや彼女を遠ざける必要はなかった。
だが、別の隊長は、レ・トゥーレルに関して計画されていることを彼女に伝えるのは軽率だと考えた。なぜなら、この計画は秘密にしておくことが重要であり、聖なる乙女が庶民の友人たちにこのことを話すのではないかと懸念されたからである。
最終的に、ジャンヌは市民たちのリーダーであるため、オルレアンの民兵に関わる決定事項は知らせるべきだが、市民に安全に伝えることができない事柄は伏せておくべきだという結論に達した。
12.17 軍議と最後通牒(2)
ジャンヌは、クジノ邸の別の部屋で宰相夫人とともにいた。
アンブロワーズ・ド・ロレ卿がジャンヌを迎えに行ったとき、クジノ宰相はジャンヌに「サン・ローラン・デ・オルジェリルの陣営を明日攻撃する予定だ」と告げた。
ジャンヌは何かが隠されていると直感した。
もともと鋭い感覚を持っていたうえ、これまで何もかも隠されていたのだから、まだ何かが隠されているのではないかと疑うのは当然だった。
この不信感は、ジャンヌを苛立たせた。
彼らは、ジャンヌが秘密を守れないと思っているのだろうか?
彼女は辛辣に言った。
「あなたたちが何を結論づけ、何を命じたのか教えてください。私はそれよりもずっと大きな秘密を守ることができます」[1032]
ジャンヌは座ることを拒み、部屋の中を行ったり来たり歩き回った。
オルレアンの私生児卿は、ジャンヌに真実を告げて怒らせることを避けるのが賢明だと考えた。彼は誰かを責めることなく、ジャンヌをなだめた。
「ジャンヌ、怒らないで。一度にすべてを話すのは不可能だ。クジノ宰相が言ったことは結論であり、命じられたことだ。しかし、もし向こう側(川の対岸、ラ・ソローニュのイングランド軍)が、サンローランの大要塞と、町の近くに駐屯しているイングランド兵を助けに来る場合は、我々のうち何人かが川を渡って向こう側(レ・オーギュスタンとレ・トゥーレルの兵)にできる限りのことをすると決めた。この決定は、私たちにとって良いことで有益だと考えている」
それを聞いて、ジャンヌは「満足した」と答え、「それで良いと思う。決定した方法で実行してよろしい」と述べた。[1033]
この経緯から、軍議の秘密は守られなかった(結局、ジャンヌに伝えられた)ことがわかる。
そして、貴族たちは決定したことを実行できなかった——、少なくとも決定した「方法」では実行できなかったことも。
*
昇天祭の日、ジャンヌは最後となるイングランド宛の和平のメッセージを送った。パスケレル修道士の手で、次の言葉を口述筆記させた。
「フランス王国に権利を持たないイングランドの者たちよ。
天の王は、私ことジャンヌ・ラ・ピュセルを通じて、
あなたたちに砦を離れて祖国に戻るよう命じる。
あなたたちが従わないなら、
私は人々の記憶に永遠に残るほどの騒ぎを起こすだろう。
これは、私があなたたちに三度目にして最後に書き送る手紙である。
私はもう二度とあなたたちに手紙を書くことはない。
署名:ジーザス・マリア。ジャンヌ・ラ・ピュセル」
そして、この下には追記がある。
「もっと丁寧にあなたたちに送るべきだった。
しかし、あなたたちは私の使者ギュイエンヌを拘束している。
もしあなたたちが私のもとに彼を返してくれるなら、
サン・ルー砦で捕らえられたイングランド兵を何人か返す。
彼らは全員死んだわけではない」[1034]
ジャンヌは、ラ・ベル・クロワ(オルレアンの大橋に設置されたシンボル「美しい十字架」)のところへ行き、矢を取り、手紙を紐で結び付けた。その矢文を、弓兵にイングランド軍に向けて射るように命じる、「読んで! これはメッセージだから」と叫んだ。
イングランド兵は矢を受け取り、矢文をほどき、手紙を読むと叫んだ。
「これはアルマニャック派の娼婦からのメッセージだ」
それを聞いて、ジャンヌ目に涙を浮かべて泣き出した。
しかしその直後、ジャンヌは聖人たちを見た。
聖人たちは神について語りかけ、ジャンヌは慰められた。
「私は神からメッセージを受け取りました」
ジャンヌは嬉しそうに言った。[1035]
**
オルレアンの私生児卿は、みずからジャンヌの使者を返すように要求し、もし返さなければ、イングランド兵が捕虜交換の交渉のために派遣した使者を拘束すると脅した。彼はさらに「捕虜を処刑にする」とまで言ったと伝わっている。
しかし、ジャンヌの使者アンブルヴィルは帰ってこなかった。[1036]
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