60代のリアル|第57話:【実録・介護の崖っぷち】都内はもう全滅?退院調整看護師さんから提案された県境を越える選択肢、道はそれしかないのか?
前回までのあらすじ
尿路感染症で緊急入院し、自立歩行が困難になった母。
新装開店のスーパーでもみくちゃになりながら手に入れた「佐藤錦」を病室へ届けると、食事の「とろみ食」のせいで「おいしい」を忘れてしまったはずの母が、「さくらんぼだぁ~!」と顔を輝かせてくれました。
変わっていく母の姿に切なさを覚えながらも、私はその笑顔に確かに救われていたのです。
しかし、そんな愛おしい時間から一転、現実は容赦なく次のステップへと動き出していました。
6月8日(月)
この日の私は、朝から会社のパソコンの前で、猛烈な勢いでキーボードを叩いていました。
というのも、翌日の6月9日、母の「要介護認定の面談」のために区役所の方が病院へ来ることになり、私は仕事を休む手続きを取っていたからです。
平日に一日休みを取るということは、その前日に「絶対に終わらせなければならない仕事」が山積みを意味します。
自分の普段の業務をこなすだけでも手一杯なのに、明日分の引き継ぎ、滞っている案件の督促処理、さらには運悪く午後休を取っている他のメンバーの急ぎの作業フォローまで、私のデスクに次々と舞い込んできました。
「とにかく、今日中に全部片付けないと、明日は動けない……」
頭をフル回転させながら、しゃかりきに画面に向かうものの、心の中には常に「明日の面談はうまく進むだろうか」という介護の不安が張り付いています。
仕事の締切と介護の手続き。二つの重圧に挟まれ、まさに限界寸前のバタバタ劇の中にいました。
退院調整看護師さんからメール
そんな怒涛のデスクワークの最中、鞄の中のスマホが、短いバイブレーションで震えました。
本当は勤務中の私用スマホの確認はあまり良くないのですが、今の私にとっては、病院からのいつ来るか分からない緊急連絡の可能性もある命綱です。周囲の目を気にしつつ、すぐに画面を確認しました。
「あ、退院調整看護師さんからのメールだ……」
仕事中ということもあり、Gmailの通知画面をサッと流し読みするに留めましたが、そこに書かれていた具体的な地名に、私は思わず目を見張りました。
都内にはもう、病院併設の介護医療院を探すのが難しいと判断されたのでしょう。看護師さんからの提案は、「埼玉県にある介護医療院」はどうか、という内容のものでした。
「埼玉……。ついに都外になっちゃうのか?」
一瞬、精神的な距離の遠さに頭がクラリとしましたが、仕事の手を止めるわけにはいきません。明日の休暇のために、とにかく今は目の前の引き継ぎを終わらせなければ。私は気を取り直し、猛烈な勢いで残りの仕事を片付けました。
ようやく長い一日が終わり、帰宅してすぐに、私はいつものように自宅のノートパソコンを開きました。
改めてGmailで看護師さんからの詳細な文面を確認し、すぐにその介護医療院の場所をネットで検索してみます。
地図を見ながら、私はふう、と一つ息を吐きました。
埼玉という言葉の響きから、最初はかなりの距離を覚悟していましたが、調べてみると、意外な事実が分かりました。我が家の最寄り駅から地下鉄がそのまま直通で乗り入れている路線だったため、都内を移動する時のように、何度も何度も面倒な乗り換えをする必要がなかったのです。
「これなら、一本で行けるから意外と楽かもしれない!」
遠いと思い込んでいた場所に、一筋の光が見えた気がして、少しだけ心が軽くなりました。
……しかし、詳細なルートをスクロールしていった私は、すぐに
「あぁ、やっぱりか……」
と、小さくため息をつくことになります。
直通の電車で最寄り駅まで行けたとしても、そこから施設までは、またしても「バス移動」だったのです。
前回の介護医療院探しの時もそうでした。なぜ、母が入れそうな施設は、どこも駅からバスに乗るような不便な場所ばかりなのだろうか?
車を持たない私にとって、面会のたびにバスの時間を気にしながら通うのは、決して楽なことではありません。直通電車という小さな喜びと、やっぱりバスという現実の落胆。
翌日に区役所の方との「要介護認定の面談」という大一番を控えながら、私はメールの画面を見つめたまま、埼玉の、見知らぬ街にある施設へ母を送るかもしれないという、新たな「介護の崖っぷち」の現実をじっと噛みしめていました。
つづく
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