フィクションの中にある「真」と「嘘」
ただの宇宙人、梅太郎です。
フィクション作品は、お好きでしょうか。
私はここ2年くらいで、アニメをよく観るようになりました。
フィクション作品のおもしろいところは、「世の中の仕組みの暴露」の機会の1つとして、利用されているフシがあるところです。
たとえば、『ラザロ』というアニメが最近始まりました。
なかなか世の中を皮肉った設定となっておりまして、
今から3年前、「奇跡の薬」として世界中にある薬が広まった。この薬は、低価格で副作用もなく、「すべての痛みを消すことができる」という鎮痛剤で、世界中の人が服用。
ところが、この薬の正体は「服用から3年後に飲んだ人を死に至らしめる毒」だったということが判明。人類の滅亡を防ぐために、薬の開発者である博士を追うチームが結成された……。
みたいな物語になっています。
3年前にみんなが飲んだ薬が毒だった。
って、もはや比喩にもなっていないレベルで、コロナ騒動的な設定なのです。
「よく日本で企画が通ったな」「どこからお金を引っ張ってきたんだ?」というのが第一の感想でした。
制作スタッフにハリウッドもからんでいるみたいなので、資金元やパワーバランスが複雑そうなのが、また興味をそそられます。
「おやっ」と思ったのは、それだけではありません。
アニメの舞台となる都市の名が、「バビロニア・シティ」と言います。
(バビロニアとは、私がよく記事にしている、歴史の因果が生まれた土地の1つです)。
また、大阪万博(昔のやつ)の「太陽の塔」を思わせるモチーフも意味ありげに出てきます。
最新話では、気候変動の話も出てきました。
いろいろと、匂わせているのです。
制作チームの背後に、「誰か(いろいろとわかっている人というか、宇宙人が)いるな」と思わせる作品です。
まだ始まったばかりなので、どんな感じになるのかなと興味深く見守っているところです。
(ちなみに今のところ、作品としてのエネルギーとしてはちょっと低めです。どちらかというと、闇の暴露として「つくらされたもの」みたいな感じがします)
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このような、フィクションであるという設定をしたうえで、実は本質的な暴露をしているというのが、アニメや映画やドラマなどの領域で行われています。
もちろんそれは今に始まった話ではなく、映画『マトリックス』のように、フィクション作品には、暴露の面が少なからずありました。
と同時に、「人を一定方向に誘導するための装置」として使われてきたのも、フィクション作品です。
たとえば、「火垂るの墓」。
あの映画、強烈ですよね。
「戦争の悲惨さを伝え、二度と悲劇が起きないように」という名目で広められてきた作品ですが、実際に観た人が受けるのは、「戦争って怖い」という潜在的な恐怖のイメージです。
私も小学生のときだったか……授業か何かで強制的に観せられて、その一度しか観ていないにもかかわらず、結構な数のシーンが記憶に焼き付いています。
もちろん、制作者としては「こんな思いを伝えたい!」という純粋なメッセージがあったに違いないのですが、
実際には、この映画が広まることによって、「戦争」=「怖いもの」=「タブー」=「近寄りがたいもの」という恐怖のイメージを強めることにつながっています。
ゆえに、今でも(一応)ウクライナとイスラエルでは戦争が行われているわけですが、実際になぜ起きているのか、なぜ終わらないのか、という一歩・二歩踏み込んだところに人々の思考がいかないようにされています。
戦争への恐怖を強めることで、「仕組みの理解」という冷静な対応ではなく、「好き・嫌い」という感情論の世界に誘い込まれてしまうわけです。
たとえば、それをロック歌手が「戦争反対!」「弱者を救え!」みたいなメッセージにしているのを見ると、ほんとバカだな。と、ため息が出ます。
つまり、作品に純粋に込められたエネルギーとは別に、広める側(メディアなど)の「思惑」のエネルギーも大いに入る。
というのが、エンタメ業界にあるエネルギー的な構図です。
ゆえに、作品の中には「真」もあれば、大いなる「虚(=嘘)」もある。
虚実織り交ぜられた物語の中で、「人々の思考や意識を、一定の方向に誘導するもの」として機能してきたのがフィクションの世界です。
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ところで、フィクション作品って、どんなふうにして生まれるのでしょうか?
それは「制作者のもとに一定のエネルギーが降りてきて、それを表現したときに生まれる」ものです。
「アイデアが降りてきた」という表現がよく使われますよね。
本当に、宇宙から降りてくるのです。
「音」や「映像」や「絵」、「文字」といった形で、何らかのイメージが降りてきます。
人はそれぞれ、「自分の得意な感覚」を通して、そのイメージをキャッチします。そして、表現が得意な人が、作品にするのです。
その結果が、映像作品になったり、小説になったり、漫画やアニメになったり、アート作品になったり、ということです。
だから、「それは私も考えていたのに!」「パクられた!」みたいな話は妄想ではなく(妄想の場合もありますが)、同じエネルギーをキャッチしたけれど、すぐに表現できた人・できなかった人という差でもあります。
これは、あらゆる創作に通じる話です。
ゆえに、世界には「一人で考えました!」というものは存在せず、「どこからか降りてきたインスピレーション」を元に生まれたものです。
たとえば、機械や物理が得意な人ならば、「発明品」や「科学理論」を生み出し、経営をしている人ならば「事業」が生まれます。「料理」なども同じですね。
世の中にある商品やサービス、企画やアイデアといったものは、すべて、エネルギーから生まれています。
問題は、「どこからキャッチするか」ということです。
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さまざまな作品がある中で、「これは好き」「これは苦手」「これは気持ち悪い」みたいな、さまざまな感覚がよぎると思います。
それは、「エネルギーの発信元」による差だと言えます。
つまり、「低めのエネルギー帯」から生まれた創作物は、それなりに低いエネルギーを潜在的に持つものですし、逆に「高いエネルギー帯」から生まれたものは、エネルギーも高めになる。
そして、私たちは自分のエネルギー帯に近いものを観て、「安心」したり、遠いものを観て「興奮」したり、「嫌い」と思ったりするわけです。
何を好きか、何を嫌いか、ということもまた、自分のエネルギー状態を知るバロメーターになるということです。
ただ、ここには気をつけないといけないことがあります。
「私たちは、外のエネルギーに順応しやすい」ということです。
つまり、「実は低いエネルギーのもの」も、ずーっと観ていると麻痺してきて、「好きかも?」「おもしろいかも?」と、いつの間にかそちらのエネルギー帯に入ってしまうことがあるのです。
恋愛と同じですね。
「本当はタイプじゃない人」を好きになってしまう感じ。
それは、「エネルギーがぜんぜん違う」という違和感を「この感覚……好きということにしよう。そうすれば違和感(=不快感)が消える!」と認知をすり替えた結果です。
この「感覚的な麻痺」によって、「本当の好き」がよくわからなくなるというのが、現代の病的なエネルギーの1つだと私は感じます。
現代では、「オタク」と呼ばれる人が一定以上いますよね。
おもしろいのは、「1つ」ではなく、いくつもの分野で「熱狂的に好きなもの」があるということです。
「○○のアニメも好きだけど、××の歌手も好き。△△のスポーツも好き! 推し活のための時間が足りない!」
みたいな方は、決して少なくありません。
「何かの熱狂的なファンになる」というのは、強い刺激(内と外とのエネルギー差)によって自分のエネルギーがよくわからなくなってしまっている場合がほとんどです。
自分が何なのかよくわからなくなってしまったので、とりあえず目の前の何かを好きということにして、応援をする。共に生きようとする。
それが、「依存」と表現される現象です。
元々弱っていた自分のエネルギーが外側とくっつくことで、「自分がどこにもいない」ということになってしまうんですね。
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少しフィクションの話から離れてしまいましたが、エンターテイメントというのは、「感覚を麻痺させる毒」でもあるので、付き合い方には少々注意が必要ですよね、ということです。
ただ、自分の在り方が定まっていれば、何が「合う・合わない」かは、そんなに気にするようなものではありません。
何かを観たい、聴きたいと思ったとき、ふと何かが気になったとき、それは、「やってみれば?」「聴いて」「観て」という天からのサインでもあります。
たとえば私は、衝動的にゲームをする時期があるのですが、「あ、これは自分のためにつくられたものだな」という作品に出会うことがあります。
すべての会話や、設定や、出てくるモチーフが、自分の魂や状況と連動してくる。何かを示唆してくる。宇宙がそこにいる。
みたいな感覚になることがあります。
「この作品は、自分のためにつくられているものだ」。
ということは、気のせいではなく、本当に起こりえるのです。
なぜなら宇宙とは、「そういうもの(自分で創造するもの)」だからです。
在り方が整うほど(ゆらぎが少なくなるほど)、自分のエネルギーに適したものが、向こうからやってきます。
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最後に、曲を紹介させてください。
「The Loneliest Girl」という曲で、『キャロル&チューズデイ』というアニメのメインテーマとも言えるものです。
歌手を目指す2人の女の子を主人公にした物語になっていて、実は冒頭で紹介した『ラザロ』と同じ監督の作品です。
(と、知ったふうな解説をしていますが、2日前に観はじめたばかりで、まだ3話くらいです。今日も観たいと思います)
この曲が劇中で出てきたとき、不思議と涙が出そうになりました。
エネルギーが足元から頭の先まで突き抜け、全身に鳥肌が立ち、グッと胸が詰まる感じ。
本当に久々の体験です。
なんだろうなーこれ。
と思って、今日聞き返すと、やっぱり鳥肌が立ちました。
どんな歌かというと、これ。
「地球の声」です。
「地球の切実な願い」と言ってもいいでしょう。
もう、誰にも争わないでほしい。
私たちは、光に還りたい。
この声が、聞こえますか?
聴いて、くれますか?
そんな、地球の声、地球にある光のエネルギーの声を、代弁したものだと私は感じました。その思いに応えたいとも、強く感じました。
ご興味がありましたら、ぜひ、歌詞もあわせてご覧になってみてください。
光の中に闇があるように、闇の中にも光はあります。
「○○だからすべてが悪」ということはなく、その中には、一筋の祈りや命の輝きが込められていることもあります。
非常に暗かった地球ですが、その中にも、いいものはたくさんあるのです。
自分にとって「いいもの」にフォーカスして、一瞬一瞬を過ごしていきましょう!
それでは、ここまでお読みくださり、ありがとうございました!
ではまた!
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