浅田彰と藤田嗣治が自身の生き方に大きな影響を与えているかもしれない話
日本への一時帰国中に、私は浅田彰の代表作の一つである「逃走論」と藤田嗣治(レオナール・フジタ)が自身の生き方や価値観に大きな影響を与えていることに気づいた。この気づきを与えてくれたのは、故郷である北海道札幌市南区の芸術の森でちょうど開催されていた展覧会だった。その展覧会ので描かれていた藤田嗣治の人生が、私がとある時からバイブルとして肌身離さず携帯している浅田彰の作品と重なる部分があると感じた。同時に、私は、どうやら私が成人になる前に鑑賞した藤田の展覧会以来、どうやら藤田の生き様を無意識に模倣しようとしていたのもしれないという話だ。

出所:Tony Chai
藤田嗣治の生き方における異趣性
藤田嗣治とはどういった人物なのかについては、すでに別の方が深く広く記されていたため、こちらを参考とすればよいだろう。その異なる趣っぷりは、自分をどう見せるかという意味での「外」のみならず、自分をどう定義するかという意味での「内」の面からも垣間見ることができる。これについては、後ほど詳述したい。
成人前の展覧会 初めての藤田
初めて藤田嗣治という存在と彼の作品を認知したのは、神戸で大学学部時代1回生の夏休みのことだったと記憶している。兵庫県立美術館で開催されていた生誕130年記念 藤田嗣治展 -東と西を結ぶ絵画-に赴き、そこで初めて彼の作品に触れた。
既成概念を易々と粉砕 千変万化の姿と作品で人々の意表を突く
藤田の異趣性には、大きく分けて2つがあると考える。
1つが、対外的な形象操作だ。
当時一番衝撃的なのが、言わずと知れた、あのオカッパ、ちょび髭、丸眼鏡に象徴される強烈なイメージ。このイメージこそが、彼の作品と脳内で有機的に結合し、万国の人目を驚かせ、後世に長きにわたり称えられる日本の代表的な芸術家の1人として今も愛されている所以なのだろう。
ちなみに私もその強烈なイメージに触発されたようで、私はその後の大学生活期間の途中まで、髪型や眼鏡の面から、彼を真似ていた時がある。もともとビートルズ好きだったため、髪が伸びたらほぼ必ずオカッパをやっていたのだが、それに拍車がかかったとも言えるだろう。

出所:Tony Chai
そうして見られたい自分を巧みに「セルフプロデュース」していた藤田。今回の展覧会で描かれていた彼の多面性を象徴的に漫画形式で紹介する「FOUJITAの正体に迫る!」でも、節約生活をきっかけとして始めたオカッパをきっかけに、体もまるで「キャンバス」のように自らをアイコン化し、個性的なスタイルで外見からも強烈な印象を残していたそうだ。その自身の見せ方の巧妙さにこそまさに魅力が宿っている。

出所:展覧会「藤田嗣治 絵画と写真」
もう1つが、対内的な「越境人間」とも言える軽やかさだ。
藤田は、日本とフランスという東西文化の間のみならず、絵画、写真、ファッション、スポーツ(柔道)、刺繍、木工、彫金など様々な表現媒体を通じて、いわゆる越境学習を絶え間なく繰り返していた。同時に、彼自身の創作活動の中では、日仏のみならず、中国や中南米など日本国外を訪問し、訪れた土地の雰囲気を独自の感性で感興の赴くままに捉えている。
こうした彼の姿はいわば、職種・業界・文化などの既存の「枠組み(境界)」にとらわれず、複数の領域を公的にまたは私的に自由に行き来しながら新しい価値を生み出してきた存在だと私は考えている。まさに、物理的かつ能力的にも越境し続けることで連続的に自身の定義をアップデートし、多面的に分裂することを厭わない。その結果醸成され続ける自身の独自の感性や考えを作品に吹き込み、それらの作品間に差異を生み出していく。そうした運動性はまさに越境人間のお手本とも言えるだろう。

出所:展覧会「藤田嗣治 絵画と写真」
浅田彰の考え方における異趣性
さて、次に浅田彰だ。彼がどういった人物なのかについても、別の方が書かれたこちらを参考とすればよいだろう。彼の特異性は、何よりもまず学際的に難解な思想に依拠しながらも、なるべく分かりやすいキャッチーな言葉で世の中の構造を軽やかに批評できてしまうところだと私は考える。キーワードはその軽やかさであり、それが最も体現されているのが、彼の代表作の1つでもある「逃走論」だ。
パンデミックによる逃走欲と「逃走論」との出会い
私が逃走論を初めて手に取ったのは、大学を卒業した2020年だったと覚えている。私はその頃、ちょうどパンデミックの時期に東京で生活していた。当時の混沌とした東京から如何に逃走するか?そうしたことを考えていた時に、その「逃走」をそのまま題とする本書に出会った。その出会いは、私をそのまま逃走の欲に従わせ、岡山県の西粟倉村という人口1500人の村に駆け込むに至った。この村は、今でも私の世界観や物の見方に無視できない影響
を与えたと言っても過言ではないだろう。
最初の三篇に濃縮された「逃走論」のエッセンス
さて、本書のエッセンスはこちらでも直感的に簡潔かつ分かりやすく紹介されている。まさにこちらの方が叙述の通りで、ユーモアに溢れており、軽やかに「知」と戯れている。とりわけ、本書第一章の三篇の随筆じみた短文が遊びごころに溢れた、しかし的を得た精度の高い現代社会批評だといえる。この三篇だけでも浅田彰の真髄を容易に確認できるはずだ。
論:藤田の生き方こそが逃走論の考え方を見事に体現していた模範的存在
藤田特有の2つの異趣性。「外」の異趣性は、「内」なる異趣性に由来して醸し出されたもの。その理解に基づいた場合、彼の「内」なる異趣性に相当する「越境人間」としての「軽やかさ」や生み出してきた作品とその軌跡は、まさに「逃走論」が言わんとしている以下の中核的な趣旨に一致すると私は考えている。
「セビロのうっ積した心理状態」や「主体としての自己の歴史的一貫性」という過去の重みをすべて放り出せ。そして、スキゾ的な逃走の用意を欠かさないアマチュアであり続け、ズレや矛盾を全部ひっくるめて一緒に笑えるような「健全な笑い」と「たのしい差異のたわむれ」を絶え間ない越境の中で自己の内部に取り込み続けながら軽やかに生きろ。この「疾走する非主体性」の戯れこそが、管理社会の罠をすり抜けて真にポップに生きるための本格的な思考なのだ。
その趣旨は、まさに藤田の常に身軽な状態で、絶えず国家と国家、職種と職種、芸術作品と芸術作品、さらには人と人(5人のパートナーがいたことから、恋人と恋人の間も、というと言い過ぎだろうか)の間を多元的に越境したフットワークのよさ。その中で、次々に新たな差異を作り出しては、軽やかにその表現力の高さを示す作品を散乱させてきた能力は、まさしく、逃走論が主張するところの差異化の達人であることを証明する。
また、藤田の作品や沿革を見ていると、画家という1つの道に執拗に囚われずに、その都度「いまはたまたまこんなことやってるけど、あしたは別なことやってるかもしれない」という「アマチュア感覚」や、他者をナナメ上から嘲笑するアイロニーではない「ユーモア感覚」を深く感じることができる。その点からも、藤田は、スキゾ・キッズであることをやめなかった「差異化の寵児」だと称しても大きな違和感はないだろう。
分裂を重ねることで生まれる差異化とその結合こそどの時代にも通用する「武器」
異なる国家、異なる組織、そして異なる領域を軽やかに逃走するかのように横断していく。そうした越境の中で認識するに至る差異と戯れながら、その差異自体を自身の内面に速やかに吸収し、自身の分裂を促進し続ける。分裂に分裂を重ねていく中で、自身を不断に定義し直し続け、自身に対する自己認識を塗り替えていく。
その分裂の途中で、もしかしたら頭がおかしくなるかもしれない。分裂を回数を重ねるには、本来の目的から外れたり、目指していた目標とは違う方向性に行ってしまうという意味で、「寄り道」することが必要になる。
しかし、英国の経済学者ジョン・ケイ(John Kay)による著書『Obliquity: Why Our Goals Are Best Achieved Indirectly』でも指摘されている通り、その「寄り道」こそが、新たな体験・経験の契機であり、一個体の生命が経ていく時間を豊かにしうる。自身が社会における貴重な存在として、いわば「少数派」として独自の価値を帯びていく。むろん、その価値は経済的価値に囚われない。時には、本来掲げていた目標が達成されているなんてこともある。
寄り道の過程で生まれる差異を楽しみ、その差異たちを紡ぎ合わせることで、主観的・客観的に見ても、今までになかった自己が生まれる。そうして生まれてきたあらゆる世の自己に対し、私は拍手喝采を送りたい。言わずもがな、私自身も、その考え方を見事に体現した藤田に畏敬の念を示すと同時に、彼のような軽やかさに差異を楽しむ生き方をこれからも心掛けたいと思う。
