『新ソロモンの審判』第10話(全11話)

第10話「権力者の性暴力と、マリリン・モンローの伝説」


メダリストの告発

 ここは王国を統べるソロモン王の執務室。
 丘の上に建つ宮殿の最上階にあって、バルコニーからは城下の美しい都が見渡せる。
 王の側近であるシバの女王、ミカエル、ベリアルが顔をそろえた。
「前代未聞の権力乱用です!」ミカエルが声を荒げる。
「いにしえから幾星霜を経て今日に至る人の世で、『前代未聞』のことなどめったにあるものではございません」シバの女王が静かに制す。

「王様は前回のオリンピックをご覧になりましたか」とミカエル。
「当然ではないか。私はスポーツが大好きだ。
 わが国の代表選手だけでなく、すべての国のアスリートを応援した。
 で、それがどうした?」とソロモン。
 おもむろにミカエルはこたえた。
「前回のオリンピックで金メダルを獲得した、C国の有名な女性アスリートが、その国の大統領に愛人関係を強要されているようなのです」
 
「大統領の愛人? C国の著名な金メダリストといえば……」
 首を傾げるソロモンに、ミカエルがヒントを出した。
「奇蹟の妖精、地上の女神、世界の恋人などと謳われた選手です」
「M選手ではないか!」とソロモン。
「何ですって!」とベリアル。
「そうなんです!」とミカエル。
 三人の(私情が少なからず加味された)大きな驚きと憤りに気圧されて、シバの女王は逆に冷静になった。

 ミカエルが続けた。
「権威ある欧州の雑誌に独占インタビューが掲載されました。
 信頼度の高い外国メディアからの報道ということで、世界的なトピックになっています。
 雑誌は先週発売されたばかりなので今後の展開はわかりませんが、現状では、当然C国の大統領は無視、政府の報道官も全面否定しています」
「まあ、そうだろうな……」
 国際社会から「王国を超える独裁国家」などと揶揄されているC国の反応を聞いてソロモンはつぶやいた。
「王様は報道の真相をいかが思われますか」とベリアル。
「おそらくは、そうあって欲しくない想像が、真相だろう」
 ソロモンの言葉にベリアルは頷いた。
「雑誌の記事は誰か読んだのか」とソロモン。
「私は読みました。M選手だけではなく、長年に亘って数えきれないほどの被害者がいるようです。
 また、加害者も大統領だけでなく親族にまで及び、権力者たちの生々しい性暴力の実態が赤裸々に告発されている印象です」
 ミカエルはため息をついた。
「だったら、なおさら大統領側は認めないでしょうね」
 シバの女王もため息をつく。
「大統領の追い落としを狙う反対勢力が、M選手を犠牲にして仕組んだ決死のハニートラップという可能性はありませんか?」とベリアル。

 ミカエルやシバの女王と同様に、やるせない思いでため息をつきながら、ソロモンが言った。
「いずれにしてもM選手の安否が心配されるな。彼女は今どうしている?」
「わが国に滞在しています」とミカエル。
 あまりに意外すぎるミカエルの返答で、しばらくは二の句が継げない状態のソロモンだったが、辛うじて言った。
「……ならばここに呼んで、事情を聞いてみよう」
 

翻った本人の証言

 ソロモン王は(まさに偶然、スポーツの国際親善大会のゲストとして王国を訪れていた)Mを晩餐に招いた。
 晩餐の席についたMの顔つきやしぐさは明らかに不自然で、懸命に平静を装って警戒心を覆い隠しているようだった。
「雑誌の発売前にわが国に到着していてよかった。発売後であれば、国外に出ることも許されなかったでしょう」とシバの女王。
「私たちは、あなたの力になりたいと考えています」とミカエル。
「つまり私たちは、C国政府の味方ではありませんから、ここでは安心してください」とベリアル。
「困っていることを何でも話してください」とソロモン。

 それでも落ち着かない様子のMは、笑顔を引きつらせながら言った。
「インタビュー記事のことを仰っているのですね。
 私が今困っているのは、ありもしない被害が雑誌に掲載されて、世界中で大騒ぎになっていることです……」
「ありもしない被害? それは大統領に強いられた愛人関係のことですか。
 あなたはご自身の告発記事の内容を否定するのですか」
 シバの女王が一同を代表して質した。
「はい。あの記事はMETOO運動などに触発されて功名心にはやった記者が、私が経験したちょっとしたトラブルをセンセーショナルに脚色して世界の注目を集めようとした出鱈目です」
「METOO運動などにあなた自身が背中を押され、今回の告発を決心したと雑誌には書いてありましたが?」とミカエル。
「あの取材は、METOO運動などに対する意識調査のようなものでした。
 アスリートに限らず多くの著名人が同様の取材を受け、その趣旨に賛同の意を示しています。私もその内の一人にすぎません」
「運動の趣旨には賛同するが、あなた自身が大統領から受けたとされる被害は、すべて出鱈目ということですか?」と再びミカエル。
「私は取材後の余談として、大統領のことも含めて、熱心なファンとの間で起こりがちなトラブルを少し話しました。
 それを記者が誇張して、大問題にするものだから……」

「どんなトラブルですか」とベリアル。
「熱心なファンのいる人なら、誰もが何がしか経験したことのある疑似恋愛的なトラブルです。深刻な被害ではありません」
「……そうですか。
 ご本人がここまではっきり被害を否定しておられるのですから、これ以上私たちが首を突っ込む必要はないのでは?」
 証言を翻したMの頑なな態度に、いち早くベリアルが匙を投げた。
 ソロモンは考えていた。
『おそらく、彼女が雑誌で告発した内容は本当のことだろう。
 ただ、今になって彼女は(概ね世論が彼女に与しているにもかかわらず)その反響の大きさに告発を後悔している。なぜか?
 ……身の危険を感じているからだ』

 ソロモンは平静を装いきれず怯えているMに言った。
「Mさん、よく聞いてください。確かにC国内での大統領一族の権力は強大で、彼らに対する批判は容易ならざることでしょう。
 しかし、彼らの権力が国際社会でも同様に絶対的かといえば、それは違います。私たちは、あなたを救うことができるのです!」


マリリン・モンローの謎

 Mを招いた翌日のソロモン王の執務室。
「王様は、彼女が嘘をついていると思われますか?」とシバの女王。
「そう考えるのが妥当だろう」とソロモン。
「雑誌のインタビューで告発した内容は本当で、昨日それを否定した証言が嘘ということですね」
 ミカエルが確かめる。
「報復されることへの恐怖がそうさせたんだ」とソロモン。
「言論をはじめ、さまざまな自由が制限されているC国の内情を考えれば、王様の推察が正しいのかもしれません。
 しかし、昨日のように本人に公然と被害を否定されてしまうと、こちらは手の出しようがありません」とベリアル。
 ソロモンは腕を組み、恨めしそうに言った。
「ベリアルの言う通り、彼女自身が証言を翻してしまうと、報復を恐れた嘘だとわかっていても、大統領側の罪を追及するのは難しいだろう。
 どうすれば彼女を悲劇から救えるのか、正直なところよくわからない。
 女王はどう思う?」
 途方に暮れると、シバの女王に頼るのがソロモン王の常であった。
 シバの女王が応じた。
「それならば王様、歴史上の人物のお話を聞いてみてはいかがでしょうか」
 ソロモン王は身を乗り出した。
「妙案だ。で、誰を呼び寄せる?」
 
 しばらく思案してから、シバの女王はある先人の名を告げた。
「王様は、マリリン・モンローをご存じですか?」
「聞いたことはあるような……」とソロモン王。
 王の「聞いたことはあるような」は「知らぬ」を意味する返答である。
 しかし、ソロモン王の「知恵」を信じる女王は、「知らぬ」ことなど意に介さず召喚をすすめ、王はミカエルとベリアルにそれを命じた。
 その夜の晩餐に、マリリン・モンローは霊界から招待された。

 シバの女王がソロモン王に紹介する。
「一九五〇年代のハリウッドで活躍し、世界中の男性を虜にしたといっても過言ではない俳優、マリリン・モンロー様です」
「あなたでしたか! ようこそお越しいただきました」
 マリリンの映画を見たことはなくとも、映画のポスターやグラビアは見たことのあるソロモン王は、親しげに彼女を歓迎した。
 シバの女王は(必要以上に相好を崩しているように見える)ソロモン王の歓迎ぶりに、気を悪くしながらマリリンに切り出した。
「銀幕のスターとして彗星のようにあらわれたあなたは、シャネル№5など数々の伝説を残し、三十六歳という若さでこの世を去りました。
 本日は謎のベールに包まれているあなたの生と死の真相についておこたえいただきます」
「そんな詰問口調で迫らなくても……」とミカエル。
「女王はご機嫌斜めのようですね」とベリアルは笑う。
「女王様、私はあなたの王様を誘惑したりしないわ。
 だから、どうぞ安心して」
 落ち着いたマリリンの声が、なぜかシバの女王の動揺を、静めた。

真実は胸の内に

 シバの女王は不思議な気がした。
『感情の襞を逆撫でするような台詞のはずなのに、彼女から言われると本当に安心できる。
 同性からのありとあらゆる嫉妬を散々に受けた人だからこそできる沈着なあしらいなのだ』
 シバの女王のマリリンへの反感は好感に変わった。
 
「ところで、シャネル№5の伝説とは?」
 王が女王に尋ねた。
「インタビューで『夜は何を身につけてベッドに入りますか?』と訊かれたときの彼女の返答です」と女王。
「私が『シャネル№5を数滴』とこたえたことね」とマリリン。
 シバの女王とマリリンの言葉を反芻していた王が声を上げた。
「シャネルの香水をつけるだけで、あとは何も着ていないということか!
 実に機知に富んだセンシュアルな返答だ」

「そのエピソードは私も知っていますが、セックスシンボルと謳われていたモンロー伝説として、少し話ができすぎているような……」
 と懐疑的なミカエル。
「同感です。噂好きの誰か、または商売上手な誰かが世間の関心を引くために、あとから創作した伝説としか思えません」
 ベリアルもミカエルに同意した。
「なるほど……。で、モンローさん、本当のところは?」
 ソロモンの問いに、マリリンは艶やかな笑顔を返しながら言った。
「私が本当はこうですと証言することに、どれほどの意味があるかしら?」
「意味はあるでしょう。本人の証言なんですから」とソロモン。
「私が嘘をついているかもしれないわ」とマリリン。
「……確かに。その必要があれば、嘘もつくでしょう」とミカエル。
「本当のことを話しても、信じない人もいるでしょうね」とベリアル。
「伝説って、そういうものよ」
 マリリンの卓見が三人を唸らせた。

 今度はシバの女王が思い切って問いかけた。
「では、あなたの謎の死因についてはいかがですか」
「謎の死因とは?」
 驚く王が女王に尋ねた。
「彼女が若くして自宅寝室で死亡したとき、死因は睡眠薬の過剰服用による自殺とされました。
 しかし、他殺説があとを絶ちません。なかでも、彼女が不倫関係にあったアメリカ大統領ジョン・F・ケネディの関与が……」と女王。
「大統領との不倫?」
 ソロモンはMのことを想起して絶句する。
「彼女は大統領というよりも、大統領一族の手で抹殺されたという噂があります。何かを『知りすぎた』ということでしょう」とベリアル。
「本当のことですか?」
 ミカエルが迫った。

「こたえたくありません。
 ただ、それではあんまりだから、ひとつだけ本当のことを教えてあげる。
 それはジョンが私を愛してくれたように、私もジョンを愛していたということ。それだけのことよ」
 凛として美しいマリリンの態度に、事の全貌はわからなくても、王も女王も満足した。
「貴重なお話を有難うございました」とソロモン。
「どういたしまして。そうね、ついでにもうひとつ。
 私が『シャネル№5を数滴』とこたえたのも、本当のことよ」
 とマリリンは笑った。


ソロモンの審判

 マリリン・モンローの話を聞いた数日後、大統領からの性被害を告発し、すぐにその告発を否定したM選手の一件について、ソロモンは王国の君主の名において審判を下した。
 それは、帰国を目前に控えたM選手への「亡命のすすめ」であった。
 
 再び招いた晩餐の席で、ソロモンは国際問題に発展するリスクを承知の上で、M選手の自由に与する決意のほどを示した。
「あなたがC国にいる限り、隷属を強いられる暮らしが変わることはないでしょう。思い切って、わが国に亡命なさい。
 私たちはあなたの身の安全を保障しますから、改めて受けた被害を世界に向けて告発すればよろしい」
「政治亡命を受け入れるということですか?」とミカエル。
「さすがにC国も黙っていないでしょう」とベリアル。
 
 王の言葉に衝撃を受けていたMが、ようやく口を開いた。
「C国では、私の家族が暮らしています」
「では、ご家族もいっしょに亡命できる方策を練りましょう」と王。
「王様、C国には家族だけでなく親類縁者もいるのです。
 また、私をメダリストにしてくれたコーチやスタッフなど恩人や関係者もたくさん暮らしています。
 私個人の事情による亡命や告発は、彼らの社会的な地位や信用を奪うだけでなく、場合によっては生命にかかわるような深刻なダメージを与えることになるでしょう」
「で、では、あなたの親類縁者や関係者の亡命も……」と王。
「親類縁者や関係者にも私と同様の大切な絆があり、そんなことを言い出したらきりがありません。
 人のつながりの線引きは不可能です。
 また、たとえ王様がそうしたありとあらゆる人脈の亡命を許してくださるとしても、私ひとりのせいで彼ら全員に生まれ育った祖国を捨てさせることなど、到底できない相談です」
「彼女は多くの愛すべき人を、人質に取られている状態なのです」
 ミカエルがソロモンに言った。
「彼女が亡命すれば、必ず親しい誰かを見捨てることになるでしょう」
 ベリアルもソロモンに言った。
 言葉を失った王に、Mは微笑みながら言った。
「王様のお気づかいには心から感謝いたします。
 でも、ご心配には及びませんよ。何度も申し上げました通り、私には告発すべき憂いなどないのですから」
 Mの口調は諦念に沈んでいたが、その表情は盾になろうと決意してくれたソロモンへの謝意に満ちたものでもあった。

 忸怩たる思いの王に見送られ、Mは予定通りC国に帰国した。
 いつになくソロモンは痛飲し、自分を責めた。
『彼女が天涯孤独の人でもない限り、祖国に後足で砂をかけるような亡命ができないことなど、少し落ち着いて考えればわかることだ。
 私の短絡的な提案は彼女を救うどころか、改めて絶望させてしまった。
 マリリン・モンローと同じように、Mもまた、悲劇のヒロインとして歴史の闇に吸い込まれていくしかないのだろうか……』
 

 しばらくしたある朝、ソロモンに驚くべき一報が届く。
「C国でクーデターが起きて、政権が崩壊しました!」とミカエル。
「何だと! で?」と王。
「大統領は一族もろとも拘束されました。
 すぐに特別法廷が開かれて死刑が確定し、まもなく処刑されたようです。
 武力革命ですが、国の民主化が目的なので、世界は新しい政権を支持するものと思われます」とベリアル。
「Mはどうなった?」と王。
「大統領一族の非道を革命にも先んじて世界に告発した勇気が称賛されて、民主化のヒロインとなりました」とシバの女王。
「そうか、それはよかった。
 私は、何の役にも立てなかったが……」

 その夜、王の寝室にあらわれた女王は、朝とは違う一報を届けた。
「生前のマリリン・モンローに、先日の私たちのように№5の伝説について確認した雑誌取材があり、録音テープが残っていたようです。
 その中でマリリン本人が伝説を肯定する肉声が、二〇一二年に世界に公開されています。
 貴重なテープを入手してSNSで公開したのは、ほかでもない伝説の香水をつくったシャネル社でした。
 商売上手な誰かが、ブランドの宣伝のために、発言のファクトについては証明したということですね」

 ソロモンは黙ってシバの女王の話を聞いていた。
 そして力なく笑い、言った。
「シャネル社は大したものだ。それが商売目的でも、モンローの『伝説』を信じるに値する『事実』に変えたのだから。
 武力革命もまた然りだ。私には救えなかったMを力づくで救い、『悲劇』ではなく『勝利』のヒロインにした。
 私には武力革命の真似はできず、そのためにMを救えなかった。
 彼女を見殺しにするところだった。何が国王、何が審判だ?
 私は、自分の無力さが、本当に恥ずかしい……」
 女王が王を慰めた。
「審判を下す『権力』を手にした人の多くは、自分の『能力』を過信して、間違いに気づかない、もしくは間違いを認めないものです。
 自分を過信せず、間違いを疑い、不足を嘆くことができる王様を私は尊敬いたします」

 すぐには立ち直れないソロモンは、失意のままシバの女王が身にまとったシャネル№5の香りに包まれて眠った。


(第11話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/na3db36f8d5f4
(第9話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n1311bad00a03

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