『新ソロモンの審判』第6話(全11話)
第6話「嘘ばかりついている人と、小野小町の肖像画」
嘘をつき続けた報道官
ここは王国を統べるソロモン王の執務室。
丘の上に建つ宮殿の最上階にあって、バルコニーからは城下の美しい都が見渡せる。
王の側近であるシバの女王、ミカエル、ベリアルが顔をそろえた。
「前代未聞の嘘つきです!」ミカエルが声を荒げる。
「いにしえから幾星霜を経て今日に至る人の世で、『前代未聞』のことなどめったにあるものではございません」シバの女王が静かに制す。
「噓つきは泥棒のはじまりというからな。大泥棒の話か?」とソロモン。
「いいえ、N国王室の女性報道官のことです」とミカエル。
「ああ、わが王国の従属的同盟国のひとつで、国王が崩御されていたことを十年ものあいだ国内外に秘密にしていた報道官ですね」とベリアル。
「もちろん王制を支持している政府ぐるみの秘匿ですが、国の首脳が対外的な会見に臨まないN国で、報道官の果たす役割は重大です」とシバの女王。
「亡き国王は絶対的な存在だったから、崩御後の国内外の王制反対派の動向を警戒してのことだろう。それにしても、秘して十年とは……。
存在しない国王の意向を代弁し続けた報道官には、アカデミー主演俳優賞が授与されるであろうな」
ソロモンの冗談でベリアルは笑ったが、ミカエルは笑わなかった。
「笑い事ではありません。わが国は従属的同盟国の一大事を、他国と同様に何も知らされなかった。
緊密な同盟関係の危機と言わざるを得ません」
「N国が怖れたのは国内外の王制反対派で、わが国との友好関係を軽視して隠したわけではないだろう」とソロモン。
「十年前はまだ少女であった王女が、無事に成人するのを待っていたのかもしれません。
秘密を知る者が増えれば、漏れる危険も増えるのですから……」
後継者が同じ女王であったこともあって、(性別を理由に何かと攻撃されやすいことを知る)シバの女王もN国をかばった。
王と王女の言葉を受けて、ミカエルは今度は批判の矛先をN国全体の方針ではなく、報道官個人に変えた。
「ところで、言うなれば十年に及ぶ喪に服したのちに後継者となった新女王は、この報道官に絶大なる信頼を寄せているようです」
「ここ十年で首相は何度が交代しました。首相交代時には王室報道官も交代するのが慣例ですが、彼女は留任していますから相当の信頼ですね」
ベリアルも同意する。
「少女のころから報道官を頼った『王女』が『女王』になって、姉のごとく慕う報道官の言いなりになる怖れはないでしょうか?」とミカエル。
「ドラマの観すぎだ」
ソロモンは一笑に付した。
「私も邪な野心で報道官が新女王を懐柔しようとしているとは思いません。
そうは思いませんが、では、彼女は何のために十年もの間、世界中に嘘をつき続けたのか。そこにはとても興味があります」とシバの女王。
「では、直接本人にお尋ねになれば……」とミカエル。
「どういうことだ?」とソロモン。
「本日、N国王室から内々の来朝の打診がありました。
新女王の戴冠式にソロモン様を正式にご招待する前に、わが国に先王崩御を伏せた申し開きをしたいとのことです。
そして、王室を代表する来朝予定者こそ今話題の報道官なのです」
すべては国益のために
ソロモン王は非公式に、N国の王室報道官を晩餐に招いた。
笑顔で迎えるソロモンたちに報道官も笑顔を返したが、今回の表敬訪問を平和裡に終わらせるという大役を一身に担ったプレッシャーは、彼女の血の気が引いて青褪めた頬を小刻みに震わせた。
「本日はN国王室の名代として、まずもって、先王が身罷りし旨のご報告が大変遅れましたことのお詫びに参上いたしました」
「他国はともかくも、わが国と貴国の緊密な信頼関係を維持するためには、やはりいち早くお知らせいただきたかった。
なぜ十年もの間……」
ミカエルが表情を引き締めて釘を刺し、弾劾を前提として隠し立ての理由を問い質そうとするのをソロモンが制して言った。
「私にも覚えがあるからわかるが、絶対的な君主亡きあとは内政外交ともに落ち着かず何かと大変なものだ。
何はともあれ、無事、新女王の即位が叶う運びとなってよかった」
ソロモン王の十年間を一言で水に流した寛容さに、報道官は思わず知らず怜悧な美貌をほころばせた。
「誠に寛大なお心づかいありがたく存じます。
つきましては、何卒、新女王の戴冠式にご臨席賜りまして、即位をご承認くださいますよう、伏してお願い申し上げます」
「伏さずとも、喜んで伺いますよ」
とソロモンは微笑んだ。
王の返答に安堵した報道官の表情は、(重責を務めるエリートながらも、いまだ三十代という年齢相応に)華やかに破顔した。
緊張が解かれてにわかに和やかになった晩餐会で、報道官はソロモンたちの時に不躾な質問に、胸襟を開いたり閉じたりしながら応じた。
シバの女王が身を乗り出して尋ねる。
「素朴な疑問があります。あなたは王室報道官として十年もの長きに亘り、亡き国王の意向として国内外に嘘をつき続けました。
嘘をついたことを責めているのでありません。なぜ、そんなことができたのかを知りたいのです」
「国益のためです」
報道官は即答した。
「それだけですか」とシバの女王。
腑に落ちないシバの女王の様子が腑に落ちない報道官は言い添える。
「国益を最優先にして発言するのが報道官の使命です」
「国益のためなら、平気で嘘がつけましたか?」
意地悪なベリアル。
「平気ではありませんでしたが、それは嘘をつくことへの罪悪感ではなく、嘘がばれるかもしれないという危機感だったと思います」
国益を守る嘘については、確信犯であることを報道官は言明した。
「先王崩御のこと以外でも、国益のためなら嘘をつきますか」とミカエル。
「これまでもそうしてきました。これからもそうすると思います」
「国益のための嘘は、あなたが考えるのですか」とソロモン。
「多くの場合、時の政府首脳が考えます」
「では、十年間あなたが先王の意向として世界に発した多くの言葉は、時の政府首脳が考えた嘘だったわけです。
そうした夥しい数の嘘は、本当に国益を守り、また先王の名誉を守ったのでしょうか。
時の政府首脳が考えた嘘に、そんな大役が果たせるでしょうか?」
ソロモンの疑問は、報道官だけでなく、ほかの三人をも黙らせた。
小野小町という偶像
王室報道官を招いた翌日のソロモン王の執務室。
「彼女が王室を操ろうと企む奸臣でないことはよくわかりました」
ミカエルが胸をなでおろす。
「むしろ、国益のためなら身を挺す忠臣でしょう」とベリアル。
「少し心配になるほどです……」とシバの女王。
「ただ、やはり十年間もわが国はじめ世界中を騙し続けたことに、何らかのペナルティーは科せられて然るべきかと思いますが……」
ミカエルの言葉に、ソロモンはゆっくり頷いた。
「何より王制を覆すクーデターを警戒したであろうN国の内情はよくわかるし、過度な内政干渉もしたくない。
しかし、同盟諸国を束ねるわが国としては、他国と横並びにされたことについて、何らかのアクションをとらなければ『示しがつかない』ということになるのかもしれないが……。
正直なところよくわからない。女王はどう思う?」
途方に暮れると、シバの女王に頼るのがソロモン王の常であった。
シバの女王が応じた。
「それならば王様、歴史上の人物のお話を聞いてみてはいかがでしょうか」
ソロモン王は身を乗り出した。
「妙案だ。で、誰を呼び寄せる?」
しばらく思案してから、シバの女王はある先人の名を告げた。
「王様は、小野小町をご存じですか?」
「聞いたことはあるような……」とソロモン王。
王の「聞いたことはあるような」は「知らぬ」を意味する返答である。
しかし、ソロモン王の「知恵」を信じる女王は、「知らぬ」ことなど意に介さず召喚をすすめ、王はミカエルとベリアルにそれを命じた。
その夜の晩餐に、小野小町は霊界から招待された。
シバの女王がソロモン王に紹介する。
「日本の平安時代に活躍された歌人、小野小町様です」
「和歌の名人として『六歌仙』や『三十六歌仙』などにその名を連ねているばかりか、絶世の美女として知られ、日本で『○○小町』といえば千年以上の時を超えて、今も美人の代名詞とされています」
ミカエルが補足をした。
「美人の代名詞……」
ソロモンの表情がこわばる。
(現代に生きるソロモンには、とても美女とは言い難く見える)小野小町の細い目や下膨れの頬は、古今東西に必ず「美」は存在するが、その基準は「絶対不変」のものではなく、時代の趨勢とともに移り変わることの証左を示していた。
王の戸惑いを察して、シバの女王は小野小町に嫉妬する必要がなくなり、心置きなく史実の疑問を口にした。
「さぞや多くの殿方たちと浮名を流されたであろうと思いきや、小町様には色恋沙汰の噂がまるでないのです。
平安貴族でありながら、真面目でいらしたんですね?」
「私も人並みには恋をしましたが、身を焦がす想いは歌に込められるばかりで、実を結ぶことはありませんでした」
絶世の美女は自嘲した。
「小野小町処女伝説もあるほどです」
ベリアルが放言する。
「声を掛けるにも高嶺の花すぎて、名だたる公達も足が竦んだのでしょう」
違和感に抗いながら、辛うじてソロモンは言った。
後ろ姿が描かれた肖像画
「あなたに言い寄る男は一人もいませんでしたか」
ソロモンの問いには、ベリアルがこたえた。
「深草少将という人がいたといわれています。
『百夜通えば想いに応える』という小町様の戯言を信じて通ったものの、悲しいかな、通い詰めた百日目の雪の夜に、息絶えたそうです」
ソロモンは深草少将を憐れみながら小町に抗議した。
「身持ちが固いのは結構ですが、戯言で男心を弄んで、死にまで至らしめるとは、さすがにやりすぎでしょう」
小町は緑の黒髪を翻してこれを否定した。
「それは、後世の能楽師である観阿弥や世阿弥が創作した能の話です。
もちろんそんな事実はありませんし、深草少将も架空の人物です」
「まったくのフィクション?」
とソロモンは声を上げ、ベリアルは絶句した。
「能の傑作が世に知れ渡って、事実と混同されたようです」とミカエル。
「傑作かどうかは存じませんが、少将を惑わした驕慢な私が老いさらばえ、少将の怨霊に取り憑かれて成仏もできないという因果応報、栄枯盛衰の物語にされてしまい、本人としては迷惑以外の何ものでもありません」
立腹する小町を見ながら、ソロモンは大いに感心した。
「後世の芸術家がご本人としては迷惑な脚色をしたくなるほど非の打ち所がない美貌だったということです。
ただ諸手を上げてその美貌を讃美するだけなら、観衆が興趣を覚える作品にはなりませんから……」
感心しているソロモンに、シバの女王が話しかける。
「小町様の美貌に向き合った後世の芸術家の態度として、ほかにも信じ難い話がございます」
「信じ難い話ということは、また大嘘か?」とソロモン。
「いいえ、信じ難いことながらも、今度は本当の話です。
それは鎌倉時代に作られた『三十六歌仙絵巻』で起きました」
事件報道をするようかのようにシバの女王が話す。
「何が起きた?」
ソロモンは前のめりになって急かした。
「長い歳月を経たのちに旧秋田藩主の佐竹侯爵家に伝わったことから、現代では『佐竹本』と呼ばれているこの絵巻は、三十六歌仙それぞれの肖像画に代表歌と略歴を添えて巻物形式としたものなのですが……」
聞いていた小町が「あのことか」とばかりに口を開いた。
「私の肖像画だけが、後ろ姿で描かれたのです」
「肖像画なのに後ろ姿?」
ベリアルは声を上げ、しきりに首を傾げていたが、ソロモンはその意味を察して絶句していた。
シバの女王が意味深長に言葉を継いだ。
「『佐竹本』は歌仙絵の最高峰といわれており、肖像画は平安時代から続く藤原氏の公家で似絵の名人と称された藤原信実の筆とされています」
「その名人をして『小野小町の似絵だけは描くに能わず』と言わしめた、ということだな……」
ソロモンの勘の鋭さにシバの女王は満足して頷いた。
「今ではその後ろ姿が、私の肖像画として最も広く知られているようです」
呆れたように微笑む小町に、ソロモンは言った。
「それがあなたの美の威力です。貴重なお話を有難うございました」
ソロモンの審判
小野小町の話を聞いた数日後、死せる国王を生けるがごとく偽った報道官の一件について、ソロモンは王国の君主の名において審判を下した。
それは、自国の国家元首や政府首脳の報道管制度の縮小であった。
「結局、N国にもN国の王室報道官にも、お咎めなしということですか」
宮殿の執務室、納得しかねるようにミカエルが王の背中に訊いた。
ソロモンは壁の掛軸を感慨深げに鑑賞していた。
軸装された佐竹本の小野小町の複製画だった。
「われらの同盟国は、すべて王国だ。
王制の維持や継承が何かと困難なこの時代、N国の抜き差しならぬ事情は各国でも察せられるだろう」
「結果的に、つつがなく王位継承の運びとなったからよいのですが……」
シバの女王が心配そうに口を開いた。
ソロモンが掛軸から目を離さずこたえる。
「確かに結果オーライの判断だが、あまり五月蠅く言ってもなあ……。
それはそうと、この小野小町の後ろ姿は、まごうことなき傑作だ。
身のほどを知る芸術家が絶世の美女に拝跪した技巧の極みがここにある。
世界に数ある美人画のなかでも数本の指に入るだろう」
「『佐竹本』は大正時代に売りに出された際、あまりに高価なことから絵巻が切り売りされたことでも知られています」とシバの女王。
「だからこの絵も一枚だけの軸装なのか。酷いことをするな」とソロモン。
「そのため今となっては、日本の国立美術館がそれぞれの所有者に懇請しても、三十六歌仙が一堂に会することはないようです」とシバの女王。
「投機目的の所有者がいれば、なおさら難しいでしょうね」とベリアル。
ミカエルが絵巻の話に割って入った。
「まだ話は終わっていません。N国や報道官がお咎めなしなら、どうして、わが国の報道管制度を縮小されたのですか」
思い出したように、シバの女王もベリアルも頷いた。
「王様も政府首脳も常にお忙しい身です。
さして重要でない定例会見などは、報道官に任せたほうがよろしいのではありませんか」とシバの女王。
「逆に、悪い意味で重要な会見が必要な場合にも、報道官というフィルターを通すことで、不都合を黙して語らぬことや責任追及をかわすことが容易になります」とベリアル。
女王の気づかいには目を細め、ベリアルの口の悪さには唇を歪めながら、ソロモンは言った。
「今回の件で、虚像の功罪について思いを巡らすことができた。
国の指導者などの虚像は、上手く作り上げれば治世に役立つ場合もある」
「神格化、偶像化するということですね」とミカエル。
「そう。それができれば、ただの失言や大いなる失政も『凡人にはわからぬ明察があってのこと』と周囲は勝手に忖度し、疑うことを忘れてしまう。
N国の場合も先王が絶対権力者だったからこそ、かえって報道官の十年に及ぶ嘘がばれなかったといえる。
聞くところによると、崩御直後に報道官に就任した彼女は、先王に一度も会ったことがないそうだ」
「虚像が治世に役立つなら、なおさら報道官制度は必要でしょう」
ベリアルが改めて尋ねる。
「御簾の陰に隠れていたほうが虚像は作りやすい。
ただ、N国先王のように確固たる神格化を成し遂げたあとならまだしも、その途上であればどんな虚像ができるかはスポークスマン次第だ。
能で脚色された小野小町と、後ろ姿の絵巻が参考になった。
小野小町は観阿弥や世阿弥という報道官によって、望んでもいない虚像を後世に伝えられてしまった。
逆に、絵巻に描かれた後ろ姿の肖像画は、侵すべからざる不世出の美貌の究極の偶像化に成功していると私は思う」
「一長一短ありということですね」とミカエル。
頷きながらソロモンは言い添えた。
「その上で私は、デメリットを重く見た。虚像は結局、嘘だ。
嘘も方便とはいえ、やはり嘘で大事を成すことはできないと思う。
だからこそ理由はどうあれ、為政者の嘘を支える報道官に頼りすぎるのはよくないと思ったのだ。
N国の報道官は『国益』という大義のために『嘘をついてはいけません』という凡人の感覚が完全に麻痺していた。
彼女を咎めることはないが、この陥穽については今後新女王を支える上で留意してほしいと思う」
(第7話につづく)https://note.com/sin_sen/n/n4cd7dec35a16
(第5話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/nd3e83543f973
