〈第7号〉 年間読書人さんの記事「千葉雅也 『センスの哲学』:「見る前に跳べ」と言われても…。」の〈わたしの批判に対する、年間読書人さんの反論(第3回目)〉への応答/反論
No.1//わたしの応答/反論
(1)はじめに
これまでは、結果的にであれ、年間読書人さんの反論に対して、わたしの応答が、自分に都合の良い「部分の切り取り」となってしまわないようにと、わたしは考えていました。必然として、良くも悪くも文字数が増えてしまった、とわたしは考えています。
しかし、今回は、自分の考えで、絞り込んだ内容だけに応答/反論したい、とわたしは思います。わたしは年間読書人さんの反論の全文を最初から最後までわたしなりに読んでいますし、取り上げなかった事柄を決して無視しているのではない、ということを、年間読書人さんにはご理解していただければとわたしは思います。
(2)これまでの議論の方法について
昨年(2024年)の12月27日に、議論の進め方について、どのようにするのか、年間読書人さんとわたしの間で、コメント欄を通して話し合いが行われた、とわたしは考えています。(具体的な詳細をお知りになりたい方は、年間読書人さんの記事「千葉雅也 『センスの哲学』 : 「見る前に跳べ」と言われても…。」のコメント欄をご覧下さい。)
その中で、年間読書人さんとわたしの間で、議論の方法として「「形式にこだわらず」に「当分は「やってみる」」という感じでいいのではないか」という話が共有された、とわたしは思っています。
ただ、論点の整理というのは、特別に意識的にやる必要もないでしょう。
当分は「やってみる」という感じでいいのではないでしょうか。
私はもともと、あまり計画的にやる方ではないし、設計図をひいてから書くというタイプでもないので、形式にはこだわらずにやれたらと思います。


また、議論の具体的な方法として、年間読書人さんから「年間読書人さんの反論を、わたしの本アカウントの記事のコメント欄に、年間読書人さんが書き込み、それをわたしが記事として転載し、わたしがそれに対する反論の記事を書く、という方法」が、ご提案され、わたしもそれでいいと思います、と了解した、とわたしは考えています。

議論の方法として「形式にこだわらず」に「当分は「やってみる」」という話の一環として、「とりあえず」の暫定的な方法として、この方法が採用され、わたしと年間読書人さんとの間で、「(お試しの方法として)共有された」、とわたしは考えていました。
その方法は、議論のはじまりとして、お試し的に行うための、ほんの試みの方法に過ぎないもの、とわたしは認識していました。
昨年の12月27日の時点では、わたしには議論の進め方の具体的なアイデアもイメージもありませんでしたし、年間読書人さんにお尋ねした際にも、年間読書人さんご自身も特に具体的なアイデアもイメージもなかったので、「まあ、とりあえず、やってみましょう、のやり方」といった程度の軽い気持ちのものと、とわたしは思っていました。
実際に行ってみて、不都合、不具合、など、使い勝手が悪いのであれば、その都度、方法をアップデートすればよい、とあまり深く考えることなく漠然とわたしは考えていました。また、今となっては、わたしの大きな勘違いでしかないのですが、年間読書人さんもわたしと同じような認識をしている、とわたしは思い込んでいました。さらに、年間読書人さんの中には、わたしには言葉では伝えらていない「(年間読書人さんに於ける)暗黙の了解事項としての、議論のイメージ」が既に存在していたのだ、と、今回の件で、わたしは思いました。
今回、わたしは年間読書人さんがこの議論の進行の方式で、大変、困っていらっしゃることを知らされて、正直、とても驚き戸惑ってしまった、というのが、わたしの偽らざる気持ちです。とわたしは思います。
わたしが凄く驚いた理由は、わたしには、「まるで、年間読書人さんが厳重に固定された、変更不可の枠組みの中で、拘束されている。」ように観えてしまったからです。とわたしは思います。わたしの中では、「互いに自分の意志で自由に変更可能な枠組みであり、また、不都合があれば、その時に、変更すればいい、という暫定的な枠組み」が、年間読書人さんに於いては、「変更することの出来ない、あるいは、困難な、遵守しなければならない固定的な議論の枠組み」として捉えておられたことに、大変驚いてしまいました。とわたしは思っています。
なぜ、突如として、年間読書人さんが現在の議論の枠組みの不自由さとアンフェアさを訴えられることになったのか?その理由は、ご自身が抱いていた「(年間読書人さんに於ける)暗黙の了解事項としての、議論のイメージ」とわたしの応答/反論の間に、大きな逸脱/落差を感じてしまったからではないか、とわたしは推測しています。
(3)次回からの議論の方法についてのアイデア/提案
ひとつのアイデア/提案として
例えば、短い文章で、互いの文章の文字数を(例えば、1000〜2000文字数程度に)限定し、そのやり取りの中で議論を進行させる、といった方法があある、とわたしは思っています。(もちろん、これまでと同様にコメント欄を活用するか否かは、年間読書人さんご自身のご判断で決めていただく事柄である、とわたしは考えています。)
あるいは、或る程度の長さの文章で、互いに文章の文字数を書き手に委ね、自由度を持たせ(但し、無制限ではなく文字数を(例えば)4000までと上限を設ける。とか。)、そうしたやり取りの中で議論を進行させる、といった方法がある、とわたしは思っています。その方法を具現化するシンプルな方法としては、(新規のnoteのアカウントの設定が必要で、少し手間がかかってしまいますが)、年間読書人さんの反論専用のnoteのアカウントを新たに設定し、年間読書人さんには、そのアカウントで記事として反論を書いていただき、後で、わたしが本アカウントにリンクで繋ぐという方法もある、とわたしは考えています。
他にも、いろいろな議論の進め方のパターンはあるのではないか、とわたしは思います。
(4)今後の議論の方法についての、年間読書人さんのお考えを教えていただけないでしょうか?
年間読書人さんはわたしとの『センスの哲学』のレビューについての議論を今後、具体的に、どのような方法で、進めて行きたい、と考えていらっしゃるのでしょうか?
よろしければ、年間読書人さんのお考えを教えていただけないでしょうか?
No.2//年間読書人さんの反論(第3回目)全文
No.3//年間読書人さんの記事「千葉雅也 『センスの哲学』:「見る前に跳べ」と言われても…。」
No.4//年間読書人さんの千葉雅也関連レビュー
・千葉雅也『勉強の哲学 来るべきバカのために 増補版』:君たちは荒野を行け!一一私は行かないが。
・千葉雅也 『現代思想入門』:〈自慢〉できるようになる 入門書の決定
版!
・千葉雅也、二村ヒトシ、柴田英里 『欲望会議 性とポリコレの哲学』:〈畜群〉的な争闘への「人間的」介入
No.5//あとがき//年間読書人さんとわたしの『センスの哲学』の評価を巡る「論戦」のスタートに至る、これまでの経緯について
これまでの経緯をお知りになりたい方は、以下の記事をご覧ください。
