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調律者|第七話「境界の薄い家」

その家は、外から見ると普通だった。

明かりもあり、生活の気配もある。
でも、どこかだけ“境界”が曖昧だった。


「最近、家の中と外の区別がなくて」

依頼主はそう言った。

それは比喩のようでいて、比喩ではなかった。


私は靴を脱ぐとき、少しだけ違和感に気づく。

この家は“内側”が弱い。

守られていないというより、
境界を作る必要が薄れてしまった状態だった。


部屋に入る。

どこも清潔で、生活は成立している。

ただ、すべてが少しだけ「外に開きすぎている」。


依頼主は言う。

「ちゃんと暮らしているはずなんです。でも、どこにも落ち着かないんです」


その言葉の中に、ひとつのズレがある。

暮らしはある。
でも、“戻る場所”がない。


私は窓を閉めるでもなく、開けるでもなく、
カーテンに手を触れるだけにする。

少しだけ光の入り方が変わる。


「境界を作ろうとしなくていいです」

そう言う。


依頼主は不思議そうにこちらを見る。

「じゃあ、どうすればいいんですか」


私は答えない。

境界は作るものではなく、
自然に立ち上がるものだからだ


しばらく沈黙。

やがて依頼主は、床に座り込む。

その姿勢が、この家の中で初めて“内側”を作ったように見えた。


空気がわずかに変わる。

部屋が少しだけ“家”になる。


記録:

滞り:境界希薄型(過開放状態)
介入:境界操作ではなく注意の再配置
結果:内外の仮境界発生


家は閉じることで家になるのではない。

戻れる感覚があるとき、それは家になる。


── 調律者は、境界がまだ揺れている家を静かに出る。


シリーズ記事
① 調律者|第一話「静まりすぎた部屋」
② 調律者|第二話「言葉が多すぎる会議室」
③ 調律者|第三話「何も起きない部屋」
④ 調律者|第四話「戻ってきた人」
⑤ 調律者|第五話「崩れたままの場所」
⑥ 調律者|第六話「音のない場所」
⑦ 調律者|第七話「境界の薄い家」
⑧ 調律者|エピソード零「歪みのある朝」
⑨ 短編連載『調律者』の構造を解説

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きたがわ 萃(sui)|認知の機織り職人 世界を構造として捉える認知と、体感を直感的に統合する思考を手がかりに、私が感じたことや実体験を小さな記録としてそっと置き続けていきます。いただいたチップはその活動に大切に使わせていただきます。