『新ソロモンの審判』第8話(全11話)
第8話「同族企業の世襲と、武則天(則天武后)の人事」
令息令嬢に乱用される人事権
ここは王国を統べるソロモン王の執務室。
丘の上に建つ宮殿の最上階にあって、バルコニーからは城下の美しい都が見渡せる。
王の側近であるシバの女王、ミカエル、ベリアルが顔をそろえた。
「前代未聞のパワハラです!」ミカエルが声を荒げる。
「いにしえから幾星霜を経て今日に至る人の世で、『前代未聞』のことなどめったにあるものではございません」シバの女王が静かに制す。
「女王の仰せの通りですよ。
パワーハラスメントという言葉がなかっただけで、はるか昔から職場での弱い者いじめはあります」とベリアル。
「ならば見過ごしてよいということではないでしょう!
また、何よりも私が問題視しているのはその非常識な苛烈さです」
憤慨しながらミカエルが言った。
「どこの会社の話だ?」とソロモン。
「D自動車とD航空を中核企業とするD財閥の話です」
自分の問題提起が、議論して然るべきスケールの話であることを誇示するように、ミカエルは胸を張ってこたえた。
「D財閥の社長とは私も懇意にしている。腰の低い人格者だと思うが……」
首を傾げるソロモンにミカエルが言う。
「苛烈なパワハラをしているのは、ソロモン様とも親しく、D財閥中興の祖として広く知られている社長ではありません。
その後継が約束されている馬鹿息子と馬鹿娘です」
「苛烈な言葉遣いですね」
ベリアルが笑う。
「これは失礼。D自動車の次期社長が約束された長男とD航空の次期社長が約束された長女が、パワハラの加害者として内部告発されています」
ミカエルが言い直した。
「具体的にどんなパワハラを?」とシバの女王。
「たとえば、長男は旅行がてら世界の支社や販売店を視察します。その際、自分への接待が気に入らないと、すぐに関係者や責任者を解雇します。
長女もまた、それこそ旅行がてら自社の航空機のファーストクラスで世界を飛び回ります。その際、自分への接待が気に入らないと、すぐに関係者や責任者を解雇します」とミカエル。
「過剰な仕事の強要というよりも、むしろ自分への過剰な接待の強要ということですか?」と女王。
「もちろん仕事での過酷なノルマなども批判されています。
ただ、それよりも論を俟たないパワハラが、とにもかくにも彼らの機嫌を損ねた者は、解雇や降格の憂き目に遭うという慣習です。
解雇や降格の理由は、あとから何とでも言えますから、社員たちは長男や長女の一挙手一投足に怯えています。
そして怯えた周囲の阿諛追従に増長した長男や長女の立ち居振る舞いは、まるで王侯貴族のようだと陰口を叩かれているそうです」
ミカエルの「まるで王侯貴族のよう」という「悪い意味」で使われている比喩に、ソロモン王とシバの女王は絶句した。
「あ、失礼しました。とにかくですね、人事権を乱用するパワハラなので、泣き寝入りを余儀なくされる社員が多く大変悪質です」
「泣き寝入りになりやすいパワハラが、なぜ表沙汰になった?」
ソロモンが尋ねる。
「パワハラの言動の録音や録画が、SNSに流出したからです。
財閥の令息令嬢の醜態は下世話な関心を集めて瞬く間に拡散されました。
たとえ勇気を出して訴えても、会社ぐるみでもみ消されることの多い内部告発の新たな手段といえるかもしれません」
反省の意を示す令息令嬢
ソロモン王は(SNSで拡散されたパワハラ動画などを視聴した上で)、D財閥の長男と長女を晩餐に招いた。
地味な装いで宮殿を訪れた令息と令嬢は、マスコミが大きく報じはじめたこともあってか、はたから見て気の毒なほど憔悴していた。
「この度は、わたくしどもの不適切な言動で、みなさまにご心配やご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございませんでした」
殊勝にそう言って長男が頭を下げ、長女もそれに倣った。
「みなさまとは誰のことです?」
意地悪くベリアルが尋ねる。
「辛い思いをさせてしまった社員はもちろんのこと、Dグループのあらゆるステークホルダーのみなさまです」と長女。
「まあ、顧客が減るとか株価が下がるとか、何かと弊害はあるでしょうね」
ミカエルの言葉に、兄妹はさらに身を縮めて恐縮した。
ソロモンは、事前に動画で確認していた
「お前、俺を誰だと思っているんだ!」
と社員を土下座させている長男や、
「あなたはクビよ、今すぐここを出ていきなさい!」
と社員にグラスの水をかけている長女の居丈高な姿に衝撃を受けていたので、あまりにも違う眼前の彼らの印象に戸惑っていた。
ソロモンが二人に尋ねる。
「今回のパワハラ騒動については、ずいぶん反省というか、後悔されているようですが、被害を訴えている社員たち、またそれを受けた連日のマスコミ報道、世間の激しいバッシングなどに対して、お二人の反論のようなものはありませんか?」
長男がすり寄るようにこたえた。
「確かに、事実と異なる文脈で語られている被害証言や、噂を鵜吞みにしたマスコミ報道が広がり、世間に誤解を招いている部分は多々あります」
バランスをとるように長女がつけくわえる。
「とはいえ、そうした事実や真意が伝わらない誤認や誤解も、常日頃からの緊密な社員とのコミュニケーションが不足した、わたくしどもの不徳の致すところですので、真摯に受け止めたいと思っております」
兄妹に好感をもっていないミカエルが冷淡に確かめる。
「録画や録音が流出する前は、社員の訴えは事実無根と主張されていたようですが、現段階ではパワハラをお認めになるわけですね?」
「そうした意図や自覚はなく、会社のため社員のためによかれと思った言動ですが、それがパワーハラスメントと受け取られていたならば、不徳の致すところで……」と長男。
「見解の相違ということですか」とシバの女王。
「もちろんこちらの不徳の致すところです。
ただ正直なところ『地位の格差』がコミュニケーションの障壁となって、まったく他意のない冗談や放言でさえも、周囲から過剰に反応されてしまうような苦い経験は、わたくしども以上に王様や女王様ならご理解いただけるのではないかと……」
上目づかいで長女が言った。
不用意な自分の言葉が、周囲に思いも寄らない影響を与えてしまう経験は、ソロモン王にもシバの女王にも少なからずあった。
だからといって、否、だからこそ、ソロモン王もシバの女王も、令息令嬢の「下品な開き直り」に同情する気にはなれなかった。
「責任をとって役職を辞任されるおつもりはありませんか?」
率直にミカエルが問うた。
「みなさまのご指導ご鞭撻のもと、真摯に反省すべきは反省し、改めるべきは改めて、一族郎党が一丸となってDグループの信頼回復に努めて参りたいと存じます」
神妙な顔つきで長男が言い、長女もそれに倣って頷いた。
后から帝になった武則天
D財閥の長男と長女を招いた翌日のソロモン王の執務室。
「要するに、長男も長女も反省はするが、その意を示すこと以外何もしないということですね」
ミカエルが呆れる。
「パワハラ被害を受けた社員たちが、集団訴訟などを起こせば状況も変わるのでは?」とシバの女王。
「たとえ有罪になっても大した罪にはなりません。それに裁判の判決が出る数年後には、問題は風化しているでしょう」とベリアル。
「何より問題なのは、今回の騒ぎで被害を受けた社員たちの理不尽な人事が取り消されたとしても、次期社長の顔に泥を塗った彼らの将来は、真っ暗闇だということです」
吐息とともにミカエルが結論を述べた。
「それでは結局、泣き寝入りではないか?」とソロモン。
「令息令嬢の顔に泥を塗ることはできました」とベリアル。
「私は同族企業が一概に悪いとは思わないが、愚かな経営陣の不祥事などに対する自浄能力が極めて低いことは確かだ。
今回の令息や令嬢のパワハラもそうで、看過できることではないが、ではどうすれば内部告発者を守り、企業の自浄作用を機能させることができるのか、正直なところよくわからない。
女王はどう思う?」
途方に暮れると、シバの女王に頼るのがソロモン王の常であった。
シバの女王が応じた。
「それならば王様、歴史上の人物のお話を聞いてみてはいかがでしょうか」
ソロモン王は身を乗り出した。
「妙案だ。で、誰を呼び寄せる?」
しばらく思案してから、シバの女王はある先人の名を告げた。
「王様は、武則天をご存じですか?」
「聞いたことはあるような……」とソロモン王。
王の「聞いたことはあるような」は「知らぬ」を意味する返答である。
しかし、ソロモン王の「知恵」を信じる女王は、「知らぬ」ことなど意に介さず召喚をすすめ、王はミカエルとベリアルにそれを命じた。
その夜の晩餐に、武則天は霊界から招待された。
シバの女王がソロモン王に紹介する。
「唐の三代皇帝高宗の皇后、則天武后の名でも知られる武則天様です。
武則天様は皇后であったばかりでなく、中国史上唯一の女帝として歴史にその名を刻んでおられます」
「それはそれは、ようこそお越しいただきました」
シバの女王の紹介を聞き、敬意を表しながらソロモンは歓迎した。
「歓迎いただきまして光栄です。私はてっきり、中国三大悪女の一人として指弾すべく呼ばれたものと思っておりました」
武則天が笑う。
「中国三大悪女の一人?」
何も知らないソロモンの顔が不安で曇る。
「漢の劉邦の正室であった呂后、清の咸豊帝の側室であった西太后と並び、その真偽や詳細のほどはともかくも、語り継がれる残虐非道な所業からそう称されています」
ベリアルが憚ることなく言ってのけた。
「失礼ではありませんか」
シバの女王がたしなめる。
「せっかくですから、真偽をお伺いしたいですね」
ミカエルはベリアルに加勢した。
残酷な悪女か、稀代の賢帝か
「語り継がれる残虐非道な所業?」
怖気づくソロモン。
「高宗の正室であった王皇后と、高宗の寵愛を受けた蕭淑妃の二人を計略にかけて廃位し、糞尿まみれの獄舎に幽閉した末に両腕両脚を切断、酒甕に首だけ出した状態で放り込んで殺した逸話などがよく知られています」
ベリアルが一例を紹介した。
「これは悪女の先達である呂后が、劉邦の没後、その寵愛を受けた戚夫人の両腕両脚を切断し、豚小屋を兼ねた厠に投げ入れて殺したという逸話を参考にしたとされていますが、その真偽のほどはいかがですか」
ベリアルの話を引き継いで、ミカエルが武則天に問うた。
悪魔と天使の問いかけに武則天が口を開こうとしたところで、ソロモンが声を荒げて割って入った。
「ベリアルもミカエルもよさぬか。
霊界からの賓客としてお招きしている晩餐の席で、お尋ねするようなことではない!」
それは礼節を重んじるというよりも、逸話の真偽を確かめてしまうことへの恐怖から逃れるための叫びだった。
シバの女王が助け舟を出した。
「武則天様については、残酷な悪女という批判もありますが、その一方で、能力主義の人材登用など優れた政治手腕で大国を安寧に導いた稀代の賢帝という評価もございます」
「それだ、そういう話を伺いたい! その能力主義の人材登用とは?」
ソロモンが身を乗り出す。
武則天が口を開いた。
「私は、まつりごとにおいて私の親族ばかりを重用するのではなく、出自を問わぬ能力主義の人材登用を心がけました」
D財閥の不祥事にもつながる話と、ソロモンが膝を叩く。
「でも、口で言うほど簡単なことではないのでは?」とシバの女王。
「確かにそうです。やはり、優先して身内に要職を任せます。
それこそ能力主義で選抜した優秀な補佐役などもつけて。
ただし、しばらく任せた結果、それ相応の能力がないとわかれば、見限る決断をせざるを得ません」
「高宗の時代も、政治の実権はあなたが握っていたとか」とミカエル。
「名君と崇められた先代の太宗様と違い、高宗様は優しいお人柄なのですが、大国の唐を治めるには、器が少々足りませんでした」
偉大な先王のダビデと何かと比較され、もの足りないとそしられることの多いソロモンには耳の痛い話だった。
「高宗が崩御すると、あなたの実子である中宗や睿宗が帝位を受け継ぎますが、いずれも間もなく廃位されています。あなたの命令で……」
ベリアルが疑いの視線を向けた。
「残念ながら、二人とも国を統べる器ではありませんでした」
「そして、あなたご自身が皇帝として即位されています」とミカエル。
「すべてご自分の野心を満たすためだったのではありませんか?」
ベリアルが詰め寄る。
「それは、邪推というものです。
何かと強引なこともいたしましたが、今振り返っても、最適とはいえずとも、当時として適材適所の人事であったと思います」
ベリアルを正視し、武則天は静かにこたえる。
何ら気負わずとも十二分に伝わる女帝の威厳は、大いに気負っていた悪魔をたじろがせた。
「因みに武則天様は、ご自身の最期に女帝としてではなく、高宗の后である則天武后の名で葬られることを望まれました」
シバの女王が言い添えた。
仰ぎ見る女傑に、若干の親しみを覚えながらソロモンは言った。
「ベリアルは邪推をしていたようです。どうか、お許しください。
貴重なお話を有難うございました」
ソロモンの審判
武則天の話を聞いた数日後、同族企業の後継者が内部告発されたパワハラ騒動の一件について、ソロモンは王国の君主の名において審判を下した。
それは、内部告発者の再就職支援と、たとえ告発されても実質的には無傷でいられる令息令嬢の記者会見の実施であった。
ソロモンとシバの女王は、公務でD航空の機上にいた。
パワハラ加害者の令息令嬢のことを「まるで王侯貴族のよう」と揶揄した陰口に大いに傷ついた王と女王は、あえてエコノミークラスを予約して搭乗していた。
「ファーストクラスの値段は、エコノミークラスの十倍以上らしい。
道理で何から何まで至れり尽くせりなわけだ」と王。
「ファーストクラスは確かに素晴らしいサービスですが、エコノミークラスのサービスも決して悪くはありません」と女王。
「同感だ。D財閥の令嬢は、いったい何が気に入らなかったのだろう?」
「わがままは、嵩じれば際限がなくなりますから……。
ところで、今回内部告発者について、地位の保全ではなく、再就職支援をされるのはなぜですか?」
公憤と諦念が交錯する感情を抱えて王はこたえた。
「もちろん告発者が解雇の撤回など地位の保全を望むなら協力する。
しかし実際問題、加害者の令息や令嬢が留任している会社に残ったとて、ミカエルが指摘したように、やはり明るい前途は望めないだろう」
「顔に泥を塗られたと恨んでいる令息や令嬢の復讐も懸念されます。
では、令息令嬢の辞任は考えられませんか?」
「現社長に詰め寄れば可能だとは思うが、それはおそらく一時的な経過措置でしかなく、しばらくすれば必ず復帰するだろう」
「従業員と経営者とはいえ、それでは不公平が過ぎるのでは?」
「そもそも財閥とは、創業家一族の末長い繫栄のためにある企業体だ。
そこで一族以外の者が、不公平を訴えてみてもしかたがない」
「王様のお力で財閥を解体なさっては?」
「財閥は基本世襲だから、ほかの大企業のような仁義なきトップ争いの弊害が少ない。グループ企業の経営陣たちの結束力も比較的強い。
どれも相対的な尺度だが、悪いことばかりではないと思うがな……」
公憤と諦念が交錯する感情を抱えて女王はたずねた。
「では王様は、Dグループの後継者は、あの令息や令嬢に任せて構わないとお考えなのですか?」
「次々と実子を退位させた武則天の厳しい話を聞くにつけ、いくら直系親族であっても、やはりトップの器にない者は交代すべきだと思った」
「そう思う王様が、令息令嬢に記者会見をさせるのはなぜですか。
先日のような態のいい謝罪と釈明に終始して、実のない会見になるのではありませんか?」
「おそらく、そうなるだろう。
そして会見を視聴した世間は、先日のわれわれと同じように、彼らの謝罪や釈明に違和感を覚えるのではないだろか」
「……そう言われてみると、そんな気がいたします」
「財閥内での自浄作用には期待できないので、適任とは思われない経営陣の刷新を求める『世論』に期待してみたいと思う。
昨今のキャンセルカルチャーの猛威は、いくら大財閥といえども、無視はできない状況にあるからな」
「世間が令息令嬢の謝罪や釈明を疑うことはあっても、D財閥の経営改革に興味をもつことはないと思いますが……」
「誠意のない記者会見に、世間は憤慨するだろう。
続いて、言葉は悪いが、将来を約束されていたはずの大財閥の馬鹿息子と馬鹿娘が、従業員への傍若無人なハラスメントが原因で失墜する姿を見たくなる嗜虐的な欲望が生まれてくるのさ。
後味の悪い弱者の不幸と違って、強者の不幸は蜜の味だ」
王の不穏当な言葉づかいに驚き、女王は手で制しながら周囲を気にする。
「王様、お言葉をお慎みください」
「すまん、口が滑ってしまった。
大財閥の一族として常に庇護されている令息令嬢へのいらだちもさることながら、同じように王家の一族として庇護されている自分への戒めも込めて言ったことだ。
慢心は身を滅ぼすよ……」
「そうですね。肝に銘じておきます」
不安そうに自省する王に、女王は静かに寄り添った。
(第9話につづく)https://note.com/sin_sen/n/n1311bad00a03
(第7話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n4cd7dec35a16
