『新ソロモンの審判』第11話(全11話)

第11話「戦争反対の声の危うさと、チャールズ・チャップリンの勇気」


戦争に傾く政府

 ここは王国を統べるソロモン王の執務室。
 丘の上に建つ宮殿の最上階にあって、バルコニーからは城下の美しい都が見渡せる。
 王の側近であるシバの女王、ミカエル、ベリアルが顔をそろえた。
「前代未聞の閣議決定です!」ミカエルが声を荒げる。
「いにしえから幾星霜を経て今日に至る人の世で、『前代未聞』のことなどめったにあるものではございません」シバの女王が静かに制す。

「……確かに女王の仰せの通りで、前代未聞どころか、いにしえから幾星霜を経ても、性懲りもなく繰り返される『戦争』の新たな幕開けです」
 そう言うと、ミカエルは大きく嘆息した。
「もしかして、わが国とR国との戦争ですか?」とシバの女王。
「その通りです」とミカエル。
「度重なる領空侵犯や領海侵犯の横行だけでなく、近年はわが国への攻撃を暗示したミサイル実験が行われるようになり、国際社会も含めて大いに批判されてはいましたが……」とベリアル。
「しかし、それはR国の瀬戸際外交のひとつであって、政府は一貫して挑発には乗らないと公言していたはずですが……」とシバの女王。

 信じられないという口調で、ソロモンはミカエルに質した。
「R国への宣戦布告について、閣議決定がなされたということか?」
「その通りです。
 もちろん、宣戦の大権は国王であるソロモン様にあります。
 たとえ、総理大臣をはじめ全閣僚の意見が一致していたとしても、王様の認可がなければ開戦は不可能です。
 ただ、現時点でも大事であることに変わりはありません」
 神妙な面持ちでミカエルがこたえた。
「先の戦争で敗れたわが国は、それこそ前代未聞の甚大な戦禍を被った。
 犠牲者の御霊に、同じ轍は踏まないと誓ったはずのわが国が、再び戦争への道を選択するとは……」
 ソロモンは、まだこの事態を信じられないでいた。

 言いづらそうに、ミカエルが言う。
「私も王様と同じく信じ難い気持ちですが、あえて申し上げれば、そうしたわが国の『戦争放棄』の姿勢が、反目するR国などに、付け入る隙を与えてしまうのかもしれません」
「付け入る隙とは?」とソロモン。
「この国は、何をしても武力で対抗してくることはない、という隙というか楽観を与えてしまうのでしょう」
 ミカエルの代わりに、ベリアルが応じた。
 言いづらそうに、ソロモンが言う。
「……そんなことはない。わが国とて、戦争をしかけられれば、専守防衛に徹した武力行使は辞さない」
 シバの女王が話に割って入った。
「私たち四人で話していても埒があきません。
 総理大臣に、どういうつもりなのか、話を聞きましょう」

国民の負託に応えるために

 ソロモン王は、(用件を内示した上で)宣戦布告を閣議決定した総理大臣を晩餐に招いた。
 国家の一大事に殺気立つソロモンとは対照的に、総理大臣は柔和な表情を崩さず話した。
「事情が事情ですので、お招きがなくても、近く王様の勅許を賜るべく参上するつもりでおりました」と。
「私は常日頃から、わが国の政治指導者である総理や閣僚たちのことを尊敬しており、その閣議決定を軽く見るつもりはありません。
 だからこそ、今回のR国への宣戦布告という政治判断には、猛烈な違和感があり、現時点では到底認可することはできません。
 何をもってこのような決定に至ったのです?」

 議会の過半数の議席を占める与党の党首らしく、落ち着いた口調で総理が応じる。
「勿論、もろもろの要因を総合的に判断した結果ということに……」
「そうした記者会見のような返答は不要です」
 ベリアルが、いつになく真面目な口調で、総理を制した。
「われわれは、閣議決定を責めているのではありません。
 あくまで内輪の話として、総理や閣僚たちの真意を教えてください」
 ミカエルが助け舟を出す。
「では、私が開戦やむなしと判断した主要因を三つ申し上げます。
 閣僚たちの真意は、各人に訊いていただくほかありませんが……」
 政治家らしい皮肉を言わずにはおれない総理に、シバの女王は閉口した。

「一つ目は、R国のミサイル実験の失敗です。
 ご存じの通り、海上に落ちるはずだったミサイルがわが国の本土に落下、爆薬は充填されていなかったものも、落下地点で死傷者が出ました。
 R国は『事故』に対して、すぐに遺憾と謝罪の意を示しましたが、これをわが国への意図的な奇襲攻撃と捉えた国民は少なくありません」
「さすがにあのときは、国中が緊迫したな」とソロモン。

「二つ目は、ミサイル実験の失敗を受けて、新聞大手4社が同時に実施した大規模な世論調査の結果です。
 R国との戦争について「賛成」「どちらかといえば賛成」が、事前の予想をはるかに上回る七割にまで達したのです」
「死傷者が出て、報復感情が高まりましたからね」とシバの女王。
「また当時、ミサイル迎撃システムが機能しなかったことから『やられる前にやるしかない』という世論も醸成されました」とミカエル。

「そして三つ目は、R国と干戈を交えた際の『勝算』です。
 国力の違いは歴然としており、わが国の敗戦は、まずあり得ません。
 また、R国は札付きの独裁国家で、国際社会もわが国の判断を支持するであろうと思われるからです」
「勝ち戦だからやるということですね」とソロモン。

「私は、いわゆる『エゴ』で、開戦に賛成したわけではありません。
 この戦争をはじめても、利権がらみの私利私欲が満たされることはなく、この戦争に勝っても、ノーベル平和賞はもらえないでしょう。
 ただ、私は総理大臣として、R国の脅威から国民を守らなればならない。
 大多数の国民の声、その負託に応えなければならない。
 それだけです」
 総理大臣は、ここぞとばかりに大見得を切った。


チャップリンが笑い飛ばした独裁者

 総理大臣を招いた翌日のソロモン王の執務室。
「総理は、開戦の決定は、自分のエゴではなく、国民の意思に応えるものだと言っていましたね」とベリアル。
「世論調査の結果をどこまで重く見るかですが……」とシバの女王。
「最悪の場合、武力行使に舵を切った政府の方針を認可しなければ、国民の不満が王室に向けられるおそれがあります」
 ミカエルの指摘にソロモンが敏感に反応する。
「国民に愛され、支持されてこその王室だ。
 私の口出しで反感を買うことは、何が何でも避けたいな……」
「では、開戦の勅許を下されますか?」
 ベリアルが迫る。

 ソロモンは苦り切った表情で言った。
「私は国王として、国民が望むような舵取りをしたいと思う。
 しかし、世論調査の結果を受けて、R国に宣戦布告をすることが、この国の指導者として正しい判断なのか、正直なところよくわからない。
 女王はどう思う?」
 途方に暮れると、シバの女王に頼るのがソロモン王の常であった。
 シバの女王が応じた。
「それならば王様、歴史上の人物のお話を聞いてみてはいかがでしょうか」
 ソロモン王は身を乗り出した。
「妙案だ。で、誰を呼び寄せる?」

 しばらく思案してから、シバの女王はある先人の名を告げた。
「王様は、チャールズ・チャップリンをご存じですか?」
「聞いたことはあるような……」とソロモン王。
 王の「聞いたことはあるような」は「知らぬ」を意味する返答である。
 しかし、ソロモン王の「知恵」を信じる女王は、「知らぬ」ことなど意に介さず召喚をすすめ、王はミカエルとベリアルにそれを命じた。
 その夜の晩餐に、チャールズ・チャップリンは霊界から招待された。

 シバの女王がソロモン王に紹介する。
「一九二〇年代の無声映画時代から大いに活躍し、トーキーの時代になってからも主演俳優、監督、脚本家を兼務して多くの名作を残した『喜劇王』、チャールズ・チャップリン様です」
 多くの主演作で演じたお馴染みの浮浪者役の姿で現れたチャップリンを前にして、ソロモンが気まずそうにシバの女王に言った。
「……いや女王、独裁国家との戦争の是非というシビアな問題に悩んでいるこのときに、『喜劇王』をお招きしてどうする?」
「ご心配には及びません。
 チャップリン様は偉大な喜劇王であると同時に、その作品で鋭い社会風刺や政治批判をした映画人でもあります」とシバの女王。
「その中でも『独裁者』は、ナチスドイツを率いて人類を第二次世界大戦に巻き込んだ同じ時代に実在した独裁者、アドルフ・ヒトラーをモデルにし、痛烈に批判した作品です」
 ミカエルが補足した。
 納得したソロモンが、チャップリンに詫びた。
「なるほど、それは失礼いたしました。どうぞ悪しからずご容赦いただき、ご意見を拝聴させてください」

自由を守るためなら戦う

「ヒトラーを風刺する映画をつくろうと思われたきっかけは、やはり政治的な使命感からですか?」
 シバの女王が尋ねた。
「最終的にはそうですが、きっかけは違います。
 私が浮浪者役で演じていたこのチョビ髭の容貌が、ヒトラーに似ているという友人の指摘がきっかけです」
「顔が似ていた、というだけの理由ですか?」とベリアル。
「ええ。人違いのドタバタ劇に使えるということで、それ以上のあまり深い意味はありませんでした」
「あなたはヒトラーと同じ年でもありますね?」とミカエル。
「はい。私とヒトラーは誕生日が四日しか違わない同い年でした。
 顔以外の共通点もありましたね」

「きっかけは安易だったかもしれません。
 でも、最終的にあなたは、映画のラストで、主人公の六分間にも及ぶ演説によって、ヒトラーに象徴される独裁者を痛烈に批判しました。
 差別や搾取に虐げられる人民や、簡単に使い捨てにされる兵士に向けて、絶望してはいけない、自由を守るために、みんな手をつなごうと呼びかける姿は感動的で、いつまでも色褪せることはないでしょう」
 シバの女王が力説した。
「そうして反戦映画の名作が生まれたのですね」
 女王の言葉を受けて、ソロモンが言った。
 王の言葉を受けて、チャップリンが言った。
「私は、ヒトラーのような独裁者や、ナチスドイツのような政治体制を批判しましたが、『独裁者』が純粋な反戦映画かどうかは、また別の話です」
「どういうことですか?」とソロモン。
「映画がヒットして政治的意見を求められることが増えた私は、当時はまだ中立だったアメリカ政府に、ドイツとの交戦を促す発言を繰り返しました。
 私は自由を守るための、やむを得ない戦争は否定しません」
「なぜ外交努力ではなく、武力行使なのでしょうか?」とシバの女王。
「話せばわかる、といった相手ではないからです」
「確かに、通じないでしょうね」とベリアル。

 ミカエルが申し開く。
「もちろんチャップリン様は、決して好戦的ではない平和主義者です。
 だからこそ『独裁者』最後の演説は多くの人の胸を打ち、世界中でヒットしたのです」
「ところが、多くの人の胸を打った平和主義者の最後の演説は、共産主義的だと糾弾されもしました」とベリアル。
「どういうことです?」とソロモン。
「私が『独裁者』でヒトラーを笑い飛ばしていた当時、丁度ドイツと交戦中だった国が、スターリン率いるソ連だったせいもあるかもしれません」
 チャップリンがこたえ、表情を曇らせて続けた。
「第二次世界大戦の終結後も、アメリカとソ連を盟主とする東西冷戦の影響から、私を左翼的とする的外れな攻撃は止まず、ついに私は、ハリウッドはおろか、アメリカを追放されてしまいました」
「祖国を追放されたのですか?」とソロモン。
「彼はイギリス人ですから、祖国ではありませんが……」とベリアル。
「自由を守るために独裁者を批判した人が、自由の国アメリカから国外追放の憂き目にあうなんて……」
 シバの女王が矛盾を嘆いた。

 女王の嘆きに微笑みながら、チャップリンが言う。
「ナチスドイツであれ、赤狩りのアメリカであれ、ひとつの方向に流されていく時代の空気や、大衆心理の怖さを思い知りました。
 人種や国籍、思想信条といったカテゴライズされたものを妄信するのではなく、より個人的な尺度で、わが事として判断していかなければ、今後とも人は簡単に足元を掬われてしまうでしょう」

 思い出したように、ソロモンがチャップリンに尋ねた。
「それにしても、同時代の独裁者をモデルにして喜劇映画を制作するとは、大変な勇気が必要だったではありませんか?」
「確かに、相手はアドルフ・ヒトラーですからね」とベリアル。
 打ち明けるように、チャップリンがこたえた。
「実は制作当時の私は、のちに歴史に深く刻まれることになるナチスドイツの残虐非道な戦争犯罪の数々をくわしく知りませんでした。
 もし当時それを知っていたら、やはり怖気づいて制作を躊躇していたかもしれません」
 ソロモンが応じる。
「それにしても、妨害や報復は懸念されたはずで、大変な勇気を必要とする英断であったことに変わりはありません。
 改めて、あなたの勇気に敬意を表します。
 貴重なお話を有難うございました」


ソロモンの審判

 チャールズ・チャップリンの話を聞いた数日後、挑発を繰り返すR国への宣戦布告を閣議決定した一件について、ソロモンは王国の君主の名において審判を下した。
 それは、他国と開戦する場合は、(一定以上の地位の政治家や官僚など)戦争指導者の(一定範囲の年齢の男女を問わない)子女が、(軍人か否かを問わず)緊急徴兵され、例外なく、最優先で最前線に送られるという法整備であった。

 ソロモンの審判を受けて、戦争指導者として今回の法律の対象となり得る与野党の政治家、省庁の官僚、政治決定に関与する有識者(企業家、学者、文化人等)たちが騒然となった。
 法律の対象者のうち(本音はどうあれ、その矜持にかけて)見苦しく騒ぎ立てなかったのは、国軍の幹部たちだけだった。

 おっとり刀で宮殿を再訪した総理大臣は、戦争指導者たちの代表として、穏便に事を収めようと、笑顔さえ浮かべながら言った。
「ソロモン様もお人が悪い。
 突然のお達しに、政界も財界も学界も、まさに上を下への大騒ぎです。
 R国に対抗しようにも、これでは、国が一丸となれません」

 ソロモンは首を傾げて言った。
「先日あなたたちが、国民の負託に応えるために、R国への宣戦布告を決定したときには、上を下への大騒ぎにはなっていない。
 それは、なぜですか?
 なぜ、閣議決定の時点では、国は一丸となって戦争をはじめられたのに、今この時点では、一丸となれるはずがないと、あなたたち戦争指導者は思うのでしょうか?」

 シバの女王、ミカエル、ベリアルも注視するなかで、不用意な発言だけは避けようとする総理大臣は、柔和な笑顔のまま言葉を失った。

「国民の負託に応えて、一丸となってはじめる戦争が、実は、あなたたちにとって他人事だったからではありませんか?」とソロモン。
「閣議決定で腹をくくったのは、軍人だけでしょう」とベリアル。
「総理、あなたの可愛い息子さんや娘さんと同じように、兵士もまた、誰かの可愛くかけがえのない子供なのです」
 ソロモンが姿勢を正して言った。
「総理、わが子を戦場に送る覚悟をして、もう一度、この国の指導者たちと開戦の是非を話し合っていただきたい」

 数日後、朝令暮改の経緯は明らかにされなかったが、R国への宣戦布告の決議が、棚上げになったという報せが宮殿に届いた。

 王と女王、天使と悪魔は、執務室の広いバルコニーに出て、城下の街並みを眺めていた。
「戦争は、回避できまたね」
 シバの女王が胸を撫で下ろしながら、明るい声音で言った。
「この美しい都が、戦火に焼かれる危険はなくなったわけです。
 R国との問題は解決していませんが……」
 ミカエルも懸念を残しながら笑顔で言った。
「これで国民の負託に応えたことになるのでしょか?」
 ベリアルが世論調査の結果を思い返しながら尋ねた。
 ソロモンが口を開く。
「私も国民の七割が戦争に賛成した調査結果のことを考えていた。
 単純に考えれば、戦争回避は国民の負託に背くことになるが、その一方で大衆心理に安易に迎合するのも非常に危険だと私は思う」
「ポピュリズムの危うさですね?」とミカエル。
「?」
 ミカエルの言葉は理解できなかったが、ソロモンは続けた。
「チャップリンの話が参考になった。
 彼がわが事として考え、覚悟をもって制作した『独裁者』は、アメリカで大ヒットを記録した。
 しかし、同じ映画のなかで人々を感動させた演説は、同じ国で批判され、やがて彼はその国を追放されることになった。
 かけがえのない個人ではなく『不特定多数』になったときの大衆心理が、いかに移ろいやすく、流されやすいかということだ。
 つまり、わが国の世論調査の結果でも、瞬く間に逆転する可能性があり、それが動かし難い数字でも、私は追従を躊躇した」

「事は、戦争の是非ですからね」とシバの女王。
「くれぐれも慎重な判断が必要です」とミカエル。
「今回の王様の審判の真意は、国民に届くでしょうか?」
 再びベリアルが尋ねた。
 ソロモンは不安そうに口を開いた。
「どうだろうな?
 前にも言ったが、先の戦争で前代未聞の戦禍を被ったわが国は、同じ轍は踏まないと誓ったはずなのに……、あの誓いは何だったのだろう?
 戦争に対する後悔は、『参戦』ではなく『敗戦』の後悔だったのか?
 わが国の民意としての『戦争反対』の声は、『負け戦』に限定したもので、『勝ち戦』はその限りではないということなのか?
 もしそうなら、私は国民のことが、嫌いになりそうだ……」

「ソロモン様、チャップリン様の演説にもあったではありませんか。
 『絶望してはいけない』と……」
 シバの女王が、王の肩に手を添えて強く励ました。
「……そうだな。私はわが国に限らず、あらゆる国の指導者の『賢愚』は、国民のそれと表裏一体のものだと思っている。
 人を責めるなら、むしろ自分を省みて、ともに歩んでいかなければ……。
 それが、国王としての私の仕事だ」

 翌朝、丘の上に建つ宮殿の最上階にあるソロモンの執務室。
 いつものようにミカエルが声を荒げた。
「王様、前代未聞の……」

『新ソロモンの審判』(完)


(第10話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n6de48e5599d3
(第1話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n0d2f51a2081c

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