60代のリアル|第35話:【実録・介護の崖っぷち】「母はもう帰らない」感傷の浸る時間はない。帰宅後のメールで知った、息つく暇もない連戦をどう乗り切ればいいのか?
前回までのあらすじ
退院期限が迫るなか、私は介護保険証を届けるため、激しい雷雨のなかを徒歩でケアマネジャーさんの元へと急いでいた。迫りくる手続きをただ必死にこなすことだけが頭にありました。
しかし、書類を手渡した瞬間、ケアマネジャーさんから告げられた「これで終了になるのですね」という静かな一言に、私は激しい衝撃を受ける。
長かったお付き合いの終わり。それは、母がもう我が家に帰ってくることはないという現実を意味していた。
「私はもう、独りぼっちになってしまった」――。
窓の外で鳴り響く雨の音のなか、私は一瞬にして、何もする気力を失うほどの深い暗闇のなかに立ち尽くしていた。
5月14日(木)朝の忙しい時間帯が過ぎた頃。
あんなに激しかった雷雨の夜が明け、翌5月14日。私はいつものように仕事に向かっていました。
前日の5月13日にお休みをいただいてしまったせいで、私の引き継ぎボックスは大変なことになっていました。 私の職場では機密情報を扱うため、机の上に書類を放置することは厳禁。お休みの人の分の書類は、クリアフォルダに名前を書いて「引き継ぎボックス」に入れてもらうルールになっているのです。
席に着いてボックスを見ると、クリアフォルダが何冊も重なり、輪ゴムでひとまとめにされた束が、ドッサとパンパンに詰まっていました。
「これ、今日中に全部片付くのかな……」
溜まりに溜まった書類を前に一瞬気が遠くなりかけましたが、午前中の急ぎの業務を怒涛の勢いで片付け、ようやくひと段落がついた頃。私は張り詰めた緊張感を抱えたまま、内緒で私用電話をかけに席を立ちました。
介護医療院の面談予約を入れるためです。
昨晩のケアマネジャーさんの一言が頭をよぎり、胸の奥には「母はもう家に帰ってこないのかもしれない」という重い寂しさが居座ったままでした。それでも、私には立ち止まっている時間はありません。一歩ずつでも、必死に今の現実を進めるしかないのです。
ゴクリと息を呑み、電話のボタンを押しました。
「○○病院の○○様からのご紹介でお電話をいたしました、○○(しずる)です。面談の件で、ご担当の○○様をお願いいたします」
緊張で少し震える声を整えながら、そう切り出しました。 その後の細かいやり取りは、必死すぎて正直よく覚えていません。ただ、言われるがままに日程を調整し、当日の持ち物を手元のメモに書き留めるのが精一杯でした。
ようやく予約を取り付け、その面談日程を病院の退院調整看護師の方へメールで報告しました。
夕方の17時を過ぎてから、その返信メールが届きました。私が内容を確認したのは、仕事を終えて17時半頃に帰宅し、自宅のパソコンを開いてからのことです。
「こんな時間までお仕事をされているんだ、大変だなぁ……」と思いながらメールを開くと、なんとそこには、連絡待ちになっていたもう1つの介護医療院から返事があったため、そちらの面談予約もとってください、との内容が書かれていました。
ホッとする間もなく、次のステップが降ってきます。
5月15日(金)
私は再び、もう1つの施設へ予約の電話をかけました。 1件目と同じように、なんとか日程調整を終え、持ち物の説明を受けたときのことです。
電話口の担当者の方から、少し念を押すようにこう告げられました。
「こちらの施設には、病院、介護医療院、老人ケアセンターが併設されておりまして、入り口が3箇所に分かれているんです。当日はどうぞ間違えないようにお越しくださいね」
3箇所の入り口――。
ただでさえ極度の方向音痴な私です。
初めて行く場所で、そんな複雑なトラップが待っているなんて。母のために絶対に遅れるわけにはいかない面談を前に、私の心には、また新たな緊張の種がポツリと生まれようとしていました。
つづく
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