『選ばれる人』第十二話(全十六話)
第三部
第十二章 変身
「ここに至るまで紆余曲折がありましたが、ついに、ついにこの日がやって来ました……」
前回のワールドカップに引き続きメイン実況を担当する渋井が、感慨深げに解説の柏木に顔を向ける。
渋井は今大会の実況を最後に、現場を退いて管理職になることが決まったばかりで、個人的に去来する思いもその口吻に滲ませた。
「前回大会で初出場を果たしたときにも、私は柏木さんと実況を担当させていただきましたが、その年の秋にプロリーグがスタートしたことを思うと、今こうして日本でワールドカップが開催できているとは、何だか夢のような気がしますね」
「まったくです。まさに激動の四年間でしたね。本郷会長をはじめ関係者の方々の尽力には本当に頭が下がります」
クラブチームの監督として現場復帰が噂されている柏木が応じた。
現場から身を引く渋井は語気を強める。
「昨今の不況の煽りを受けて、規模の拡大にも翳りが見えはじめるだろうと懸念されてもいますが、逆に、そんな時代だからこそ、勇気や希望を与えてくれるスポーツの力を信じたいですよね」
柏木が大きく頷く。
「もちろん世界最高峰の華麗で卓越した技術やスピードなどもそうですが、汗にまみれ、泥だらけになって必死に戦うアスリートたちの姿から、何かを感じ取っていただければと思います」
「さあ、われらが日本代表の開幕戦です。とにもかくにも、いい試合を期待しましょう」
開幕戦の相手は、前回のワールドカップの優勝国だった。
現在も世界ランキング2位のグループ最強国だったので、さすがに勝利の期待を安易に口にすることはできず、渋井も柏木もここでは注意深く言葉を選んでいた。
ところが、世界中の(妥当な)予想を覆して、チームは強豪相手に互角の攻防を展開した。
実況席の渋井と柏木の表情が徐々に変わっていく。
「柏木さんの予想どおり先発出場となった椎名とダブル新田ですが、全盛期というか、むしろ、それ以上のパフォーマンスを見せているように思えますが、これは……」
「よく体が動いています。ベテランの存在感の大きさを知らしめるプレーと言えるんじゃないでしょうか……。
若い小早川との連携も上手く機能していますね」
渋井も柏木もにわかには信じがたい展開に戸惑いながら、目の前の光景に無粋なひびが入るのを怖れて声を潜めるように話した。
「また、多岐川や花井の調子もよさそうです。全員で攻めて、全員で守っているような感じですね」
渋井の言葉に柏木が頷いた。
「そうなんです。チーム全体としてのバランスがすばらしい。その意味で、椎名や多岐川だけでなく、どこからでも点が取れる非常に攻撃的なチームになっているように思います。
格上のチームと対戦するときは守備的になるものですが、臆することなく真っ向から渡り合っている。相手守備陣にしてみればこれは想定外のことで、今誰をマークすればいいのかわからなくなっている状態でしょう」
試合前に襲われていた金縛りや倦怠が嘘だったかのように、自在に動く体の反応に椎名自身が驚いていた。
浮き足立つような軽さもなく、地に足の着いたプレーができている。
重いプレッシャーから解放されたわけではないが、試合に集中できているせいで、周囲の(雑音としての)声援や野次はまるで聞こえなかった。
一瞬のミスさえ命取りになるような研ぎ澄まされた緊張のなかで、走り、跳び、声を上げている感覚が不思議と心地いい。
お互いのアイコンタクトすら必要なくなっている小早川との連携のあとで、椎名はその明確な理由に気づく。
『……みんなが上手いからだ』
選手が個々にイメージはもっていたのかもしれないが、調整期間中の練習では確認することのできなかったレベルの高いプレーを先発メンバーの全員がこなしている。
長年に亘って黙々と反復した練習の積み重ねが裏づけとしてあるのは当然なのだが、一発勝負の本番でしかできない最後のギアチェンジがあるとすれば、これだろうと椎名は思った。
味方が速さと精度を兼ね備えた高度な動きをしてくれるので、次の選手は絡みやすい。速さや精度を欠いた味方に合わせるストレスやロスがない分、次のプレーの質も上がる。
誰もが思う存分「個々の力」、それも「いつも以上の力」を発揮し、またそれが過不足なく繋がれて生まれる相乗効果によって、チームとして加速度的に勢いがついている。
対峙する相手チームのレベルの高さもまた、この研ぎ澄まされた緊張の糸が切れない要因になっているのかもしれない。
相手のミスをきっかけにチームがリードを奪った。
試合開始当初こそ声を潜めるようにして好調なチーム状況を見守っていた放送席の渋井と柏木も、今や自信に満ちて実況し、解説していた。
全国放送のテレビ画面から、陽気な渋井の声が流れる。
「前回ワールドカップの優勝国で世界ランキング2位のチームが相手です。こんな試合展開をいったい誰が予想していたでしょうか。
恥を忍んで申しますが、私には予想できませんでした」
隣の柏木も高揚していた。
「こんなに強い代表チームを見たことはありません。強いです!」
自らの喜怒哀楽は抑制するか濾過してから話すことの多い沈着な解説者として知られる柏木の「らしくない」興奮状態は、競技そのものにさして興味はないが、世界的ビックイベントということで一応テレビを見ていた人たちの心をも捉える。
慎みを忘れて後輩たちの大活躍を喜んでいる柏木の様子は微笑ましく、「いい大人」をそうしてしまう競技への関心が高まった。
そして、常ならぬことが起きようとしている戦況を知った多くの観客は、勝ち目がなければ眠らせていたはずのナショナリズムすら煽る。
覚悟の要らない即席のナショナリズムは、メディアを通じて軽快に国中に伝播し、血の流れない戦争を彩った。
興奮状態で大喜びをしていたのは、柏木だけではなかった。
『やっぱり椎名だよ、椎名。椎名がチームを引っ張っている。椎名の動きに触発されて、みんなが別人のように輝いている。
スターの復活だ。椎名が救世主になる。最後の決断は大正解だった。この大会でチームは大化けする。ざまあ見ろ!』
胸の内で藤堂は快哉を叫んだ。
湧き上がるベンチの先頭に立ち、藤堂は夢見心地で指揮をした。
選手たちは打てば、見事に響いた。名だたる強豪国やクラブチームを指揮する監督の気持ちはさもあらんという至福に酔った。
一時の感情に流されやすい藤堂は、自分がここで悪酔いするわけにはいかないと怖れた。
自分の欠点を知悉する安部に「今の指示は間違っていないか」と、何度も振り返っては問いかける。
飽きることなく安部も頷いた。藤堂を安心させながら、実のところ自分が安心していた。
『期待していたとはいえ、ここまで大変身したチームを目の当たりにして、自分が藤堂さんだったら、今の選手たちはもう自分の手に余るのではないかと困惑し、萎縮し、監督としてどう指揮すればいいかわからなくなっていただろう……。
ところが藤堂さんは、驚きこそすれ臆することはなく、嬉々として采配を振っている。次から次へ指示を出す。
何度も振り返ってする指示の確認も、本当は必要のない照れ隠しのような自制心だ。器が違うといえばそれまでのことだが、とにかく藤堂さんが監督でよかった……』
体にボールが吸いつき、また自然と理想的な軌跡を描いて放たれていく。本当は逆で、自分でボールを吸い寄せ、目測どおりの線をたどるよう放っているのだが、その確たる自覚がもてない。
ひとつの連鎖するプレーを終えたあとで残るのは、反射の記憶とイメージだけで、冷静に反芻することができない。
好調な自分をいまだコントロールできていない。長くは続かないだろうと椎名は思った。
『やられる前に、やってしまうしかない』
二度と同じプレーはできないかもしれないという不安におおのきながら、椎名の放射するオーラと監督の振り上げた拳に導かれて、ほかの選手たちも、おのおのが背負う思いのために戦った。
対戦国の監督が、選手交代のカードを切った。
藤堂が狂喜する。
相手チームは控えの選手にもタレントが揃っていることは承知している。しかし、ベストメンバーで臨んだはずの開幕戦のレギュラーを退けた事実は重い。
「相手が相手だけに……」
藤堂の陰に隠れ、疑心暗鬼に怯えていた安部からも笑みがこぼれた。
「リードしているのはこちらなんですから」
と柏木も声を弾ませている。
「相手は余裕があって交代したわけではないということですね」
いわずもがなの解説を渋井がせがみ、柏木がこたえる。
「交代せざるを得なかったということです」
退いたのは対戦国のエースだった。
入ったのは、ここ一年の成長が目覚しい若いエリート選手。豊富な運動量と強引な突破力を期待しての起用である。
全身に徒労感を漂わせながら、しきりに首を振ってベンチに戻るエースを尻目に、若いエリートは憤然と登場した。
挑発的な視線を椎名や多岐川に送る。
そのときである。
リードを続けており、まだ追い上げられてもいない状況で、ふたりの新田が審判にタイムを要求した。
こんなことは今までなかった。
新田たちに従い、選手が椎名のもとに集まる。
「目つきの悪いやつだね。近視かな?」
花井が早速ふざけて、相手のエリート選手をからかった。
「まあ、こんな展開だから。いらだちもしますよ」
多岐川が応じ、この日はじめて小早川が微笑んだ。
ピークに達している疲労と、担ったポジションで抱える孤独を、ぎりぎりの集中力で忘れようとしてきたメンバーたちは、このわずかなインターバルに救われ、貪るように仲間たちの笑顔を見詰めた。
椎名が目で新田たちの発言を促す。
ふたりはキャプテンに報告する形で、全員にこう宣言した。
「もう、この試合は勝てます」
「勘ですが、自分たちの勘は必ず当たるので信じてください。以上です」
試合中に発せられた新田たちの衝撃的な宣言に、後輩たちは瞬きするのも忘れて絶句した。
どう受け取ればいいのかわからない。
椎名の顔をうかがった。
「……あ、そう。新田たちがそう言うんだったら、間違いないね。
せっかくだから綺麗にけりをつけましょう」
平然と応じたキャプテンの口調に、硬直していたメンバーたちは、一気に相好を崩す。新田たちも声を上げて笑った。
藤堂も安部も選手たちを笑顔で見守るだけでことは足りた。
円陣が組まれ、その最後に掌を重ねた椎名は表情をひきしめ、今度は闘将として声を上げた。
「さあ行こう!」
いっせいに弾けるように応えるメンバーたちの力の漲った叫声が、超満員の試合会場に響き渡った。
誰もが、この日はじめて自分(たち)を信じることができた。
必要かつ十分な集中力と緊張感を取り戻した選手たちが「けりをつける」ためにそれぞれのポジションに立つ。
ふたりの新田が、気負い立ち空回りする相手国の若きエリートを嘲笑するどころか、まるで無関心であるかのごとく翻弄し、相手チームの「切り札」が「命取り」となった証を示す。
縦横無尽に姿を消しては突如としてまたあらわれる椎名、多岐川、花井らの波状攻撃は、終わりのない華やかな乱舞と化し、もはや戦意を失った相手チームと、決定的となった大番狂わせに波打つ観衆を眩惑した。
人々の視線が目移りをはじめる。
人々の視線の先には、主審の腕時計があった。
椎名の脳裏に、梶と今泉の顔が浮かんだ。
『犠牲はなくても、奇蹟は起こせる』
主審が時計を見る。
「歴史的な瞬間を目撃してください」
渋井が煽動的な実況を締め括る。
訪れる一瞬に収斂されるさまざまな思いに言葉をなくして、過呼吸状態で目ばかり見開いていた柏木が、感極まって大きく喘いだ。
笛が鳴る。
幻聴のような笛の音は、すぐに無数の歓声でかき消された。
試合が終わった。
(第十三話につづく)https://note.com/sin_sen/n/nc2039f5b8496
(第十一話はこちら)https://note.com/sin_sen/n/n74f49a0408fc
