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密やかな美ー小村雪岱のすべて 他@千葉市美術館

連休明けの最初の土曜日は、余白として予定を入れなかった。
ただ金曜日の夜、意外と動けそうだと思って、朝行く気分だったら行くことにした。

いくつか見たい展覧会で未定のものから、
密やかな美 小村雪岱のすべて』を選んだ。

チュルリョーニス展 内なる星図(国立西洋美術館)』と、千葉県立美術館の『コレクション・ハイライトー芸術家たちの裏技・千葉県美の隠し味』と悩み、まずは小村雪岱から。5月中に上記2つも行きたい。

昨日はなるべく静かな展覧会を見たかった。
いつもながら長くなった。
小村雪岱は撮影がほぼできないので、写真は企画展と常設展示室のものを多く掲載。

小村雪岱について

小村雪岱(本名・泰助)は1887年埼玉県川越市生まれ。幼少期に両親を失い伯父に育てられる。1900年代初頭に東京へ移り、学僕として働きながら画家を志す。1903年に日本画家・荒木寛畝に入門し、翌年東京美術学校日本画科で下村観山に学ぶ。資生堂・意匠部にも勤務していたが、松岡映丘から東京美術学校の古名画模写事業に誘われ、資生堂を退社。
古画模写や風俗考証を修める。
1907年頃に泉鏡花と出会い、その交流を通じて雅号「雪岱」を授かる。

小村雪岱(1887~1940)は、大正から昭和初期に活躍した日本画家、装幀家、挿絵画家であり、文学者や画家など多くの文化人と親交がありました。特に有名なのは、泉鏡花や鏑木清方との交流です。

主な親交があった人物泉鏡花(小説家)
雪岱の出世作である鏡花の『日本橋』の装幀を手がけて以降、数多くの鏡花本の装幀や挿絵を担当。
鏡花は雪岱の感性を高く評価し、絶大な信頼を寄せていた。
鏑木清方(日本画家)
雪岱の画才を認め、亡くなるまで親交が続いた。
清方自身が初の随筆集の装幀を雪岱に依頼するなど、深い信頼関係にあった。
邦枝完二(小説家)
『おせん』などで知られ、雪岱の画文を昔から深く愛していた。
松岡映丘(日本画家)
東京美術学校の先輩であり、歌舞伎や新劇の舞台装置の仕事を紹介するなど、雪岱の幅広活躍を支えた。
久保猪之吉(医学者)
雪岱が21歳の時に鏡花と知り合うきっかけを作った人物。

雪岱は人柄が温厚で決して人と争わない「外柔内剛」な人物と評されており、その人柄が多くの文化人に愛された理由でもあります。

AI検索結果

下村観山、松岡映丘や鏑木清方といった名前が出てきて、今までの世界が繋がる楽しさがある。
今までも小村雪岱作品を見たことはあるが、この人にフォーカスした展覧会は初めて。

以下メモ書き

写真はほぼ撮れないので、気になったことをメモしたので以下その羅列。

  • 冒頭の心象風景が三作展示。
    青柳、落葉、雪の朝。静かで落ち着く。
    淡い色調、落ち着いた空気。
    細かく描かれたものがあって、単眼鏡を持ってくれば良かった。
    その後も細かく見たい作品多数で後悔。

美術展ナビより
https://artexhibition.jp/topics/news/20260428-AEJ2892990/
  • 川瀬巴水(かわせはすい)との違いは何だろうと思考が立ち上がったが、言語化できず(帰宅後検索してみる)。

風景の情緒・旅・ノスタルジーを感じたいなら川瀬巴水。デザイン・粋・線画の繊細さを楽しみたいなら小村雪岱。

Google検索

一理あるが、そんな切り口だけじゃない感覚。
川瀬巴水は「作品の中に静けさがある」
小村雪岱は「静けさが作品の世界を成立させている」ような気もする。

  • 「秋海棠図」、以前の展示で見た記憶がある。

  • 「柳」という絵は版画ではないが、雰囲気が冒頭の三つとは違う感じがした。

  • 大好きな清水三年坂美術館からの出品、松岡映丘の模写「浦の息子」。
    よく見ると絵の中に小さな文字で解説のようなものが書いてある。

  • 泉鏡花と日本橋、装丁の始まりと開花の章
    展示作品の一つの装丁の裏見返の試摺と正摺、違いが分からないくらい微妙だった。
    単眼鏡を持ってくれば良かったと後悔。

    以下は小村雪岱の出世作「日本橋」の装丁。
    河岸にちょうちょが飛んでいる・・・・。
    日本橋界隈は好きなエリアだが・・・今と全く異なる風情。

美術展ナビよりhttps://artexhibition.jp/topics/news/20260428-AEJ2892990/
  • なんとも寂しい秋の夜

泉鏡花「鴛鴦帳」裏見返
  • 雪岱の版画は緻密で輪郭がはっきりしているが、最初の章にあった絵はふわりとして輪郭が曖昧だ。版画は成り立ち上そうなるのかもしれない。

  • 資生堂の意匠部所属時代。西洋画のデッサンも試みたが芳しくなかった、と解説あり。
    松岡映丘に誘われて資生堂を退社し、東京美術学校の古名画模写事業へ。
    松岡映丘の門下には、杉山寧、橋本明治、山本丘人、高山辰雄がいて、先月福島に見に行った日本画を思い出す。

  • 資生堂の花椿、昭和12年刊行、今も続く企業文化誌。
    署名はないが小村雪岱も関わったとされる。
    資生堂社長の福原信三が、地元銀座の街の姿を留めようと編纂した書籍「銀座」。そこにも雪岱が関わっている。子供向け冊子「オヒサマ」も展示。
    (こういう昔から続く・・・というものが好き。)

  • 菊のオードパルファムの小瓶(大正10年)
    ラリックやバカラの影響を受けながら日本調を取り入れた意匠となっている。
    コダック社の社長への贈答品の復刻版。小さくて素敵。けばけばしくない。こういうの好き。

  • 当時の連載新聞(大正12年1月7日)が展示されていた。老婆が隅田川に投身したのを船夫が助け凍死から救うという記事が目に留まった。
    「中将二名、少将三名が加はり」という見出しも気になる。失職将校の実務演習と読める。時代を感じる。
    以下の画像の右側に記載があった。

美術展ナビより
https://artexhibition.jp/topics/news/20260428-AEJ2892990/
  • 里見弴(さとみ とん)の小説『闇に開く窓』の挿絵も掲載。
    昭和4年(1929年)9月7日から12月30日まで「大阪朝日新聞」夕刊に連載された作品。

  • 厳島神社蔵の平家納経帳、北野天満宮縁起絵巻、松岡映丘の模写事業の作品などが続く。

  • 「菊」制作年不詳。好きな作品。白い菊に平安時代と思われる女性が二人。

  • 「鶴寿千歳」昭和3年11月、歌舞伎座の天皇御大典記念興行の舞台装置原画。舞台の松や他の色の配置などいいなと思う。

  • 鏑木清方が自身の随筆「銀砂子」の装丁を小村雪岱に頼んだ。「カニが描かれ、春らしい空気を纏わせた装丁。鏑木清方の随筆らしい穏やかで軽やかさという解説」を読んで、随筆が読みたくなった。装丁も静けさがあっていい。
    調べたら、本書は古書市場で取引されており、小村雪岱による装幀の美しさから高く評価されているようだし、書籍としての価値も高い。
    青空文庫になっていたいそうだが読んでみたい。

  • 鏑木清方は、小村雪岱の仕事では挿絵を一番に推すと言った解説あり。

  • 挿絵のモデルについて、「個性なき女性—能面の持つ力に似たものを願っている。個性のない表情の中にかすかな情感を現したい」という言葉があった。分かる気がする。
    余白があるから、見る人がそれぞれ何かを投影できる。自分を前に出しすぎない美学。

  • 小村雪岱が白地に紅梅のを描いた帯に泉鏡花が歌を書いたものも展示。
    「鴛鴦や雪の柳をすらすらと」

  • 忠臣蔵の挿絵もよかった。
    「偵察」は三人の武士と石垣、他はかなり大きめの余白。

  • 「我を前面に出さず、型に込めることで、見るものそれぞれが心情を投影する余白を持たせる」という解説あり。やはり余白は大事だと思った。

  • 絶筆は林房雄の「西郷隆盛」の挿絵。
    脳溢血で昭和15年10月15日に倒れ、翌々日に急逝。

美術展ナビより
https://artexhibition.jp/topics/news/20260428-AEJ2892990/

休憩

小村雪岱の展覧会の会場は美術館の8階・7階。
7階の前半で2時間経過。
開館同時に入った人達はいつの間にかいない。
お昼になったので一度外に出てランチを。(目と鼻の先のカフェを予約しておいた。)
当日であれば再入場何度でも可能。
毎回2時間では終わらないのでこのパターンが多い。

マダムボンボニエール
食べるものは決めていた
いつものサンドイッチ
クリームチーズ・胡桃・ルッコラ・クレソン・レーズンパン
キャロットラペ
アッサムティーにミルク
クレープシュゼット
フランベしたリキュールを席でかけてもらう
こちらも朝から食べたいと決めてた・・・
(次回からクリーム減らせるか聞いたらできるそうなのでそうしよう)
クレープが好き。
甘いから周りのソースと皮だけでいいくらい。
再び美術館へ戻る・・・
風がものすごく強くて干してきた洗濯物が気になる
早く戻らねばと思いつつまだ見たい・・・

7階の展覧会も見終えて、同じフロアのもう一つの企画展へ。

手にとって愛でる日本の美術

ごあいさつ
2026年度最初の所蔵品による企画展、「手にとって愛でる日本の美術」を開催いたします。
本展は、「密やかな美小村雪のすべて」の同時開催展として、千葉市美術館の近世・近代コレクションの中から選んだ約50件をご覧頂くもので、3つのセクションから成ります。
冒頭の「手で眺め、楽しむ」では、日本古来の絵画形式である絵巻や画帖をご覧いただきます。現代の私たちはなかなかその機会に恵まれませんが、本来的にそれらは鑑賞者が手にとって広げ、楽しむものでした。間近に、じっくりと見ることが前提であるため丁寧な仕上げや凝った趣向の作が多く、ときに誂えた人物の意向が反映されやすいのも、絵巻や画帖の面白い点といえるでしょう。
2つめの「暮らしを彩る」では、生活の道具であり、かつ身近に楽しむこと美術品でもあった扇や、夏の日を鮮やかに彩った団扇絵、さらに女性たちが身につけた・簪などを展示します。生活の中で親しまれたこうした品々は、かつての持ち主が愛玩し、親しんだ日々の名残をよく感じさせるものです。
最後の「ちいさいだけで、うれしい」は、や豆本や江戸後期の銅版画など、特に小さく作られた作品を集めています。制作された時代や用途は様々ながら、小さいものを手にとり細緻を喜ぶ心と、制作した職人の高い技術とが感じられる品々です。
美しいものを身近に置きたいと願い、親しみ、愛でること。古今変わらない人の営みとその精華を、お楽しみください。
2026年4月千葉市美術館

冒頭のパネルより

以下疲れたので写真掲載多め。

西川祐信 四季風俗図巻
着物での雪朝び 
大変そうだが、楽しそう
渓斎英泉
名物裂帖と福寿草
これは以前この美術館の展示で「摺物」というジャンルで見たかもしれない
(摺物とは、贅を尽くした江戸時代の非売品の特注版画)


この摺物の企画展も好きだった。備忘録を書いたはず・・・。


植物画の方が好きだが
柴田是真「貝図」
こちらもこの美術館で何回か見ている
清少納言の『枕草子』第151段(通称「うつくしきもの」)にある「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし(小さきものはみなかわいらしい)」という一節を思い出す
岡本秋暉

この岡本秋暉も2024年の千葉市美術館の展覧会で見た人だ。


前川千帆 「閑中閑本」
版画家の前川千帆が疎開先の岡山で着手し未完の第27冊まで続いたシリーズ。
甘いものへの憧れを募らせて描いた第1冊 文献偲糖帖(右)
この人も千葉市美術館で作品を見た
亜欧堂田善
かなり緻密

この後ようやく5階の常設展示室へ。

常設展示室

千葉市美術館は、約10,000点のコレクション(浮世絵、江戸絵画、現代美術、房総ゆかりの作品)を主に5階の常設展示室「千葉市美術館コレクション選」で公開している。

千葉市美術館コレクション選 
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常設展示室は、「密やかに在る」と「密やかな線」で構成されていたが前者はほとんどが写真撮影不可。

密やかに在る

出品リスト

  • 浜口陽三
    うまくいえないけど嫌いではない。
    (以下は作風。今回はこの絵は展示なし)

https://www.ccma-net.jp/exhibitions/special/02-11-2-12-23/
  • 清原啓子
    分からない感満載だった。
    夭折された方。

  • 高田柳哉の漆器
    インパクトがあるモチーフがありながらも奥に静けさも感じる

バーナード・リーチの作品などもあった。

密やかな線

空間が作品みたい

ちょうど人がいなくて静かに鑑賞。
入り口から撮影した空間。

このエリアは床に反射してこの空間自体が好き
静かな雰囲気が多い。

これ、札幌の北海道立近代美術館で、ルオーの展示を見た時を思い出した。
ただあちらは床が暗かった。

2025年5月5日訪問時の写真
まだ去年なの?もっと前かと思ったのに・・・
再び千葉市美術館
この展示室の空間が静かで良い

この空間は、先日の「太陽の森ディマシオ美術館」と対極だと感じる。
てんこ盛りの圧(この記事に記載)は感じない。落ち着く。
静か・・・ノイズがない・・・。椅子に座って撮った写真。

落ち着く・・・
ずっといられそう

とはいえ、空間ばかり見ていても・・・なので絵に近寄る。

浅野弥衛

三重県鈴鹿市出身の浅野弥衛。
”ひっかき”という画法。
キャンバス一面に絵の具を塗って、程よく乾いたら小刀、錐、鉄筆、針などで絵の具を引っ掻いて、そこに黒い絵の具を塗り込み、柔らかい布で拭うと引っ掻いた溝に黒い絵の具が残って黒い線が生まれる。

ちょっとやってみたい・・・。


近づいてみると・・・
?????ではあるが、Untitled にはなんとなく納得

見る人に委ねられている感じがした。
今の私の気分でタイトルを考えた。
もう・・・ぐちゃぐちゃ」(苦笑)

こちらも Untitled
これは・・・うーん出てこない。
「捨て鉢?」
引いて全体感(浅野弥衛)

狗巻賢二

方眼紙+色鉛筆。
こちらも無題。

これは方眼紙ではない。いろんな色の線が引かれている。

沢居陽子

この方も三重県出身。

Line-Work
紙にうっすらとカッターの切り込みが入っているらしい

内藤礼

遠目では白い紙?

namenlos/Licht (ナーメンロス/リヒト)
ドイツ語で「名付けようのない/光」
1993年頃から制作されている紙に赤色鉛筆で描かれたドローイングシリーズ
目に見えるか見えないかのかすかな濃さでピンク色の色鉛筆が塗られている
(これ水色でもなく黄色でもないのがなぜなのか気になる)

内藤は、「地上に存在していることはそれ自体 祝福であるのか」という間いを主題とし、この広い宇宙を構成する数多の生命や自然を見つめる作品を制作しています。ささやかな素材を組み合わせたインスタレーションの数々は、はるか天空から地上を見下ろす俯瞰的な視点を感じさせます。
今回展示する<namenlos/Licht)は、現在も続くドローイングのシリーズ<colorbeginning)の前段階にあたるものです。作品には、目に見えるか見えないかの非常にかすかな濃さで、ピンク色の色鉛筆が塗られています。ドイツ語で「namenlos」は「無名の」、「Licht」は「光」を意味します。科学的に、色は光の反射によって認識されるため、光がなければ色は生まれません。色とは光であり、すなわち本作は、光そのものをとらえようとしているのです。
本特集のテーマである線も、線である前に色であるとも言えます。作品を作品たらしめる要素は、素材や技法にかぎらず、作品の外、つまりこの世界のそこかしこに存在しています。

美術館解説より

地上に存在していることはそれ自体 祝福であるのか
まだこの問いが正確に私の中に落ちていない。

うまく言えないけど「「そもそも祝福かどうかを問う場所にいない」んだと思う。
すでに存在してしまっていて、すでに「ある」「そこにいる」が成立してしまっているから、そこに祝福があるかないかのレイヤーにいかない。(ダメだ、うまく言語化できないのでこのまま置いておく。)

そして、内藤礼さんについては、もちもちさんが、こちらで記事にされていたのに・・・見落としていたみたい。他の作品を見る機会があったら見てみたいと思った。

今回のこの展示でまた私の引き出しに“何か“が増えた。

終わりに

小村雪岱の作品数も非常に多く、他の企画展に常設展示室と盛りだくさんだったけれど、心地よい疲れで終われたのは、全体として空間が静かで、作品同士が過密ではなかったからだと思う。

何となく見る、受け取る日ではなく能動的に鑑賞した日だった気がする。

作品群の余白、空間の余白、私自身の余白もあったから自然と能動的になったのかな。

帰宅後洗濯物を父が入れていたがそのままだったので直して、
眠くなったので夕方までうたた寝をしてしまった。
連休の疲れが出てしまったのかもしれない。

5月はまだ見に行く展覧会がある。
体調を整え、楽しみたい。


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