『新ソロモンの審判』第7話(全11話)
第7話「不倫を公にされない人と、ジョン・エドガー・フーバーの野望」
婿養子代議士の不倫
ここは王国を統べるソロモン王の執務室。
丘の上に建つ宮殿の最上階にあって、バルコニーからは城下の美しい都が見渡せる。
王の側近であるシバの女王、ミカエル、ベリアルが顔をそろえた。
「前代未聞の信用調査です!」ミカエルが声を荒げる。
「いにしえから幾星霜を経て今日に至る人の世で、『前代未聞』のことなどめったにあるものではございません」シバの女王が静かに制す。
「王様は信用調査会社の調査員を車で轢き殺そうとして逮捕された代議士の事件をご存じですか」とミカエル。
「浮気調査をされて逆上した二世議員の事件だろう?」とソロモン。
「二世といっても義父の地盤を引き継いだ婿養子です」とベリアル。
「妻が浮気調査を依頼したのですか?
信用調査会社に自分の夫を調べさせるなんて、離婚を覚悟した余程のことだと思うのですが……」とシバの女王。
「妻の覚悟や愛情がどのようなものかは知りませんが、大変嫉妬深い女性で、夫が浮気をしたら即離婚だと普段から公言していたそうです。
義父の地盤を引き継いだ代議士ですから、離婚されれば身の破滅です。
浮気の証拠をつかんだ調査員を抹殺しようとしたのでしょう」
ベリアルが楽し気に、追い詰められた男の悲哀を語った。
ミカエルがベリアルの筋書きを訂正した。
「代議士が逮捕直後に『浮気調査をされて逆上した』と供述したことから、私もそう思っていました。
ところがその後、幸いにも軽傷だった調査員が『浮気の事実はなかった』と証言したのです」
「何だと? でも、代議士は……」とソロモン。
「代議士は、身辺を嗅ぎまわられ痛くもない腹をさぐられる煩わしさで逆上してしまったと、『誤解を招いた発言』を訂正しています」とミカエル。
「どちらにせよ、どうして代議士はその道のプロフェッショナルが隠密裏に行う浮気調査に気づくことができたのでしょう?」とシバの女王。
「妻のせいです。妻は別に疑わしい兆候がなくても、不定期で夫の浮気調査をしていたようです。
さらに、それを夫に匂わせてもいました」とミカエル。
「ならば、身に覚えはなくとも周囲を警戒するだろうな」とソロモン。
「妻は愛情が深いのではなく、支配欲が強いのでしょう」とベリアル。
「今回の事件では、さすがに義父も婿養子に同情的で、娘の行き過ぎた束縛を叱責したそうです。
また、被害者である調査員からも寛大な処分を求める嘆願書が提出され、地元では減刑と政界復帰に向けた機運が高まっているところです」
ミカエルが経緯の説明を終えた。
そして、ミカエルがあらためて三人に問うた。
「この事件の顛末、何か、あやしくないですか?」
「……あやしいな」とソロモン。
「裏があるような気がいたします」とシバの女王。
「代議士を呼んで話を聞いてみますか?」
とソロモンに問うベリアル。
「軽症だったにしても、一度は命を狙われた被害者が、赤の他人の加害者を庇っているのも気にかかる。
今回は代議士と調査員の二人を呼んで話を聞こう」
失うものがある人
ソロモン王は国家元首の特別措置として、司法による刑の確定および執行前の代議士と、被害者である信用調査会社の調査員を晩餐に招いた。
「本当にどうかしていました。丁度いつ解散総選挙になってもおかしくない時期だったので、真偽を問わず悪い噂には神経質になっていたのです。
ご存じの通り、火のないところにも煙を立てられるような因果な商売で、またご存じかどうか、妻のやきもちも尋常ではないものですから……」
代議士は上品な口調で饒舌に反省した。
「議員の不安定なお立場を考えれば、殺人未遂にまで至った経緯は腑に落ちますよ」
ベリアルが代議士に淡白な同情を示す。
「その一方で腑に落ちないのは、自分を抹殺しようとした犯人に利する証言をして、さらには減刑まで求めるあなたの胸中です」
ベリアルの言葉を継いで、ソロモンが調査員に尋ねた。
調査員も代議士と同様に物腰が柔らかく、紳士的に質問に応じた。
「犯人に利するとは『浮気の事実はなかった』という証言のことですか?
利するも何もそれが調査結果ですから、曲げようがありません」
「減刑嘆願書の提出については?」とミカエル。
「ベリアル様と同じく、議員のお立場になってみたときに、人として同情を禁じ得なかったからです。
奥様から依頼された仕事とはいえ、そこまで精神的に追い詰めてしまった自分を責めました」
職務を遂行したことへの後悔を滲ませている調査員の言葉を聞きながら、代議士の頬が引きつっているのをソロモンは見逃さなかった。
「私の同情は、経緯が腑に落ちるという程度ですが……」とベリアル。
「夫を疑った奥様こそ自分を責めるべきでしょう……」とシバの女王。
「妻も今では私の立場を理解してくれるようになりました」と代議士。
「浮気の調査依頼がなくなったということですか」とミカエル。
「奥様にはご婚約時に最初にご依頼いただいてから、これまで長年に亘ってご愛顧をいただきました。
しかし、ミカエル様のお察しの通りで、どうも今後は期待できそうもありません。私どもこそ、因果な商売ですよ」
調査員は大げさに天を仰いだ。
「妻に依頼された仕事をしたら夫に殺されかけて、夫婦の揉めごとが円満に解決すれば仕事を失うのですから、本当に因果な商売ですね」
遠慮のないベリアルの言葉に、シバの女王は眉を顰める。
不躾なベリアルの態度を鷹揚に笑って受け入れている調査員を見ながら、代議士の頬がまた引きつるのをソロモンは見逃さなかった。
「議員の奥様とは疎遠になっても、議員とのお付き合いはこれからも末長く続けるおつもりでなんでしょう?」
おどけるようにソロモンが調査員に尋ねた。
「……どういうことですか?」
訊き返す調査員に構わず、今度は代議士に尋ねた。
「あなた本当は、以前からずっと浮気をしていたでしょう?
その証拠をネタに彼からゆすられていたんじゃありませんか?
当初は奥様に報告されてすべてを失うよりはいいと思い要求を受け入れていたが、次第に要求がエスカレートして切羽詰まったのでは?」
「何を証拠にそんなことを?」
憤然とする代議士にソロモンは言った。
「これは私の勘で、まったく証拠はありません。だから、火のないところに煙を立てないでほしいと言われればそれまでです。
ただし、私の勘が当たっていれば、このままでは、蟻地獄のような未来が待ち受けているだけですよ」
FBIの代名詞、フーバー長官
代議士と調査員を招いた翌日のソロモン王の執務室。
「王様が代議士に突きつけた言葉には驚きました。
しかし、すぐに『やはり、そうだろうな』と思いました」とミカエル。
「恐喝を疑われた調査員の顔も見ものでしたね」とベリアル。
「昨日の時点では代議士も調査員も認めませんでしたが、私も王様の推理は当たっていると思います。
そうなると、好感がもてなかった嫉妬深い代議士の妻が、逆に哀れです。実は二人の悪党に愚弄されていたのですから……」
シバの女王がため息をつきながら言うと、ソロモンもため息をつきながら言った。
「私は代議士を脅迫の呪縛から解放するために推理を口にした。
しかし、彼が私の推理を認めれば、調査員から解放されても、嫉妬深い妻からは離婚されてしまう。
彼や彼の妻の今後を慮ったときに、事の真相を明らかにすることが得策かどうか、正直なところよくわからない。
女王はどう思う?」
途方に暮れると、シバの女王に頼るのがソロモン王の常であった。
シバの女王が応じた。
「それならば王様、歴史上の人物のお話を聞いてみてはいかがでしょうか」
ソロモン王は身を乗り出した。
「妙案だ。で、誰を呼び寄せる?」
しばらく思案してから、シバの女王はある先人の名を告げた。
「王様は、ジョン・エドガー・フーバーをご存じですか?」
「聞いたことはあるような……」とソロモン王。
王の「聞いたことはあるような」は「知らぬ」を意味する返答である。
しかし、ソロモン王の「知恵」を信じる女王は、「知らぬ」ことなど意に介さず召喚をすすめ、王はミカエルとベリアルにそれを命じた。
その夜の晩餐に、ジョン・エドガー・フーバーは霊界から招待された。
シバの女王がソロモン王に紹介する。
「アメリカ連邦捜査局の初代長官、ジョン・エドガー・フーバー様です」
「お招きいただき光栄です」
きちんと姿勢を出してフーバーは言った。
少し緊張しているようにソロモンには見えた。
「ようこそお越しいただきました。どうぞ、お楽になさってください」
ソロモンの言葉にフーバーは嬉しそうに微笑んで見せたが、それでもまだ緊張は解けていないようだった。
「FBI初代長官であり『大統領が恐れた男』と呼ばれた猛者とは思えない小心翼々とした佇まいですね」
ベリアルがミカエルに囁いた。
「フーバー長官は大変権力志向が強く、それを不断の努力を積み重ねて獲得し、維持してきた人なので、生まれながらに絶対的権力を手にしている王族には、どこか気後れするのでしょう」
ミカエルがベリアルに囁き返す。
礼を欠く二人を目の端で睨みながら、シバの女王が言った。
「フーバー長官は、捜査に指紋照合をはじめとした科学的手法を取り入れ、自白に頼らない客観的証拠による犯罪の立証を可能にしました。
旧態依然とした当時のアメリカ合衆国の犯罪捜査を刷新した長官の功績は計り知れません」
シバの女王の言葉で自信を取り戻したのか、今度こそ胸を張ってフーバーは微笑んだ。
決して公表されない秘密
「捜査の近代化と高潔かつ勇敢なGメンの活躍で、FBIは世界最強の警察組織に成長し、私は四十八年間長官を務め、八人の大統領を支えました」
堰を切ったようにフーバーが自画自賛をする。
「四十八年間とは、半世紀ではありませんか」
ソロモンが驚く。
「長官の任期終了の日は、死去された日です。
つまり、文字通り死ぬまでFBI長官の座にありました」
補足するミカエルの言葉を満足そうにフーバーは聞いた。
『いくら何でも、公務員の任期としては長過ぎる……』
怪訝に思ったソロモンは、あえて大いに感心して見せながら尋ねた。
「十人十色、いや八人八色のはずの歴代大統領がそろって、あなたを不動のFBI長官として必要としたのは、正直なぜだと思いますか?」
「私の国家への忠誠心と歴代大統領との信頼関係と言いたいところですが、おそらくソロモン様もお察しの通りで、そんな綺麗ごとだけで身を守ることはできません」
『権力を長く独占することを彼は「身を守ること」と言う』
ソロモンは苦笑した。
「綺麗ごと以外の何が、あなたの身を守りましたか?」
ベリアルが身を乗り出した。
「私やFBIと敵対する可能性のある人物の個人情報です」とフーバー。
「敵対する可能性のある人物とは、たとえば?」とシバの女王。
「無論、私を解任できる大統領が筆頭ですが、政治、経済、マスコミ、芸能など社会的な影響力をもつ、ありとあらゆる人物です」
「個人情報とは、たとえば?」とミカエル。
「それが公になれば、彼らの社会的地位が失墜してしまうような情報です。
セックス・スキャンダルの類が大変わかりやすい例です」
「たとえば?」
ソロモンが重ねて尋ねた。
「ルーズベルト大統領とエレノア夫人がお互いに黙認していた複雑な不倫や、若き日のケネディ大統領の火遊びなどは、明確な証拠も手に入っていたので大変役立ちました」
「FBI精鋭による監視や盗聴によって集めたスキャンダルを暴露することで、敵対する人物を排除していったわけですか」とベリアル。
フーバーは大きく手を翻して否定した。
「そんなことをすれば、敵対者は『死なばもろとも』とばかりに何をするかわかりません。必要なのは敵に牙を剥かせないことです。
つまり、相手のアキレス腱となるような重大な秘密を『私が知っている』ことを仄めかせておけばよいのです」
「でも、それでは敵も生き残りますが?」とソロモン。
「たとえ一人の敵を失脚させても、首のすげ替わった新たな敵が、必ずまた登場します。それが世の常というものです。
ならば、生きるか死ぬかのリスクを負って排除するより、パワーバランスを保って共存すべきでしょう」
「敵と共存するとは実に合理的な考え方ですが、一方であなたは、有色人種や共産主義者、同性愛者などを露骨に差別し、弾圧もしています。
なぜ、彼らとの共存は拒んだのですか」
シバの女王が批判的な口調で質した。
「当時の大衆の最大公約数がそれを望んでいたからです。
私はFBI長官として大衆のニーズに何度も応えましたが、それは私自身の内面とは無関係なことです」
「同性愛者を差別していたフーバー自身が、実は同性愛者だったともいわれています」
ベリアルからそう耳打ちされたソロモンは、あらためて一種異様な脅威を実感しながら言った。
「あなたは並外れてストイックな人だ。
死ぬまで長官の座を譲らずにすんだ理由が垣間見えた気がいたします。
貴重なお話を有難うございました」
ソロモンの審判
ジョン・エドガー・フーバーの話を聞いた数日後、浮気の隠蔽とひきかえに金品を強要されているに違いない代議士の一件について、ソロモンは王国の君主の名において審判を下した。
いや、下さなかった。
つまりそれは、今後の展開を代議士自身の意向に任せた放置であった。
宮殿の執務室。
ソロモンは、ミカエルやベリアルとともに、誰かに仕掛けられているかも知れない盗聴器を発見すべく、部屋中を探し回っていた。
シバの女王が棘のある口調でソロモンに問いかける。
「代議士の浮気と調査員の恐喝は間違いありません。
それでいて沙汰なしということは、王様は真相を明らかにすべきではないとお考えですか?」
ソロモンは叱られた子どものように肩をすくめた。
「明らかにしても、誰も得をしないからなあ……」
「真相を隠せば、調査員の恐喝を見逃すことになります」と女王。
「代議士が浮気を認め、調査員を訴えれば助力はするが……」と王。
「調査員を有罪にすることが代議士を救うことになるか否かは、やはり意見が分かれるところでしょう。
調査員に課される刑罰と自分が失うものを天秤にかけたとき、代議士自身は王様の関与を望まないはずです」とミカエル。
「調査員の高笑いが聞こえるようですね」とベリアル。
「代議士の妻は、騙されたままになります」と女王。
「フーバーの話がよくも悪くも参考になった。
彼はスキャンダルを入手するだけで、公にはしなかった。
スキャンダルは暴露されて苦しむものと思っていたが、暴露されないことでも苦しむのだと……」と王。
「自業自得です。同情の余地はありません!」
代議士の妻の側に立つ女王は義憤に駆られた。
女王をなだめるようにミカエルが言った。
「ただですね、代議士が動かぬ証拠を押さえられた浮気は、信用調査会社が仕組んだハニートラップだったという噂もあるんです」
「何ですって!」
新たな義憤に駆られて、女王の興奮は鎮まらない。
「ない話ではないだろうな……」とソロモン。
「何といっても、そうすれば効率的ですからね」とベリアル。
「会社ぐるみで、そんな卑怯なことをするなんて!」
調査会社を罵る女王。
「スパイ集団のすることを卑怯と言われましても……」
ベリアルは失笑した。
また数日後。
代議士は、調査員から浮気をネタに恐喝されていた事実を公表した。
宮殿の執務室でテレビニュースを見ながらミカエルが言う。
「驚きましたね。これで調査員は逮捕されましたが、結果的に浮気がばれた代議士は、やはり妻から離婚されることになりそうです」
「調査員は代議士への恐喝もハニートラップも認めましたが、すべては会社からの指示だったと証言しています。
有罪になっても執行猶予がついて、刑務所に入ることすらないかもしれません。やはり、割に合わない告発です」とベリアル。
「妻を裏切っていた良心の呵責に耐えかねたのでは?」とシバの女王。
「それはないんじゃないですかね」とベリアル。
「夫が路頭に迷うことを知りながら、浮気即離婚を実行できる妻も妻です。
また、調査員は代議士の浮気だけではなく、妻側の浮気の事実もつかんでいたという噂も流れています」とミカエル。
「何ですって!」
また新たな義憤に駆られて、女王はめまいを覚える。
ソロモンが口を開いた。
「ともかく代議士は、一度は屈した脅迫に捨て身で反撃したということだ。
これで彼は婿養子の政治家という地位は失ってしまうが、かけがえのない『自由』を取り戻した。
フーバーの脅迫に屈した歴代のアメリカ大統領より、私は彼の蛮勇を評価したい思うよ」
テレビでは、したり顔のコメンテーターが息巻いていた。
『代議士の訴えや調査員の証言などから、政財界のスキャンダラスな裏事情に通じて暗躍していると噂されていた信用調査会社にも、相当な余罪があるものとみて捜査のメスが入るようです。
この際ですから徹底的に捜査して、醜い膿をすべて出し切ってもらいたいものですね!」
(第8話につづく)https://note.com/sin_sen/n/na8d5c7e7afd9
(第6話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n21eb800603a9
