忘れるな、忘れるな。11月5日を忘れるな。
これは映画『V for Vendetta』の1シーン(日本語バージョン)。革命を起こす話なんだろうなとざっくりわかるだけだから、ネタバレというほどでもない。
映画を観る楽しみを奪いとってしまわないように気をつけて書くから、本作を観たことがない人も安心して最後まで読んでほしい。
正直、すごくオススメの作品というわけではないのだが。映画だって小説だって、こんな感じでしょう。

いや、人生全体がこんな感じだと言ってもいいかもしれない。




藤本先生は、まさに、好きこそ物の上手なれだよな。
「11月5日、火薬陰謀事件を忘れるな。1605年に国会議事堂を爆破しようとした男は、本当はどんな人物だったのか。私たちは、人ではなく思想を覚えておくようにと言われている。人は失敗して、捕まることも殺されてしまうこともあるからだ。だが。思想に触れたりキスしたりすることはできない、思想は血を流さないし痛みも感じない、思想は愛さない。私が恋しいのは思想ではなく、1人の人間だ。彼の名はガイ・フォークス」

自分には物語を生み出すことなど到底できないが、英国史上最も悪名高いとされる反乱計画について解説以上の何かをつづってみたい。
直接関係ない話をはさまれたくなかったら、こんなところにいないでWikipediaへ行って。Wikiの情報はなんら浅くなどないが、関係ない話をされたりはしない。
Wikiでは得れない情報まで得たい人と没入感を得たい人のために、書く。
ボンファイア・ナイト(Bonfire = 焚き火)。
英国の人々は毎年11月5日に、焚き火を囲んだり花火を楽しんだりする。パレードが行われ出店が並ぶ。著名人の人形を燃やしたりもする。

ガイ・フォークスという人物の人形を燃やしているのだ。

火薬陰謀事件。こんな物騒な名前の出来事を祝うのか、と疑問に思うだろう。
カトリック教徒の反体制派グループがロンドンの国会議事堂を爆破しようとしたものの、失敗に終わった事件ーーを祝っているのだ。

私の大好きな海外の学者が、テロリズムについてこのように書いていた。
この用語は本来、政府による民衆の弾圧を意味した。政府が武装部隊を派遣し、敵とみなした者たちを逮捕や殺害することを意味していた。ロナルド・サイムによると、マルクス・アントニウスやオクタヴィアヌス・アウグストゥスはテロリストだ。
(サイム氏は、20世紀で最も偉大な古代ローマ史の研究者と評された英国人)
どの時代でも一般人どおしでも、自分にとって都合の悪い存在は、「テロリスト」のようなものなのかもしれないね。あるいは裏切り者。

土地をプレイした場合、裏切り者の都を生け贄にささげる。「我々が戦っている間にイルは降伏した」
このトレーディング・カードの絵、『ボレロ』みたいだな。
複数の過去回の一部を貼っていく。いつメンは読みとばしてもいい。



ちなみに。若い頃からダンテの愛読者だったリストは、『神曲』に描かれている地獄と煉獄の旅にもとづいて交響曲をつくった。第一章 Inferno(地獄)・第二章 Purgatorio(煉獄)。


この間、短い文章でこんなことを書いた。

今までに実体験をまじえて具体的に、日本と米国の大学教育の違いや学生のマインドの違いなどについて伝えてきたため、改めて書くことはしないが。それ系の差の話か、となんとなくわかってほしい。
たぶん、昭和は違ったんだと思う。
私は「昭和は」と言っている。「昭和生まれの人は」とは言っていない。また、全63年間のことをさして言うつもりもない。



特集「反ー哲学 フーコー ドゥルーズ デリダ」
Episteme は、知識や学問を意味する古代ギリシャ語。実際的な精通や熟達を意味する点では、Techne テクネー(技術知)と同義。プラトンの言うところの Doxa ドクサ(臆見)に対する、真知。
フーコーが提唱した「ある時代や社会の根底にあって、人々の思考や知のあり方を無意識に規定している枠組み」をさす言葉でもある。
時代の意味とは時代なんだって感じがする。
自分が言いたいのも、ある時代やある社会のことで。時代Aに生まれた人は時代Bになっても変わらないとか、C国生まれの人はD国に長く住んでも変わらないとは、思わない。


ネットで見つけた、20年前に書かれた文章をお借りする。



『封印』、ささる。あきらかにせよ、あきらかにせよーー今回の内容にもあう。

本当はサムネをこういうのにしたいが。自分の世界に自分が美しいと思うものだけを並べていたいが。のっけからこうしてはあまりにも伝わらないし。この国でこの時代にそんなふうにして生きていかれない。メーターをふりきる手前で減速させてきたから、私は精神的に孤独になったのだと思う。




こんな感じだったらしい。




こちらは数年前に書かれた文章。お借りする。





ネット上で質問に答えていたセンスのある人。
「転移の自我もならわしにすぎぬ」から、哲学をやるという一時の流行のようなものになって、この国ではそれは終わっていったのだろうか。もうお亡くなりになった人たちに言うのではなくて、みんなどこへ行ったの。
何かの映像記録で見たのだが。インタビューに、このように↓答えていた男性もいた。印象的だったから細かく覚えている。私、一方で、こういう話も好きなんだよね。
「大学へ通える連中がやっていたあれね。自分は朝から晩まで毎日働かなくてはならなかったから、また何か騒いでいるなというくらいで、よくわかっていなかった。後になっていろいろと知ったけれども、やはり異国の出来事のようだと思った」

この人/この人たちにとって、彼ら彼女らは最初から存在しなかったというのも、また事実なわけで。
「語るか語らぬかの寸前で放棄する」ススメに従って、これ以上書くのはやめておく。「言葉にすれば嘘に染まる」らしいし。
まず、カトリック教徒の反体制派グループという部分を説明する。
16世紀のヘンリー8世の離婚問題を契機にローマ教皇庁から分離独立した英国国教会は、プロテスタントの教義とカトリックの儀式や組織をあわせもった。(教義上の理由でなく政治的な理由で分離したため)

宗教改革以前には英人口の9割近くで・その後も数多くいたカトリック派は、ほとんどスライド的に、英国国教会に属することになった。
(英国の2020年代の調査では、自分は無宗教派だと答える人が過半数におよぶことも。カンタベリー大主教ジャスティン・ウェルビーの辞任など、英国国教会が危機的な局面/転換期をむかえている話までしていったら、さすがにとっちらかってしまう。書かない)
内心、プロテスタントになるようなものだ嫌だと感じていたとしても。それを表明するのは難しかっただろう。国教に異を唱えたりしたら反体制に見られてしまう。実際、国教会の礼拝を拒む者などは処罰の対象だったし。

ガイ・フォークスは右から3番め。
貴族院(英国の上院)議会の開会式で、国王ジェームズ1世と政府要人らをまとめて抹殺しようと、企てた者たちがいた。中心メンバーは13人。全員が全員カトリックではなかったーーなんてことがあれば、個人的におもしろい!と思うところだが、そこは普通に全員カトリック教徒だった。
彼らは地下に大量の火薬を運びこんでいた。その管理を行っていたのがガイ・フォークスだった。密告があり、彼は捕まった。

国家の敵が逮捕されたことを民に報せる・国王が無事であることを祝う目的で、翌日の夜に、かがり火がかかげられたり・花火があげられたりした。
それが毎年恒例となり、英国の祝日の1つになった。

と、おおまかにはこういう流れだ。
ちなみに。ジェームズ1世の使者が徳川家康に花火を献上した、という記録がある。エリザベス1世(その前の英国王)も花火好きだった。
過去回も使いながら、詳しい解説をしていく。
実は、いつメンはすでにこの事件を何割か理解している。
1603年、ジェームズ1世が英国の王になった。

ジェームズ1世は、ステュアート朝のスコットランド・イングランド・アイルランドの国王になった。彼は、スコットランド女王メアリーとヘンリー・スチュアートの息子だ。
以下でメアリーが複数人出てくるが、最後のメアリーがメアリー・スチュアート。ヘンリーも複数人出てくるが、どれもヘンリー・スチュアートではない。
世界あるある歴史あるあるの名前かぶり問題。いつも私たちにロシアのことをわかりやすくおもしろく教えてくれる、ディアナさんの動画をお借りしておく。






ごめん、メアリーとは書いていなかった。この最後に出てきたスコットランド女王が、メアリー・スチュアートだ。
この映画のキャラクターで見ていくと、この人。



その息子がジェームズ1世。
それぞれの生まれた年と亡くなった年を羅列すると、わかりやすいかもしれない。
ヘンリー8世(1491年~1547年)
エリザベス1世(1533~1603年)
メアリー・スチュアート(1542年~1587年)
ジェームズ1世(1566年~1625年)
ガイ・フォークス(1570年~1606年)
ジェームズ1世の即位が1603年なのは、エリザベス1世が子をもうけずにその年に亡くなったからだ。
メアリーとヘンリーはいとこだが、趣味も気もあい惹かれあっていた。2人が結婚しようとした時(メアリーにとっては再婚だった)、政治的な理由で、エリザベス1世やカトリーヌ・ド・メディシスから妨害された。


ジェームズ1世の前に王位についていたエリザベス1世はプロテスタントで、英国内のカトリックを弾圧していた。カトリック教徒らは、カトリックだった故メアリー・スチュアートの息子であるジェームズ1世なら、自分たちの苦境に同情してくれると期待した。
ところが。彼がカトリックに対して穏健な社会づくりを進めていたと言えるのは、最初の1年程で。カトリックの迫害は続いた。
なぜか。これをひも解いていくことが、ほぼイコール、なぜ火薬陰謀事件が起こったのかを知ることになる。

この段落は、画像や動画を間にはさんだりせずに書いていく。がんばって読んで。
ジェームズ1世は、エリザベス1世のようなカトリックに対して好戦的なプロテスタントではなかった。
分裂してしまったキリスト教世界に統一と平和をとり戻す王・カトリックとプロテスタントの仲介や調停を担う王だと、自認していた。
臣民としての義務を果たすカトリックに極端なことをしない、と明確に述べていたし。実際、国教会の礼拝出席を拒否したカトリックに課せられていた不服従罰を大幅に削った。
彼の妻が、密かにルター派からカトリックに改宗していた(改宗の理由は個人的なものだった)のだが。妻からそれを告げられた時も、政治的に恥ずかしいものにはするなと言っただけだった。これに関しては、「もういい。何でもお前の好きにしろ」という感じに近かったかもしれない。夫婦仲は冷めきっていた。
カトリックに対する彼のこのような容認姿勢を見て、カトリック関係者らが本人も改宗するかもしれないと思ったくらいだった。
(今なら、書いてもわかりやすいだろう。国王がプロテスタントだったのだから、この時に設立された「英国国教会」はカトリックかプロテスタントかあえてどちらか答えるなら、それはやはりプロテスタントだ)
しかし、1604年までに再び不服従罰を採用。1年も経たずに方向転換してしまったわけだが、この行ったり来たりは、外交政策の一環(たとえばスペインに対しての)だったりしたのだ。
マクロな話。関わる他国の行動や様子に変化が見られれば、あるいは他国との関係性が変われば、それに対してとっていかねばならない自国の対応も異なってくる。エリザベス1世が独身のままの自分の方が使えると自分で思ったように、ジェームズ1世も自分の好き嫌いだけでやっていたわけではない。
ジェームズ1世は、政治や教会論や外交政策において信念と目標をもっていた。
この頃にジェームズ1世は、多くのカトリック司祭を刑務所から釈放した。釈放したカトリック司祭らに、国から出ていくように命じた。
カトリックに対して穏健にしていくの?厳しくしていくの?どっちなの?と思うだろう。当時の英国民も今のあなたと同じように、混乱していたに違いない。だって、そうでなかったら、火薬陰謀事件は起こっていなかったでしょう。
いや、国王の真意がわかっても、政府要人を通して話しあいを試みたりせずに、暴力にうったえていたかもしれないが。
いろんな文献を見るに、ジェームズ1世は現実をわかっていた。
カトリック教徒に、良心の自由に対する希望を与えることにはなるだろうが。異端/マイノリティーに対する嫌悪(何が異端かどちらがマイノリティーかは入れ替わっていくが)は、人間の集まりである国に深く根づいていて。多くの人々の自由は認められる可能性が低いと。今この場合、そのターンがカトリックにまわってきただけだと。ある程度はどうしようもないことなのだと。
当時の様子を示した、このような記述が残っている。利害関係の薄い外国の要人によって書かれたもので、信ぴょう性は高いと思われる。
「王と評議会は、国内に本当はどれだけのカトリック教徒がいるか知っているため、聖職者と一般信徒の両方を同時に絶望させたくないと考えている。聖職者たちが追放された後、一般信徒たちはじょじょに圧迫されるだろう」
私が少し説明的に書きかえよう。こうだ。
王と政治家たちは、信仰の自由を妨げられて本当は自分たちに不満を抱いている人々が、英国内にどのくらいの割合いるかよくわかっていた。聖職者だけ追い出したと言うより、聖職者しか追い出せなかったのかもしれない。指導者や保護者を失ったカトリック・コミュニティーは、力のある者を維持しているプロテスタント・コミュニティーに、じょじょに圧迫されていくだろう。国王などが自ら手を下さずとも。
おそらく、これが、彼がとったあいまいに見える行動の1つ(聖職者のみ厳しくあつかい、一般信徒をおだやかにあつかう)の答えだ。
13人のカトリックの男たちは、強い信念をもち続ける人たちだったのか、この国王はまだましだと思えない人たちだったのか。こんなことには決まった1つの答えはない。
ちなみに。ジェームズ1世は、火薬陰謀事件までは、むしろカトリックよりピューリタンを脅威であるとみなしていた。わかる。





どんな場合も極端さを嫌い・美徳のために中道のみを認めている、と彼の著書に書かれている。
王が本を出版していたの?そう。ジェームズ1世は自称神学者みたいな人だったから。どんな本?悪魔学・政治論文・教育論・健康法の本とか。
魔女狩りを正当化するような本も書いていたのだから、「どんな時も中道」などと言ってもその程度だが。
同時代の悪魔関連本で注目すべきは、断然こちらだ。



こんなふうにも書かれている。
私は、宗教における意見の相違のために血が流れることを、決して良しとはしていない。特定の人々の数を減らすことを、残念に思ってもいる。しかし。過度に寛容を与えた結果、彼らが増長し最終的に支配的になるようなことは、絶対に避けたいのである。
正直に書いてあるからわかりやすい。それはそうだよな。
ジェームズ1世は、カトリックの聖職者らが、他の場所で・「彼らの想像上の神」を自由に満喫することを許可したわけだ。
こんな記述もある。
カトリック教会は多くの病気と腐敗を抱えているが、それでも私は、母教会として尊重している。私は、偽りの教会の確実な特徴の1つとして、迫害があったことを認識している。
個々人のカトリック教徒に向けてと言うよりも広くカトリック教会(プロテスタントからしたら古いキリスト教)に向けて、迫害されたくない?おまいう!自分はあなたがたほどひどいことをあなたがたにしないぞ。と書いていた。
わかる。
まとめる。
火薬陰謀事件以前の、ジェームズ1世のカトリック教徒に対する姿勢の、より慎重な解釈。
カトリックに対するジェームズ1世の対応は、あいまいだったり矛盾したりしていたのではなく、あいまいだったり矛盾したりしていしたように見えていただけだったのだ。
ロバート・ケイツビーというカトリック教徒が、国王暗殺計画を企てはじめた。失望したカトリック教徒たちの中に、ケイツビーがいたということだ。ジェームズ1世を亡き者にし、カトリックの君主を立てることを目論んだ。
ミナゴロシにしたところでそうはならんやろ・君にそんな力はさすがにないだろ、というのは言わないでおく。言ったけど。

フォークスは、単独で行動したわけでも首謀者だったわけでもない。ロバート・ケイツビーを筆頭とする13人組の1人だった。彼は、この計画を実行するのに必要不可欠な、爆発物の専門家だったのだ。

火薬陰謀事件の代名詞が爆発物の専門家ーーある意味これでいいと思いもする。
真っ先に捕えられたフォークスは、自らの本名を明かすまでも、筆舌に尽くし難い拷問に丸2日耐えた。仲間が全員死亡したか逮捕されたという事実を知ると、事と次第を語りはじめた。
英国議会の上院である貴族院の議会開会式は、(それまでどおり)ウェストミンスター宮殿で行われる予定だった。

ピーターパンの時計塔のモデルだ。




イントロに用いた映画のセリフをもう一度。
国会議事堂を爆破しようとしたのは、本当はどんな男だったのか。思想に触れたりキスしたりすることはできない、思想は血を流さないし痛みも感じない、思想は愛さない。私が恋しいのは思想ではなく1人の人間。
彼らに対して、暴力はダメだとは言うが、大人になれよなんて私は言わない。
フォークス逮捕の一報を受けたケイツビーは仲間とともにロンドンを脱出し、プランBのあるミッドランズへ向かったのだが、支援者や協力者はもはや得れなかった。
中心メンバー以外、そこまで熱意を抱いていなかったのだろう。ジェームズ1世はまだましだろうと思うような「まとも」な人たちだった、とも言える。
(暗殺計画を密告した匿名の手紙については、カトリック教徒だが王室に忠誠を誓っていた人物宛ての書簡に、議会開会式をさけるよううながす内容が書かれていたのだが。その人物の兄弟が送ったというのが最も有力な説で、少なくとも13人の内から裏切り者が出たのではない)
数百人からの部隊にアジトをとり囲まれ、ケイツビーは射殺された。死ぬ間際、這って聖母マリアの絵をにぎりしめに行ったらしい。
大罪を戒めるため・民衆への見せしめのため、公の場で彼の遺体から改めて首が斬り落とされた後、それはロンドン橋の鉄の杭に「飾られた」。

残りの共謀者たちも反逆罪で死刑になった。彼らの遺体は処刑後にバラバラにされ、「王国の四隅」へと送られた。反逆の考えを抱く者への警告として、ずっとさらされていた。
フォークスの人形が現代でも毎年「火あぶり」にされていることの、本当の怖さが伝わるだろうか。
英国ではかつて(1959年まで)、ボンファイア・ナイトを祝わないことは違法だった。火薬陰謀事件の失敗を祝わないことは違法だった。
人類あるあるで。人々は、ロバート・ケイツビーを忘れ去り、ガイ・フォークスの表層だけを残して、火遊びに興じていた。
ほとんど失われていた意味を呼び戻したのは、1980年代のグラフィック・ノベル『Vフォー・ヴェンデッタ』と2005年の同タイトル映画だった。現代人の創作のおかげで、お祭り騒ぎに本質が戻ってきたわけだ。

冒頭ではこの話をできなかったから。作品、ごめん。製作者さんたち、ありがとう。
仮面をまとったアナーキスト自由主義者が、ネオ・ファシスト政権と戦う物語。このマスクが、専制政治への抗議のシンボルとして用いられるようになった。

そして、理念はどんな攻撃にも耐え得る。
世界を変えるはずだったのに失敗に終わった計画。これが他人事に聞こえるか。まるで私たちの半生のようなのではないか。




「仮面をつけた男に誰かとたずねる、矛盾」「それもそうね」
壁のポスターにVの字を刻み「私のことはVと呼んでほしい」
「私はイヴィー」
「では君はEVだね」
「まぁ、そうね」
「私の父は作家だったのだけれど、あなたもきっと彼を好きになったと思う。芸術家は真実を伝えるために嘘を使い、政治家は真実を隠すために嘘を使うと、よく言っていたから」
「まさに私の理想とする男性だ」
アマプラで観た。原作もまたいいね。King Gnuの曲も相変わらずいい。
「俗悪メディアに洗脳されながら任務を果たさず福祉を喰らうか。復興の遅れる国々を犠牲にして。お前にだってゴーストがあるだろう。脳だってついている。電脳にもアクセスできる。未来をつくれ」
珍しく〆に自分の話をする。数ヶ月前のことだが妙に記憶に残っている。
電車で私の前に立っていた大学生の男女のグループ。オシャな格好と髪型をした男性の1人が言った。「俺らが好きなのは哲学だよ」(複数形で言っていた。横にいる友達か他に仲間がいるのだろう)女性の1人がそれを茶化した。その子は愚鈍ではあったが、女だから勘はよかったようだ。おとずれた静寂や相手の表情に、ヤバいと感じとったのだろう。すぐさま巻き返しをはかっていた。けれど、時すでに遅しだった。いや、時間ではなく内容が、言ったら終わりのものだったからだが。男性の方の気持ちが手にとるようにわかる。彼は彼女を見下しはしない。モブキャラ行き・人物から背景に変わるだけで、見下すわけではない。本当の話などせずに、適度に関わっていく。
