第3話 過去と今のあたしたち①(メイド✶アリサ―Wishmoreな学園日記)
前回のお話📕
はあ~……合格できて本当によかった!
汽車の座席で、あたしはあらためて喜びを噛みしめていた。
どんどん後ろに流れていく車窓の景色を眺めながら、あたしも前進できたよね!って気持ちが上がる。
だけど、トンネルに入った瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
旦那様には、すでに「メイドとしての経験を積むため、そしてお嬢様をそばで見守るために、学園メイドに挑戦してみたい」って意志を伝えてある。
「寂しくなるが、アリサがあの子のそばにいてくれるのなら私としても安心だよ。試験、頑張っておいで」と、旦那様は優しく送り出してくださった。
だけど……お嬢様には、まだ何も話していない。
あたしが学園メイドになるって知ったら、複雑な顔をなさるだろう。
きっと、喜んではくれない……。
受験合格の通知を受け取ったとき、お嬢様はあたしに「留守の間、お父様をよろしくね」と言った。学園の話をする度に伝えられるこの言葉は、「決してついてこないように」っていう意味なんだって、ちゃんとわかってた。
お嬢様があたしを嫌っているとか、そういうことじゃなくて
きっと、ご自分の足で進もうと……一人で外の世界に出て行こうと決めたからなんだと思う。
それなのに、あたしはその覚悟を踏みにじってここにいる。
お嬢様をカーラの魔の手から守るためだけど……そんなこと、ご本人には絶対に言えない。だってきっと、お優しいお嬢様は、自分のせいであたしが犠牲になったって思うだろうから。
そんな想いだけはさせたくない。
あたしは深く息を吐き出すと、そっと目を閉じた。
瞼の裏側で、爆炎が上がる。
何かが燃えるような異臭と、鳴りやまない鼓動。誰のものなのかわからない悲鳴。
八年前。もしもあの場所で死んでいたら、お嬢様と出会うことはなかった。
* *
あたしは異国人だ。
このヒューバーラントからは遠く離れたヒノワっていう小さな島国で生まれて、十年間そこで育った。お父さんとお母さん、双子の弟と四人で暮らしていたんだ。農村にある貧しい家だったけど、幸せな毎日を送っていたんだと思う。
はっきり言い切れないのは、記憶が曖昧だから。今はだいぶましになったけど、八年前――この国にやってきた時には、自分の名前すら思い出せないほどひどかった。
十歳の子どもにとって、自分の故郷が、家が……家族が炎に呑まれるっていうのは、それくらい衝撃的な出来事だったってことだ。
今はもう終わったらしいけど、当時ヒノワは他国と戦争をしていた。
その中で、あたしはいわゆる戦争孤児になった。敵襲に遭って焼き払われた村で一人生き残って……その先に待っていたのが、人買いに捕まって国外に売り飛ばされるっていう想像もしていなかった未来だ。
拘束された状態で乱暴に船に乗せられて、気が遠くなるくらい長い時間を真っ暗な貯蔵庫の中で過ごした。そしてたどり着いたのが、ヒューバーラントだったんだ。
売られた先がこれまた最悪で、思い出したくもない。
だからあたしは、主人の隙をついて逃げ出した。
冬の夜。身を切るような冷たい空気の中を、無我夢中で駆け抜ける。
幸か不幸か、そこはぽつりぽつりと家が建っているだけの土地だった。人影はなくて、家々の窓に灯ったオレンジ色の明かりだけが蝋燭の火みたいに揺らめいていた。
きっと美しい景色だったと思う。だけど、その時のあたしの目には、出口のない地獄のように映った。
だって、ここがどこで、自分が誰で、この先どうなるのか、どうすればいいのか――何ひとつわからない。買われた家でかけられた言葉は理解できなかったし、口も利けなくなってた。不安がいっぱいで押しつぶされそうだった。
永遠に続くようなあぜ道を、裸足のまま走って、立ち止まって、また走って……どれくらい経った頃だっただろう。
体力の限界がきて足を止めたのは、薄闇でもわかるくらい大きな屋敷――シャロン家の前だった。
最初は、少しだけ休むつもりだった。背の低い木に囲まれた敷地に入り、花壇の間を抜けて屋敷の裏手へと回る。
壁に背中を預けて座り込み、膝を抱えて丸くなった。
吐く息が白い。重ね合わせた手のひらはすごく冷たくて、このまま死ぬんじゃないかな、なんて思った。それもいいかもしれない、そんな風に考えて目を閉じたんだ。
だけど、あたしはまたしても死ねなかった。
強く肩を揺すられて瞼を開けると、朝日と共に目に飛び込んできたのはキツそうな顔をした女性――のちの若奥様・カーラだった。眉を吊り上げて話しかけられているけど、何も返せない。
黙りこくったままでいると、乱暴に腕を掴まれて引っ張り起こされた。そのまま無理やり連れていかれたのは、屋敷にある旦那様の書斎だった。
カーラは旦那様に、興奮しきった様子で何かを訴えていた。
たぶん「汚らしい子どもが屋敷の裏に隠れていたんです。何か物を盗もうとしていたに違いない、今すぐ自警団に突き出しましょう!」みたいな感じだったんだと思う。
旦那様は困り切った顔をして、あたしを見つめていた。その時ちょうど扉が開いて、女の子が飛び込んできた。
水色のドレスワンピースを着た綺麗な子……それがフリィジアお嬢様だった。
お嬢様は旦那様に早口で何かを伝えると、勢いよく頭を下げた。そして返事も聞かないまま、あたしの手をとって、廊下に飛び出したんだ。
駆け込んだ自室の鍵を内側からかけるなり、お嬢様はあたしをぎゅっと抱きしめた。あたしは何が起きているのかわからなくて、ただ立ち尽くすしかできなかった。
お嬢様は体をそっと離すと、あたしの目をじっと見て、何かを仰った。
だけど、あたしには言葉が理解できない。
何も返せずにいると、お嬢様は本棚に駆け寄って分厚い本を抜き取った。
あたしの顔を見ながらパラパラとページをめくって、聞いたことのない言葉で何度も話しかけてくる。
ああでもないこうでもない、とそれを繰り返していたお嬢様。しばらくして、ようやく聞き取れた言葉があった。
あたしの表情を見てそれがわかったのか、整ったお顔がぱっと明るくなった。本棚からまた別の本を抜き取って、それを片手にあたしに近付いてくると、
『だいじょうぶ』
あたしの国の言葉だった。片言で、何度か言い直して不安そうに眉を寄せる。
『わかる?』
あたしはただ頷いた。お嬢様は本当に嬉しそうに微笑むと、こう続けたんだ。
『わたしと、おともだちになって』
夢だと思った。
だって、目の前にいる子は本当に綺麗で、あたしとは明らかに住む世界が違う。友達になってほしいだなんて、ありえない。そう思った。
だけど、お嬢様はあたしをぎゅっと抱きしめて、もう一度同じ言葉を伝えてくれた。
別に、心から信じたわけじゃなかった。
だけど、もう何もかもがどうでもよかった。生きる目的も、死ぬ理由もない。何にもない。
だから、身を委ねてみようと思って頷いた。
これが、あたしとお嬢様の出会いだ。
その後あたしは、お嬢様の説得と旦那様のお心遣いによって、シャロン家の敷地にある離れで生活させていただけることになった。身元がわからないしさすがに養女にすることはできないということで、使用人って形に落ち着いたんだ。
あとで知ったことだけど、お嬢様はその少し前にお母様を亡くされていて、体も弱く友達もいなかった。だからその代わりとしてあたしを傍に置きたかったんだろうって、カーラに嫌味っぽく言われたことはよく覚えている。だけど、そんなことはどうでもよかった。
記憶がないあたしに『アリサ』っていう名前を与えてくださったのも、ヒューバーラント語や生活習慣を教えてくださったのも、全部お嬢様だ。
アリサはお嬢様が大好きな童話の主人公の名前で、いつでも明るく前向きで、みんなをあたたかく照らす太陽みたいな子なんだって教えていただいた。
その時、あたしは『アリサ』になろうって思った。
あたしを救ってくれたお嬢様を照らす、太陽になろう。そう決めたんだ。
(次回 フリィジアに学園メイドになることを伝えるアリサ。果たして、彼女の反応は……?)
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