『選ばれる人』第十四話(全十六話)


第十四章 批判


 藤堂は言うに及ばず、監督に近い安部や宮本の目を盗み、ふたりのコーチが、今後ベストメンバーしか起用しないという方針を批判した。
 表では上からの命令に追従しながら、裏で一言二言ケチをつけたくなる「仕える者の癖」のような安易なものだった。
 批判の最大の論拠は、チームは「決勝トーナメントでは勝てない」という玄人として当たり前の予想にあった。
 いくらグループリーグのトップ通過という結果を目の当たりにしてみても、それはやはり信じられないくらい嬉しい「誤算」でしかなかった。
 冷静になって考えれば、勝てるはずがないのだ。
「最後まで諦めないと言えば聞こえはいいけど、勝てる見込みないでしょ。
 開幕戦のような覚醒が起きれば別だけど……。だから、試合展開によって早めに諦めて、次の代表チームを担うサブの選手たちにもワールドカップの舞台を経験させておくという方針が妥当じゃないのかな?
 監督はいつも目先のことしか考えないんだよね」
「監督は基本的に、スターや旬の選手にしか興味がないんだよ。
 自分もスターだったから。それに代表監督の留任を協会に迫るためには、少しでもいい結果を残しておきたいだろうしね」
「たとえ留任できても、次世代の代表選手を育てていなければ、あとで苦労するのは自分でしょうに」
「そのときはそのときで、今回の椎名のような救世主が現われると思ってるんじゃないの? 藤堂さんらしいよ」
「まあ、どう考えても、選手を育てるというよりも、使い捨てていくタイプの監督だからね」

 コーチたちの話がマスコミに漏れた。
 電波には乗らなかったがタブロイド紙では報じられ、藤堂を激怒させる。
 予想外の騒ぎに口を滑らせたコーチたちは頭を抱えたが、もはや取り返しがつかないと悟ると開き直った。
 自分たちこそ「見捨てられる弱き者の味方」だと主張し、伏せられていた今泉の自殺の話まで持ち出して「わがままで非情な監督」を批判した。
 藤堂が大会期間中にもかかわらず、批判したコーチたちを謹慎させたことも災いした。苛烈な処分のニュースは電波に乗り、代表チームの内紛を広く知らしめることになる。
 コーチの翻した反旗だけに、タブロイド紙のみならずテレビでも朝な夕なこの問題を大きく取り上げた。
 一度は消えた今泉自殺のスキャンダルもここにきて再燃し、代表チームの影の部分が世間の心を捉えた。
 インターネット上には、「名ばかりだった絆」「見捨てられた英雄たち」「代表チームにおける使い捨て、飼い殺しの変遷」といった過激な見出しが躍っては拡散し、今泉を筆頭に、柏木、梶、寺田、世良、林、辰野らを悲劇の主人公に仕立てた、ありもしない捏造を含んだ憶測だらけの情報が世論を刺激した。
 深夜であれば、それもまた「密やかな魅力」のひとつであったアスリートたちの(ときに理不尽な)サバイバルの虚実は、家族がそろう昼食や夕食時のお茶の間で肯定的に受け入れられることはなかった。
 知る人が増えることによって影の部分への印象は変わる。
 密やかな魅力は「残酷すぎる」と裁断された。世間は醜聞を貪りながら、無難に「公私の区別」をつけているのだ。
 協会本部には、「あまりにも独善的な監督」の解任を求める電話や投書がひっきりなしに寄せられた。
 同様に「監督に依怙贔屓されて、平気な顔をしている」レギュラー陣への風当たりも強くなった。
 偉業と讃えられたグループリーグ突破から決勝トーナメント開始までの、わずか一週間程度の間に、代表チームの栄光は下世話な泥にまみれた。

 決勝トーナメント一回戦。
 自国開催のゲームとは思えない異様な雰囲気の中で代表チームは辛勝し、ベスト8進出を果たした。
 試合序盤、相手国のエースが花井との接触プレーで負傷退場したことが、具体的な勝因のひとつとなった。
 花井にペナルティーが課せられるような接触ではなく、不可抗力といえるものだったが、数少ない相手国のファンからはブーイングが起こった。
 そしてそのブーイングは、間もなく会場全体にまで拡がっていた。
 自国の代表選手にブーイングを浴びせている観客たちの様子は、前代未聞の光景として世界のメディアで流された。
 この試合でも藤堂は、一度も選手交代をしなかった。
 その翌日、笑顔で喜ぶ花井の写真が掲載された新聞が出回った。
 接触直後に得点し、まだ相手の負傷に気づいていない花井の表情を撮ったものだが、その背後に苦痛に顔を歪めて倒れている相手国のエースが写っていたために、その対比が話題となった。
 「勝てば官軍のつもりか」「こんなアンフェアな勝利はいらない」「誰も望んでいない国辱プレー」……などと口汚く糾弾されながら、代表チームは「画期的な注目」を集めた。

 勝てば官軍のつもりの本郷が動いた。
 強権的な報道規制だったが、それだけのことで、巷での目に見える騒ぎは沈静化した。
 これまでは滞りなく提供されていた「攻撃すべき矛先」の材料を簡単にはもらえなくなった「正義の人たち」の多くが興醒めし、また普段の生活へと戻っていったのだ。
 ただ、選手たちはその余韻に悩まされる。
 まったく規制に逆らえないにもかかわらず、規制されたことが面白くない「メディア関係者」たちは、報道できない悪い噂や公言できない辛辣な皮肉を、直接選手たちの耳に入れた。
 わざわざ練習場まで足を運び、調整中の選手たちにヒステリックな野次を浴びせ続ける「熱心なファン」も後を絶たなかった。
 監督と選手、レギュラーとサブの心の溝は、いまだ第三者の手によって、連日せっせと掘り深められていたのだ。

『冗談じゃない。子どもの学芸会じゃあるまいし、仲良し小好しの平等主義でワールドカップを勝てると思ったら大間違いだ。
 勝手な理想を押しつけ、勝手な正義を振りかざしておいて「信じていた」だの「裏切られた」だのと鬱陶しい。
 どの口が言うのか? そもそも次から次へと選手たちを見捨ててきたのはお前たちじゃないか!』
 藤堂は騒動が持ち上がってからつけるようになったサングラスの奥から、練習場を遠巻きにしている取材陣やファンを睨みつけ、いつの世も身勝手な大衆の論理につばを吐いた。

 マイナス要素だけ取り除き、世間の注目は維持したい協会は、懇意にしているテレビ局の求めに応じ、良識派として好感度の高い柏木を使って、渋井の緊急インタビューにこたえる形で代表チームを擁護させようとした。
 VTRで一連の騒動を振り返ったのちに柏木が発言した。

 柏木は協会に命じられるまでもなく、自分の考えとまったく同じではないが、藤堂の方針を支持していた。
「よくワールドカップは、国と国との血の流れない戦争と形容されます。
 軽率な喩えかもしれませんが、そう考えれば、レギュラーは優れているが故に最前線に立つ戦士です。責任は重く、とても過酷な任務ですが、誰かにやってもらうしかありません。
 私たちは息を呑んで送り出し、活躍すれば大いに賞賛します。
 サブメンバーはレギュラーほど優れていないので最前線には立ちません。たとえ立つ意欲があったとしても、立つ能力がなければ、その戦士ばかりか国家の危機につながります。
 不測の事態にでも陥らない限り、国の命運をあずかる指揮官は、おいそれとサブの戦士を最前線に立たせるわけにはいかないんです。
 これは極論ですが、戦場で死んでもいいと覚悟している戦士がいるなら、望みどおり死なせてやれではダメなんです……」

 聞き手である渋井も「私見」を述べた。異例のことだった。
 アナウンサーとしては今大会で一線を退くという自分自身の状況と心境がそうさせた。
「これはあくまで私個人の考えであり、反省で、メディアを代表するつもりもその資格もありませんが、スポーツの素晴らしさや厳しさについて、世間にあらぬ誤解が生まれることがあるとすれば、その原因のひとつに、報道のありかたがあると思います。
 経験上の実感ですが、今夜ご覧いただいたVTRも然り、やはりニュースは報道する際の編集で、受け取る側の印象は変わります。
 スポットライトのあてかた如何で、世間の認知度だけでなく、善悪の判断までが少なからず左右されます。メディアが創り出す虚像、メディアが葬り去る実像があるんです。
 世間に知らせたいから報道するのか、世間が知りたがるから報道するのかは、卵が先か鶏が先かと同じで突き詰めてもしかたありませんが、問題は、それをどう報道するかで、その編集の匙加減に世論が少なからず誘導されていることは間違いありません。
 もちろんこのニュースを報道する、報道しないという編集以前の選択だけでも、世間に大きな影響を及ぼしているはずです。
 テレビやラジオ、新聞や雑誌といったメディアの力を、端くれにいる私が過大評価する驕りはありませんが、都合よく過小評価して責任を回避するのも卑怯だと思って申し上げています。
 代表チームや監督を擁護するも批判するも報道の自由ですが、伝えかたを誤ればスポーツを冒涜することになります。
 メディア側にいる人間として、またスポーツを愛する者のひとりとして、今回のことを、もう一度スポーツの素晴らしさや厳しさについて真摯に考え直す戒めにしたいと思っています」
 こうして締めくくられた柏木と渋井のやりとりは、本郷の検閲により放送が見送られた。


(第十五話につづく)https://note.com/sin_sen/n/n034187dadfd3
(第十三話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/nc2039f5b8496

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