セルフリッジズ。90年代女子大生姉妹がロンドンですごした三日間
久しぶりの姉妹ランチで語ること
妹とランチをした。久しぶり。
LINEでは週に一度くらい話している。会うのは半年ぶりくらいかな。
紀尾井町のオーバカナルで待ち合わせをしました。銀座より落ち着く。
更年期のアラフィフ姉妹は、テラス席より空調を取るので、もちろん店内で。
30周年のムードが散りばめられていますね。
先に着いた妹はすでに席に座っていて、私はポメリー、妹はペリエを注文。
ニース風サラダ、オードブル盛り合わせ、ステーキフリット、毎度変わらぬメニューをシェアしていただきます。30周年が伝わってくるわ。
二人は、近況をなんとなく共有。
二人とも一番深刻な悩み事は電話で話す派なので、オーバカナルでは軽めから中くらいまでの話題と思い出をおしゃべり。
中学生の娘がいる妹のほうが話題豊富です。私は父と母の様子を伝え、ふと思い出した話をしました。
大学生のとき、ロンドンのハロッズで買ったけれど一度も着なかったセーターを、メルカリでちょっと前に売った話です。
ロンドン——妹と三日だけ行動を共にした場所。もう30年近く前、二人が女子大生だった頃のことです。
1997年、ロンドンでの三日間
私「ロンドンでハロッズ行ったでしょ。ブルーのセーター買ったけど着なかったやつをメルカリで売ったの。8000円。わりとすぐ売れた」
妹「いい値段じゃない。そのセーター覚えてる。薄いブルーのポロネックのセーターでしょ」
私「そうそう、シルクとカシミヤの。20代女子が着る服じゃなかった。なんか“ミセス”な雰囲気のやつ」
妹「イギリスの田舎の奥様みたいに上品に着るって言ってたよね」
私「設定的に無理だったね。ヒヨコの新入社員が着こなす服じゃなかった。むしろエリザベス女王が休日に着るみたいな上質なかんじだもの。一度も着なかったけど、クリーニング出して保管してたから値札がなくなってて。いくらで買ったんだろう」
妹「安くはなかった記憶がする。8000円で売れたら、いいんじゃない?ベージュと悩んでなかった?」
私「なんかうっすら覚えてる」
妹「そのあとフォートナム&メイソンに行ったよね」
私「あ、思い出した。ママとパパのお土産に紅茶と、お家の形の茶葉入れを買ったね」
妹「そうそう。しばらく朝ごはんの時に使ってたね。かわいかった。壊れちゃったのかな」
1997年2月。卒業旅行でエジプトを訪れていた私は、次の目的地のベルギーに行く前にロンドンへ、パリに短期留学中の妹とロンドンで落ち合い、三日間を過ごしました。はじめての姉妹旅です。
姉妹旅のnoteはこちら
断片的な記憶たち
私「トラファルガー広場の待ち合わせが強烈すぎて、中華食べて涙したことと、ホーキング博士に偶然会ったことしか覚えてない。ロンドンで私たち、何してたっけ?」
妹「私はパリで悪い子供たちに襲われたことが記憶に残りすぎてて、ロンドンは“安心を求めた”って記憶なんだよね」
私「私はエジプトから来たから、“バクシーシ!の寄付してくれ”って行列ができない街を普通に歩けることに感動した記憶」
妹「丸一日くらい大英博物館で過ごしたよ。ロゼッタストーン見て、ミイラの展示室に行ってお姉ちゃんがミイラについてしつこく語ってた」
私「そうだった。エジプトでずっとミイラ見てたから、まだ余熱があったのかも」
妹「あの頃、“アラビアのロレンス”と沢木耕太郎が好きだったんじゃない?」
私「沢木耕太郎は“深夜特急”でロンドンほとんど書いてないから、その時はそんなに熱なかったと思う」
妹「たしかに、沢木さん縁のどこかに行った記憶はない。“アラビアのロレンス”はレンタルビデオで無理やり見せられた。テレビが一台だった時代はそうなるよね。ママなんて途中で寝てたし。考古学者が好きだったって言ってなかった?」
私「それは中学生くらいの頃ね。シュリーマン博士の伝記を読んでから。それで小学生の時から夏休みに縄文土器の発掘の手伝いに行ってた」
妹「行ってたねーあの頃は、掘れば出てきたのかね。私は暑いから絶対に行きたくなかった。なぜかママも一緒に掘ってたから、発掘の日はお留守番よ。猫と扇風機の前で遊んでた」
妹「大英博物館でランチにパサついたサンドイッチ食べたね。今みたいなガラス屋根の立派なとこじゃなかった」
私「そうそう。あれ、いつ頃リニューアルしたんだろう。私たちが行った時にはまだ工事もしてなかったような。もう90年代の面影はないよね」
フィッシュ&チップス事件
私「私たち、フィッシュ&チップス食べた?」
妹「食べたじゃん!覚えてない? パブみたいなところで、観光客向けじゃない店に行こうって言って。現地の人も入ってそうなお店に真っ昼間に行ったのよ」
私「全然覚えてない。その後のイギリス旅行で上書きされたんだわ。パプの思い出は夜しかないもの」
妹「私は覚えてる。メニュー出されて二人で“シェアしたい。ビールはいりません”って拙い英語で言ったら、“ビール飲まないならもう一品頼め”ってつっけんどんに言われて、ミートパイを追加したの」
私「どうだったっけ?」
妹「おぼえてない?フィッシュ&チップスはタラだったかでまあおいしかったけど、ミートパイが衝撃的にまずかったの。形容しがたい薄味で。私はあれ忘れられない」
私「記憶から抹消したんだろうね。全然覚えてない。でもたしかそのあと現金がなくなって、トーマスクックで両替しに行ったね。手数料がすごく高かったのは覚えてる。長いレシートもらって」
妹「ポンド高かったね。あの頃もロンドンの物価はパリより高かった」
私「あの頃はフランの時代だね。イギリス以外はユーロになって便利になったけど、ユーロを機に全体的に高くなった気がする。現金使わなくなった今なら、リラでもペセタでも問題ないのに」
妹「ほんとそれ。今は高くて行けない。というより、長時間フライトで疲れに行くのが無理だわ。どこでもドアがない限り、休みにヨーロッパには行けない」
私「わかるわ。仕事でも日本で空港まで行くだけで疲れちゃう。ワープとかさ、そういうチートができる世界になってほしいね」
ロンドンの残像
私「他にロンドンらしいことしたっけ?トラファルガー広場とホーキング博士と中華ばかり思い出すの」
妹「私がパリで怖い思いしたから、ロンドンは博物館と美術館とデパートばかりにしてって言ったからだね。夜は中華ばかり。インド料理は私がこわくて行きたがらなかった」
私「そうだ、カレー屋さんも怖いって言ってチャイナだったね。あと、二人で夜にベッドの上でハガキ書いて過ごしたよ。だから街の印象が薄いのかも。パパがまだハガキとってあるって、ロンドンからは毎日来たって言ってた」
妹「トラファルガー広場近くの郵便局からハガキを送ったね。あ、バッキンガムには行ったね。朝早すぎて外から眺めただけ」
私「バッキンガム、ピカピカしてた。人のお宅には見えなかったわ」
妹「ほんと、お宅感もお城感も感じられなかったよね。衛兵も見つけられなかったし。遠巻きに撮った写真、二人ともやつれてた」
私「一人は怪我してたし、一人は下痢から生還したばかりだったし、げっそりしてたでしょ」
妹「あのさ、セルフリッジズで黒いロンドンタクシーに大量の黄色い紙袋を運転手さんと一緒に積んでた若いカップル、覚えてる?」
私「覚えてる!セルフリッジズの黄色紙袋の大群ね。すごくリッチに見えた。
まだ“セレブリティ”って言葉がなかったけど、まさにセレブって感じだったよね。まあ、すごいセレブは自家用車でくるから中くらいセレブかもね」
妹「あの頃は、たくさんの黄色の紙袋に圧倒されて、“私たちはあんなことできないね”って話して、二人で軽く落ち込んだの。“あの人たちは貴族の子どもたちだよ”って」
私「そうそう。庶民な現実を自覚した瞬間。黄色ショッパーとロンドンタクシーと、自分たちの庶民の自覚、私も鮮烈に覚えてる」
記憶に残る脇役たち
妹「あの人たちには日常だった瞬間が、アジアの端っこから来た大学生の記憶に刻まれて、自分は庶民って価値観になって、30年後におばさんトークの話題になる。あのカップルは絶対に忘れてるのに、私たちにはなぜか一生の思い出」
私「旅も人生も、普通のことの積み重ねなのに、なぜか覚えてる瞬間がある。脇役が思い出の中心になることもあるね。他人の人生と繋がってる。50年生きるとそういう瞬間ってあるわ。
似たおばさんが同じ声で30年前の話をしてる姿が、ここで誰かの思い出になってるかもよ」
妹「ちょっと地味すぎて誰にも見えてない可能性の方が高いけど。二人で逆立ちでもしてエスプレッソ頼んだら、ここにいる全員の記憶に残るかもね」
私「やりたい気持ちは山々だけど、逆立ちできないから無理だ。事故になって救急車呼ばれる沙汰になるわ。ケーキ食べようか、普通に」
妹「そだね」
アラフィフ姉妹、ゆるく続く時間
アラフィフ姉妹のランチとお茶は、ゆるく続きます。
妹が生まれてから、長い時間を共に過ごしてきました。引っ掻きあう喧嘩をしたのは数回。地味なおままごとをしたり、二人でお使いに行ったり、本の貸し借りをしたり、ずっと同志のように育ってきました。
同じ風景を見て、同じ本を読んで、同じ価値観で育った妹は、私にとって唯一無二の存在です。
たまにお茶をしてゆるく話すと、同じような視点で見た人生の“学び”が見つかります。
そんな気づきも、悪くないものです。
オーバカナルトークはまだ続きます。
いいなと思ったら応援しよう!
応援ありがとうございます。とっても励みになります:)