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ピカソmeetsポール・スミス@国立新美術館/思った以上に楽しかった


久しぶりの国立新美術館に行ってきた。

東京メトロⓂ️
乃木坂駅から直結
曇りの予報に反して晴れ
黒川紀章と日本設計の
共同事業体による建築
2007年1月21日開館
企画展の会場は2階

6月にポール・スミスのTシャツを買ったので、着ていった。

ピカソmeetsポール・スミス

色と柄の情報量が多いので、
先日の杉本博司と対極な気がしていたが、

デイヴィッド・ホックニーから影響を受けたポール・スミスの色彩感覚を楽しみにしていた部分もある。


結論、この展覧会は私にとっては「作品と深く向き合うよりも、展示空間を歩いて味わうもの」「作品と作品の間のたっぷりとした余白が良かった空間」だった。
そして、これを見たピカソが”どう感じるか”は分からないのは残念に思う。

以下備忘録は解説と写真も極力掲載。
かなり長いので、よかったら写真だけ眺めてください。



展覧会情報

9月21日(月・祝)まで。国立新美術館にて開催。
展覧会ホームページ
作品リスト

2023年パリで開催されたピカソ没後50周年記念の特別展「ピカソ・セレブレーション:コレクションに新たな光を!」を基にした国際巡回展。

本展は、時代を超えた二人の稀代のクリエイター、パブロ・ピカソとポール・スミス氏による、アートとデザインの領域を横断したコラボレーションが実現する貴重な機会となります。

展覧会主催者ごあいさつより抜粋

高名な英国のファッションデザイナー、ボール・スミス氏に、世界最大のピカソ作品コレクションである当館のコレクションを探究していただくという案が生まれました。当館コレクションの主要作の数々をこのように繊細かつ現代的に再解釈することを通じ、ピカソは活き活きと顕彰され、生前つねにそうしていたように、世界そして他の芸術家たちと対話することができるようになりました。その会話がこのたび東京で続けられます。ポール・スミス氏はこの見事なプロジェクトをさらに発展させ、新たな文化コンテキストー日本の観客の皆様一そして新たな空間一日本最大規模の国立新美術館の広大で現代的な展示室ーに合わせて調整し、芸術の力を通じて相互理解を深め、より多くの人々に開かれた文化交流を実現します。

展覧会メッセージより抜粋
セシル・ドゥブレ
(パリ国立ピカン美術館館長)
会場入り口にあった
Piccaso,through the Eyes of Paul Smith
ピカソmeetsポール・スミスより
こちらのタイトルの方がしっくりくる

なぜ、ポール・スミスなの?という点はいろいろネットで検索したところ、

  • ピカソの「常に新しい表現に挑んだ姿勢」と、自身の「自由で遊び心のあるデザイン哲学」に深い共通点があるため

  • 単に並べるのではなく、ポール・スミス独自の大胆でカラフルな空間演出を通して「新しいピカソの魅力」を引き出すため

  • ポール・スミス自身がピカソの作品の大ファンであり、堅苦しい美術展ではなく「見て、感じて、楽しむ」自由な空間を作りたかったため

こんな理由が出てきた。

会場:企画展示室2階

15の空間に仕切られて、ポール・スミスがピカソの作品に沿って自由な発想で空間をデザインしている。

入り口から反時計回りに見て回る

うちわにスタンプ

1階で配られたうちわにスタンプを押す。(8月6日まで)
子供に混じって押して作ってきた。大人も結構楽しんで押していた。

1枚目
2枚目
右は、日経新聞の3展共通のチケットで
もらえたクリアファイル
ミュージアムショップで販売していた
3展共有で割引なのに、さらにクリアファイルまでプレゼントで
結構お得なチケットなのかもしれない

まだ買えるかと思ったが(サイト)4月30日までだった。
これは買ってよかった。

いろんな色彩とデザインに富んだ会場

今回ただただ空間を楽しんだ感覚だった。
以下章の構成はこちらご参照。

トロンプ・レスプリ(精神を欺くもの)

《牡牛の頭部》は自転車のサドルとハンドルという既製品を組み合わせ、牛の頭部を形づくった作品。これが牛の頭部なのか、あるいはサドルとハンドルなのか、鑑賞者の心に混乱を呼び起こします。ポール・スミスは青年期にはプロの自転車選手を目指していたほど、自転車を愛好しています。ピカソの本作に着想を得たスミスは、幾つもの自転車のサドルを用いて部屋のレイアウトを考案しました。

展覧会サイトより
自転車のサドルとハンドル
牛の頭部と言われればそうも見える
ピカソの作品
ポール・スミスが配置した
サドルとハンドル
ひとつだけカラフルなサドル
なぜこの位置にしたのか気になる・・・
集合体恐怖症なのでじっと同じようなものを見ているとゾワッッとする。
反対側にもサドルとハンドル

「ヴォーグ(流行)」中の芸術家

ピカソは子供のころから雑誌や漫画を愛読していました。その後は書物に絵をじかに描き込むようになり、バルザックやフロベールの小説のページに人物像をスケッチするようになります。こうした書物への描き込みは、1951年の雑誌『ヴォーグ・パリ』でも行われました。ピカソはウェディングドレスを纏う女性の写真の上にいくつか線を加え、その姿を不条理かつグロテスクなものへと変えました。

展覧会サイトより
雑誌VOGUE
びっしり
でも規則性があるからか大丈夫な感じ
ピカソが落書きをしている
この部屋の作品は
全てピカソが落書きをしている

青の憂鬱

深い青で暗い展示室。

1901年から1904年にかけて、ピカソは青を基調とした絵画を数多く制作しました。「青の時代」と呼ばれるこの時代は、親友カサジェマスの死を契機に始まりました。彼は社会の最貧困層を深い青で描き、孤独や憂鬱を表現しました。貧しい生活のなかで夜間にランプの下で制作された作品は、やがて憂鬱な雰囲気を醸し出す独自の様式へと深化していきました。

展覧会サイトより
パブロ・ピカソ《男の肖像》1902-1903年、パリ国立ピカソ美術館
写り込みを避け斜めから
今回結構ライトが絵に反射してしまい残念・・・

部屋の境界すらアート

次の部屋は一転してピンク
その境目
床は手前が濃紺、次の部屋がオレンジ

上記は「青の憂鬱」から次の部屋に移る際に撮ってみたが、
切り取り方によってアートになるなと思って、このあともいろいろ撮ってみた。

境界の目線を上に・・・

「青の憂鬱」の部屋の天井と壁の境目が見えない
手前の青い部屋向こうのピンクの部屋の天井
この切り取りだってアートに見えなくもない

バラ色の女性たち
《アヴィニョンの娘たち》への前奏曲

部屋の壁が一面ピンクで、入った瞬間くらっとした。

1906年から1908年にかけて、ピカソは形態と空間の簡素化を追求し、キュビスムの基盤を築きました。彼はイベリア美術やアフリカ彫刻に着想を得て、バラ色を基調とした幾何学的で荒々しい新たな造形言語を模索しました。膨大な習作を経て完成した《アヴィニョンの娘たち》(1907年)において、鑑賞者を圧倒するような暴力的なまでの視覚的革新を成し遂げたのです。ここではその習作を中心に紹介します。

展覧会サイトより

本物そっくりに描くルールを破壊したピカソ。
現代絵画の出発点とも言われている《アヴィニョンの娘たち》についてはこちらに解説がある。

《母と子供》
子供の顔が怖い・・・
《胸像》
《女あるいは水夫の胸像》
光が差したのもアートな感じで撮ってみた
意図的なのか、偶然か
次の部屋への境界
「青の憂鬱」の部屋のよりは色のコントラストは激しくない

ちなみにポール・スミスは、展示まで壁を作って欲しかったらしい。
それだと没入はできるかもしれないが圧迫感もありそう。
私にはこの上部の抜けが圧を逃がしていて、これはこれで良いかもと思った。

キュビスムの実験室

次の空間はベージュを基調としたナチュラルな色合い。
黄色味が強いベージュの壁。
作品も色味がない空間だった。

写真が斜めなのは光が反射するから
サクレクール寺院
絵葉書が欲しかったがなかった
《ザクロ・グラス・パイプ》
何かを考えるよりも、
周りの余白や額の影のグレー、色全体で受け取る感じで見た
《グラス りんご 本》

この部屋の壁には、直線が描かれていた。(作品の後ろの壁に線が見える)
キュビズムだからかなと思った。

アッサンブラージュとコラージュ

次の空間への境界。
ナチュラルから、ポップな黄色と水色。
窓の奥には、花柄のストライプ。

次の空間へ
今回は、私はこの境目の色合いとかもすごく気になって写真を撮っていたなと思う

ピカソは日用品を実践に組み込み、芸術は忠実に現実を再現するものだという規範に対抗します。木や大理石などに似た壁紙をカンヴァスに貼り付け(コラージュ)、現実の断片を直接作品に取り込んだのです。このアイデアは二次元にとどまらず、三次元の表現にも及びました。スプーンや自転車のサドルなどの日用品で作られた作品がアッサンブラージュです。

展覧会サイトより

ワインでも”アッサンブラージュ”という言葉を使う。
フランス語でブレンド(混ぜる)みたいな意味だが、

ワイン業界で言うアッサンブラージュは、ワインの原酒を混ぜ合わせるという伝統的なワイン造りの技法のことです。
職人の高度な技術と知識を駆使して混ぜ合わせることで、生産者ごとに個性のあるワインを造られています。

https://www.adv.gr.jp/blog/assemblage/

単に混ぜるのではなく、ワインの原酒の個性を生かして全体のバランスや複雑味を整える、醸造家の高い技術と感性が表れる工程なので、そういう意味で、ここでもピカソの感性が光るのだと思う。

ピカソやキュビスムの芸術家たち(ジョルジュ・ブラック、フアン・グリス、ジャン・メッツアンジェなど)は大量生産品や日用品を用いたコラージュの技法を自らの実践に組み込み、芸術は空間のイリュージョンを作り出し現実を模倣するものであると定めるパラダイムに挑戦状を叩きつけました。キュビスムは当時の大衆的な物質的実践(デクパージュ[切り抜き絵]、日曜大工、木や大理石などを模した壁紙)をも取り入れ、芸術家が伝統的に行ってきた役割を一変させました。以後、芸術家は現実を描き表すかわりに、現実の切れ端を作品に運び込むことができるようになったのです。
コラージュというこの革新的アイデアを三次元に移し替えたのがアッサンブラージュ技法でした。作品に使われるモノたちはしだいに元の役目から外れて、新たな意味合いを帯びるようになりました。
このような用途変更はすでにキュビスム時代に登場していましたが、
1920年から30年代にかけてピカソはこれを体系的に実践するようになります。

展覧会場にあった解説
これ何だと思いますか?
この空間はこんな感じで
柄のストライプ
《口髭の男》
ピカソの絵単体ではなく
周り込みでとらえてしまうから
今回あまり作品が単独で
入ってこなかった
《帽子の男》
シルクハットをかぶっている感じ?
背景の壁の柄も楽しい
《グラスとタバコの箱》
白い部分はビーズみたいなものが接着してある?

ちなみに最初の作品のタイトルは、『妊婦』。

壁に描かれたもの

途中、こんなお絵描きもあって、ラフだが雰囲気がある。
植木鉢と小鳥が好き。

モップ
最後に気がついた

古典主義の画家

アッサンブラージュとコラージュの空間の次は、白い壁の部屋。

1910年代末から20年代初頭にかけて、美術史家が「秩序への回帰」と呼ぶ風潮が芸術界を席巻しました。具象表現や古典的主題を復活させる動きです。第一次世界大戦は深い傷を残し、芸術は以前の「秩序」を体現することで復興に際しての参照点となることを期待されました。ピカソの場合、この時期の仕事は「新古典主義的」、さらには「アングル的」と評される一方、その発展と並行して彼は後期キュビスム様式を追求してもいました。
1920年代はまた、ピカソの社会的地位が変貌を遂げた時代でもありました。私生活ではロシア帝国生まれのプロダンサーであったオルガ・コクローヴァと1918年に結婚。1921年には長男ポールが誕生。ピカソは自分の新たな家族を、油彩とデッサンの両方で無数の作品に描いています。この時期の作品が発する繊細さの印象は、くっきりした線が、何もない背景の上に、陰影も奥行きの感覚もいっさい添えずに人物を描き出していることによっても高まっています。

展覧会会場解説より
《初聖体拝領者たち》
前の部屋から一転して、「何を描いたか分かる」作品・・・
この絵、好きだったので絵葉書を2枚購入
シスレー家、オーギュスト・ルノワールの
(婚約者たち)に基づく

この空間は「何を描いているかわかる」のでちょっと脳内が静まる。

まだまだ続く・・・

子ども時代

ピカソの子供のパウロの服と壁の柄がリンクしている
アルルカンの服装をしている息子

足の部分が描きかけのようにも見えるが、
ピカソは子どもには未来があり、完成させてしまうことは「終わり」を意味するため、あえて未完のまま留めたとも言われている。
でも「これが完成形かもしれないので分からない」という見解も残っている。

《トラックの玩具で遊ぶ子ども》
私には日本人の子供みたいにも見えた・・・
右の絵の背景と壁面の柄がリンクしている
壁に一つの絵という余白も好き
だからしつこくない

可愛い子供の空間から一転して真っ赤な「闘牛」へ。

闘牛

この通路は少し長くて
真っ赤な中を歩く感じは闘牛場へ向かう感じなのだろうか?
パブロ・ピカソ《コリーダ:闘牛士の死》1933年
馬みたいな牛だと思ったら牛は後ろにいた・・・

ストライプ

1930年代にピカソはストライプ模様を実験的に用いて、愛する女性たちの肖像を描きました。柔らかな曲線とパステル調の色彩で描かれたマリー=テレーズ・ワルテルは官能性と安らぎを象徴し、鋭角的な形と暖色で描かれたドラ・マールは強い存在感を示していました。しかし、スペイン内戦やファシズムの影が忍び寄ると、連作〈泣く女〉に代表されるように、戦争の苦しみや絶望を投影した哀愁的な表現へと変容します。

展覧会サイトより
ストライプがかすれている
《ストライプの帽子を被った女の胸像》

「キュビズム」
対象を複数の視点から捉えて、幾何学的な面(キューブや球体など)に分解して画面に再構成する手法で、一つの固定された視点から描くという、ルネサンス以来の伝統的な遠近法を打破しましたもの。

言われてみれば片方の目は正面からでもう一つは横からなのかな?とか横を向いているように見えて、口は真正面。
「訳分からない」感じはない。だんだんと現代アートの入り口に立ててきたのかもしれない。

《読書》
官能性と安らぎを象徴したらしい

《読書》の背景のストライプをなぜグリーンにしないで黄色を選んだんだろうと思ったけど・・・もしかすると「闘牛」の部屋側のストライプが赤の補色のグリーンを使ったからかもしれない。
だから《読書》の壁は、女性の服から緑ではなく黄色を採用したのかなと思った。

絵は飾られていない壁面
赤の補色はグリーン
《腕を重ねて座る女》
《帽子をかぶった女》

戦時中

この展示室の壁は、ダークブラウンの落ち着いた色調だった。

ピカソはスペイン内戦から第二次世界大戦にかけて、ファシズムや抑圧への抵抗を続けました。大作《ゲルニカ》(1937)は蛮行に対する告発の象徴です。ナチス占領下のパリで、不安と窮乏の中で、彼は「死」や「飢え」を暗示する作品を制作しました。肖像画では人体が歪められ、生者と死者が混ざり合うような非人間性を強調し、静物画では動物の死骸や頭蓋骨を暗い色調で描き人間の虚しさを表現しました。

展覧会サイトより


《室内のフクロウ》
暗い色調が特徴。
止まっている先が槍になっている・・・

ピカソは動物全般、特に鳥を愛しました。ならばこの絵のフクロウは心休まる存在に思えるかもしれませんが、それがとまっている椅子はどういうわけか尖った槍に姿を変え、場面に不吉な趣きを与えています。

展覧会会場解説より
《帽子をかぶった女の胸像》

この部屋は、「戦時中」のタイトル通り、暗めの色調でまとめられていた。
次は白い壁で少し明るくなる展示室へ・・・。

一点もの

ピカソは1940年代後半、南仏のヴァロリスに定住し、陶芸に没頭しました。主にマドゥラエ房で制作された数千点に及ぶ作品は、水差しや皿に、女神、鳥、動物、闘牛士のモティーフを、ユーモア溢れる方法で施しました。熟練の職人と協力した、絵画、彫刻、工芸の境界を曖昧にした陶芸の実験は、晩年の芸術活動において喜びと生命力に満ちた中心的な役割を果たしました。

展覧会サイトより


一番下の2つは、牧神
この部屋の白いお皿は、一見普通に見えて、
物によって白の色や大きさも違う気がした
平板にならないような工夫なのかもしれない

《草上の昼食》

ここは深いグリーンの部屋だった。
草上だからか床は人工芝みたいなものでふかふかだった。

1950年代、ピカソは西洋美術の巨匠エドゥアール・マネの絵画《草上の昼食》(1863)の再解釈に取り組みました。27点の絵画や約140点のデッサンを含むこの連作において、彼は古典的な構図を解体し、人物の配置やポーズを大胆に変容し、絵画の平面性と装飾性を追求しました。この探求は三次元へと広がり、厚紙の模型をコンクリートで巨大化させた彫刻作品へと結実します。

展覧会サイトより
これだけでは何の再解釈か分からない・・・
パブロ・ピカソ《草上の昼食(マネに基づく)》1960年、パリ国立ピカソ美術館
天井もグリーンに・・・

ピカソが再解釈しようとしたマネの作品はこちら。

エドゥアール・マネ《草上の昼食》(1863)

初めてこの絵を見た時(まだ私は20代だった)、なぜ女性が服を着ていないのか・・・気になって調べた。

この絵は、伝統的な古典絵画をベースした現代風の「パロディ」。
昔は裸婦を描く場合は、「ヴィーナス」などの神話や歴史の登場人物にするというルールがあったそうだ。そのルールをマネは破って炎上。
この手前の女性は、マネのミューズ(本人も画家。かつオランピアのモデルにもなっている)であるヴィクトリーヌ・ムーラン。
右側の男性がマネの弟。
ヴィクトリーヌ・ムーランの横の男性が、この後義弟となるフェルディナンド・レーンホフ(オランダ出身の彫刻家)。

ただこれをピカソがどう再解釈したのか分からなかった・・・。
それでGoogle検索で調べたところ、

ピカソにとってマネの《草上の昼食》の解釈とは、意味を深く考えることではなく、「この完璧な構図をどこまで壊しても、絵として成り立つか?」という、絵画の限界に挑む壮大な実験でした。

検索結果

「この完璧な構図をどこまで壊しても、絵として成り立つか?」という解釈の根拠は、ピカソが残した実際の言葉、彼が試みた破天荒な制作プロセス、そして彼を研究する美術館や専門家の分析にあるそうで、ポーラ美術館やその他の美術館などの名前が上がっていた。

だいぶ疲れてきた・・・。もう少し・・・。

ピカソのボーダーシャツ

ピカソの服装は一貫して、「貧しくとも自由気ままに生きるボヘミアンだが働き者」という彼の基本イメージを強化しました。ポートレイト写真でも自画像でも、キュビスム時代の青のオーバーオールから1950年代や60年代の、今やトレードマークとなったボーダーシャツに至るまで、一貫して労働者の仕事着を選んで身につけています。

展覧会会場解説(一部抜粋)


このTシャツ最後どうなるんだろう???
テーブルの一見大きな手に見えるのはパン

晩年:1969—1972
最晩年に放たれた圧倒的な創造のエネルギー

この部屋はボーダー。
作品に使われている色を拾っていると思う。

《家族》
《座る老いた男》
《女の半身像》
ひろしま美術館所蔵
色合いは嫌いではないが・・・・・・・・・

いよいよ最後。

展覧会のピカソ
芸術活動を大衆へ開放した、展覧会ポスター

ピカソのキャリアにおいて、数々の展覧会は彼の名声を世界的なものにする重要な役割を果たしました。1901年のパリでの初個展から、晩年の1970年のアヴィニョンでの大規模な個展に至るまで、展覧会ポスターは街中に掲げられることで芸術活動を大衆へ開放する役割を担いました。「ポスターの集積」に着想を得たスミスは、ピカソの膨大なエネルギーを象徴する展示空間を創出しました。

展覧会サイトより

一面、夥しい数のポスターだったけれど不思議と楽しめた。

《ポンポン帽子と柄ブラウスを着た女の肖像》

この絵葉書は2枚買って、
好きそう(と思われる)な友達に出すことにする
作品は埋もれそうで埋もれていない
これはきっと”牧神”だ(一点もので見たので学習する)
あとで作品リストを確認
《枝を持つ牧神》だと思う

絵葉書

各2枚ずつ購入

(ここから先はこの日の備忘録)

おまけ 港区六本木7−7−7
番地がトリプル7の神社

正式名称は「龍土神明宮」。
南北朝時代の1384年から続く歴史ある神社で、住所が「7-7-7」のトリプルセブンであることから縁起の良い場所としても知られているので、
時間があれば是非。
国立新美術館からすぐ。

お参りの人が絶えないので
上部を撮影
おみくじを引いた
友達は紫:末吉で結んでいた
私は濃い青:大吉だったので持って帰ってきた

おまけ2
ランチは移動してイタリアン

千石にあるイタリアンに行ったのだが、とても美味しかった。

パスタ2皿のコースに、冬トリュフ(南半球オーストラリアのもの)をつけたら、いいお値段になってしまった。

美味しかったけど、価格も正比例して、その後銀座に移動してマリアージュフレールでアイスティを飲んだら、両方でかなり散財したが、
使ってしまったものを悔やむのは性に合わないし、美味しかったのでいいことにしよう。

どのお皿も美味しかった
メインやデザートは9枚に収まらず
ウニも、鮑もトリュフもその他諸々美味しかった
珍しくアイスティ、しかも普段飲まないフレーバーティを注文
アッサム茶葉にチョコレートとカラメル・バニラ系の甘い香りを付けたフランスの紅茶
たっぷりで冷たく美味しかった(かなり量があった)
マリアージュ・フレール「ウェディングインペリアル
最初はストレート、後からミルクティにした

紅茶=英国!と思っているので、マリアージュフレールには行かないのだが昨日は利用。
たまに違うことをするのもいいのかもしれない。

ワインも食事もアイスティも美味しかった!

ここまでお読み下った方はお疲れのことと思います。
ありがとうございました。。。



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