『選ばれる人』第三話(全十六話)
第三章 奇蹟の犠牲
準決勝の当日、監督はスターティングメンバーを発表した。
山田が先発だった。誰もが発表を冷静に受け入れた。梶も山田も……。
試合前、自ら山田のもとに行って明るく冗談を言いながら励ます梶の姿は、チームメイトやスタッフの胸を静かに打った。
椎名は梶に頭が下がる思いだった。
『こうしてチームがひとつにならなければ試合には勝てない』
わかっているつもりだからこそ、ある意味でとても失礼だと思いながら、椎名は正直な感情として、やはり梶に同情していた。
思いは監督である笹本にも及んだ。
『選ぶ監督も大変だろう。
普段のリーグ戦ならまだしも、このようなビックイベントで起用されるかどうかは、選手の競技人生を大きく左右する。
決断はさぞかし大変だろうと思うけれど、監督はやはり「選ぶ人」で、「選ばれる人」とは違う。
今の梶にとって監督は、自分を選んでくれなかった人だ。
その人が率いるチームの勝利を祈らなければならない梶の気持ちを思うとたまらない。
そもそも監督と選手という名(システム)のもとに、人が人を「補欠」として位置づける権利などあるのだろうか。
監督の選手起用の正否はわからない。勝敗の結果だけでそれを判断するのは大雑把すぎると思う。
それなのに監督は勝敗(とりわけ敗北)の全責任を負う。
みんないったい何のために、こんなにも過酷で不条理な世界に身を置いているのだろう』
準決勝の相手は、夏に行われたワールドカップの覇者だった。
決勝トーナメントに残った強豪国のなかでも実力は抜きん出ており、試合開始直後からチームは劣勢となった。
膨らんだ期待は重荷となり、あり得ないようなミスも目立った。
山田も精彩を欠いた。
準々決勝では、眩暈がするほど張り詰めた精神状態のまま託された役割を全うし、その姿に触発された先輩の活躍まで導き出していたが、準決勝ではむしろ、まだ「実力をともなわない平常心」が災いした。
さらに、(前回とは正反対に)周囲の先輩の不調が山田の心身に伝播し、やがて身動きが取れない状況に陥る。
淡々とトップレベルのプレーを続けていたのは、双子の新田だけだった。
「みんな動きが硬いですねえ……」
解説者の藤堂が(当然の劣勢と受け止めながらも)心配する。
「ワールドカップで金メダルを獲得した強豪国との対戦で、気持ちが空回りしている部分もあるんでしょうか?」
サポートメディアとして大会を盛り上げるべく、あの手この手でチームを「負けるわけにはいかない状況」に追い込んだ放送を続けているテレビ局のメインアナウンサーである渋井は、平然と首を傾げた。
さらに、
「チームの沈滞ムードを払拭するためにも、思い切って多岐川を投入するという手はありませんか?」
と、いかにもサポート企業らしい提案までして見せる。
日本が敗退した時点で、テレビ中継は終わる。日本が出場しない試合は(視聴率が激減するため)決勝戦であろうと放送されないのだ。
今夜が最後になるなら、それなりの見せ場が欲しかった。
「いや、それは、まだ……」
藤堂は「らしい提案」への憤りを抑えながら言葉を濁した。
今はもう身勝手な期待ばかりをすればいいサポート側の人間だが、以前は藤堂も日本代表として、目の前であえぐ選手たちと同じように、ギリギリの状況下で戦っていたひとりである。
藤堂は、最前線で必死に戦っていたころのことを思い返しながら、渋井のような「最前線の当事者ではない利害関係者」の理不尽かつ臨機応変すぎる思考に、今さらながら胸を悪くした。
藤堂の微妙な変化を察した渋井は、しかたなく質問を変えた。
「ただ、こんな状況でも、ダブル新田の調子は悪くないですね?」
藤堂も気を取り直してこたえる。
「そうなんです。新田たちは、どんな試合においても、また、どんな相手に対しても、萎縮することがないんですよ。
さまざまなプレッシャーから自分本来の実力が出せないということは誰にでもあって、人間ですからいたしかたない部分はありますが、新田たちにはそれがほとんどありません」
「ほう、それは何故なんでしょう?」
「双子の両方とも不動のレギュラーであるという安心感もあるでしょうが、それを可能にしているふたりのずば抜けた才能のせいでしょうね。
自分たちよりも上手い選手はいないと思ってるんじゃないでしょうか」
藤堂は笑い、渋井は喜んだ。
「それは今日のような強敵との対戦では頼もしいですね」
「はい。ただ団体競技なので、やはり自分ひとり、というか自分たちふたりだけの力では、なかなか勝ちにまで結びつかないので、試合状況から勝敗を先に読んでしまうところがあるんです」
「と言いますと?」
「敵や味方の状態が冷静に分析できてしまうので、チームの決定的な劣勢を悟ると、本人たちにそのつもりはなくても、どこかで諦めてしまう。
だからといって最後まで手は抜きませんが、新田たちの顔色を見ていれば勝敗の行方がわかると、キャプテンの安部が苦笑いしながら漏らしたことがありますよ」
「なるほど……。それで今のダブル新田の表情はいかがですか?」
「まあ、まだ序盤ですから……」
チームの調子が上がらない。刻々と時間ばかりが過ぎていった。
「何かカンフル剤がほしいところですよね」
渋井はしきりに視線を多岐川に走らせる。
藤堂もさすがに選手交代による打開策を考えていたが、その人選は渋井のそれとは違った。
監督が動いた。
「梶ですねえ。若い山田に代わって梶を戻しますか……」
渋井は意外そうな口調で不服を表明した。
藤堂は梶を送った笹本の人選は的を射ていると満足した。
『一度はレギュラーを取って代わられた梶の意地が、必ずチームの起爆剤になるはずだ。それが証拠に、佇まいは静かだが、梶の目の色が違う』
満足気な表情を浮かべるだけで何も言わない藤堂に、鼻白む思いの渋井は尋ねる。
「前の試合では大活躍しましたが、今日のような試合は、山田にはちょっと荷が重かったということでしょうか?」
「いや、山田もよくやったと思いますよ」
理由を述べることもなく、藤堂は退く山田を庇った。
山田との交代を告げられた梶は、自分の胸に手を当てる。
『チームの調子がよければ、自分が戻ることはなかった。でも、自分は神に誓ってチームや山田の不調を願いはしなかった。
母の言いつけを守って、心から自分が出場していないチームや若い山田を応援したように、今度は自分が死にものぐるいでチームの息を吹き返らせてみせる』
帰ってきた梶の鋭利な眼光が、安部や椎名の士気を高めた。
なりふりを構わぬ梶のプレーに、レギュラー全員が鼓舞された。
梶の献身が、悪かった試合の流れを変え、同室の森崎のファインプレーを生んで、新田たちの表情を蘇らせる。
逆襲がはじまった。
「いけるんじゃないですか?」
「いけますよ!」
渋井と藤堂は、ともに手を取り合うようにして声を弾ませた。
チームの追い上げは目覚しく、逆転の兆しさえも見えはじめた。
ただ、残り時間が少ない。相手チームもまた(思いもよらぬ展開に戸惑いながら)全力で逃げ切りを図っている。
試合後に振り返ってみれば「あれが勝敗の最後の分かれ道」だったという場面が必ずある。
とりわけ敗者側にしてみれば、今さら「たら、れば」を云々してもしかたのないことだけれど、と悔やまれる場面である。
それは試合中の選手たちにもわかる場合が多い。チームが優勢であれ劣勢であれ、試合終了までは誰も口にしないが「これで、勝った(負けた)」という瞬間が訪れるのだ。
その瞬間が訪れた。
宙に浮いたボールが、ラインを大きく越えていく。
そのボールが落ちたとき、ここまで追い詰めてきたチームは力尽き、相手が逃げ切るだろうことを選手の誰もが感じ取った。
ボールは梶が追った。目はボールを追っているが、迫るフェンスは感覚でわかる。
無理だった。体は間に合っても、そのときにはボールはフェンスを越えている。フェンスに阻まれて届かない。
それがわかったとき、梶は子どものころからの長い競技人生で、はじめて思った。
「死んでもいい」
フェンスを越えて梶は跳んだ。
信じがたい梶の跳躍とともに、ボールは再び舞い上がった。
梶に続き、椎名のこれもまた気持ちだけで体を反応させたような驚異的なプレーがつながり、チームは絶体絶命の窮地から救われる。
会場に大歓声が沸き起こるなか、倒れ込んでいる梶の様子をそのすぐ近くでうかがっていた観客から悲鳴が上がった。
フェンスを越えてカメラマン席に跳び込んだ梶に周囲の視線が集まる。
そこには、うつ伏せに倒れている梶の姿があった。
伸ばした左腕が、あり得ない角度で曲がって背中に回り、微動だにしない伏せた顔面の下から、大量の血が床に拡がり続けている。
「担架!」
笹本が叫んだ。
試合が中断する。梶のそばから身を引いて茫然とするカメラマンや、逆にシャッターを押そうと近づくカメラマンたちを、かけつけた医療スタッフが押しのける。
ショックで失神している梶の状況をすばやく確認すると、とにもかくにも担架に乗せて医務室に移動させることが先決となった。
左腕を垂らし、仰向けになって担架に乗せられた梶の姿を捉えた映像が、会場の四方に掲げられている大型ビジョンに鮮明に映し出された。
梶の顔は真っ赤に血で染まり、その右目には大きな金属片が突き刺さっていた。
観客席のそこかしこから上がるヒステリックな叫喚が宙を切り裂き、地を這うような重い嘆息が会場全体を包んだ。
大型ビジョンの画面はすぐに切り替えられ、試合を中断する際の定型文のアナウンスが繰り返し流された。
愕然とする両チームの選手たちは、いったんはベンチに呼び戻されていたが、しばらくして試合の再開が告げられる。
まだ観客席が落ち着かずざわついているなか、選手たちは無言で準備運動をはじめる。遠慮がちに鳴り物の応援も再開した。
アップを終えた控えの選手のなかから、笹本は梶の代わりとして、あえてポジションの違う選手を選んだ。
多岐川だった。
オールラウンドプレイヤーでベテランの関口を起用する選択肢もあったが、笹本は若い多岐川を出すことで、この受け入れがたい衝撃をチームの糧にする活路を見出そうとした。
しかし、監督の期待とは裏腹に、大きなアクシデントを目の当たりにした多岐川は、(観客たちと同じように、否、当事者である戦士のひとりとして観客以上に)ひどく動揺しており、顔は蒼ざめ、視線は定まらず、まったく地に足が着いていない。
多岐川の手が強く握られた。
多岐川の手をとったのは、ベンチに退いていた山田だった。
「頼む」
山田の真っ直ぐな視線は、怖気づいている多岐川に、山田の、また監督の、そして梶のさまざまな思いを伝えた。
それは、ここで参戦できる状態の戦士であれば誰もが、四の五の言わずに引き受けて然るべき痛切な思いだった。
多岐川の蒼ざめた顔に、精悍な血の気が戻った。
ベンチ前に選手たちを集め、笹本は言った。
「梶のあの姿を見て何も感じないやつはいないだろう。……梶の思いを無駄にするな」
選手交代のアナウンスが流れる。
イレギュラーな多岐川の登場を受けて、歓声こそ上がらないものの、会場は「スターの登場」に低くどよめいた。
選手たちの円陣が組まれる。
いつもであれば、監督の言葉のあとに、二言三言、最優先すべき具体的な戦術の確認をしてから円陣を解くキャンプテンの安部が、ただ感情に任せて声を荒げた。
「この試合は、絶対に勝つから。さあ行こう!」
円陣の中心に手を差し出している人間たちにしかわからない極めて刹那の真空状態が生まれ、強い意志統一がなされた。
安部の渾身のかけ声に選手全員が絶叫でこたえ、それぞれのポジションへと散った。
チームの気迫は会場全体を飲み込んだ。
チームが逆転するのを待つかのように、残りわずかなはずだった試合時間は遅々として進まない。
今や不可侵のオーラを放つ椎名を先頭に、生まれた星の下の違いを周囲に見せつける多岐川、すでに勝利を確信しているかのような新田たちの躍動で、残り時間は満たされた。
観客たちは、直前の悲劇を堂々と置き去りにして、目の前で繰り広げられている圧巻の総攻撃に魅せられ、誰もが当然のように、大逆転という奇蹟を望んだ。
観客たちの望みどおり、相手チームが力尽きる。
決勝進出が決まった。
(第四話につづく)https://note.com/sin_sen/n/ncd48fe26c133
(第二話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n8b2b0a32306e
