60代のリアル|第49話:【実録・介護の崖っぷち】「おんぶして・・・帰る」──お見舞いで突然母が口にした、切なすぎる本音とは?
前回までのあらすじ
2つ目の介護医療院での面談を終えた私は、帰宅後すぐに退院調整看護師の方へ詳細な報告メールを送りました。
1階での仕切りのない面談席ではプライバシーへの懸念を抱いたものの、2階の病棟はリニューアル直後で明るく安全なこと、入所者の方々が生き生きと過ごされている活気、そして4人部屋でも現在の病院同様にカーテンでプライバシーが守られている点など、自分の目で見て安心できた所感を冷静に伝えます。
さらに、1つ目の施設より月額で約25,000円も費用を抑えられるという切実な現実を踏まえ、「1つ目の施設をキープした状態で、2つ目の施設との話を進めたい」という必死の願いをメールに託しました。
それから3日後の5月28日、看護師さんから「1つ目の介護医療院から、病床が空いたら案内するとの連絡があった」という待望の返信が届き、最悪の事態を回避する安全網(キープ)を無事に確保することができたのです。
5月30日(日)、母との面会
いつもなら、自宅の近くにあるお馴染みのスーパーで果物を買い、母が食べやすいように家で小さくカットして、保冷剤と一緒にカバンに詰めて持参するのが私のルーティンでした。
しかし、そのお気に入りのスーパーが別のスーパーへと変わることになり、そのための内装工事が6月4日までかかるらしく、今は休業中。母に持っていく果物をどうしようかと、私は頭を悩ませていました。
悩んだ末、今回は病院の近くにあるスーパーに立ち寄り、そこで売られているカットフルーツを利用することにしました。
店頭で見つけて購入したのは、四角くサイコロ状にカットされたスイカ。けれど、いざ病室に持って行ってパックを開けてみると、いつも私が家で切るサイズに比べて、一切れ一切れが少し大きいように感じられました。
(お母さん、これだと一口で食べるにはちょっと大きいかな……)
少し心配しながら、母の口元へスイカを運んでみました。
すると、やはり母にとっても一口では大きかったようで、母は戸惑うかと思いきや、驚いたことに自分の「手」を使ってスイカをしっかりと掴み、そのまま口へと運び始めたのです。
「あ、手で持って食べられるんだ……!」
普段の様子からは、手をそんな風に自由には動かせないと思い込んでいた私にとって、それは嬉しい驚きでした。
大好きなスイカを目の前にして、母のなかに眠っていた力が出たのかもしれません。自分でスイカを美味しそうに頬張る母の姿を、私はどこか愛おしい気持ちで見つめていました。
やがてスイカをすべて平らげると、満足したような顔をした母が、ふと私を見てポツリと言い出しました。
「おんぶして……帰る。」
一瞬、耳を疑いました。あまりにも突然の、けれどあまりにも切実な、我が家へ帰りたがっている母の本音。 私は言葉に詰まり、どう返していいか分からず、病室にしばらくの沈黙が流れました。
すると、私の困ったような表情を察したのか、母は自嘲気味にこう言ったのです。
「そんなことできないか? 重たいよね! ハハハ」
そう言って、母は大笑いしていました。 その明るい笑い声が、かえって私の胸をぎゅっと締め付けます。
(ここを退院しても、もうおうちには帰れないのに……)
次の施設を探している今の状況。それをまだ母には本当の意味で伝えられていません。
まるで母を騙しているかのような、やり切れない申し訳なさと心苦しさが、私の心の中に重く澱(おり)のように広がっていきました。母の切ない冗談に、私はただ胸を痛めることしかできませんでした。
そんな私の空気を変えるように、母は今度は少し子供のようにはにかんで、新たなおねだりをしてきました。
「さくらんぼ、3つ食べたい!」
3つ、という具体的な数字がなんとも母らしくて、私は思わずふっと笑顔になりました。
「まだお店に売っていなかったよ! 今度見つけて、売ってたら買ってくるねっ」
そう私が答えると、母は嬉しそうに頷いていました。
面会時間の終わりを告げる頃、いつものように
「また来週来るね!」
と声をかけて手を振りました。
すると母も、掛けていたタオルケットからそっと手を出して、小さく小さく、私に手を振り返してくれました。
その小さな手のぬくもりと、さくらんぼの約束を胸に抱きながら、私はまた、母の未来を決める現実の選択へと戻っていくのでした。
つづく
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