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G28_解けるのに使えない。数学にある「別の力」

数学は得意でした。

でも、ある先生の授業を見て気づきました。

解ける力と、日常とつなぐ力は、少し違う。



ある授業参観での違和感

他の先生の数列の授業を見る機会がありました。

その先生は、当たり前のように日常の具体例を出してくれる。貯金の積み重ね、ポイントの増え方、借金の膨らみ方。生徒がぐっと前のめりになる場面がありました。

帰りながら、ひとつの疑問が残りました。

あの例は、どうやって思いついているんだろう。

調べれば出てくる。参考書にも載っている。でも自分から、自然に、あのタイミングで出てくるかというと、そうはいかない。

数学の内容は理解できる。解法も整理できる。でも「日常の出来事を見て、これは数列だ」と気づく感覚は、また別のものでした。


「数学ができる人」と「日常で活かせる人」は、少し違う

こんな分け方があると思っています。

数学ができる人は、

  • 定義や定理を理解できる

  • 問題を解ける

  • 抽象の中で処理できる

整った世界の中で強い。

日常で活かせる人は、

  • 現実の出来事を「構造」で見る

  • 何が一定で、何が変わるかに気づく

  • 数学と現実を行き来できる

現実と数学のあいだを動ける。

後者は前者の「上位互換」ではありません。

格闘技の型は完璧なのに、路上だと動けない選手みたいな話です。

少し別の力です。

自分自身は数学が得意でした。でも、日常の出来事を数学の目で見る力は、別途育てないといけないものだった。教員になって、そのことに気づきました。

数学が得意な人でも、ここは自然には身につかない。「できる人は勝手にできるはず」と思わない方がいい、と今は考えています。


日常と結びつく授業は、雑談じゃない

よく誤解されることがあります。

日常と結びつく授業 = 身近な話を入れる授業という誤解です。

違います。

日常の話を入れること自体は手段であって、目的ではない。大事なのは、その話を通して何を見せるか、です。

  • 何が同じように増えているのか

  • 何が割合で変化しているのか

  • どこに規則があるのか

これを生徒が自分で見えるようにすること。それが「日常と結びつく授業」の本質だと今は考えています。

雑談を足すだけでは、生徒の中に残らない。構造を見せることが大事だ。


数列で見えること:「なんとなく増える」から「こう増える」へ

どの単元でも同じ考え方が使えます。今回は数列を例に、その構造を具体的に見てみましょう。

現実の中には「少しずつ変わるもの」がたくさんあります。数列はその変化を、ただ眺めるのではなく、パターンとしてつかむ学びです。

数列の構造を一言で言うと、こうなります。

変化の規則を見抜き、式でつかみ、先を読む。

① 見抜く
数がどう変わっているかを見る。同じ差で増えるのか、同じ割合で増えるのか。バラバラに見える数字の裏にあるパターンをつかむ。

② 式にする
見つけた規則を、一般項や漸化式で表す。変化を毎回手で追わなくてよくなる。

③ 先を読む
式を使えば、第n項や総和が求められる。今見えている範囲を超えて、先の状態まで考えられる。

「なんとなく増えている」を「こう増える」と言えるようにするのが数列。

これが、数列の本当の意味だと思っています。


「調べて使えばいい」では終われなかった

実は、この違和感は昔からのものでした。

他の先生が日常の例を自然に出しているのを見るたびに、「どうやって思いついているんだろう」と思ってきた。自分なりの解決策はあって、参考書やネットで調べて、使えそうな例を探す。それで授業には使えます。

でも、何かが引っかかっていました。

調べた例は使えるが、自分で生み出せない。

地図を持って歩けるのと、土地勘があるのは、少し違う。

それ以上に、「現実の出来事を見て、これは数列だ」とパッと気づく感覚が自分にはない。それが嫌でした。道具を借りているだけで、力はついていない感覚。

ひとつのことが見えてきました。

ある章で学ぶことを構造化する。そして、日常のどんなことにその構造が当てはまるかを自分で考えてみる。この癖さえつけば、自然と力は育つ。

やってみると、確かにそうでした。

構造が先に見えていると、日常の出来事を見る目が変わる。「これ、等比的に増えてるな」「ここに規則がある」と気づく。調べなくても出てくるようになる。感覚さえつかめれば、あとは普通にできる。その手応えが出てきたのが今年です。


借金と利息で実感してから、数式へ

だから、授業の入り方も変えました。

以前は教科書の例をもとに説明していました。生徒はうなずく。でも、ピンときているかというと、正直わからなかった。

今年は、最初に借金の話をします。

100万円を借りて、毎月2%の利息がつくとしたら、10年後はいくらになっているか。まず電卓で計算させます。

1か月後は102万円。2か月後は?
102万円に2%がかかるので、104.04万円。

ここで気づくことがあります。

増える量が、毎月少しずつ大きくなっている。

「2万円ずつ増えているんじゃないの?」と思っていた生徒が止まる瞬間です。ここで一定なのは差ではなく、1.02をかけるというルールです。

実感を持ってから、式を見せます。

$${a_{n+1}=1.02a_n}$$

これが漸化式です。そして一般項は、

$${a_n=100 \cdot 1.02^{n-1}}$$

式を先に出していたころと、受け取り方が変わりました。

「あの電卓で確かめていたのが、これになったのか」という顔をする生徒が増えた。式が、ただの処理ではなく意味のある操作になります。


この違和感は、自然だった

「数学は得意だったけど、日常ではなんか使えなかった」という感覚。

これは、ある意味で自然です。

学校数学はどうしても「解けるようにする」ことが中心になる。それは必要なことで、間違ってもいない。でも、そこだけでは身につかないものがある。

現実を数学の目で見る感覚は、意識して育てないと育たない。

数学が得意だった人でも、そこが弱いことがある。自分がまさにそうでした。

だから、その感覚がないことを責める必要はないと思っています。別のことを鍛えていなかっただけ。今からでも、鍛えられる。

単元の構造を先につかみ、日常の出来事でそれを確かめてみる。この順番だけで、数学の見え方はずいぶん変わる。学校を出てからでも、できることです。


人生の限りある時間を大切に。シンパクト和 でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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