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託されたものを、自分なりの温度で、また誰かへ

先日、ある大学で看護学生向けの講義を聴講させていただいた。
講師は、2007年から、医療と人権、そして性的マイノリティについて学生たちへ語り続けてきたRYOJIさん

彼が、今年も講義をするという話を聞いて、「それって、聴講できませんか?」と無理を言って頼んでみた。
彼は快く教官に相談してくれて、学生たちに配る事前資料に私の紹介文まで用意してくれた。

講義の直前の日曜日。
講義の補助を引き受けるお礼にと、ラルフローレンのテーラードジャケットを譲っていただくことになり、短い時間だけ会う予定だった。
ところが気づけば、その日も何時間も話し込んでいた。

講義の準備について聞けば、何年か前からこれまで2コマあった授業が1コマに短縮されたという。
伝えたいことは増えているというのに、時間は減っている。
何を資料に残し、何を講義で語り、何をあえて語らないのか。

その取捨選択に、直前まで悩み続けていることが、近頃のやり取りからもひしひしと伝わってきた。

日曜日、馴染みとなったべローチェでお茶をしているときも、彼の悩ましさに耳を傾けていた。
そして私は、自然とこう口にしていた。

「あなた一人が、それを背負う義務はないんだよ」

限られた時間で、すべてを伝えることはできない。ましてや時間が半分に減らされている状況だ。

講義がRYOJIさんの思い描く“完璧”な形でなくても、それを受け取った学生たちは、きっとそれぞれに学び、考え、育み、それぞれの場で受け継いでいってくれる。

だから、そこまであなたが命を削って抱え込まなくてもいいのではないか。
そんな思いだった。

けれど、その直後だった。
RYOJIさんは穏やかな口調のまま、しかし目に力を込めて言った。

「あるよ」

その瞬間───
ああ、私は、彼がとても大切にしているものを見落としていたのかもしれない。

彼は、ただ無理をしているのではなかった。
自らが「引き受ける」と決めた、覚悟の話をしていたのだ。

ごめんね。
けれど、それでも思ってしまうんだよ。
あなたにも、穏やかに生きていてほしい。

それは支援者としてではなく、一人の友人としての願いとして。


講義が終わった後、私は彼が前日に投稿した記事を読んだ。

そこには、あの日のやり取りが書かれていた。
そして、こんな言葉があった。

「あなたの言葉は胸に置いてある」

思わず息を呑んだ。
私は、彼の歩みを止めたかったわけではない。

ただ、わずかでも、自身が背負うと決めたその荷を下ろすひとときも、あってほしいと願った。

それは、彼が欲しかった言葉ではなかったかもしれない。
けれど、その言葉は彼に渡っていた。

人は、自分の言葉や思いが相手の中でどう生きているのかを知る機会は少ない。
それを言葉にして伝える機会は、なおさらだ。

けれど今回、私はその一端に触れさせてもらったような気がした。


RYOJIさんと出会ってもうすぐ一年を迎える。
私にとって、それはとても稀有な時間だったと言える。

初めて会った日も、少し話すだけのつもりが、何時間も言葉と考えを交わしていた。

私はどちらかといえば、場を支えたり整えたりする側の人間だ。
私にとっての平穏は、周りの人が思い思い気ままに、朗らかに過ごしている様子が続くことであった。
以前の職場では「縁側のおじいちゃんみたいですよね」と言われたこともある。
「防波堤みたいな存在ですよね」とも。

支援者や調整役としてのアイデンティティもある。仕事柄でもあるし、性分でもあると思う。

けれど、彼との関係の中では、「支えなければならない」という役割から降りることができた。

あるとき、彼から言われた言葉がある。

「あなたには、おれに対する役割はないよ」

その言葉に、私はとても救われた。
ありがとうね。

そしてまた、「すべてを受け入れなければならないわけではない」という気づきも得た。

水平な対話を試みることと、自分の輪郭を曖昧にせずに保つことは、両立できる。

許容できないことは、無理に許容しなくてもいい。認められないことを呑み込まなくてもよい。
この二人の間でも、共感できないことは大いにある。

それでも、人は対話できる。
双方がそれを望むのであれば。

そのことを、私は彼との幾度もの対話と、そして他愛もない時間の中で教わったように思う。


講義当日、私は学生たちの表情を見ながら語る彼の姿を見ていた。

一人ひとりへ届くように。
未来の医療者たちの心に残るように。
言葉を託していく姿だった。

その姿がとても誇らしかった。

私たち大人には、若い世代へ手渡すべきものがある。あらためてそう思った。

講義終わりで疲労困憊だというのにレンズを向けるとこの笑顔。すごい。


講義当日の記事はこちら

実は今月、私自身も地域の中学生たちへ、人権や性の多様性について話をする機会をいただいている。百人近い生徒たちの前で何を話そうか、どんな姿で立とうか、まだ整理しきれてはいない。

君が住むこの街にも、一人のゲイのお兄ちゃんが生きているということ。

そして、何かを成し遂げているかどうかに関わらず、一人ひとりが尊い存在であるということ。

「みんなで仲良く」なんてしなくてよいし、嫌いな奴は嫌いでよい。でも、だからと言って傷つけてはいけない。なぜなら、相手もあなたと等しく大事な存在だから。
そして、この社会はまだまだ水平ではないということ。そのために、君は、私は、この社会は、何ができるんだろう。考えよう。

そんなことを、自分なりの温度で手渡すことはできるかな。


講義中に学生たちに紹介された書籍

■ カミングアウト・レターズ

RYOJIさんが、『良い本です』と紹介していました。
異論はない。買いましょう。

LGBTQ+ 医療現場での実践Q&A

様々な医療や福祉の現場で、既に性的マイノリティの患者や利用者がいるということを想定しての実践事例集です。
私も少しだけ、こちらの本作りのお手伝いをさせていただきました。

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