『選ばれる人』第十六話(全十六話)
第十六章 ネバーエンド
このワールドカップにおいて、藤堂が率いた代表チームは歴史的な好成績と大いなる経済効果をもたらした。
しかし、
「ケチがついた」
と本郷は不機嫌だった。
ただ同時に、おしなべて注目された代表チームのスキャンダルにしても、結果的には本郷の思惑どおり「心あるファン」を自認したがる新たな固定客を生み出すことに成功したので、内心では相応に満足していたのだ。
しかし、本郷は頑なに不機嫌なままで数日間をすごした。
そして契約満了の名のもとに、藤堂を代表監督から解任した。
クラブチームに出資している各企業は、本郷よりもわかりやすくワールドカップの結果を歓迎した。
資本力の豊富なスポンサー企業は、競技人気の上昇にあわせて広告代理店の見積書に示された金額換算でしかない「宣伝効果」という漠然とした価値を超えた、競技自体がもたらす「直接の利潤」と「その中長期的な成長」が見込める優良事業としてクラブを展開させるための舵を取る。
秋からのまたはじまるプロリーグに向けて、今度はスター選手の争奪戦がはじまったのである。
多岐川は日本を離れることになった。
昨シーズンの国内リーグを制覇した強豪クラブでは、破格の条件提示からはじめて、最後には「熱心なファン」を巻き込んだ感情的な脅しや賺しまでして実力と人気を兼ね備えた絶対的エースの残留に手を尽くしたが、多岐川を引き留めることはできなかった。
多岐川の移籍先に決定したのは、同じ海外組とはいえ、松岡や真鍋、新田たちの所属するクラブチームとはくらべものにならない世界最高峰のビッククラブのひとつだった。
とはいえ、多岐川にとって海外リーグのビッグクラブ移籍の栄誉など実はどうでもいいことだった。
『しばらくはこの国を離れたい』
ワールドカップで骨身に染みた徒労感が、日本を離れ海外に移籍する動機のすべてだったのだ。
『本当だったら、もう辞めたい。でも、辞められない……』
協会監修のもとでワールドカップを総括する原稿を執筆中の星野が、渋井が統括するスポーツ番組の後援を受けて、本郷会長直々の口添えとともに、今後一年間の海外密着取材を申し出たが、多岐川はこれを断った。
「第二の今泉になるなよ」
本郷はそういって多岐川を送り出した。
藤堂と同様に任期満了としてヘッドコーチの任を解かれた安部は、40歳にして現役復帰を決断した。
ワールドカップ開幕戦での勝利を体感した目も眩むような衝撃と感動が、(人から失笑されてもなお)震える背中を押した。
古巣の強豪クラブはおろか、一部リーグのクラブからのオファーはなく、安部のネームバリューと、豊富な経験を欲しがった二部リーグのクラブからようやく声をかけられた。
そのつもりはなかったが、やむなく「コーチ兼任」というクラブ側の条件を承諾して、安部は再び選手となった。
多岐川と同じクラブチームだった花井と小早川は、大幅な昇給と、複数年契約を了承して残留した。
花井は(口にはしなかったが)身近にいた多岐川と比較した自分の才能に限界を感じて残留した。
小早川は(口にはしなかったが)海外に自分を身売りをするには時期尚早と判断して残留した。
ついぞ海外への興味を示していなかった多岐川の流出という大誤算に狼狽しながらも、国内随一の資金力を誇るクラブのフロントは、ワールドカップ後に掲げた「代表チームより強いクラブチーム」をつくるという野望を諦めなかった。
これまでは対費用効果が疑問視され、敬遠されていた外国人選手の獲得に本腰を入れる。
まず、ワールドカップ自国開催で起こったブームによって、大会期間中にスポットライトを浴びた海外のスター選手の人気が高まっていた。
また、実際にその地を踏んだ経験が、オファーを受ける選手の、遠い異国に対する漠然とした不安を軽減させた。
結果としてクラブはワールドカップの優勝と準優勝に貢献をしたふたりの外国人スター選手の獲得に成功し、国内以上に海外メディアを仰天させた。
国内メディアは、海外の過激な反応を伝えるかたちで(クラブと選手双方から何度も強調して口にされた)「誠意」が通じた移籍実現の「快挙」と、誠意の一部である金額的「暴挙」を話題にした。
クラブが獲得に成功した選手は、所属している海外リーグや代表チームでは「恋人」「至宝」と呼ばれている新旧のビックネームで、「暴挙」として報じられた非常識な契約内容を含めて、かの本郷をして「海外から、顰蹙を買わなければいいが」と言わしめた。
クラブのフロントは動じなかった。
「今ここで、ライバルクラブの追随を許さないような圧倒的な実力と人気を兼ね備えたチームをつくり、国内リーグの盟主となれば、そのブランド価値でこの先十年、競技人気の拡大如何では二十年の地位の安泰、つまりは利益の寡占が見込めるのだ。
できることなら強引と言われてもやる。次のシーズンが勝負だ」
と息巻いた。
大補強の仕上げの照準は、椎名に定められた。
どんな大スターであれ、外国人選手は所詮「助っ人」にすぎず、チームの大看板に据えることはできない。多岐川に代わる主役の座にふさわしい人材は、椎名しかいなかった。
年齢的に今後長きにわたる活躍は期待できない。
しかし、不死鳥としてワールドカップという世界最高の舞台で蘇り、代表チームをベスト8まで導いたキャプテンとしての商品価値は、(現状では)多岐川のそれを超えていた。
「少なくとも二三年なら、椎名が多岐川の抜けた穴を埋めてくれるだろう。その間に次なるチームの看板を探せばいい。
力尽きる椎名と入れ替わりに、海外修業に飽いた多岐川が復帰するという展開も考えられないことではない」
多岐川には及ばないものの、スポーツ新聞を賑わせるには十分な交渉条件を用意して、クラブは椎名獲得に乗り出した。
昨シーズンまで二部リーグでプレーしていた椎名の推定年俸は、さまざまな皮算用を加味すると、移籍することで100倍になると報じられた。
一部昇格を果たしたばかりで、場合によっては一年で再降格する可能性も高い椎名の所属クラブとしては、チームを牽引するエースの放出による打撃は計り知れないものだった。
が、クラブ側にも「予感」はあった。
代表復帰を手放しで祝い、大いに健闘を祈ってワールドカップに送り出したのちに、椎名の予想以上の活躍が世界中に報じられるのを目にしたクラブのフロントは、公言できない複雑な思いを抱える日々を送っていたのだ。
契約期間中で保有権のあるクラブとして、
「椎名には悪いが、そう簡単に移籍は容認できない」
と思うばかりだった。
「ご希望の額を用意いたします」
移籍金交渉の席で強豪クラブから直言され、肩肘を張っていた弱小クラブ経営陣は逆に途方に暮れた。言葉が出なかった。
至極短時間の初回交渉を終えると強豪クラブは早々にメディア取材に応じ「移籍金については先方に一任しました」とこたえる。
良識が問われるのは、弱小クラブの側となった。
悲願だった一部昇格を果たして勇退した前監督のあとを継いで、来季からの監督就任が発表されたばかりの柏木が、椎名を監督室に呼んだ。
ワールドカップでの好成績を振り返りながら、椎名は柏木の監督就任への祝意を述べ、柏木は椎名の体調を気づかう。
「大丈夫です。もう足の古傷が痛むようなこともありません」
椎名の返事を心から喜び、柏木は本題に入った。
「個人的なことを言うと、このクラブチームの監督を引き受けたいちばんの理由は、そこに椎名という選手がいるからだった。
昇格の原動力として、昨シーズンの椎名はすごかったよ」
二部リーグの試合にも頻繁に顔を出していた柏木は、未来のある選手や、ピークをすぎた選手のよき相談相手でもあった。
椎名も然りで、むしろ二部リーグで雌伏していたころに、柏木との関係はより近しくなっていた。
「一部昇格が決まってまもなくオファーをもらって、椎名を擁したチームで戦えるなら面白いと思って引き受けたんだ。
だから、ワールドカップ直前の代表復帰も嬉しかったし、さすが藤堂さんだと思った。でも正直、椎名があそこまで活躍するとは思わなかったな」
柏木は楽しそうに笑い、椎名も笑った。
柏木が続ける。
「強豪クラブが獲得に乗り出してくるのは当然の話だよ。まだ正式決定ではないけど、さすがにクラブも移籍を容認すると思う。
いっしょに戦えなくなるのは残念だけど、椎名に期待する一個人として今は素直におめでとうと言いたい。
こっちは置き土産にしてもらう移籍金で新しいチーム構成を考えるよ」
新監督として(本音を伝えながらも)潔く椎名の前途を祝い、あとは余談に花を咲かせようと柏木は姿勢を寛げた。
柏木の話を聞き終えた椎名は、表情を硬くして、遠慮がちに言葉を区切りながら言った。
「あの……、移籍金との兼ね合いもあると思いますが、もし監督やフロントの方々が、それでも自分を必要だと思ってくださるなら、自分としては、来シーズンもこのチームでプレーをしたいと思っているんですが……」
「……え?」
思いも寄らぬ言葉を聞いた柏木は、座っていたソファーから体が摺り落ちんばかりの状態になって椎名の顔を見上げていた。
柏木の心に火がついた。
移籍金をいくらにすべきかと議論を続けていたクラブのフロントは、柏木の報告を受けて大いに困惑する。
椎名の真意がつかめなかったからである。
「チームへの愛着と考えていいのか」
「選手の入れ替わりが激しい強豪クラブに不信感があるのでは」
「チームは違うが、もともと椎名は強豪クラブのエリート選手だ。
サバイバルには慣れているだろう」
「時代が違う。それにそのころは若くて絶頂期にある自分が不当に扱われる心配をする必要などなかった。
しかし今は、どうしても年齢的な不安は否めない」
しきりに訝しがるフロント陣に柏木は声を荒げた。
「みなさん、今は首をひねるところではありませんよ。感動すべきところです。椎名は100倍にも跳ね上がる年俸を蹴って、このチームに残りたいと言ってくれたんですよ。
怪我の影響でプロ化以後一部リーグで活躍できなかった椎名には、高収入を手にする機会はありませんでした。だから貯金なんかないでしょう。
金の問題じゃないとうそぶける現実的な余裕のない椎名が、金の問題じゃないという決断をしたんです。
期待されるどころか、もはや戦力外と見限られて、どのクラブからも無視されていたいちばんつらかった時期に拾ってもらった恩義を感じているとも言っていました。
選手にもよりますが、椎名の場合はプレーできないつらい時期をすごしたこともあって、一年でも長く充実した現役生活を続けたいという切なる思いもあるのでしょう。
そうした思いは、ずっと控え選手だった私にはよくわかります。
とはいえ私は椎名の決断の真意が正確につかめていると思っていません。椎名はレジェンドで私は凡人です。
私のような凡人に、レジェンドの真意はわかりません。
それでもいいと思っています。とにかく、椎名は100倍の年俸を蹴って残ってくれる。その意思表示だけで十分です。
椎名というレジェンドの残留は、これからの選手争奪戦や、クラブ運営のありかたに一石を投じるはずです。みなさん、これを機に、新しいクラブの形を模索していきましょう!」
新監督の熱弁に気圧され、何でも裏読みしてしまう癖のついている人たちは恥じ入るように沈黙した。
日本を離れる当日、多岐川はあれこれと思い悩んだ末に、空港から椎名に電話をかけた。
「多岐川です」極力明るい声音を心がける。
「いやあ、すごいことになったね。おめでとう」椎名が祝福してくれる。
「出発する前にお会いしたかったんですが、何かと周囲が騒がしい時期なので。椎名さんは、うちのチームに移籍するんですか?」
「まだわからない」
「椎名さんが来るんだったら、チームに残りたかったです」
「多岐川が残っていれば、こっちにオファーはなかったよ」椎名が笑う。
「あの、向こうは親しい人もいなくて淋しいので、ときどき電話とかメールとかさせてもらっていいですか?」
「そんなの多岐川なら大丈夫だよ。すぐに新しい環境にも慣れてチームから信頼され、地元のファンに愛される存在になるよ」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
「……」
「まあ、それとは関係なく、電話でもメールでもください」
「ありがとうございます。じゃあ、また連絡しますね」
「うん、いつでも」
多岐川は胸がいっぱいになった。
「失礼します」
電話を切った。
明るく別れを告げることができた。会わなくてよかった。
会えばきっと泣いていただろう。泣くだけならまだしも(どこかで乱れてもいいと思っている)心が乱れて、言わずもがなの告白をしてしまったかもしれない。
椎名を困らせなかった自分にほっとしながら多岐川は泣いた。
『椎名の価値がまるでわかっていない』
クラブ経営陣が下した「方針」に柏木は天を仰いだ。
弱小クラブは、柏木新監督を外した議論の結果、椎名の残留意思の報告を受けるまでは、決して妥当な数字として提案されるはずもない「非常識な」移籍金を強豪クラブに要求する。
それは椎名を失っても十二分に余りある戦力補強や設備投資が行える金額を目処に算定された「夢の丼勘定」だった。
交渉を打ち切らなかった論拠は「新たな故障や病気等々の、椎名の不慮の事態に備える危機管理の必要性」である。
そして強豪クラブには、
「椎名の残留意思がことのほか強く、本人を納得させて円満に翻意を促すのは容易なことではない」
と胸を張って付言することを忘れなかった。
強豪クラブは「弱小クラブが要求した非常識」をあっさり了承し、さらに椎名の年俸の上乗せもその場で約束した。
瞬く間にクラブ間での移籍交渉が合意に達してしまう。
弱小クラブは、
「椎名には悪いが、移籍してほしい」
という方針を決定した。
秋。
ワールドカップの余韻を残したままで、注目の新シーズンの開幕を告げるニュースが巷に流れる。
さまざまなメディアの特集も例年をはるかに上回っている。
各クラブチームも、各台所事情と相談しながら、精一杯のプロモーション活動にいそしむ。
そして開幕当日には、強豪クラブのポスターがターミナル駅の構内や主要路線の電車内を占拠して話題を呼んだ。
否が応でも不特定多数の人の目に触れるポスターには、今季からデザインの一新されたユニフォームに身を包んだ5人のスター選手たちが威風堂々と立ち並ぶ雄姿があるだけで、これ見よがしなコピーやクレジットなどの記載はない。
左右の両端に花井と小早川、その内側に、獲得のニュースが国内外に波紋を広げた金髪碧眼の「恋人」と「至宝」、そして5人の中央にはキャプテンマークをつけた椎名がいた。
これ以上「何も説明はいらない」というクラブ側の大いなる自信がそこにあった。
選ばれる人である椎名の、選ばれなくなるまで終わらない戦いの日々が、またはじまった。
『選ばれる人』(完)
(第十五話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n034187dadfd3
(第一話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n8e74022746bb
