『新ソロモンの審判』第5話(全11話)
第5話「スモーカーの不満と、アル・カポネの商才」
愛煙家たちの反乱
ここは王国を統べるソロモン王の執務室。
丘の上に建つ宮殿の最上階にあって、バルコニーからは城下の美しい都が見渡せる。
王の側近であるシバの女王、ミカエル、ベリアルが顔をそろえた。
「前代未聞の無法状態です!」ミカエルが声を荒げる。
「いにしえから幾星霜を経て今日に至る人の世で、『前代未聞』のことなどめったにあるものではございません」シバの女王が静かに制す。
「とはいえ無法状態とは穏やかではないな。何の話だ?」とソロモン。
「指定エリア以外での違法な喫煙行為の横行です!」とミカエル。
「その程度の違法ですか……」
肩透かしを食ったようにベリアルが呟く。
「確かに路上喫煙者の数が増えているようではありますが」とシバの女王。
「それをもって巷が無法状態とは少し大袈裟な気もするな」とソロモン。
ミカエルが三人に反論する。
「よくも悪くも右へ倣えで、村社会気質の強いわが国の民は、村の掟としての法律には是非を問わず従順です。
彼らは村八分になることを何よりも恐れます。
そんな彼らが法を犯しています。この動向を軽視してはいけません」
「大した違法行為じゃない」とベリアル。
「ここで問題なのは、本人も望んでいなかったはずのイリーガルな行為への一歩を、少なからぬ国民に踏み出させてしまっていることです」
ミカエルの指摘にソロモンは頷いた。
「一度矩を踰えてしまったら、箍が外れたように違法な行為がエスカレートするという危険はある」
「愛煙家と嫌煙家の対立構造が生まれて久しく、分が悪いのは常に愛煙家のほうです。肩身の狭い喫煙生活で、不満はたまっているでしょう」
シバの女王も危惧を口にした。
「受動喫煙の問題などを考えると、詰まるところは非喫煙者の許容や寛容にすがるしかない喫煙者としては、それが期待できないとなれば、もう悪役になることを承知で開き直るしかありませんからね」
興味を失いかけていたベリアルも、再び身を乗り出して言った。
「ただ、やはり何よりも人目を気にするわが国民が、文字通り悪目立ちしてプレッシャーがかかる悪役に進んでなるだろうか」とソロモン。
「自分一人では悪役になる勇気はなくても、喫煙者という不特定多数の一人としての悪役であれば、やぶさかではないでしょう」とベリアル。
「また喫煙者には、長く世間から疎まれ、喫煙環境も整備されないままで、問答無用に虐げられているという被害者意識があります。
いわば『我慢の限界』が噴出した不可抗力としての違法行為という思いもあるのではないでしょうか」とシバの女王。
「仰せの通りです。喫煙者の違法行為は『我慢の限界』のなせる業であり、そんな集団心理の発露は政治的にも危険です」とミカエル。
「小さな反乱の成功が、大きな暴動や革命につながる……」とベリアル。
「それはさすがに考え過ぎだろう……」
苦笑しながら怖れるソロモン。
「さにあらず、と事務次官は申します」とミカエル。
「事務次官?」
ミカエルが唐突に口にした官僚トップの役職名に気づいて、オウム返しにソロモンは訊いた。
「はい。この問題の重要性を私に進言した、財政省の事務次官です」
事務次官の職務
ソロモン王は財政省の事務次官を晩餐に招いた。
「指定エリア以外での違法な喫煙行為について、大事に至る前に事態の収拾をとミカエルに進言してくれたそうですが、それが衛生省ならいざ知らず、財政省の事務次官からなされる真意は何ですか」
ソロモンの率直な質問を官僚のトップ・オブ・トップは歓迎した。
「さすがは王様、では正直に申し上げます。
私がこの状況というか、ここに至るまでの状況で常に危惧してきたのは、喫煙者の減少による税収の減少、それだけです。
煙草の健康リスクを重く見て禁煙を推進している衛生省とは正反対の立場ですから、その旨どうぞお察しください」
「税収の問題なんですね」
ベリアルが笑いをこらえるようにして言う。
「長く煙草税は、ガソリン税や酒税と並ぶ安定財源でしたが、喫煙者の減少に歯止めがかからず、税率の引き上げによる値上げでは、もはや減収が補填できない状況です」と次官。
「で、次官のお望みは?」
ベリアルが興味深げに尋ねた。
「厳しくなるばかりの喫煙環境の規制を緩和して、再び喫煙者人口を増やすべく、お力添えをいただきたいと存じます」
時代に逆行することを物ともしない様子で、次官は丁重に頭を下げた。
「ずいぶんと仕事熱心でいらっしゃる……」
シバの女王が嘆息した。
「次官は、やはり愛煙家ですか」とミカエル。
「昔はヘビースモーカーでしたが、妻の妊娠を機に禁煙しました。私自身の健康もそうですが、妻子の受動喫煙のことを考えまして」と次官。
「ほう、そんなあなたが、喫煙者増加を促す進言を……」
言葉に窮すミカエルに次官が言った。
「私人の私と公人の私の意見が異なることは多々あります。そして私利私欲を優先する私人としての私の意見は、必ずしも正しいとは限りません。
私は本日、財政官僚として果たすべき職務を遂行するために、ここに参上しております。公私混同はいたしません」
「では、あなたが衛生省の事務次官であれば、私たちにまるで違った進言をされるということですか」
シバの女王が次官に問うた。
「禁煙推進への世論の支持が高い今こそ、違法な喫煙行為が増えるようなら罰則を強化して、喫煙者の根絶を目指すべくお力添えくださいとお願いすると存じます」
次官が応じた。
「仕事熱心でいらっしゃる……」
シバの女王は嘆息した。
女王の吐息を振り払うように、次官は自説を展開した。
「畏れながら王様や女王様のように『絶対の地位』が保証されている方ならいざしらず、私ども官僚は互いに利益が相反することもままある各省庁で、何らかの巡り合わせで自分が所属した省庁のミッションを粛々と果たすことで生活の糧を得ます。
自分が生き残っていくためには自分に課せられたミッションを果たすしかなく、ミッションの是非を問うことが最優先事項にはならないのです。
それは、私ども各省庁の上に立つ政治家の大臣も然りで、司法では検事や弁護士、一般企業のサラリーマン、かつまたマフィアの世界でも然り。
つまりは、どこの世界でもそうなのではないでしょうか」
「なるほど、そうなのかもしれない。しかし、王族の地位が絶対と思われていたのは、遠い昔の話だろう?」
ソロモン王が笑いながら応じると、次官も少しだけ笑った。
アル・カポネと禁酒法の時代
財政省の事務次官を招いた翌日のソロモン王の執務室。
「結局、次官は税収のことしか頭にありませんでしたね」とベリアル。
「次官の職務に対する至極冷徹な姿勢には、どうしても違和感が残ります。気楽な王族らしいと揶揄されるかもしれませんが」とシバの女王。
「次官の考えがどうであれ、違法を承知で路上喫煙などをする国民が増えていることについては対策を立てなくては……」
ミカエルが課題を確認する。
ソロモンは頷き、そして悩ましく首をひねった。
「喫煙者にとっては『我慢の限界』でも、非喫煙者からすれば、自他とものために『禁煙すればいい』というだけのことで、話は平行線だ。
喫煙環境の規制を緩和すべきなのか、はたまた強化すべきなのか、正直なところよくわからない。女王はどう思う?」
途方に暮れると、シバの女王に頼るのがソロモン王の常であった。
シバの女王が応じた。
「それならば王様、歴史上の人物のお話を聞いてみてはいかがでしょうか」
ソロモン王は身を乗り出した。
「妙案だ。で、誰を呼び寄せる?」
しばらく思案してから、シバの女王はある先人の名を告げた。
「王様は、アル・カポネをご存じですか?」
「聞いたことはあるような……」とソロモン王。
王の「聞いたことはあるような」は「知らぬ」を意味する返答である。
しかし、ソロモン王の「知恵」を信じる女王は、「知らぬ」ことなど意に介さず召喚をすすめ、王はミカエルとベリアルにそれを命じた。
その夜の晩餐に、アル・カポネは霊界から招待された。
シバの女王がソロモン王に紹介する。
「一九ニ〇年代のアメリカ、大都会シカゴを縄張りに『スカーフェイス』の異名を轟かせて君臨したギャングの雄、アル・カポネ様です」
高級スーツを身にまとった伊達男は、ロング丈のチェスターコートと純白のボルサリーノ帽を脱ぐなり、愛嬌のある笑顔で言った。
「葉巻、いいかい?」
宮殿は謁見室など公の場として使用するスペースはどこも禁煙であったが、はるばる霊界からの労に報いてソロモンはカポネに喫煙を許した。
ソロモン王が喫煙規制の是非について意見を求めると、ギャングのボスは葉巻をくゆらせながら端的にこたえた。
「ことの善悪は、俺にはわからない。
ただ確かなことは、規制を強化すればするだけ闇の社会が潤うということさ。俺の時代は、それが酒だった」
ミカエルが口を挟んだ。
「カポネ氏は、アルコールによる健康被害や家庭内暴力、犯罪増加といったマイナス面が重視された末、政府主導の『高貴なる実験』として酒の製造、販売、輸出入が禁止された、いわゆる禁酒法の時代に暗躍しました。
酒の密造、密売、密輸が、カポネ氏をはじめ全米のギャングやマフィアに巨万の富をもたらしたのです」
「まさに『高貴なる実験』のおかげさ」
カポネは笑った。
アンタッチャブルの策略
「なるほど。それにしても『禁酒法』とは、ずいぶん思いきった法律が成立したものだな」
ソロモンは素直に驚いた。
「宗教的な理念や市民団体の主張などもさることながら、当時の大手ビール会社の多くが第一次世界大戦で敵対したドイツ系であったことも国民感情を刺激し、禁酒法成立の追い風になったといわれています」
シバの女王が内実を補足した。
「しかし、それは現実的には無理筋の法律だった……」とベリアル。
「酒や煙草といった嗜好品の規制の実効性は疑わしく、机上で想定するよりもはるかに困難だと聞いたことがあります」とミカエル。
「必要不可欠なものではなくデメリットも少なからずあるということなら、綺麗ごとのみ議論すれば標的にはなりやすいが……」とソロモン。
「その通り。世の中は綺麗ごとだけで成り立っているわけじゃない。
表には裏、光には闇が必ずあって、無理やりどちらか一方を無きものにはできないのさ」
そう言って胸を張るカポネに、ベリアルが与して続けた。
「カポネ氏は、人々が忌み嫌う裏の社会、闇の社会の住民であり、法律を堂々と破り、市長や警察までも買収して荒稼ぎをしていたにもかかわらず、シカゴの街では大変な人気者になっています。
こうした逆説は決して偶然ではなく、何にも縛られない彼のような生き様への市民の憧れや共感だったに違いありません」
ベリアルに賛同できないミカエルが言った。
「でも、栄華は長くは続かない。
買収や恐喝に屈せず『アンタッチャブル』とよばれたエリオット・ネスが率いる特別捜査班の活躍で、カポネ氏の牙城が崩れます。
やはり、悪銭身につかずですよ」
「正義は勝つということか……」
独りごちていたソロモンにカポネが反論した。
「俺は正義に負けたわけじゃないぜ。だって俺の逮捕を決定的にしたのは、禁酒法違反ではなく脱税容疑だ。
アンタッチャブルを組織したのも、政府の財務長官なんだ。
俺が買収して籠絡すべきだったのは、ネスではなく金のことしか頭にない財務長官のほうだった。それだけのことさ」
「逮捕の決定打が脱税とは、思いがけない視点でした」とソロモン。
「ああ、何とか裁判で巻き返そうと陪審員を買収したが、土壇場で弁護士に裏切られてそれも失敗しちまった。
それはそうと、政府は大騒ぎで俺を逮捕して間もなく、禁酒法をあっさり廃止するんだから、皮肉な話だと思わないか?」とカポネ。
「その後は刑務所を転々として、脱獄不可能な島と恐れられたアルカトラズ刑務所にも移送されています」とベリアル。
「俺は模範囚だったから、脱獄の心配なんて無用だった。そんなことより、心身の不調に悩まされたよ。それは日ごとに悪化した」とカポネ。
「彼は梅毒に罹患していました。症状は悪化の一途をたどり、刑期を終えて出所したのちも回復しませんでした」とシバの女王。
「出所後は二度とシカゴに戻ることなく、四八歳でこの世を去ります。
そしてアル・カポネの死をニューヨーク・タイムズは『悪夢の終わり』と伝えました」とミカエル。
「まったく、ひどい言われようだね」
カポネが苦笑する。
「あなたの行跡はともかくも、あなたの人気はいずれ復活するでしょう。
貴重なお話を有難うございました」
ソロモンは頭を下げて礼を尽くした。
ソロモンの審判
アル・カポネの話を聞いた数日後、指定エリア以外での違法な喫煙行為の増加の一件について、ソロモンは王国の君主の名において審判を下した。
それは、喫煙エリア拡充などの規制緩和と、禁煙促進剤の新薬承認という一見相反する二本立てであった。
宮殿の喫煙室。スモーカーであるソロモンとベリアルの二人が、忙しなく煙草を吸っている。
「急ごう、女王とミカエルが執務室で待っている」とソロモン。
「咥え煙草で会議をしていた昔が懐かしいですね」とベリアル。
「今から昔には戻れないが、アル・カポネが言ったように、無理やり規制を強化すれば闇の社会が潤うだけだと私も思った」
ギャングのボスの言葉であろうと、素直に同意するソロモンの懐の深さにベリアルは大いに感心した。
シバの女王とミカエルに遅れて執務室に入ったソロモンとベリアル。
ソロモンは女王から、ベリアルはミカエルからの視線に肩をすくめる。
遅刻の言い訳をするかのように、訊かれぬうちからソロモンは今回の審判の意図を話しはじめた。
「私は概ね、一日一箱の煙草を吸わざるを得ない。なぜか?
最大の理由は嗜好ではなく、ニコチンの禁断症状に耐えられないからだ。
八時間前後の睡眠を除けば、十六時間前後で二十本、平均すれば一時間に一本以上の喫煙が必要となる。
とすれば、屋内外の喫煙スペースが激減している今、もはや合法的な喫煙は不可能といっても過言ではない」
「理論的かつ現実的な判断で、規制緩和に踏み切られたわけですね」
追従するベリアルをミカエルが制す。
「一度に二本吸えば、二時間は吸わなくてもよいのでは?」
「ミカエルの言うことは一理ある。
だからといって、私の経験上、一度に十本吸えば、十時間吸わなくてよいとはならないのだ」
ソロモンは喫煙者の実感を披瀝した。
「個人差はあれ、喫煙者の多くは、ニコチン依存症による離脱症状を鎮めるために、一定時間ごとに一定量のニコチンを摂取せざるを得ません。
違法喫煙はマナーの問題ではなく、薬理作用の問題なのです」
ベリアルがソロモンに加勢する。
「嫌煙家たちの猛反発が予想されるが、喫煙環境の規制緩和は今ここにある待ったなしの危機への対症療法と思ってほしい」とソロモン。
「規制緩和と相反する、禁煙を促す新薬承認についてはいかがですか?」
シバの女王の問いに、ソロモンが身を乗り出してこたえる。
「そこだ。現在巷に流通している禁煙補助剤は気休め程度のものが多いが、実のところは、とうの昔に有効性の高い禁煙薬は完成しており、ずっと承認待ちの状況だったらしい。
そもそもニコチン依存の抑制薬は、それほど困難な開発課題ではなかったそうだ。その効果は劇的で、アルコールや麻薬の依存抑制にも比較的容易に応用できるという説もある。
しかし、ある省庁が頑なに新薬の承認をしなかった。どこか?
喫煙者の減少による煙草税の減収を危惧する財政省だ」
「新薬の承認は、禁煙推進派の衛生省の所管では?」とミカエル。
「省庁のヒエラルキーを考えれば、財政省の意向に衛生省は逆らえません。
また、衛生省は禁煙推進派ではなく、立場上そう見せているだけです。
ほかの省庁も同様ですが、まずあらゆる政策決定が、省庁本来の理念とはまったく別の論理でなされていることを知らなければなりません」
にべもないベリアルの説明に、ミカエルの顔が歪んだ。
「そこで、国王の名において新薬を承認……」
王の英断に女王は感心し、続けて声を弾ませながら提案した。
「では、王様もその有効性の高い新薬で、禁煙なさいませ!」
「そう言うであろうと思った……」
ソロモンは頭をかいた。
「しかし財政官僚は、これでまた国家の減収に頭を悩ませることになりますね。彼らの暗躍を必要悪と考えれば、少し気の毒です」
ベリアルが顔をゆがめた。
「いや、彼らは彼らで、関連業界からの莫大な賄賂や天下り先の確保など、代々受け継がれてきた組織の既得権益を守ることを最優先にして動いているにすぎない。真摯に国の財政を憂うことなどないよ。
だからといって、そんな彼らを糾弾しても、慢性的な財政問題が解決するわけでもない。まったく世の中は一筋縄ではいかないことが多いな……」
ソロモンもまた、顔をゆがめた。
(第6話につづく)https://note.com/sin_sen/n/n21eb800603a9
(第4話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n94009883fd94
