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【あなたの2000年代を聞かせて】第3回ゲスト:矢野利裕(その③)

サムオブメンバーが様々なゲストを招いて2000年代についてトークする連載。第3回のゲストは批評家・ライターで、都内の中高一貫校に勤務する矢野利裕さん。(その③)では、矢野さんが大学生のときに繰り広げていた「日本語パンク論争」の話と、日本語の楽曲がまだ色物扱いだった当時のクラブで遜色なくかかっていたUAとMISIAについて語ってくれました。(その①)(その②)は下記リンクから。


矢野:大学の同学年にTOTALFATのメンバーがいて、大学で「日本語パンク論争」を繰り広げていたんです。

カンノ:「日本語パンク論争」が矢野さんのコミュニティで行われていたという話を是非聞かせてください。

矢野:僕も「今、重要な歴史に立ち会っているな」とリアルタイムで思ってましたよ(笑)僕は高校が大学付属だったので、大学に入っても高校の軽音楽部のメンバーとは関係が継続していました。その軽音部ではメロコアが流行っていて、そのなかで頑張っていたのはスリーピースバンドで「トロッコ列車」っていうバンドだった。バンド名の由来はおそらくザ・ブルーハーツなんだよね。「列車」とか言ってるところでいうと。

カンノ・オノウエ・YOU:あぁ~!

矢野:ザ・ブルーハーツ以外は、STANCE PUNKSなんかも好きだったみたい。そういう流れってあったよね。エモーショナルで少し野暮ったい日本語パンク。

矢野:で、大学に入ってから知り合う姉妹校の同期にTOTALFATとグッドモーニングアメリカのメンバー、2つ下にBIGMAMAのメンバーがいました。グッドモーニングアメリカは当時はfor better for worthって名前だったかな。

カンノ:すごいメンバーですね。

矢野:向こうは覚えていないと思いますけどね。あと、大学サッカーチームになおとさんという3つ上の先輩がいたのですが、そのなおとさんがのちのナオト・インティライミ。でも、ここを話すとややこしくなるので一旦省きます(笑)

オノウエ:ラスボス感がありますね(笑)

矢野:で、そういう人たちが同じ大学に集まります。みんな同じメロコア好きなので同じ企画ライブに出たりするんです。それで食堂とかで会ったら話すようになって、いろいろ音楽の話をするようになる。向こうは覚えていないと思うけど僕もそこに混じっていたことがあって、トロッコ列車のリーダー、TOTALFATのドラムの菅原君と、その3人か4人くらいで話してて、熱い音楽談議になったの。これは「日本語ラップ論争」にも言えるんだけど、トロッコ列車の子は「日本でやってるんだから、直輸入はフェイクだ」と。それはブルーハーツもそうだし、当時はジャパハリネットも流行っていて、「日本語パンクには叙情性が必要だ」という論陣を張ってたの。

カンノ:「哀愁交差点」における「哀愁」の部分。

オノウエ:ジャパハリネットはたしかにその要素は大きかったかも。

矢野:それに対してTOTALFATの菅原君は「っていうか洋楽聴いてないでしょ?」という話をしてた。「ブリンク182とかグッド・シャーロットとか聴いてる?」みたいな。で、ブリンクとかってスペシャとかでよく流れてたから。

カンノ:当時はスペシャとかMTVで流れてましたよね。イエローカードとか。

矢野:その話を横で聞いてて、とくに結論が出たわけじゃないんだけど、それって「日本語ラップ論争」における「ラップを日本語でやるのか」とか、もっと遡ると「日本語ロック論争」とか散々あるから「パンクでも同じことになってるな」と思って感慨深く聞いてたんだよね。

カンノ:矢野さんは俯瞰した位置で聞いてたんですね。

矢野:二人の話を「うんうん」と言いながら聞いてたね。

YOU:矢野さんはその当時は日本語ロック論争をご存知でしたか?振り返ってみて、「あれは日本語ロック論争と同じだな」と思った感じですか?

矢野:このときは「日本語ロック論争」のことは知っていたのかなあ。どっちかと言うと、ヒップホップの話っぽいなと思って聞いていたかな。直輸入派か、日本語翻訳派かっていう。

YOU:当時、英語でバリバリラップしていた人って誰ですか?

矢野:英語でラップしていた人は、たまにZEEBRAがやって、あとはSPHERE of INFLUENCEとか。

カンノ:ZEEBRAの弟ですね。

YOU:僕はShing02が思い浮かびました。

矢野:Shing02の『緑黄色人種』はまだ日本語で、英語になっていくのはその後じゃないですかね。

カンノ:そしてBUDDHA BRANDは何語かわからない(笑)

矢野:そうだね。で、「SPHEREは英語でやっててすごい」とか「じつはVERBALもすごいんじゃないか」とか。あとは「日本語パンク論争」のなかでは、日本語とか英語っていうよりは、「日本語に翻訳するのはいいことなのか?」っていう話は出たね。

カンノ:現在から見てみると、今のシーンって日本語への翻訳を頑張った結果というイメージですね。

矢野:当時のクラブだと、ヒップホップが直訳じゃないとダメっていうスタンスの人はむしろダンサーに多かったかな。「日本語ラップとか聴いてられない」っていう。

YOU:踊れないっていうことですかね。

矢野:身体に来ない感じはあったんだろうね。DJでもそういう人はいたね。日本語を流してはいけない暗黙のルールはあった。

YOU:だからこそ和モノが成り立つんですかね。

矢野:和モノは小バコでひっそりやるものだった。遊びでプライベートでやるもんだった気がする。ECDの「CUTTING EDGE」っていう曲のなかで「ほらウインドの外 UAが歌ってるぜ」という歌詞があるんだけど、それはECDが「DJブースでUAが流れたときに感動した」っていう話なんだって。

矢野:で、そのあとによく言われるのはMISIAだね。MISIAはプロモーションに仕掛けがあって、「日本のR&Bでも現地のR&Bに対抗できるから」っていう触れ込みで、12インチをあらかじめ有名DJに撒いていたって聞きました。DJ WATARAIとかDJ MASTERKEYのリミックスも収録して「現場で使ってください」と。渋谷のHARLEMとかASIAでプレイされることを狙ったらしいです。

YOU:DJ向けのマーケティングがあったんだ。

オノウエ:全然知らなかった。

矢野:それでとあるレコ屋の発売日とかにサクラを動員して。

カンノ:へぇ~!

矢野:以前、トークイベントで知り合ったファッション系の人が「私、MISIAのサクラで並んだ」と言っていました。

カンノ:それはレーベルから?事務所から?

矢野:いやあ、わからないですね。「頼まれて並んだんだ」って言っていましたよ。だからクラブ史的にはMISIAは日本語でも遜色ないっていうことで徐々に広まっていった。ただ当時の実感としては、日本語の曲をかけると相当浮いてたけどね。ネタ枠だったからね。

カンノ:色物だったんですね。

矢野:あとヒップホップの話でいうと、大学時代の友達経由で国分寺のクラブへ行くようになった時期があって。国分寺eff projectっていうイベントが宇多丸さんとかをゲストに呼んでいた。そのイベントを企画していたのが、当時社会人だったDJ Nishiこと西原さんという人で、この人はその後、西原商会という会社を受け継いで、のちに宇多丸さんの番組のスポンサーになるっていう。

YOU:えっ?社歌をクレイジーケンバンドが歌ってる会社?マジっすか?

矢野:そうそう。当時は、国分寺とか立川とか多摩地域を盛り上げるイベントをやっていたんですよ。

矢野:僕はそこから入ってクボタタケシさんやはせはじむさんとつながった。これも2000年代っぽい話だけど、『マネーの虎』という番組で資金を獲得した人が立川にクラブを作るんだけど、そのクラブのこけら落としのDJがクボタさんと宇多丸さんだったんですよね。RHYMESTER『グレイゾーン』のスペシャルサンクスには「国分寺eff project」って書いてある。

カンノ:あ~、スぺサン文化とか懐かしいね!

オノウエ:ジャケット自体がもうないからね。

YOU:スペシャルサンクスに載りたい人生だったな(笑)

矢野:スペシャルサンクスって憧れたよね(笑)

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