『新ソロモンの審判』第3話(全11話)
第3話「ゴシップメディアの編集長と、ハンムラビ王の正義」
ゴシップの余波
ここは王国を統べるソロモン王の執務室。
丘の上に建つ宮殿の最上階にあって、バルコニーからは城下の美しい都が見渡せる。
王の側近であるシバの女王、ミカエル、ベリアルが顔をそろえた。
「前代未聞のペンの暴力です!」ミカエルが声を荒げる。
「いにしえから幾星霜を経て今日に至る人の世で、『前代未聞』のことなどめったにあるものではございません」シバの女王が静かに制す。
「王様は、アイドルはお好きですか」とミカエル。
「アイドル?」と訊き返すソロモン。
「歌って踊るアイドルです」とミカエル。
「そのアイドルか。まあ、昔ほどくわしくはないが、今でも大好きだ。
親子ほども年が離れていると、さすがに学生時代ようには応援しづらいが、正直、精神年齢は二十歳前後で止まっているからな」
そう言ってソロモンは笑い、ミカエルも同意しながら笑った。
シバの女王の冷めた表情にソロモンが気づく。
「で、それがどうした?」
居ずまいを正してミカエルに言った。
「人気アイドルグループのメンバーの一人が、自殺未遂をしました。
暗黙のルールとして禁止されている男女交際を大手のゴシップメディアにスクープされたからです」
「それだけで自殺?」
ベリアルがミカエルに尋ねる。
「アイドルの恋愛スキャンダルは昔からありますが、それだけで自殺を選択するケースは少なかったはずです。
しかし昨今、その余波としてインターネットを介した誹謗中傷や流言飛語が想像を超えて拡散するために、渦中の人は追い込まれやすい状況になっていると思われます」とミカエル。
「無責任なメディアだけでなく、無責任な『世間』の罵声が本人を含め関係各所に直接届く時代になりましたからね」とシバの女王。
「自分は『世間』という不特定多数の一人だと思っているから、批判の名のもとに悪意の箍が外れています。
殺人予告を繰り返して逮捕された投稿者の『そんなつもりはなかった』という供述を何度聞いたことでしょう」とミカエル。
「殺人予告者は裁けても、メディアや世間は裁けませんよね」
ベリアルが確認する。
「ゴシップメディアが世間を煽らなければ、こんなことにはならなかった。
自殺未遂の直接の原因は世間の心ない誹謗中傷だとしても、そのきっかけをつくったメディアにも問題はあるだろう」
そう言ってソロモンは顔をしかめ、ミカエルも顔をしかめながら言った。
「仰せの通りです。ゴシップメディアの節操のなさは、今にはじまったことではありませんが、昨今の報道の余波の深刻さを鑑みると看過できません」
「言論の自由を盾に反論し、逆に私たちを批判の標的にすべくキャンペーンを張ってくるのではないでしょうか」とベリアル。
「言論の自由を弾圧する為政者にはなりたくないな……」とソロモン。
「世間は他人の不幸が好物ですから、その楽しみを奪われるとなると何かともっともな理由をつけてメディアに味方するでしょう」とベリアル。
「しかし、そのせいで人ひとりの命が失われかけたのです」とミカエル。
「メディアは『そのせいで』を認めないでしょう」とベリアル。
「やはり営利目的の報道には、放任できない瑕疵もあるはずだ。
一度、ゴシップメディアの編集長を呼んで見解を質してみよう」
ソロモンは腰を上げた。
正義を謳ったことはない
ソロモン王は業界トップのゴシップメディアの編集長を晩餐に招いた。
「あなたが編集長を務める週刊メディアは、紙だけでなく動画なども含めた多彩な展開と、何よりも硬軟取り混ぜた内容で大人気だそうですね」
皮肉のつもりでソロモンは言ったが、編集長は動じなかった。
「恐れ入ります。これでも小社の稼ぎ頭ですから、私もスタッフも社内では大手を振って歩いております」
なぜここに呼ばれたか察しがついていながら、まったく悪びれない編集長にミカエルは大いに反感をもち、単刀直入に切り出した。
「あなたの週刊メディアに男女交際をスクープされてしまったアイドルが『死んでお詫びを』と手首を切ったことはご存じですよね。責任をお感じにはなりませんか」
編集長は少しだけ顔をこわばらせ、手短に応じた。
「痛ましいことと思いますが、責任を問われますと、また話が変わります」
「メディアは事実を報じただけで、世間からのバッシングやスポンサー離れなど報道後の余波の責任までは負えないということですね」とベリアル。
「私どもの立場をご理解いただきありがとうございます。もちろん、誤報であったならば、お詫びもしますが……」
「理解はしていません。アイドルとはいえ、恋をしたい年ごろの若者です。
それを恋愛スキャンダルとして公表するのは、まったく大きなお世話。
そもそも営業妨害ではありませんか」とミカエル。
「私どもは男女交際の事実を報じただけです。
それがスキャンダルになるなら、議論されるべき問題は、恋愛禁止を暗黙のルールとして強要する業界やファン、またそれを了解したふりをしておきながら恋愛をする本人たちの是非でしょう」
「話をすり替えないでください」
身を乗り出すミカエルを制しながらシバの女王が言う。
「あなたのメディアは、政治家の汚職や巨大企業の不正などを告発する硬派な記事もたくさん発信されています。そうした、いわば公益に資するような記事を増やされたほうがよいのでは?」
「市井に暮らす読者が知りたいのは、公益に資するような硬派な記事ばかりではありません。それは編集長である私も同様です」
「だとしても、アイドルの恋愛を暴露することに何の意味があります?
そこに、正義はあるんですか」
嘲るような口調のミカエルに、編集長は胸を張って反論した。
「掲載する記事の硬軟を含めて、それを報道する意味の有無は、企画の採用不採用をまったく左右しません。
そして何より、大前提として申し上げておきますが、私どものメディアは『正義』を謳ったことなど一度もありませんよ」
「あ、開き直って悪漢を気取るなんて卑怯です」
ミカエルが抗議する。
「だったら、何を基準に報じているのですか」
ソロモンが質した。
「乱暴に言えば、やっぱり、ただの興味本位です。
もう少し丁寧に言えば、善悪や清濁がアンビバレントに存在している愚かなれども愛すべき『人間』への尽きせぬ興味ということになるでしょうか」
「結局は売らんがためでしょう」とミカエル。
「商売ですからね」とベリアル。
「たくさん売れるということは、それだけニーズがあるということです」
編集長が非を認めることはなかった。
ハンムラビ王の法典
編集長を招いた翌日のソロモン王の執務室。
「感じの悪い男でしたね」
ミカエルが皆に言った。
「感じの悪い男が率いるメディアが一般市民のニーズをつかんでいるのですから、人間とは総じて感じ悪い生き物だということですよ」
ベリアルが笑う。
「まあ、誰しも聖人のようには生きていけないことは確かだ」
吐息とともにソロモン。
「しかし、大手メディアの長たる者が『正義を謳わない』と開き直るのは、ミカエルも咎めていましたが、私もいかがなものかと思います」
シバの女王は眉を顰めた。
「堂々と正義を謳って、清廉潔白な記事ばかりを並べるようなメディアが、業界のトップシェアを占められるとは到底思えませんが……」
ベリアルは再び笑う。
「誰からも品性を問われないゴシップメディアにとって『正義を謳わない』という宣言は、今後とも伝家の宝刀になるだろう。
法律にさえ触れなければ何でもありだ。ただ、これを放任していいのか、正直なところよくわからない。女王はどう思う?」
途方に暮れると、シバの女王に頼るのがソロモン王の常であった。
シバの女王が応じた。
「それならば王様、歴史上の人物のお話を聞いてみてはいかがでしょうか」
ソロモン王は身を乗り出した。
「妙案だ。で、誰を呼び寄せる?」
しばらく思案してから、シバの女王はある先人の名を告げた。
「王様は、ハンムラビ王をご存じですか?」
「聞いたことはあるような……」とソロモン王。
王の「聞いたことはあるような」は「知らぬ」を意味する返答である。
しかし、ソロモン王の「知恵」を信じる女王は、「知らぬ」ことなど意に介さず召喚をすすめ、王はミカエルとベリアルにそれを命じた。
その夜の晩餐に、ハンムラビ王は霊界から招待された。
シバの女王がソロモン王に紹介する。
「バビロン第一王朝の六代王、ハンムラビ様です」
「ハンムラビ様は、何と紀元前十八世紀ごろに活躍された王様です」
ミカエルの補足を聞き、ソロモンは恭しく頭を下げた。
「悠久の時を超えてのお出まし、誠に恐れ入ります」
ゴシップメディアの節操のない報道や、世間の過剰なバッシングについて意見を求めると、ハンムラビは言下にこたえた。
「まずは旗を振ったメディアに責任を取らせるべきだ。その上でメディアに踊らされた心ない市民たちにも責任を取らせるべきだろうな」
「責任を取らせるとは、どのように?」とソロモン。
ものわかりの悪い後輩に言い聞かせるようにハンムラビは語気を強めた。
「法で裁けばよいではないか!」
あわててシバの女王がソロモンに説明する。
「ハンムラビ様は、長く世界最古といわれてきた(小声で:研究が進み現在は最古ではないようですが)『ハンムラビ法典』を制定された王です。
つまり、体系化された法律によって国を治めた創成期の賢王なのです」
偉大なる先輩の登場にソロモンは大いにたじろいだ。
目には目を、歯には歯を
ベリアルが怖気づきながらハンムラビに言った。
「畏れながらハンムラビ様、ゴシップメディアの無節操な報道のほとんどが法的には問題ありません。なぜなら当事者たちが『公にされたくないこと』を節操なく公にしているだけなので……。
お金と時間をかけて当事者が訴えれば、名誉棄損などが認められることもありますが、結局はそれもあとの祭りで、受けたダメージが回復することはまずありません」
「世間のバッシングは裁けるのか?」
ハンムラビはいらだった。
「一部の殺人予告などを除けば、違法とは言い難いバッシングが主です。
昨今はその数が尋常でないため、並大抵のメンタルでは耐えられません」
「では、メディアや世間の標的にされてしまった者は、泣き寝入りするしかないのか? そこに正義はあるのか?」
ハンムラビの言葉にソロモンが反応した。
「そこが厄介なところなのです。ハンムラビ様、正義とは何でしょう?」
ものわかりの悪い後輩に呆れ返るようにハンムラビは語気を強めた。
「強き者が弱き者を虐げないこと。要は、弱い者いじめをしないということだ。この時代の人間は、そんなこともわからないのか!」
「しかし、表現の自由がありますし……」とベリアル。
「人を虐げてもいい表現の自由などない!」とハンムラビ。
「悪気はなかったと言い逃れをする者もいます」とミカエル。
「本当に悪意のない過失と認められれば科せられる量刑は軽減されるべきだ。それでも相応の罰は受けるべきだろう」とハンムラビ。
「たとえば、どのような罰を?」
ソロモンが恐る恐る訊いた。
「わが法典を読め!」
あわててシバの女王が本棚から法典を取り出し、一部を紹介した。
「もし人が、他の人の目を潰したならば、その人の目も潰されるべし」
「もし人が、他の人の歯を折ったならば、その人の歯も折られるべし」
「まさに『目には目を、歯には歯を』ですね」とベリアル。
「先ほども言った通り、過失が認められた場合はこの限りではないぞ」
ハンムラビは法典のフレキシビリティも強調した。
「こういう条文もございます」
とシバの女王が読み上げる。
「もし人が、他の人の奴隷の目を潰したか骨を折ったならば、その人はその奴隷の値段の半額を支払うべし」
「過失の免責もないのに、目には目を、ではありませんね」とミカエル。
これまで迷いなく自信に満ちていたハンムラビが目を伏せた。
「実は当時のわが国には、上層自由人、一般自由人、奴隷という三つの身分があり、同じ罪を犯しても、身分によって刑罰に差があったのだ」
「身分の高い者が優遇される格差ですね」
ベリアルが確かめる。
「その通りだ。復讐法と呼ばれる同害報復の規定は、同じ階級間での規定でしかなかった。私は人間の平等についての認識を誤っていた」
肩を落として反省しているハンムラビを、現代の視点から見下すことなくソロモンは言う。
「あなたは正義を放棄せず、また正義を悪用もせず、常に正義と真摯に向き合った偉大な先達です。貴重なお話を有難うございました」
ソロモンの審判
ハンムラビ王の話を聞いた数日後、「正義を謳わない」という理論武装でさまざまなスキャンダル記事を乱発するメディアの一件について、ソロモンは王国の君主の名において審判を下した。
それは、ゴシップメディアを発行している企業の会長社長をはじめとする経営陣やその家族の素行調査であった。
最新号となるサイトをスクロールしながら、ミカエルが言った。
「舌鋒鋭い追及からはじまり、当事者の否認を受けて繰り出される生々しい証拠映像や音声、スキャンダラスな記事が並んでいるのは相変わらずです。
ただ、税金で禄を食む政治家や高級官僚、またメディアのスポンサーでもある巨大企業の不正の告発が多い。つまり公益に資する意図が見受けられる記事が増えたように思われます」
「王様は編集長を断罪されませんでした。よって編集長の交代もありませんが、興味本位で人を窮地に陥れるような記事は減りました。
経営陣やその家族の素行調査をすると、編集長はジャーナリストとしての矜持を取り戻すのでしょうか?」
シバの女王の問いかけにソロモンが応じる。
「正確には王室が経営陣やその家族の素行調査をするとアナウンスしただけで、実はまだ調査をはじめてもいない」
「そうでした。調査をしなくてもこの効果とは……」とベリアル。
「復讐法を公布したハンムラビ王の話が参考になった。
節操のない記事が減ったとすれば、探られると腹が痛み、叩かれると埃が出てしまうセレブ経営陣やその家族が、私の『目には目を』を怖れて編集に口を挟んだからだ。
いくら手強い編集長とて、所詮はサラリーマンだ。
国王の要請には逆らえても、自身のスキャンダルを怖れる経営陣の命令には逆らえないのだろう」
「経営陣やその家族のスキャンダルが、目には目をですか?」とミカエル。
「公表しても、さして世間は興味を示さないのでは?」とベリアル。
「世間はどうあれ、それが彼らの利害関係者に届けば身の破滅です」
シバの女王はソロモンの意図を理解したが、さらに問うた。
「それにしても、編集長の素行調査をしないのはなぜですか」
「編集長就任が決まった時点で、逆に自分も誰かから調べられることを想定して対策も立て、いざというときは身を切る覚悟もしているはずだ」
「そう言われると、そうかもしれません」
言われてはじめて気づくシバの女王にソロモンが続けた。
「編集長には身を切る覚悟があっても、いわば金になる汚れ仕事を編集長に任せている経営陣には、その覚悟がない。そこが狙い目だった」
「金になる汚れ仕事か……」
ソロモンの言葉をベリアルが静かに繰り返す。
「編集長は社内で大手を振って歩いていると言いました。確かに稼ぎ頭ですから、悪口を言う者はいませんが、配属を希望する者もいないのが現実で、スクープの多くは外部スタッフの持ち込みのようです」
ミカエルもいくばくかの同情を禁じ得ない口調で言った。
またしてもシバの女王は「そう言われて」気づき、感慨を述べた。
「そう言われると、そうかもしれません。
編集長が勤める会社は、天下国家を論じる総合誌、オートクチュール専門のファッション誌、高踏的な哲学書などを発行する一流出版社で、一流大学を出たエリートしか入社できません。
自他ともに認める優秀な社員の多くが配属を希望するのは、やはり稼ぎ頭の部署ではないでしょう。編集長だって入社当初は……」
露悪的だった編集長の態度を思い出しながらソロモンは言った。
「どのような紆余曲折があって彼がアンチヒーローを自認するようになったのか私は知らない。また、私はゴシップメディア無用論者でもない。
しかし、昨今のゴシップ報道のみならず、ある程度予見できるはずの報道後の過酷な余波を含めて鑑みると、正義を謳わない興味本位のスキャンダルについては、メディア側に一定の自主規制を求めたいと思う。
自主規制の基準については、日ごろから痛い腹と埃の出る体を持て余している経営陣に、わが事、わが家族の事と想定して熟慮してほしい」
(第4話につづく)https://note.com/sin_sen/n/n94009883fd94
(第2話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/nc3cd8f5ebf46
