『新ソロモンの審判』第2話(全11話)
第2話「在宅ワークの増加と、徳川家光の人間不信」
王妃会の陳情
ここは王国を統べるソロモン王の執務室。
丘の上に建つ宮殿の最上階にあって、バルコニーからは城下の美しい都が見渡せる。
王の側近であるシバの女王、ミカエル、ベリアルが顔をそろえた。
「前代未聞の陳情です!」ミカエルが声を荒げる。
「いにしえから幾星霜を経て今日に至る人の世で、『前代未聞』のことなどめったにあるものではございません」シバの女王が静かに制す。
ミカエルが今度は流暢に語りだした。
「世界を巻き込んだパンデミックの苦い経験から、今も外出時にはマスクを着ける人が大勢います。
また、リモート会議の導入など必要に迫られた試行錯誤を経て、世の中の働き方も少なからず様変わりしました。
さまざまな職種で在宅ワークが認められるようになり、オフィスへの出勤日が限られる会社や、実質的なオフィスがない会社なども増えています」
解説口調になっているミカエルをソロモン王が制する。
「陳情の話ではないのか」
「陳情の話です。王様は在宅ワークの増加についてどう思われますか」
「移動の負担などが減るのなら、悪い変化ではないと思うが……」
「私もそう思いますが、そう思わない人たちもいます。その急先鋒が今回の陳情者、全国王妃会であります!」
ソロモン王が君臨するこの王国は、少なからずある近隣の小王国を従属的な同盟国として内包していた。
シバの女王の国もその一つである。
そして各小王国の連携をはかりながらソロモンへの要望や提言を行う組織として、全国王会や全国王妃会があった。
「全国王妃会?」
ソロモンがシバの女王をうかがう。
「私は王妃ではなく女王なので、全国王会のほうです」と女王。
ミカエルが言った。
「全国王妃会は、在宅ワークが増加している昨今の風潮を何とかしてほしいと訴えています」
「なぜだ?」と王。
「夫である王様が、家にいることになるからです」
ミカエルの返答に、王も女王も言葉を失った。
ソロモン王とシバの女王は、結婚を前提とした恋愛関係にあった。
結婚してからも末永く仲睦まじい夫婦生活を夢想している二人とすれば、できれば知りたくなかった現役王妃たちの思いを知らされることになった。
「王様が家にいると、何か問題があるのでしょうか?」
不穏当な空気に気づいたベリアルが、身を乗り出してミカエルに尋ねる。
「さあ、それは私に聞かれても」とミカエル。
「将来の王妃として、シバの女王はどう思われます?」
意地悪なベリアルの問いかけにシバの女王は、「さあ……」とソロモン王に視線を向けることもできず困惑するばかりだった。
「とにかく、このままでは埒があきません。また、全国王妃会の陳情を無視するわけにもいきません」
ミカエルの言葉に、ソロモン王は顔をしかめた。
「……わかった。王妃会の会長を呼んで、事情を聞いてみよう」
亭主、元気で留守がいい
ソロモン王は全国王妃会の会長を晩餐に招いた。
「お招きありがたく存じます。いつになったらお呼び出しいただけるものかと、首を長くして待っておりました。
それにしましても、王様はいつも凛々しく、女王様はいつもお美しい」
宮殿を訪れた王妃会会長は、満面の笑みで挨拶をした。
長く王妃会の会長を務めているだけあって、形ばかりの追従の言葉でさえ年下の王や女王を気後れさせるほどの貫禄があった。
話が本題に移り、不躾なベリアルの
「なぜ、ご主人が家にいると困るのですか?」という質問に、
「目障りだからに決まっているじゃありませんか」
と王妃会長がこたえたとき、さすがに一同は度肝を抜かれ、続く
「まあ、それは冗談ですが……」
という言葉が耳に入らぬほどだった。
王妃会長は姿勢を正して訴えはじめた。
「きっかけは、感染症蔓延防止のための外出自粛でした。
多くの人が感染症を甘く見ていた当初は、うちに限らずどちらの国の王様も然りで、国民には外出自粛を強いながら自分はお忍びで飲み歩いたりするものですから、それこそ在宅を懇願しておりました。
やがて誰もが感染症の怖さを知るに至りますと、うちに限らずどちらの国の王様もステイホームに前向きになっていきました……」
「結構じゃありませんか」とベリアル。
「ええ、当時は。問題は、そのあとです。
ようやくパンデミックが落ち着くと、多くの国の王様は再び外に出ていくようになりました。
ところが、王様の一部が極端な出不精になってしまったのです。
公務に不可欠な外出も拒んで自室にひきこもっている王様もいます」
「仕事放棄か。それは困りましたね」
ミカエルが心配する。
「そればかりか、心身ともにひきこもることでくすぶったストレスを家族に向け、暴言を吐いたり暴力を振るったりする王様もあらわれました」
「ドメスティック・バイオレンスじゃないですか。それは深刻な問題だ」
ミカエルが重ねて心配した。
「まあ、出不精になった王様のすべてが仕事を放棄したり、乱暴になったりするわけではありませんが……」
「ほかにも、不都合なことがありますか?」
ソロモン王の問いに、王妃会長は大きく頷きながらこたえた。
「仕事があろうがなかろうがパンデミック前までは、うちに限らずどちらの国の王様も、仕事にかこつけて家を空けてばかりいました。
そうした生活に慣れ、それ相応のライフスタイルを見つけた多くの王妃にとって、在宅ワークが増えたせいで朝から晩まで夫の国王と顔を突き合わせて暮らすことになる、いわば『不慣れな日常』は……、やはり耐え難いものがございます!」
ソロモンが重ねて問いかけた。
「それは『亭主、元気で留守がいい』ということでしょうか?」
「あら、王様ったら、お人が悪い」
しばらくは王妃会長の甲高い笑い声が部屋を領した。
親に見限られた徳川家光
王妃会長を招いた翌日のソロモン王の執務室。
「なかなか迫力のある会長でしたね」とベリアル。
「はじめは公私混同の甚だしい陳情と憤慨しておりましたが、話を聞くうちに、会長の主張にも一理あると思いました」とミカエル。
ソロモン王は言った。
「前にも言ったように、それが可能な業種や業務であれば、在宅ワークへの移行は進歩的な働き方として悪いことではないと私は思う。
しかし、在宅ワークをめぐる働き方の変化と、それにともなう夫婦や家族関係の変化が折り合わないなど問題が生じているなら看過はできない。
在宅ワークを拒む王妃会長の主張を受け入れるべきか否か、また受け入れるとすれば、どこまで受け入れるべきか、正直なところよくわからない。
女王はどう思う?」
途方に暮れると、シバの女王に頼るのがソロモン王の常であった。
シバの女王が応じた。
「それならば王様、歴史上の人物のお話を聞いてみてはいかがでしょうか」
ソロモン王は身を乗り出した。
「妙案だ。で、誰を呼び寄せる?」
しばらく思案してから、シバの女王はある先人の名を告げた。
「王様は、徳川家光をご存じですか?」
「聞いたことはあるような……」とソロモン王。
王の「聞いたことはあるような」は「知らぬ」を意味する返答である。
しかし、ソロモン王の「知恵」を信じる女王は、「知らぬ」ことなど意に介さず召喚をすすめ、王はミカエルとベリアルにそれを命じた。
その夜の晩餐に、徳川家光は霊界から招待された。
シバの女王がソロモン王に紹介する。
「日本の江戸時代の三代将軍、徳川家光様です」
「中央集権と地方自治の両立を図った幕藩体制を整備し、徳川治世の基盤を完成させた賢君です」
ミカエルが補足をした。
家光は大きく手を振りながら否定する。
「私は賢君などではありません。
私が曲がりなりにも徳川三代将軍の重責を果たせたとするならば、それは江戸幕府の始祖である祖父の家康公と、乳母として献身してくれた春日局のおかげにほかなりません」
「ずいぶん謙虚でいらっしゃる」
そう言いながらソロモンは、少し解せない心の内を率直に尋ねた。
「ただ将軍、まずもって祖父や乳母という間柄の恩人への感謝を口にされるのはなぜですか。
身内への感謝なら、普通はご両親が先では?」
「ソロモン様はご存じないようなので申し上げます。
私の両親、二代将軍秀忠とお江は、幼いころの病弱で容姿も優れなかった私を見限り、弟を世継ぎにしようと考えていた時期がありました。
悲嘆に暮れて自殺未遂さえ起こした私を強く庇護して、深い愛情を注いでくれたのが家康公と春日局なのです」
参勤交代や鎖国の是非
「そうでしたか……。後継者問題は、何かと大変ですよね」
ソロモンは同情した。
家光に同情するソロモンに、ベリアルが声を潜めて耳打ちした。
「家光は、本当は家康と春日局の子だったという俗説もあります」
驚くソロモン。
ベリアルの耳打ちが聞こえたかのように家光は言った。
「私は不信に苦しみ、やがて誰も信じることができなくなりました。
江戸幕府を安定させたとされているいくつかの制度も、私の『人間不信』が根底にある危機管理で、参勤交代などはその最たるものです」
「参勤交代?」とソロモン。
王の疑問にはミカエルがこたえた。
「徳川幕府に仕える全国の大名たちが、定期的に自分の領地と江戸を行き来する制度です。
江戸に赴いた大名は一年を目途に江戸藩邸で暮らしました」
「要は、定期的に幕府に顔を出させ恭順の意を確かめたのです。
放っておくと地方で力を蓄えて、いずれ謀反を起こすに違いないと疑っていました」
ミカエルの返答を解説するように家光が言った。
「ご明察。放っておけば、いずれ謀反を起こすでしょう。
主従の信頼関係など、あってなきがごときものです」
ベリアルは家光の不信を高く評価した。
「それは単身赴任ですか?」とソロモン。
「いえ、大名が暮らす江戸藩邸には、正妻と嫡子がいました」と家光。
「ならば寂しくないですね」とソロモン。
「とはいえ、大名が任期を終えて領地に戻るときにも、正妻と嫡子は江戸に残さなければなりませんでした。人質としてです」と家光。
「妻子が人質として江戸に残っているなら、大名は自分の領地に単身赴任をしているようなものだ。徹底した危機管理ですね」
ソロモンは苦笑した。
「徹底した人間不信、とお笑いください」
家光も苦笑した。
今度はシバの女王が家光に問いかけた。
「鎖国についてはいかがですか」
「鎖国とは?」
ソロモンがシバの女王に尋ねる。
「オランダや中国などの例外を除いて、外国との交通や貿易といった交流を絶った制度です。
キリスト教を警戒するためだったといわれています」
シバの女王は、ソロモンに説明しながら家光を見た。
家光が口を開いた。
「どんな制度にも諸々の意図があるものですが、鎖国の最たる目的はやはりキリスト教の流行を水際で防ぐことでした。
私は、キリスト教の何たるかを知らず、知ろうとも思いませんでしたが、その人気に嫉妬し、その流行を警戒しました。
全国の民が、将軍ではなく、キリストの言葉に従うことを恐れたのです」
「移ろいやすく流されやすいのが大衆心理ですからね」とベリアル。
「将軍のお気持ちもわかりますが、鎖国という『国を挙げてのひきこもり』は、その後ペリー来航まで二百年以上続くことになりました」
とシバの女王。
「私の人間不信と臆病な危機管理が、代々受け継がれてしまったようです」
反省が過ぎる家光にソロモンは言った。
「どんな制度にも功罪はあるものです。
言いづらいことも含めて、貴重なお話を有難うございました」
ソロモンの審判
徳川家光の話を聞いた数日後、王妃会長が訴えた在宅ワーク増加の一件について、ソロモンは王国の君主の名において審判を下した。
それは、従属する小王国の王たちに課す、ソロモン版の参勤交代の実施であった。
都を離れて視察に向かう列車のボックス席で、ソロモン王は駅弁を頬張りながら快活そうに隣の席のシバの女王に言った。
「考えてみれば、みんなで遠出をするのは久しぶりだ。車窓に流れる美しい景色を眺めながら食べる弁当は格別だな」
「よい気分転換になります」とシバの女王。
「リモート会議が増えて、出張は減りましたからね」
向かい合って座るミカエルとベリアルも同意した。
「今回、王妃会の陳情を受け入れられた王様の真意をお聞かせください」
シバの女王の問いかけにソロモンがこたえる。
「在宅ワークの効率性とは別に、徳川家光の話が参考になった。
われらが連合王国の都を、各小王国の王が訪れることはめったにない。
それは私が諸国の自治を尊重しているせいだが、管理不行き届きとしての放置となれば、中央集権体制のほころびにつながると大いに反省した。
家光将軍が強いたような長期滞在は不要だが、定期的な一定期間の滞在によって、膝を突き合わせ、腹を割って話し合うことは必要だろう。
また、各国の王を呼び寄せるだけでなく、本日のように私もなるべく各国の視察に向かおうと思っている」
「公的な危機管理としての参勤交代の実施が、結果的には私的なトラブルに窮した王妃会の願いを叶える形になったのですね」
ソロモンと同じように駅弁を食べながらミカエルが言った。
ミカエルの解釈をソロモンは若干修正する。
「いや、優先順序とすれば逆になる。
王妃会の陳情を解決しようとした結果が、公的な危機管理にもつながったというほうが正確だろう。
王妃会長が実情を訴えたひきこもりや家庭内暴力は、私的な問題であると同時に社会問題であり、決して後回しにできる問題ではなかった」
ミカエルは王の状況判断に納得しながら、重ねて問うた。
「では、いみじくもシバの女王が『国を挙げてのひきこもり』と言い換えた家光の鎖国政策についてはどうお考えですか?」
「キリスト教の流行を強く警戒した家光将軍の洞察は、為政者として優れていると私は思う。
ただ、やはり鎖国までして排除するのは感心できない。
家光以降の将軍の責でもあるが、外気を遮断したまま二百有余年も過ごせば、当然のことながら日本の国際競争力は低下する。
国の指導者として、時には傷つかない道ではなく、傷ついても強くなれる道を選ぶ勇気も大切だ」
「傷ついても強くなれる道を選ぶ勇気……」
ミカエルが感慨深げにソロモンの言葉を反芻する。
「口で言うのは簡単だからな」
ソロモンはおどけた。
駅弁を食べ終えたベリアルが冗談まじりに言った。
「王妃会の陳情を受けて、家光将軍の鎖国を参考にした在宅ワークよりも、現代版参勤交代によって定期的に『亭主、元気で留守がいい』という状態をつくることを優先されたわけですね」
朗らかに笑ってソロモンがこたえる。
「甘い新婚時代ならいざ知らず、夫婦生活も長くなれば、適度な距離の確保もきっと必要になるのだろう」
「離れて暮らすと、すっかり忘れていた愛情がよみがえることもあります。
この度の参勤交代が思わぬ効果を生むやもしれません」とミカエル。
蜜柑の皮をむき、三人の会話を聞き流しながら、
『私はいつでも、いつまでも、王様のそばにいてさしあげたい』
と、まだ結婚生活を知らぬシバの女王は思った。
(第3話につづく)https://note.com/sin_sen/n/n4d5290cba81c
(第1話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n0d2f51a2081c
