世界中のカエル(蛙)は私の友達...?
伝えたいことだけ先になるべく端的に伝えると、パンデミックを発端として行き着いたとある村で私は蛙に魅了された。それ以来、日本国内外に限らず、四六時中私の「蛙アンテナ」がONになっており、大カエル展のためにわざわざ北海道から和歌山県の郊外都市にまで足を運んだり、国内外の旅行先でも蛙との出会いを常に楽しみにしているぐらいにまで発展している。蛙との出会いは、いつの間にか私を異国である中国でトライアスロンを始める部分的な要因にもなったということだ。
残りは、蛙好きな人間って何を考えているのか気になる方だけ、お手隙の際に流し読みすることを推奨したい。(1つだけ。今まで出会ってきたいかなる蛙たちも、捕獲し、飼育するということは一切していない。すべて自然に返している。)
パンデミックがもたらした蛙との出会い
私が蛙を見初めることになってしまった経緯を端的に説明したい。根本的なきっかけは、パンデミックだった。当時私は、2020年春から2021年春まで約1年の間、東京で生活していた。その期間中、東京に嫌悪感を覚えた。もうここにいたくない。その感情が強くなる中で、浅田彰の代表作の1つである「逃走論」に出会った。繰り返し読むうちに、そう、「逃走」したくなったのだ。
そこで、御縁と機会に恵まれ、岡山県西粟倉村に「逃げる」ことに決めた。その村で、主に山林管理や山林活用の事業をしている企業である百森という会社にて、半年間の居候(インターン)をすることにした。当初は、パンデミックがもたらした、都会での無意味かつ殺伐とした生活と不思議と神経に触る不確実性から逃れることが目的だった。東京は人間が住むところではない。そう悟った。(そして現在に至るまでも、その考えは正直変わっていないし、変えるつもりもない。)
以下は、当時の私が登場するnoteの記事である。
つまり、郊外の域を超えて人口が1500人で、村内にチェーンのコンビニが1軒でもあるかどうかすら怪しいド田舎(悪い意味はないのだが、事実なので許してほしい)で何がなんでも生活したい、田舎生活を楽しみたいという動機で来たわけではなかった。すべて日本の首都から「逃げる」ためだった。
その村内では、当時の副村長が住まなくなったオンボロ小屋(愛称)に滞在していた。そのオンボロ小屋がよくなかった。その周辺にウジャウジャ生息しているのみならず、小屋の中にまで平気な顔して上がってくる輩がいたのだ。それが、蛙だった。

出所:Tony Chai
そのような環境に半年間もいると、多くの人は嫌気がさしてくるのが至って正常なのかもしれない。しかし、私の場合はその反対だった。蛙に惚れてしまったのである。そして、その半年間で、彼ら彼女らと楽しく共存するという能力を身に着けてしまった。それ以来、私には「蛙アンテナ(何処に向かおうが、常に蛙の存在を敏感に察知できる感覚)」が備わっている。以下は、トノサマガエルの幼体三匹を人差し指一本上に集合させた瞬間だ。色違いが見事に揃ったという意味で、奇跡的な一瞬だろう。
再考:蛙の魅力とは
そのような半年間の西粟倉村は約5年前。その間も、私の蛙に対する愛は半永久的に変わる様子がない。むしろ、増幅しているような気がする。しかし、なぜここまで蛙を愛するのかを自ら明確に言語化したことがなかった。ゆえに、その理由を整理してみる。つまり、蛙の魅力とは?大きく分けると、3つの理由に分かれるだろう。
脊椎動物の中で最もイノベーティブ
1つ目は、両生類の中で最も大きなグループであり、ゆえにその多様性も最大であることだ。生物学の領域では、無尾目(蛙目)とされる。その無尾目は、南極大陸を除き、世界中に約8000種が特定されている。加えて、脊椎動物五綱(魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類)の中でも、最も新種が出てきやすい傾向にある。

出所:大カエル展の解説書
その背景には、主に生息環境の特性、分類解析技術の革新、現地調査体制の成熟、両生類固有の進化特性といったものが考えられる。ここではすべてに踏み込みつもりはないが、1つだけ取り上げるとすれば、両生類固有の進化特性だ。その特性には、移動能力の極端な低さ、繁殖様式の多様性、環境適応の速さが例としてあるだろう。総じて、両生類、そしてその中の代表格たる蛙目は、進化を止めないという意味で、最も革新的かつ先進的なのだ。
きもかわいい とにかくきもくてかわいい
2つ目は、単純にきもくてかわいいことだ。義務教育の段階で私が同級生からよく言われた「きもい」というネガティブな言葉。これが、「かわいい」とくっつくとまるで魔法のような言葉になる。この「きもかわいい」という言葉が最も広範に似合うのが蛙だろう。最高の褒め言葉である。

出所:Tony Chai
その根本的な理由は、やはり水生から陸生への移行段階にある中途半端な存在として、必ず「卵 → 水生のおたまじゃくし → 陸生の成体」という3つの段階を経たうえでの唯一無二の形態構造と行動パターンを有するからだ。言わば、脊椎動物の中で最も徹底した変態だ。
さっぱり何を考えているのか分からないあの顔
3つ目は、あの顔だ。基本的に蛙は表情がない。究極のポーカーフェイス。彼らといつどこで見つめ合っても、いったい何を考えているのか、嬉しいのか悲しいのかといった感情的動きさえまったく読めない。さっぱり分からないのだ。

出所:Tony Chai
その無表情ぶりが逆に愛らしい。同じ脊椎動物でありながら、全く別種である哺乳類の他者として蛙と接するとき、彼らのインテリジェンスもしくは聡明さというものを私の第六感が感じる。ずーっと見つめていられる。そのうち、何を考えているのか、とにかく解読したくなってしまう。
蛙を人間に例えてみたら、それは私が目指す姿そのものだった
ここまで私が感じる蛙の魅力をざっくり考えてみた。さらに一歩踏み込んで、蛙を、その一般的な行動パターンや癖に基づいて人間に例えてみたらどうなるのかについて考えを巡らせてみた。すると、不思議なことに、私が目指す姿そのものに近いのである。
蛙を人間に例えると、それはどういう人間なのか?中国AIの代表格である豆包(Doubao)との壁打ち対話の中で、以下の5つの特性に落ち着いた。
①徹底した省エネ主義、無駄なことは一切しない
普段は何時間も同じ場所でじっとしており、エネルギー消費を最小限に抑える。獲物が攻撃範囲に入らない限り、ほぼ一歩も動かない。つまり、人間でいえば、いわゆる「ミニマリスト」や「悟り世代」。極めて実務的で、不必要な競争を拒み、確実なリターンがあることだけに注力するタイプに近い。
②不断は寡黙だが、いざという時の爆発力が凄まじい
繁殖期にオスが求愛のために鳴き続ける以外は、ほとんど音を立てない。しかし、獲物や危険を察知した瞬間、自重をはるかに超える力を発揮し、体長の20倍もの距離を跳躍する。つまり、人間でいえば、静かに大きな仕事を成し遂げるタイプに近い。普段は目立たないが、ここぞという時に必ず成果を出し、無駄な長居はしない。
③社交不安の極致、パーソナルスペースを死守
交配を除けば、生涯を通じて同類と交流することは少ない。鳴き声や匂いで自分の縄張りを主張し、侵入者はすぐに追い出す。つまり、人間でいえば、極度の内向型。一人を好み、他者との境界線(パーソナルスペース)が非常に明確。不毛な社交を何よりも嫌う。
④慎重で疑り深く、警戒心はMAX
周囲の微かな振動や影の変化に非常に敏感で、少しでも不穏な動きがあればすぐに水に飛び込んで逃げる。擬態や警戒色で天敵を威嚇するが、自ら攻撃を仕掛けることはあまりない。つまり、人間でいえば、リスク回避型。何事にも用心深く、安心感を重視し、危機管理能力に長けている。
⑤柔軟で適応力が極めて高い
環境が悪化(乾燥や低温)すると休眠状態に入り、数ヶ月間飲まず食わずで生き延びる。都市の下水道から農地、熱帯雨林まで、あらゆる環境で生き抜くことができる。つまり、人間でいえば、強靭な精神力を持ち、どこでも生きていける「しぶとさ」がある。逆境にあっても静かにチャンスを待つことができる忍耐強いタイプに近い。
総じて、MBTIでいえば、蛙はハイレベルなINTJだ。そして、その特性を持ち合わせた存在は、まさに私が目指す姿そのものでもある。同時に、振り返ってみれば、私はいつの間にか、蛙という自分と共通の特性を持つ生物と共鳴し合ったがゆえに、蛙に惹かれた可能性が高い。もちろん、それぞれの特性について、蛙には及ばないことは認めざるを得ない。
私は世界中の蛙と友達になれる自信がある(猛毒持ちを除く)
そのような蛙と出会って以来、私は彼ら彼女らとの出会いと交流を楽しみにしてきた。
蛙のようになりたいことを部分的な理由として、異国の地である中国でエクストリームスポーツを始めた。とりわけ、トライアスロンは、まさに両生類になれるこのうえなく変態で素敵な競技種目だ。
普段の生活拠点である中国はもちろんのこと、旅行先である台湾、そして日本への帰国時にも必ず蛙が、まるで会うべくして会っているかのように私の前に出現する。そして、彼らとの楽しく愉快な戯れがある。

出所:Tony Chai

出所:Tony Chai

出所:Tony Chai
今年三十路を迎えて間もない私だが、そんな蛙たちの前では、いつだって、目を輝かせて興奮で顔を赤らめているただの素朴な少年なのだ。

出所:Tony Chai
少し前には、和歌山県立自然博物館で開催中の、日本の蛙全54種類と出会える「大カエル展」に赴いた。これで、日本の蛙全種類と顔合わせができた。今後も、日本のみならず、中国語圏、そして世界各国での蛙たちとの出会いが楽しみだ。
