あなたの手元にひどい手札が配られた場合 - 書籍「人生の意味のつくり方」 試し読み版 6
シロイブックスより刊行した書籍「人生の意味のつくり方:正解が『ない』とき、私たちは何をすべきなのか」の試し読み版です。
このページでは「第四章:生物としての人間」より、章末のコラム「あなたの手元にひどい手札が配られた場合」の全文を公開しています。
第四章:生物としての人間 章末コラムより
あなたの手元にひどい手札が配られた場合
カードを使用したゲームというと、昔は大富豪やポーカーをするためのトランプを連想したものですが、現代で「カードゲーム」と言うときには、漫画やテレビゲームを原作としたトレーディングカード全般を指している場合のほうが多いようです。後者はファンタジー的な世界観でつくられていたりするわりに、プレーヤーとしては金に物を言わせて強いカードやレアカードを買ったりもできます。
トランプを使ったゲームの場合、シャッフルされて配られる手札の内容をコントロールすることは誰にもできません。この点で、私たちの性格傾向や潜在能力、社会的な境遇といったものは、熟考の上で組み立てられた準備万端のカードデッキというより、その場限りの偶然をその場でどうにかしていかなければならないという、トランプ的な状況に近いものだと言えます。
「生きていればいろいろと起こる」というのは金持ちでも貧乏でも同じなので、恵まれた人間にも困難は起こりますが、それに対処するためにどんな有効な手札を持っているのかというのは、生まれたときにもう決まっているわけです。ポーカーというゲームでは確率計算による判断が重要になっていて、これは努力次第で伸ばせる知的能力に属しますが、たまたま配られたカードに2や4の札が多ければ、その状況を実力でひっくり返すということは困難になります。これは努力云々の問題ではありません。ゲームがすごく不平等な状態で開始されるという点は、私たち自身の人生も同じなので、この世の事実として理解しておくべきでしょう。
さて、私が以前聞いた話で、こんなカードゲームがあるそうです。まず、ひらがなが一文字だけ書かれたカードをたくさん用意して、シャッフルした上で各プレーヤーに五枚ずつ配ります。これを受け取った人は、与えられたひらがな五文字の一部または全部によって何らかの言葉を組み立て、そうして並べたカードをテーブル上に提示します。全員のカードの提示が終わったとき、その勝敗を決めるルールは「いちばん面白いワードをつくった人が勝ち」というものです。
「はと」や「まめ」といった短くて一般的な単語であれば、五枚もカードがあれば何かしら見つけられそうですね。仮に手持ちのランダムな五文字が「こまかよひ」なら、少し眺めているうちに「こま(駒)」「かま(釜・鎌)」「かこ(過去)」「ひま(暇)」「よか(余暇)」「まひ(麻痺)」といった単語が見つかります。探してみると「意外と出てくるな」という感じになるので、間違い探しのイラストを見ているときの感覚にも似ています。
このランダムな五文字の例には、実は三枚カードで綺麗に成立する「ひよこ」が含まれているのですが、読みながら気づくことができたでしょうか。二文字よりも三文字の語のほうが確率的にはレアであり、それが偶然に発生したこと、その組み合わせを見事発見できたこと、ひよこは明らかに釜や駒よりもかわいいだろうといった点から、ここで成立した「ひよこ」は先の二文字単語たちよりも強いと言えます。この勝負では「ひよこ」を提示すべきでしょう。
単語の成立と発見の難しさという観点から、基本的には文字数が多いほど強いと判定されるわけですが、両者が同じ文字数だった場合、そのワードから伝わってくる「面白さ」、別の表現をすれば「意外性」が勝負の鍵となります。笑いやユーモアの核心が意外性にあるのだということは、昔からよく指摘されることです。
ここで「ひよこ」の対戦カードとして「たわけ」が現れたらどうなるでしょうか? これは「愚か者」を意味するフランクな罵倒の語彙であり、ゲームを楽しむ場にいきなりそういうワードが出てくるという点で意外性も十分です。ただ、これは言葉として少々古く、地方によっては馴染みのない(つまり直接的に心に響きにくい)方言として認識されている場合もあるので、この評価はプレイされる地域や年齢層によって意見が分かれそうです。その点で、シンプルなかわいらしさで勝負する「ひよこ」には、そうしたプレーヤーの属性を問わない、安定的な強さがありそうです。
「面白さ」というのは完全に主観的なものなので、成立したワードの文字数という大まかな基準を除けば、そこに客観的なものさしは何も存在していません。カードを提示した瞬間にどれくらい笑いが起きるかという点がまずあって、全員の並べられたカードを見ながら「どれがいちばん面白いか」ということをみんなであれこれ言い合うような流れになります。結論がすぐさま一致する場合もあれば、意見が割れる場合もあるでしょう。最終的に誰が優勝かを決めるというのも、そうした一連の会話をただ楽しむためだけにあります。
そこで、私たちが現実の人生をやっていくということに関して言えば、それはトレーディングカードよりもトランプよりも、この言葉遊びのゲームが最も近い感触を持っていると考えることができます。配られた手札は偶然によって決まっており、それが変えられないという点はトランプと同様です。しかし、そこにはまったく主観的で自由な視線が向けられていて、トランプのように「4はKに勝てない」といった厳格な切り捨ては何もありません。すべての手札はほぼ等しい価値を持ち、枠を外した発想によって自分なりの結果を生み出すことが可能です。
あなた自身の内面に配られたカードである「引っ込み思案だ」とか「考える前に行動してしまう」といった気質は、トランプの「4」や「K」のカードとは意味が異なります。それはひらがなの「も」や「ぴ」でしかないのです。そこに比較と強弱の概念はなく、勝敗をそのままに規定するような要素は何も含まれていません。そうした無数のひらがなのカードによって「何かつくってみなさい」と言われているのが、今現在のあなたの人生なのです。
さきほど「ポーカーでは確率計算が重要だ」と述べたのは、一回の勝負は手札の偶然によってほぼ決まってしまうものの、同じ勝負を数百回と繰り返せば、一貫した判断基準によって「確率的によい判断」をしているプレーヤーのほうが最終的に勝つはずだという理由によるものです。四人でポーカーをプレイしているとき、それぞれが勝つ確率は常に均等に四分の一ずつではなく、あるプレーヤーは他のプレーヤーよりも戦略の理解と実践に優れており、その場のプレーヤーの組み合わせにおいて三割や三割五分で勝てるような振る舞いを実行していることがあります。ポーカーのプレーヤーとしての実力とは、ある大勝負でたまたま勝ったか負けたかではなく、その奥にある揺るぎない判断基準と実行能力の問題だと考えるべきです。
これもやはり人生と同じです。私たちが向き合う勝負は一回だけでなく、何十年という時間の中には大小無数の機会が存在しています。さらに、そこで使える手札は、生まれた瞬間にランダムに配られた五枚だけではありません。あなた自身の努力と成長によって得たカード、偶然の出会いによってたまたま手元に降ってきたカード、休憩中に他のプレーヤーと交換したカードなどによって、どんどん豊かになっていきます。
このカード枚数は、おそらく何か意味のある、面白みのある単語を十分に組み立てられるだけの数になっていくことでしょう。頑張って生きていれば、必ずそうなります。カードが二十枚になったとき、そこで無意味な単語しか生み出せないということは確率的に考えられません。
つまり、最初にあなたの手元にひどいカードが配られていたとしても、それは大した問題ではないということになります。もちろん、それは「あなたが勝負を諦めなければ」の話です。不公平は存在するし、運に恵まれないということもあるし、努力だけではどうにもならないことも山ほどあります。それはそれとして放っておきましょう。こうした悩みというのは思考の幅を狭め、視界を暗くし、発想の自由を失わせます。それは価値ある組み合わせの発見を妨げます。
カードを増やし続けてください。テーブルから降りずに、勝負を続けてください。「諦めるな」というのは、そのような意味なのです。
【前のページ】 人間関係のわからなさと、愛される方法の存在について
書籍版のご購入ページ
分厚い紙書籍の通常版と、Kindle向けでお財布にやさしい「分冊版」上下巻が好評発売中です!
関連記事
で、そもそもみなさんは何のために生きてるんでしたっけ? (2024.11.29)
「そのときになれば、そうなるだろう」 (2024.12.6)
自分が感動するものをつくらなきゃ、なんにもならないでしょう (2025.5.16)
いいなと思ったら応援しよう!
いつも応援ありがとうございます✨ いただいたチップはおやつ代へ…(カロリーを書籍とnote記事に変換しています🍩🍰☕️