『選ばれる人』第八話(全十六話)
第八章 八年間の物語
椎名や梶の活躍で奇蹟の準優勝を果たしたグランプリのあと、秋から翌年の春まで続いたレギュラーシーズンを終えると、各メディアは夏に開幕するチャンピョンシリーズやオリンピック予選のスケジュールにあわせて、新生代表チームへの取材合戦を開始した。
目玉はグランプリで初選抜されて頭角をあらわした多岐川と、グランプリの出場は叶わなかったが、成功率の低い手術を選択して持病の腰痛を克服し、代表に復帰した花井である。
花井は多岐川の先輩だが、年齢は一つしか違わない。若いふたりを中心に据えて、笹本監督はチーム編成に大鉈を振るった。
新生代表チームでの活躍が期待される主要なメンバーは、新田(和25)、新田(春25)、花井(21)、今泉(21)、多岐川(20)、山田(20)、松岡(17)、真鍋(17)など。
開放的な性格と華のあるプレーでファンも多く、先輩後輩を問わずチームメイトからも愛されている花井が、復帰早々でありながらキャプテンの座を安部から譲り受けた。
安部は、ポジションの後継者として期待される今泉との併用が決まった。
椎名は、体調が万全になるのを待って代表に復帰させることになった。
メディアの取材に応じた笹本は、発言が選手たちに伝わることを意識し、強い口調で宣言した。
「若い選手を登用したチームなので経験不足などのリスクは否めませんが、長い目で見るつもりはありません。
いくら若くても代表として日の丸を背負うわけですから、結果を出せない選手は、どんどん入れ替えることになると思います」
実のところは、三年後の自力での「ワールドカップ初出場」という大目標に照準を合わせた「長い目で見るチーム編成」であったが(大目標があまりに非現実的で)口にするのさえ憚られた。
ただ、夏のチャンピョンシリーズだけでなく、22歳以下の選手が出場する翌年のオリンピックに向けた予選などもあり、監督として近々の結果も無視するわけにはいかなかった。
笹本の再編成は当たり、若返った新生代表チームはチャンピョンシリーズで好成績を残した。
また、翌年のオリンピックにも無事出場して、多岐川はもとより、花井、今泉、松岡、真鍋といった選手は、大いに国内外にその名を売った。
星野が長編エッセイ『美しい獣の憂鬱』を発表したチャンピョンシリーズの直前のことだった。
復帰に向けて辛抱強く調整を続けていた椎名は、あと少しというところで、左膝の靭帯を損傷した。右足首に続く左膝の大怪我により、椎名は復帰どころか、選手生命の危機に瀕した。
絶対的エースの復活を「不死鳥伝説」として喧伝し、本大会の目玉企画のひとつにしようと時間とお金をかけた特別取材を再開していた各種メディアは、この報を受けて、要するに激怒した。
椎名用に費やされた時間とお金は、まったく無駄となったのだ。
チャンピョンシリーズでの復帰絶望を小さく報じると、「そっとしておくという配慮」から、椎名のもとを訪れる取材スタッフはいなくなった。
見据えるべき先があるからこそ復帰を急ぐなと折に触れ助言していた監督の笹本のみならず、協会幹部たちの落胆も一様ではなかった。
今年から本腰を入れてプロ化の進展とともに、ワールドカップ自力出場をも目指そうという矢先の暗雲だった。
椎名は実力人気ともに兼ね備えた、いわば大看板である。簡単に替わりが見つけられるような選手ではなかった。
一方、好意的ではあるもののタイトルに「憂鬱」の文字を冠したように、決して椎名の前途を楽観視していなかった星野のエッセイは「スター選手のエピローグを予見した」というふれこみで、急遽単行本化が決定する。
星野は加筆の作業に追われはじめた。
いまだ色褪せない恋心から、理解者として寄り添いたいとは思うものの、近づきすぎて椎名の矜持を傷つけるような真似はしたくなかった。
しかし、出版社から求められている加筆は「椎名のエピローグ」である。
『人は、天高く飛翔する英雄の姿を見たがるのと同じように、否、それ以上に英雄の失墜する姿を見たがるものだ。
英雄が浴びる喝采よりも、見舞われる受難を見ることで、ままならぬ自らの日々の溜飲を下げる。
「輝いていた全盛期を思えば今の椎名選手は見る影もない。誰よりも本人がいちばんつらいに違いない。なんて気の毒なことだろう。自分は椎名選手のような英雄でなくてよかった!」と。
最終章には、そんな人生の帳尻合わせのような「お約束の構図」をつくらなければならない。
堕ちた英雄だからこそ、人は安心して哀惜の念に浸ることができるのだ。
この加筆では、雑誌掲載時の原稿で一度も使わなかった「引退」の二文字を使わざるを得ないだろう。
ならばせめて、アスリートの引退という「黄昏」を美しく荘厳な一枚絵として描きたい。もはや弾けるような大歓声は必要ない。
傷ついた翼をたたみ、静かに横たわる椎名の(誰もが恍惚としてうらやむ理想的な均整の)裸体を、黄金色に染まる漣のような光のベールで包み込んであげたい……』
黄昏のエピローグを飾るため、出版社経由の追加取材が星野直筆の手紙を添えて椎名に申し込まれた。
椎名はこれを断った。
左膝の治療の影響で右足首の完治さえも遠のいた椎名は、表舞台から完全に姿を消し、秋のレギュラーシーズン開幕前には、代表に復帰するどころか所属する強豪クラブチームから戦力外通告を受けてしまう。
ほかのクラブチームからのオファーを待ったが、確実な復帰の目途が立たないビックネームの獲得に乗り出すチームはあらわれなかった。
その結果、椎名は自主トレーニングを続けながら、いわゆる「浪人生活」を余儀なくされた。つまり、椎名は引退しなかった。
ワールドカップ初出場までの三年間で、多岐川や花井らとともに最も成長した選手のひとりが、安部の後継者である今泉だった。
藤堂然り、安部も然り、チームの要のポジションを務める選手が超一流でなければ、世界とは戦えない。
その意味で今泉は、絶対に急成長しなければならなかったのだ。
笹本はワールドカップの年には年齢的にピークを過ぎてしまう安部を控えに回し、花井と同い年の今泉をレギュラーに据えて実戦経験を積ませるようになった。
控えとしての役割が確定している選出に一度は代表辞退を考えた安部も、大目標を掲げた監督や協会幹部の強い意向に従い、特別強化委員に就任した藤堂とともに今泉のサポートに専念した。
そんな実績のある先輩の指導を受けながらも、自らが思うプレースタイルに固執する今泉は、しばしば藤堂や安部と衝突した。
その都度、笹本は辛抱強く双方の聞き役に徹した。
そして、話し疲れた今泉(もしくは藤堂や安部)が最優先されるべき本来の大目標を思い出すのを待ち、最後にそれに向けた緊張感だけを残すことに成功する。
藤堂や安部のプレースタイルを十全には継承できなかったものの、今泉は試合で結果を残し、ワールドカップ初出場という悲願達成の立役者のひとりとなった。
多岐川や花井とともに「代表チームの顔」としての露出が増えるにつれ、そこでの今泉の言動が話題となった。周囲から期待される予定調和としての振る舞いを逸脱していたからである。
それは、才能を見出されてから競技づけになった非常識な日常生活が自然に育んだ微笑ましい無知ではなく、スポットライトに戸惑いつい逃げ込んでしまう自意識の殻でもなく、さらに、世慣れしない自分の個性を受け入れて欲しいという甘えでもなかった。
今泉は確信犯だった。
『どうせ使い捨てにされるのだから』
と依怙地に開き直り、協会、指導者、サポート企業、メディア、ファンへの媚態をあえて封印した。
当然、世間では賛否が分かれた。
多くは身のほどを知らない不遜な態度と今泉を批判したが、一部では正当な抵抗だと今泉を擁護した。
擁護する側の批判の矛先は、不当に選手を消耗品扱いしているという協会やサポート企業などに向けられる。
行儀のよい代表チームの人気で競技全体をもっと盛り上げたい利害関係者にとっては、賛否両論ともに面白くなかった。
今泉が、梶や椎名の名を「使い捨てられた選手」の例として挙げはじめると、現代表の中心選手の発言だけにその波紋は大きく広がり、弱小メディアが活気づいた。
望まぬ形でのメディアの盛り上がりに、利害関係者は眉を顰める。
競技の「広報的活動に非協力的」な今泉の言動について、大手メディアやサポート企業側から婉曲に苦言を呈された協会は、本部に笹本と藤堂を呼び出した。
練習の合間を縫って笹本と藤堂は協会本部に赴いた。
一時間以上も待たされたのち、副会長の本郷が足早に現れた。
「ワールドカップの初出場が間近に迫り、秋には国内初のプロリーグが開幕するんだよ。こんなにも忙しくて大事なときに、妙な問題で、要らぬ心配をかけないでほしいな」
協会副会長から秋にはプロリーグ会長に昇進する本郷は、監督の笹本よりも、むしろ藤堂に向って語気を強めた。
応接セットの革張りの生地が暖まる間もなく本郷は席を立った。
帰途、指導者としてまったくの初歩的な不行き届きを責められた藤堂は、歯噛みしながら今泉への怒りを抑えていた。
隣の笹本はといえば、涼しげな無表情のままである。
『ワールドカップ後に笹本さんは監督を勇退する。そのせいに違いない。
笹本さんは最大の目標を達成し、もう、どうでもいいのだ。
でも、こちらはどうでもよくない。今泉は許せない。
不協和音は取り除かなければならない。
だって本郷さんは、ワールドカップを終えたあとの代表は「藤堂体制」で臨みたいと内示してくれているのだから』
藤堂は、笹本に期待してもしかたがないと諦めた。
その代わり、この件は自分に一任してほしいと申し出て許可を取った。
今泉と「話し合う」つもりはなかった。
安部と花井を同席させ、今泉を呼んだ。
「これまでの態度を反省して改めるのでなければ、今後いっさいのメディアへの受け答えを禁じます。どう?」
迫る藤堂に、今泉はしばらく黙り、意を決したように言った。
「反省しなければならないことは、何もありません」
藤堂は唇を歪めて笑った。
『今泉はわかっていない。そうやって私に逆らうことが、何より反省すべき大問題なのだ』
「じゃあ、今後いっさいのメディアへの受け答えを禁じます」
そんな権限が藤堂にあるのかどうか疑いながらも、一方で、重い肩の荷をひとつ降ろしたような解放感に今泉は包まれた。
黙って一礼し、そうしろと言われもしないのに、部屋に戻ろうとする今泉の態度に藤堂は赫怒する。
「そんな態度のままだとね、レギュラーからも外れてもらうことになるかもしれない」
今泉の顔から血の気が引いていくさまが、藤堂のみならず安部と花井にもはっきりと見て取れた。
さすがに安部と花井は、何とかその場をとりなそうと言葉をさがした。
しかし、安部と花井が言葉をさがし出す前に、今泉は顔を蒼白にしたまま部屋を出て行ってしまった。
今泉への言葉どおり藤堂は、監督の笹本に進言した。
「少しお灸を据える意味でも、ワールドカップ直前の何試合かで今泉を外しませんか。このままではチームは一丸となって戦えません。
荒療治かもしれませんが、場合によっては、本大会の第一試合でも安部を先発させて……」
現在の代表チームの力では、ワールドカップに出場できたことが奇蹟で、さすがに本大会での躍進は残念ながら期待できない。
ならば(今後の代表チームの糧となるよう)なるべく多くの選手に大舞台での貴重な経験をさせてあげるべきで、これは、今泉への制裁目的だけではないという追加の理論武装も藤堂にはできていた。
しかし笹本は首を縦には振らず、藤堂が主張する追加の理論にも聞く耳をもとうとしなかった。
一任するとしながら進言を聞き入れない笹本を藤堂は軽蔑した。
また、それ以上に命拾いをした今泉への憤りを増幅させる。
藤堂は自分でも不思議なくらい今泉のことが嫌いになった。
ある日の練習後、ひとりで更衣室にいた今泉を見かけると、藤堂は指導者という立場を忘れて、とにかく残酷に相手の心を傷つけるためだけに、唐突に言い放った。
「あのさ、次は代表メンバーに選ばないから、絶対に。よく覚えておいて」
まさに世界中で行われた予選を勝ち抜いた全32チームが、国旗を背負って死闘を繰り広げるワールドカップ。
日本は、協会関係者をはじめ大方の専門家の予想どおり、一勝もできずにグループリーグ敗退となった。
しかし、今大会に自力で出場を果たしたという事実と、個々の選手の高いポテンシャルはそれ相応に世界に知れ渡り、四年後の自国開催に対する批判への十分な免罪符となった。
笹本は「経験を積ませる」ために、全選手に出場機会を与えたが、今泉が先発メンバーから外されることはなかった。
大会後、ふたりの新田はすぐに海外からオファーを受け、秋から開幕するプロリーグに参加することなく海を渡った。
そして、今泉もまた(新田たちほどの好条件ではなかったが)請われて、海外に籍を移した。
ワールドカップ以後、国内での協議人気の急上昇や、それにともなう多くのサポート企業の積極参加などで巨大な利権が生まれ、はじまる前から成功が約束されたプロリーグ初代会長となった本郷は、その並はずれた権力欲に支えられた絶え間ない努力によって、ありとあらゆる権限を掌握した。
本郷は必要とあらば、それが誰であろうと、平気で満面に笑みを浮かべて頭を下げることができた。
また、眠る時間を削って邪魔者を排除する姦計をめぐらすことができた。
さらに、絶対に自分が泣かずにすむように先に人を泣かせ、裏切られる前に裏切り、受けた痛手は倍で返した。
権限を自分に集中させていくなかで、日に日に誰も信じられず、誰からも信じられなくなったが、さほどストレスは感じなかった。
(自分も含め)人が心の内で何を思っていようが、思っているだけのものなら、身に迫る不安や恐怖にはならなかった。
アスリートの勝利と同じく、手にした権力という名の結果が、そこに至る過程のどんな失意や悪意も忘れさせくれるのだ。
周囲からの人望が厚く、本郷の対抗馬としてプロリーグ初代会長候補にもなっていた協会幹部の失脚も、本郷が仕組んだ。
かつては同じ代表チームの選手として、若き日の本郷と寝食をともにしたこともあるレジェンドプレーヤーだったが、本郷の指示による周到かつ執拗なネガティブキャンペーンによって、最後には協会からも追放されることになった。
「汚い手で人を陥れてプロリーグの会長になっても寝覚めが悪かろう。
つくづく、あなたは悲しい人だね」
去り際、微かに笑みすら浮かべながら元チームメイトが口にした言葉に、本郷は心の底から反論した。
「私は悲しくないですよ。こうして馘になって明日から失業する、あなたのほうがよほど悲しい」
本郷は藤堂に目をつけていた。
現役時代に築き上げた実績はもとより、引退後も知名度や人気が衰えず、常に「陽のあたる場所」で活躍を続ける藤堂を利用しない手はなかった。
本郷はその準備に、年功序列を重んじた指導者選定の弊害を事あるごとに説いて地ならしをする。
そしてワールドカップ後、プロリーグの発足に合わせて笹本を勇退させると、ヘッドコーチの宮本ではなく、クラブチームの監督経験すらない、若い藤堂を代表チームの監督に就任させるという「英断」を発表した。
(第九話につづく)https://note.com/sin_sen/n/n87c9980cb09f
(第七話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/ncdb0c8b173e1
