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【ベトナム縦断バイク旅③】ブンタウ出発──知られざるベトナムのリゾート地ムイネーへ

【前回】

【第1章】ブンタウ出発──バイク整備と旅への準備

この日はブンタウを出発し、海沿いのリゾート地・ムイネーへ向かうことにしていた。

まず朝起きて、財布の中を確認すると、ベトナムドンがほとんど残っていなかった。
現地の銀行で日本円から両替しようとするも、外貨の取り扱いはしていないと言われて断念。
やむなくATMで、日本の銀行口座からベトナムドンを引き出すという手段をとった。
海外ATMの使用は可能だが、手数料は高い。
旅の最中にじわじわと効いてくる“見えない出費”に、早くも気が滅入る。ホーチミンの安い両替所でケチらずにもっと変えておくべきだったと後悔した。

次に向かったのはバイク屋。
実は前日、宿のスロープでバイクごと滑り落ちるというハプニングがあり、
軽い破損をしてしまっていた。そのため、午前中に整備を済ませようと決めていたのだ。

現地の修理屋に頼むと、破損した箇所の修理費はおよそ1,000円ほど
意外にも安く済んだので安心していたら、さらにバイク屋のおっちゃんが言った。

「このブレーキ、純正じゃない。急ブレーキだと危ないよ」

よく見ると、フットブレーキが社外品でつけられており、効きが不安定だったらしい。
走行中のブレーキは命に直結する。悩む間もなく、**“全部直してしまおう”**と決めた。

ぼくのバイクはYAMAHAだったため、彼はYAMAHAの正規店にバイクを持ち込んでくれた。
しかも、「今日中にムイネーに出発する」と伝えていたら、わざわざ2時間で戻してくれた
こういうところがベトナムの人の優しさなんだなと、心があたたかくなった。

修理費は合計で約5,000円。現地の物価からすれば安くはない金額かもしれないが、
安心して次の街に向かえるなら、それでいい。むしろ感謝の方が大きかった。


修理を待っている2時間のあいだ、
ぼくは近くのローカル食堂で「コムタム」を食べた。
豚肉がのったご飯に目玉焼き、少しの漬物とスープ。
東南アジアらしい濃い味付けが胃にしみる。

その後はカフェへ。
「ブラックコーヒーをください」と言ったのに、出てきたのは**ベトナムコーヒー(甘い)**だった。
この国では“甘さ”も文化の一部なんだなと思いながら、ゆっくりとコップを傾けた。


そして昼すぎ、バイクが完璧な状態で戻ってきた。
荷物を積み直し、しっかり固定して、いよいよムイネーへ向けて出発する。

【第2章】170kmの道──ムイネーへの長い一本道

整備を終え、昼頃にブンタウを出発。
目的地のムイネーまではおよそ170km。この旅の中では比較的長い距離だ。

ホーチミンからブンタウに来た道と比べて、この区間はしっかり舗装されていて、
バイクでも非常に走りやすかった。
ただし、それは言い換えれば──
**「変化のない、退屈な道だった」**ということでもある。


左右には同じような風景が延々と続く。
工場、田んぼ、ぽつんと立つカフェの看板。
見えるのは灰色のアスファルトと、まっすぐに伸びる白線だけ。

スピードを出して走っても、体感時間はなかなか進まない。
気づけばいつの間にか、心の中で「あと何km」と距離を数え始めていた。

ただ走るだけの道──
それはある意味で、自分と向き合う時間でもあった。

修理したばかりのバイクの調子はすこぶる良い。
でも頭の中は、出発からのこと、これからのこと、日本のこと、将来のこと……
とりとめのない思考が波のように押し寄せては引いていった。


途中、一度だけ小さなローカルな飯屋に寄った。
コーヒーを買い、ぼーっと道路を眺めてタバコを吸った。
現地のバイク乗りたちが無言ですれ違っていくのを見て、
なぜか少しだけ、この国の一部になれたような気がした


夕方17時頃、ようやくムイネーに到着。
バイクを止め、ヘルメットを脱ぎ、深呼吸。
潮風とともに、目に飛び込んできたのは──

青くひらけた空と、どこまでも続く海沿いのリゾート。

ブンタウよりもさらに洗練された、
“リゾート観光地”という雰囲気が町全体からにじみ出ていた。

欧米系のバックパッカーがビーチ沿いを歩いていたり、
サングラスをかけたカップルが原付でカフェに入っていったり。
どこかの映画の中に入り込んだような、不思議な感覚。

その一方で、自分がその景色にまだ“溶け込めていない”という居心地の悪さも少しあった。

けれど、この違和感すら、旅の一部なのだと思いながら、
ぼくはその日の宿となるホステルへ向かってバイクを再始動させた。

【第3章】海辺のホステル──アウェー感と偶然の再会

Hostelworld参照

その日の宿に選んだのは、海沿いにあるバックパッカー向けのホステルiHome Backpacker Resortだった。
ビーチが目の前に広がり、プールとバーが併設されたその場所は、まさに
“ザ・海外リゾート”といった雰囲気に包まれていた。

音楽が流れ、サングラス姿の旅人たちがプールサイドでチルしている。
カウンターでは欧米人たちがジョッキを片手に英語で会話を弾ませていた。
まさに映画でしか見たことのない、そんな空間。


そんな中で、日本人の自分がひとりだけ、という状況に気づいた瞬間、
胸の奥にほんの少しの「アウェー感」と「場違い感」がよぎった。

“ここにいていいのか?”
“話しかけて大丈夫か?”
そんな迷いが、心のどこかでざわついていた。

けれど同時に、「ここでもがいてみよう」という静かな決意もあった。


そこへ、ひとりの女性がこちらに目を向けた。
なんと、数日前にホーチミンのホステルで見かけたことのある、アメリカ人の女の子だった。
彼女がこちらに気づき、話しかけてくれた。

「ホーチミンで会ったよね?」

その一言が、緊張していた心の扉を一気に開いてくれた。


2人でバーカウンターへビールを買いに行き、テーブルに腰かけてグラスを交わした。
会話はたどたどしく、それでも「話したい」という気持ちだけでなんとかつないだ。

正直、最初は劣等感を感じていた。
英語に自信がない、うまく伝えられない、話についていけない──
でも、そんなことを考えている間にも、会話は進んでいく。

「黙っていたら、何も始まらない」
そう思って、ぼくはひたすらに、言葉を探して、伝え続けた。


やがて、彼女の友人である2人の外国人女性も輪に加わった。
気がつけば、海外美女3人と日本男児1人──という不思議な構図になっていた。

その中のひとり、イスラエル出身の女性がぼくの隣に座った。

彼女はこう言った。

「あなたは、私が初めて話す日本人よ」

それだけで、彼女との会話に少しの特別さを感じた。
さらに、彼女は日本文化──とくにアニメが好きで、日本に好意を持っていた。

アメリカ人女性との会話で感じた劣等感も、
この頃には自然と薄れ、ぼくはリラックスして英語を話していた。


言葉がうまく通じたからではない。
“伝えたい”と思えたからこそ、英語が自然と出てきたのだと思う。

そしてこの夜、イスラエル人の彼女と交わした会話が、
ぼくの価値観を揺さぶるものになるとは──
この時はまだ、知らなかった。

【第4章】イスラエル人女性との対話──命と向き合うということ

バーの灯りが落ち着いてきた頃、
隣に座ったイスラエル出身の彼女と、話題はふと「家族」のことに移った。

「将来、あなたは子どもは何人くらい欲しい?」

そんな何気ない問いから始まった会話だった。
ぼくは、自分なりに真面目に答えた。

「子どもは、できれば3人か4人欲しいかな。
でも、日本では2人が平均的で、それ以上は多い方かもしれない」

それを聞いた彼女は、少し驚いた表情を浮かべた。
そして、穏やかにこう話してくれた。

「イスラエルではね、子どもは多ければ多いほど幸せが多く訪れるとされているの。
だから私は、5人は欲しいと思ってる。」


最初はただの文化的な違いだと思った。
大家族の方が楽しい、にぎやか、というような話なのかと。

でも、彼女が続けた言葉は、ぼくの想像を超えていた。

「理由のひとつは、戦争があるから。
子どもが2人しかいなくて、1人を戦争で失ったら、残るのはたった1人になる。
でも、もし6人いて1人を失っても、悲しみは大きいけど、支え合える家族はまだ多く残っているの。」

その瞬間、胸に重たい何かが落ちてきた。


彼女の言葉は、決して“命を軽く考えている”ようなものではなかった。
それどころか、命の価値と、それが奪われる現実に、
彼女自身が向き合い続けてきたことが伝わってきた。

「これは私の考えのすべてじゃないし、正しいかどうかも分からない。
でも、イスラエルではこういう考え方もあるの。
生まれてからずっと、戦争がある国だから。」

そうやって、彼女はとても丁寧に、勇気を持って話してくれた。


日本に生まれた自分にとって、
戦争は“歴史の中のもの”であり、“遠い国の話”だった。
子どもを持つことはおろか、命を失うリスクとともに生きる人生なんて、
これまで一度もリアルに想像したことがなかった。

だけど、この一夜の対話で、
ぼくは初めて、「命を前提とした家族観」に触れた気がした。


“何人子どもが欲しいか”という問いは、
やがて“人生をどう生きるか”という問いに変わっていた。

言葉はつたなかったかもしれない。
文法も時々間違っていたと思う。

でも、それでもこうして「伝え合うことができた」──
そのことが、ぼくにとっては大きな意味を持っていた。

この瞬間のために旅をしてきたのかもしれない。
そう思えるほど、心が動いた夜だった。


【あとがき】旅は、知らなかった世界と“自分”に出会う場所

旅に出たからといって、人生が劇的に変わるわけじゃない。
旅先で出会う人たちと、数日だけ言葉を交わしたところで、
何かが解決するわけでもない。

でも──
ムイネーで交わしたあの対話は、
ぼくの中に、確かに“ひとつの問い”を残していった。

自分が今、どんな世界に生きていて
他の誰かが、どんな現実を背負って生きているのか。

そして、自分はそれに、どれだけ無関心でいたのだろと。


もしあの夜、英語で話しかける勇気がなかったら。
もし、拙くても話し続けようとしなかったら。
あの対話は、生まれていなかった。

自信なんてなくてもいい。
語彙が足りなくても、文法が間違っていても、
“話したい”“聞きたい”という気持ちさえあれば、人と心は通じる。

それに気づけたことが、
ぼくにとっての、この旅でいちばん大きな収穫だった。


ムイネーの海沿いで交わした会話は、
これから先、何年経っても、ふとした瞬間に思い出す気がする。
それは、知らなかった世界と、自分自身の中にあった無知を知った瞬間だったから。

あの夜のビーチ沿いにある賑やかなで華やかなホステルのバーで人知れず深く考えさせられた。


次回


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