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【短編小説・#noteでBL】 星々の導くところ(後編)

本作は前後編になります。ぜひ、前編からお読み頂けると嬉しいです。
前編はこちら↓


翌日は、打って変わって荒天となった。

朝は砂嵐が吹き荒れて身動きが取れず、昼を過ぎてようやく風が静かになった。

嵐が去るのを待つ間、アデュも私も何も言わず、ただ穴の奥で身を潜めるばかりだった。体を寄せ合うことはなかったが、すぐそばにある生き物の体温を、私は感じていた。

凪の時が訪れると、私たちは岩の窪みから外へ出て、留めてあった砂馬の鞍から砂塵を払い、旅のルートへと戻った。行き先は、アデュが心得ていた。

「ここを少しだけ南へ、それから後は再び東へ進みます」

私は彼の言葉に頷き、後ろから砂馬を走らせた。

「昨夜はよく眠れたか、アデュ?」

私が問うと、アデュはこちらを振り返ることなく答えた。

「ええ…サイファ様も、よく眠っておられました」

「お前が寄り添っていてくれたおかげだ」

「なら、良かったです」

ともに一夜を過ごしても、アデュの態度に変わりはなかった。風を掴むような取り留めのなさを、私は手の平に覚えた。結局、彼の笑顔を引き出すことに一度も成功していない。無垢な顔で、安らかな寝息を立てていたアデュを思い出しながら、私は砂馬の手綱を強く握った。

「想い人のことを、お前たちの言葉で何と言う?」

「想い人…?」

「恋人のことだ、アデュ」

「…そのようなものを指す言葉を、僕たちは持っていません」

「そうか…」

自分でも、何が聞きたかったのか分からない。一体、どんな答えが得られれば満足だったのか。それから先は、ただひたすらに、自分の目的に集中するように努めた。私はイル・ド・フォボスの鉱脈を突き止めるために、ここにいるのだ。アデュは、それを果たすための導き手に過ぎない。

砂原に吹く風は、シティのそれとは異なり、ひどく乾いていた。

いくつか大きな砂丘を越えた頃、アデュが不意に振り返って言った。

「バイロン」

「…?」

「さっきの問いの答えです、サイファ様。ほら、想い人のこと…」

「ああ、やはり呼び名があるのか?」

「もしかしたら、日の国の言葉とは少し、趣きが違うかもしれないけれど」

「どういう意味だ」

なるべく穏やかにきこえるよう注意を払いながら、私は尋ねた。アデュは、砂馬の手綱を握る手を緩めることなく、前へ向き直りながら私の問いに答えた。

「運命の相手、という意味です、サイファ様」

***

何かを信じるのをやめたのは、いつの頃からだっただろう。

父が家を出て行き、母が病み、一人で生きる力を身につけざるを得なくなったときからだろうか。私はあの頃から、心の中に一つの月を飼い始めた。自分の中心だけを永遠にぐるぐると回る、冷たい月を。

アデュは——レイナスの民は、持たざる者でありながら、本当に大事なものを持っている。神を信仰する心。運命を信ずる心。それが彼らを、孤独から救っている。

私は孤独だ。

「今日はここで休みましょう」

アデュの星読みは、恐らく完璧に近かった。

彼は、意識的に悪路を避け、効率良く砂馬を走らせるための「道」を選び、私を導いていた。二日、三日と時間は過ぎていったが、私はほとんど疲れを感じなかった。日が暮れる前に、彼はレイナスの民だけが知る休息場へと、私を案内した。

いつしか、寄り添って眠ることが、私たちの習慣になった。それは、砂原の冷たい夜を乗り切るための知恵なのかもしれなかったが、すぐそばに感じられる彼の体温は、私を確かに安らがせた。

アデュの寝息をきくとき、私の中の月は、一時的に回るのを止めた。

「夜…は?」

「リヒト」

「星は?」

「ゾーラ」

「おやすみ、を何と言う?」

「…それは、僕たちの言葉にはありません」

彼と夜をともにする度、私はレイナスの言語を一つ一つ覚えていった。言葉を知ることは、その民族の心を知ることにほかならない。いつか、彼らの扱う言語を完全に覚えたら、私はアデュの感じているものを、見ている世界を、知ることができるだろうか?

その逆は?

「好き、は何と言う?アデュ」

道のりの半分を越えた頃、私は岩山に穿たれた穴の中で横たわりながら、彼にそう尋ねてみた。久々に、月の見えない夜だった。

「それは、どのような感情でしょうか…?」

「…バイロンに、自分の想いを伝えるとき、お前たちはどんな言葉を口にするのだ?」

「バイロンには、何も言わずとも想いは伝わります。言葉を必要とするなら、それはバイロンではありません」

「なるほど」

私は、上半身だけを起こし、アデュを見下ろした。闇の中で、彼がわずかに身じろぎするのが分かった。

「私たちはこう言うのだ、アデュ。愛している、と」

「あいしている…」

「そう、想いを伝えることが、愛情表現になることもあるのだよ」

「あいしている」

アデュは、その言葉を呪文のように呟き、静かに瞼を閉じた。私は、彼の髪から漂う砂の香りを吸い込み、アデュが発した言葉の残響を、いつまでも耳の奥に感じていた。

”あいしている”

愛している。

***

「今日は休まずにもう少し進みましょう」

キャラバンを発って五日目——砂原の乾いた風に慣れた頃、アデュが私の方を振り返りながら言った。砂丘の向こうに、巨大な影が見え隠れし始めていた。

「近いのか?」

私が問うと、アデュは影を指差しながら答えた。

「はい、あれが僕たちの目指す場所です」

「今夜の宿は死火山の麓か」

「いえ」

銀色の髪をなびかせながら彼は言った。

「麓ではありません、サイファ様。死火山の中です」

目的地が近い。そのことが、どういうわけか私の胸を必要以上にざわつかせた。イル・ド・フォボスの鉱脈を探り当てる。その任務を無事に果たせそうだという興奮は、何度さらっても心の中に見当たらなかった。その代わりに、私は、シティを発つときに捨てた花の香りをふっと思い出した。

バイロン——運命の相手。

「死んだ山の中で見る夢はどんなだろうな、アデュ」

私は、胸のざわめきを振り払うように笑顔を作り、前を行くアデュに話しかけた。砂馬の蹄の音が、心臓の高鳴りに重なった。

「夢…」

「そうだ、レイナスの言葉で夢は何と言う?」

「モルフォ」

「モルフォ、不思議な響きだ」

「夢を、見てはいけません…サイファ様」

アデュは、不意に硬い声を出してそう言った。振り返らずとも、彼の表情が強張っていることは、容易に想像できた。

「どういうことだ?」

「レイナスの古い言い伝えに、こんな言葉があります。夢は——死の国からの呼び声だと…」

「死の国からの呼び声…」

「はい、だから僕たちは、夢を見たらすぐにその内容を忘れます。誰かに語ることも、ありません」

無垢な表情で寝息を立てるアデュの顔を、私は脳裏に蘇らせた。彼は、一体どんな夢を見るのだろう。語られずに消えていった夢は、一体いくつ、あるのだろうか。そして、それらを知りたいと思う私の心は、どこへ向かっているのだろう。

太古の火山灰から生まれた赤い鉱石が、決して交わり得なかった二人の人間を引き合わせている。

「昨夜は夢を見たか?」

意識的に明るい声を出しながら、私は砂馬の手綱を握る手を強め、アデュに並んだ。アデュは、こちらを見ようとせず、前を向いたまま、静かに首を横に振った。

「僕は夢を見ません、サイファ様」

「一度もか?」

沈黙。やがて、美しい横顔が微かに歪んだ。

「見たとしても、そのことを誰にも話しません——」

***

半刻ほど砂馬を走らせ、辿り着いた死火山は、まるで龍の亡骸のようだった。

アデュは、慣れた様子である一角へ私を導くと、灰色の岩肌に刻まれた裂け目の中へと体を滑り込ませた。少し躊躇った後、私も彼に続く。暗闇に目が慣れると、そこかしこで赤い光が瞬いているのが目に入った。それらが、全てイル・ド・フォボスだと理解するのに、私はしばらくの時間を要した。

奇妙な眺めだった。

時が止まったような死んだ山の中で、まるで生命の火のような赤い色が煌めいている。闇に浮かぶその光は、夜空に散りばめられた星々の輝きにも似ていた。かなり長い間言葉を失った後、私は横に立つアデュの方を見て言った。

「このようなものを見たとき、お前たちはどんな言葉を使う?」

「…よく意味が、理解できません」

「美しいものを見たとき、お前なら何と言うのか問うているのだ」

「イディス…」

「イディス、か。これはまさしく、イディスだ」

私は、アデュの目を見て、もう一度その言葉を呟いた。

「イディス」

アデュは、私から視線を逸らし、自分も同じように、吹き抜けになった死火山の洞窟の壁面に目をやった。

「アデュ、聞いてくれるか?」

私は、彼の横顔を見つめながら言った。

「何でしょう、サイファ様」

「私は昨夜、夢を見た」

「…!」

アデュが、驚いた表情でこちらに向き直る。いつか競争をしたときに垣間見たあどけなさが、そこには宿っていた。

「いけません、それを話したら——」

「いいから聞きなさい」

私は、大きく見開かれた鳶色の瞳をじっと見つめながら、静かに言葉を続けた。

「その夢の中で、アデュ。私はお前を、抱いていた」

「サイファ様…」

「赤い光に包まれて、私たちはとても幸福だった。私はこれが、正夢になればいいのに、と強く願った」

「…」

「アデュ」

私は、俯いてしまった彼から目を逸らさずに、その名を呼んだ。

「私と一緒に逃げてくれるか?」

暗闇の中で、アデュの体が静止する音がした。

「どういう、意味ですか?」

「文字通りの意味だよ、これを見てしまった以上、私は早晩、殺されるに違いない」

「分かりません、説明を…」

「こんな莫大な富を、王国が放っておくものか。秘密は、知る者が少ないほど強固になる。恐らく彼らは、お前たちも皆殺しにするだろう。もしかしたら——すでにキャラバンへ草を放っているかもしれない」

「そんな、長老は、あなたを信じて…」

「お前たちが自らの理に従って生きているように、日の国の人間もまた、日の国の理に則って生きている。悲しいが、それが真実だ」

私は、言いながら自分の唇が腐ってゆくような気がした。アデュの瞳が、光を受けて真っ赤に輝いている。しばらく黙った後、アデュは何かを諦めたような顔つきで、わずかに首を傾けた。

「それなら」

アデュは言った。

「僕も全てを、話しましょう」

彼の体に巻きつけられた朱色の布から、短い刀が落ちて、からん、と冷えた音を立てた——

***

「この短刀は?」

私は、地面に落ちた刀を見つめながら、言った。アデュの華奢な体に似たその細い刃は、イル・ド・フォボスの光を受けて赤く煌めいた。まるで、すでに誰かの血を吸ったかのように。

「あなたを殺すためのものです」

アデュは、すっと息を吸い込むと、静かにそう答えた。

「私を?」

「ええ、サイファ様。レイナスの理も、あなたがたの理も、そう違いはないようです」

「最初から、私を葬るつもりだったと…?」

「少なくとも、レイナスの民はそう答えを出しました」

私は、しばし黙り込み、それから込み上げてくる笑いを抑えきれなくなった。狂ったような笑い声が、死火山の洞窟の中にどこまでも反響した。アデュは、そんな私を、いつものまっすぐな眼差しでじっと見つめていた。

やがて、私の笑いがおさまると、彼は再び声を発した。

「僕はいつでも、この刃であなたを貫くことができました。あなたはあまりに、無防備だったから…最初の晩、僕があなたの寝顔を見ていたと言っても、あなたは何も察しなかった」

そうだ、確かに彼は言っていた。

”ええ…サイファ様も、よく眠っておられました”

「僕は毎晩のように、この刃をあなたの喉元に当てました。けれど、あなたはひどく安らかに、眠っていた」

私は地面に落ちた短刀とアデュの瞳を交互に見つめながら、彼に尋ねた。

「何故殺さなかった」

「…分かりません、でも…」

「でも?」

「もしかしたら…あなたは僕の、バイロンなのかもしれません」

アデュは、私を見つめ返しながら言った。私は、返す言葉が見つからなかった。

「あなたが何も言わなくとも、僕はあなたの気持ちを理解できました。多くを語らなくても、あなたが僕を…」

「お前を?」

「その…好き、だということを」

アデュの顔が、不意に赤く染まった。それは、鉱石の光を受けたからではなかった。その表情は、私を自惚れさせるに十分なものだった。

「それで、お前はどうなんだ?」

私は、なるべく真剣にきこえるように、ゆっくりと彼に尋ねた。アデュは、首を横に振り、「分かりません」と答えた。

「あなたが全てを話してくれたから、僕も刃を捨てました。何故そうしたのか、理由は分からない。でも、運命に理由は必要ありません」

「アデュ…」

「この短刀をどうするか、あなたが決めてくれますか?サイファ様」

アデュはそう言って、再び私をじっと見つめた。私はそのとき、不意に悟った。彼はずっと、笑っていたのだ。表情には出さなくとも、言葉にはしなくとも、彼の心は私に、微笑を返してくれていたのだと。闇に瞬く赤い星々が、その秘密を、私に語りかけていた。

私は、地面に落ちた短刀に屈み込み、それを拾った。そして、アデュの不意を突き、刃を彼の喉元に突き立てた。

「サイファ、様?」

太古の火山灰の欠片が、パラリと岩肌から落ちる音がした。

「冗談だ」

私は彼に目配せをした。

アデュは、何度か瞬きをしてから、今度は本当に、私に向けて笑顔を見せた。

その輝きは、幾千の赤い光にも敵わなかった。星々は、確かに正しい場所へ、私を導いてくれたのだ。

旅の始まりは、これからだった。


引き続き、なみ様の素敵な企画「noteでBL」のお題開放に乗っかって書いたものになります。前編と合わせて読んでくださった方々には感謝しかありません。もちろん、お題を提供してくださったなみさんにも!
どうも有難うございました!

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