『選ばれる人』第二話(全十六話)

 

第二章 明暗


 準々決勝となる決勝トーナメントの初戦は、山田の活躍で勝利した。
 思い切って新人を先発させた笹本監督の判断が好結果を生み、またチーム全体が自信を取り戻した。
 笹本にとって山田の先発起用は大きな賭けだった。
 失敗すればおそらく試合途中からの修正はきかず、チームの大望は水泡に帰すだろうと思った。
 就任して間もない監督の無謀な采配として責任が問われるばかりか、将来のある山田にまで大きな傷を背負わせることにもなる。
 とはいえ、椎名が抱いた「相手も強くなっている」という実感は笹本にもあり、代表チームを預かった監督として手をこまねいてそれを見過ごすことはできなかった。
 選手たちは、いかなる状況でもベストを尽くして戦う。あくまでも戦場での主役は選手だが、その起用法も含めた戦術如何で結果が左右されることも事実である。
 戦術を選択するのは、主役の選手ではなく監督なのだ。
『決してチームは不調ではない。しかし優勝を視野に入れようとするなら、チームは今、明らかに苦境に立たされている』
 笹本は、ギャンブルに出た。祈るような思いで送り出した笹本の期待に、山田は思った以上の結果で応えた。
 完全に試合の流れをものにした後半には、椎名に替わり多岐川も出場してメディアを喜ばせる。
 さらに終盤には、山田を除く先発メンバーがすべて退き、若手やベテランの控え選手が出揃って観客席を沸かせた。
 口には出していなかったが、やはり予選での大敗を気にしていた解説席に座る元代表の藤堂は、この好結果を受けて監督の采配と山田の活躍を大いに評価した。
「こういったトーナメント戦で勝ち進むには、主力は当然ですが、いわゆる伏兵の活躍が欠かせないんですよね。椎名やダブル新田といった名の知れた選手たちは、当然相手からも厳しくマークされているわけですから。
 山田のような選手がブレイクすることで、また椎名たちも動きやすくなるんですよ」

 試合後の宿舎は明るかった。
 文字どおりチーム全員で手にした勝利は、誰もが表舞台で体を使ったほどよい疲労とともに選手たちを饒舌にした。
 集合した食堂では、メンバーたちの若々しい冗談が飛び交った。
 失せていた食欲も旺盛になった。確かな手応えを得ることで、ようやく「頭を切り替えること」ができたのである。
 笹本は新たに獲得した戦術のバリエーションを今以上に練り上げるべく、ヘッドコーチの宮本らとともに早々に食堂をあとにした。
 騒ぎ足りない選手たちは食堂に残った。
 笑顔が絶えない食堂で、山田に先発の座を奪われた梶が、まるで浮ついた理由での規則破りへの加担を頼み込むように、同室の後輩である森崎に両手を合わせた。
「ごめん、今夜はひとりにしてくれないかな?」
 森崎は、梶の蒼ざめた表情を正視できないまま、まるで浮ついた理由での規則破りへの加担を承知するように、
「OKです」
 とこたえるのが精一杯だった。
 少し悩んだが、森崎はそれを最年長の安部には報せた。
「サンキュー」
 安部は微笑んだ。
『安部さんのような人がキャプテンでよかった』
 と安堵すると、森崎は今夜(場合によっては今夜から数日間)の寝場所をさがしがてら、また快活な仲間たちの輪に戻った。

 梶は、部屋で母親から届いたメールを読んでいた。
 先発出場が叶わなかったことを慰めながら、それに腐らず、落ち込まず、チームの一員として、できる役割を果たしてほしい、たとえば今後は出場もできなかったとしても母さんは十分に幸せだ、あなたのことを誇りに思う、と綴られていた。
 早くに父親を病気で亡くし、物心がついたときには母子ふたり暮しだった梶にとって、母親の存在は特別なものだった。
 苦しい家計をやり繰りしながら弱音を吐くこともなく自分を育て、才能を見出されてからは、厳しい競技生活を支えてくれている母親が、今回の代表選出をどんなに喜んでくれたことか。
 代表には四年前にも選ばれたが、そのときは終始ベンチを温めていた。
 今回はレギュラーとしての召集であり、背番号も軽い。
 自分のためよりも、母親の喜ぶ顔のために、梶はこの大会での活躍を胸に誓っていた。これまでの恩返しとして、何が何でも躍動する自分の姿を母親に見てもらいたかった。
『それなのに、ここまできて力が及ばないとは……』
 大事なときに輝けない自分を気づかう母親のメールが辛く、画面を眺める瞳から涙があふれた。

 安部が部屋を訪れたとき、梶は気持ちの整理をつけていた。
 ただ、今夜だけ、森崎に迷惑をかけることをキャプテンに詫びた。
 長居は無用と悟った安部は多くを語らなかったが、部屋を出る際「絶対に梶の力は必要だ」と念を押した。
 梶は、赤く泣き腫らした目を細めて笑った。


「お先」
 風呂から上がった椎名が下着姿でベッドに横たわった。
 たまっていたファンレターを取り出して読みはじめる。
「全部に目を通すんですか?」
 (おそらくは骨格からして美しい)引き締まり均整の取れた椎名の裸体に見惚れながら、同室の多岐川が尋ねた。
「そりゃあ、まあ一応は」
「返事は?」
「書いていたこともあるんだけど……」
「出さないほうがいいですよ」
 隣のベッドから身を乗り出して多岐川が言う。
「多岐川は出したことないの?」
「はい、ありません。申し訳ないとは思いますが、見ず知らずの人に一方的に好かれていると思うと、逆に一方的に嫌われていると思うのと同じくらい怖くて……」
「熱烈なファンだった人が、強烈なアンチに変わることはあるよね」
「怖すぎます」
「まあ、それは返事を出しても出さなくてもあることだけど、返事を出したほうがトラブルは起こりやすいから、今はもう読むだけにしてる」
「今でも忘れられないトラブルってありますか?」
「あるよ」
「教えてください」
 ファンレターを読む手を止め、椎名は低く唸った。
 話したくはなかったが、同じ立場の後輩から訊かれれば、先例のひとつとして伝えるべきだろうと思った。
「暗くなるけどいい?」
 多岐川は頷き、膝を抱えて身構えた。

「難病のお子さんのご両親から手紙が来てね。小学校二年生だったかな。
 その子が病気と闘いながら、いつも応援している、大人になったら自分も椎名さんのようになりたいと夢に見てがんばっているから、励ましてやってほしいという内容で……」
「ありますね」
 トラブルに至るとわかっていたからか、あいづちの響きが不謹慎になり、苦笑いする椎名の顔を見て多岐川は身を縮めた。
「そんな手紙をもらうのは初めてだったから、応援のお礼とお互いがんばりましょうという返事を出した。すぐに、今度は家族の写真入りの丁寧な返信もいただいて。
 あと練習中のクラブにも会いに来てくれたのね。ずっと入院していたけど一時退院ができたから、ひと目でも会わせてやりたくて、と」
「どんな子でした?」
「病気のせいもあるのかもしれないけど、シャイというか、あんまり話さなかったな。ご両親が間に入って会話する感じ。でも、いつもにこにこ笑っていて、すごくかわいかったよ」
「じゃあ、どちらかというと、ご両親のほうが積極的な……」
「そうだね。それからしばらくして、ご両親からの手紙で、子どもの病状が悪化して一時退院すらままならなくなった、会いに行きたくても行けない、一度でいいから見舞いに来て元気づけてやってほしい……、と」

 今度は多岐川が低く唸った。
「正直、頻繁な手紙のやりとりも含めて少し負担にはなっていたんだけど、その子に会うのは嫌じゃなかったし、元気になってほしいし、乗りかかった船というか、休みの日にお見舞いに行ったわけ。
 そうしたら、少し回復の兆しとかが見えたりして」
「すごいじゃないですか」
「お見舞いに行ったせいじゃないよ」
「いや、わざわざお見舞いに行ったことが、です」
「そんなに遠い場所じゃなかったから。……それから一か月くらい経って、丁度リーグ戦の試合中に、クラブに電話が入ったのね。
 子どもの容態が急変した、生死の境を彷徨っている。だから、すぐに椎名に病院に来てくれと伝えてほしいって」
 多岐川の表情が曇る。
「クラブの人が今試合中だから待ってくれって言ったら、先方はかなり取り乱した様子で電話を切ったらしい。試合後にそれを聞いて、クラブのコーチに付き添ってもらって、とにかく病院に行ったんだけど……」
 にわかに椎名の表情も大きく歪んだ。
「病室に入ったら、お父さんから言われたんだ。
 お前、今ごろ何しに来たんだって……。
 見てたんだぞ、テレビを。きっとすぐに駆けつけてくれるものと信じて。そうすれば、またこの子は持ち直す。それがどうだ?
 試合を抜けて来てくれるどころか、得点をして、大笑いしながらはしゃぎやがって。たかがリーグ戦の一試合と、人の命のどっちが大切なんだ?
 ……この子は死んだよ。いっしょにがんばろうなんて大嘘じゃないか。
 自分さえよければそれでいいのかよ。俺たちは、お前を絶対に許さない。
 そう言われた。今でも忘れたくても忘れられない。
 お母さんからも一生あなたを恨みますって、泣きながら言われてさ」
 椎名は手で顔を覆った。
「めちゃくちゃです。そのご両親は、どうかしています」
「そう思うよ。ご両親はどうかしてた。でも、愛する子どもを救うためならどんなことでもする、必ず救ってみせるとがんばったご両親が、亡くなった子どもの前で冷静ではいられないのも、わからなくはないでしょ」
「だからって、それを椎名さんのせいにするなんて」
「きっと誰かのせいにでもしないと、悲しみのやり場がなかったんじゃないかな。これは誰のせいでもない悲劇です、じゃあさ。
 とにかく理屈ではわかるんだけど、そのときのショックは大きくて。
 だから自己嫌悪にも陥ったし、立ち直るまで時間がかかった。
 それからは背負い切れないような関係ができるのが嫌で、ファンレターには返事が書けない……」

 ひどい思い出を語らせてしまったと多岐川は後悔した。
「すみません。つらい思い出を……」
 軽いストーカー被害の話あたりで盛り上がろうと思って訊いたことだったので「暗くなるけどいい?」と確かめた椎名の前置きに不注意だった自分を恥じた。
「いや。ファンの応援があってこその競技だから、とても有難いし、大切にしたいというか、しなければならないのは当然なんだけど、自分の人間的な未熟さも含めて接し方が難しい。
 だから、ファンレターに返事を書かないことがいいか悪いかは別にして、ファンの人が怖いっていう多岐川の気持ちはよくわかるな」
 多岐川にとって、椎名は憧れのスターであり、同じ代表メンバーになってからも、その気持ちは変わらなかった。
 代表チーム内での緊張や萎縮、過酷な練習や試合、予想をはるかに超える取材攻勢など、ともに行動するあらゆる場面で自分を守ってくれる頼もしい先輩だが、今夜はじめて違う顔を見たような気がした。
『椎名さんを守ってあげたい』
 非力な自分を顧みず、そう思った。

 部屋に沈黙が流れ、浴室の換気扇の音だけが残った。
「あの、寒くないですか?」
 気づいて多岐川が声をかける。
「そうだ、裸のままだった」
 椎名は笑いながら部屋着をさがす。
「多岐川も、お風呂入れば?」
「はい」
 多岐川はベッドの上で服を脱ぎ、浴室に向った。
 洗面所と浴室を仕切るガラス扉に、椎名が使った白いバスタオルが無造作にかけられている。
 そのバスタオルには、椎名が、誰もが憧れるトップアスリートとして長く輝き続けているうちに、思いもよらず背負うことになってしまった深い孤独が染み込んでいるような気がした。
 多岐川は椎名のバスタオルに触れると、静かにその孤独に顔を埋めた。

(第三話につづく)https://note.com/sin_sen/n/ne6050ca5d65d
(第一話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n8e74022746bb


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