【#13】連載小説 『 美容室「ヨアケ」、開店します。』 (第3章 「はい、どーじょ。」5話)
ライブの数週間前、ヨアケの定休日のことだった。
吉祥寺はアパートの部屋で大の字になり、昼寝をしていた。
静かで、時折、遠くを走る車の音が聞こえるだけだった。
軒先には洗濯物がそよ風に揺れていたが、その中の一枚のシャツが、すこし不自然に動いた。その陰に何かがいたからだった。
シルバーグレーの毛並みの、美しい猫だった。
猫は、窓の外の柵に乗り、カギの掛かっていないガラス戸を前足で器用に開けると、音もなく入って来た。
口に何か手紙のようなものをくわえていて、それをそっと近くのテーブルの上に置くと、気持ちよさそうに眠る吉祥寺のすぐ横まで近づいた。
しばらくの間、猫は深い海のような瞳でじっと見つめていたが、やがてすっと前足をあげると、吉祥寺のおでこの辺りをトントン、と軽くつついた。
吉祥寺はそれでも起きなかったが、猫は気にする様子もなく、開け放たれた窓から出て行ってしまった。
再び辺りは静かになり、何事もなかったかのように、洗濯物が揺れていた。
*
「この間、まぁた夢、みたんですけど…。昼寝だったからかなぁ?いつもよりはっきりしてたんです!めっちゃほんとのことみたいな感じで!」
自分にもたれかかって眠っている美久の腕を、やさしげにトントンしながら、吉祥寺が言った。
「続きがみれたの?」
智子が聞いた。
「いやっ、そうじゃなくて。前までの夢だと、誰に何を渡したのかも、何の匂いかもわかんなかったんですけど…ついに分かったんです!!」
「何度もみる夢ってなんか不思議だね。で、どんなだったの?」
吉祥寺は、隣に置いた自分のトートバッグに手をつっこんで、ごそごそとしていたが、
「すげぇちっちゃい僕が、スティックのりをもらって…あ、この間、ヨアケで落としちゃったやつです。ほら、これ!」
と言って、黄色い地に動物のイラストが描かれたスティックのりを取り出した。
智子は何も言えなかった。
「これ、実は同じのが二つ入りだったんですよ!で、僕、袋から一本だけ出して…」
吉祥寺は智子のほうに、スティックのりを差し出すようなしぐさをしながら、
「はい、どーじょ、って言って、その人に渡すんです」
と言った。
「で、渡した人、ありがとうって受け取ってくれたんですけど…顔、ちゃんとあったんです!!人面犬じゃなかったんです!あ、顔だけ犬だから、犬面人か?」
「…」
「で、顔、あったっていうか………イヌのお面だったんですよー!」
「お面…」
「そう、かわいいワンちゃんのお面!で、お祭りの日だったみたいで、焼きそば食べてて、匂いはなんと!…そのソースのだったんです!!」
「………」
*
智子は、最後に大に会った日のことを思い出していた。
近所の神社の秋祭りに、二人で行っていた。
辺りは浴衣姿のカップルや家族連れで、かなり混雑していた。
智子はパーカーにデニム姿だったので、浴衣の女の子たちをみて羨ましかったが、大を連れていくので動きやすい服装にしたのだった。
一歳半の大は、白地に花火柄の甚平を着ていて、とても可愛らしかった。この子が一番可愛いよね?と、本気で思った。
智子は周囲のひとに片っ端から、
「この子、私の子なんです!可愛いでしょ?」
と自慢して歩きたいような気分だった。
「大、それ欲しいの?」
大がイヌのお面が欲しくて、屋台からなかなか離れないので、智子は買ってあげることにした。
大に何かを買ってあげられる、ということだけでも、智子は嬉しかった。
お面を着けてあげると、最初は喜んでピョンピョン跳ねながら歩いていたが、すぐに煩わしくなったのか、取ってしまった。
着け直してもすぐ取ってしまうので、智子は仕方なく、自分の頭に少し横にずらして着けた。
お祭りの華やいだ雰囲気の神社は歩いているだけでも楽しく、しばらく手を繋いでブラブラしていると、大が突然立ち止まった。
「やるっ!!」
大が幼い手で指さしたのは、輪投げの屋台だった。
「大はちっちゃいから、まだ届かないよ〜」
「やるーーーっ!やーるぅーーっ!!!」
「えー…」
智子が困っていると、屋台のおじさんが、
「お嬢さんが手を添えて、一緒にやってあげれば?」
と言った。
そっか、自分はお母さんには見えないよね。「私、この子の母親ですけど」っておじさんに言っても信じてもらえないだろうな、と智子は思った。
列にならぶと、大はしゃがんで地面の草をむしりはじめた。その丸まった姿を上から眺めていると、おなかの辺りから急に愛おしい思いがこみ上げてきた。
たまらず抱き上げると、遊びを中断させられたからか、大はイヤイヤ、というように体をくねらせた。構わず、智子が大の首のあたりに頬を寄せながらくすぐると、一転して大は喜んで笑いだした。
二人できゃあきゃあ笑っているうちに、輪投げの順番が来た。
「はい、三本ねー」
おじさんが手渡してくれた、竹を曲げてできた輪っかは思ったより小さく、景品はギリギリ入るかも、といったところだった。
「大、これ持って。いくよ!せーのっ…」
智子が手をとって一緒に投げたのだが、大は輪っかを離すタイミングが分らず、全部終わってからパッと手を開いたので、ポトッ、とすぐ近くに落ちてしまった。
「あははは!あーあ、大〜。投げるんだよー」
そこでついつい本気になり、二本目はほぼ智子が輪っかを持ち、勢いをつけて一緒に投げた。
「いくよっ!せーの…」
勢いよく飛んでいった輪っかはきれいな弧を描き、奇跡的に手前の景品に入った。
「あっ!!わーっ!やったぁ!!」
智子が大きな声を出したので、大は最初はきょとんとしていたが、まわりのひとの拍手や歓声につられ、嬉しそうにピョンピョン跳ねた。
景品は透明な袋にパックされた、二本入りの黄色いスティックのりだった。
クマやウサギなどの、動物のイラストが描かれていた。
「はい、おめでとさん」
おじさんが智子に渡してくれた袋を、そのまま大に手渡すと、大はパチパチと小さな手を叩いてから、嬉しそうに受け取った。
お腹がすいたので焼きそばを買い、空いていたベンチに座った。
屋台の電灯で神社は明るい場所が多かったが、そこは少し薄暗く、発電機の大きなモーター音からも少し遠かったので、智子はホッとした。
ひと息つくと、大と一緒にいられる嬉しさが込み上げてくる。
一つのパックを分け合い、ゆっくりと食べた。食べ終わるのがなんだか寂しくて、少しずつ口に運んだ。
突然、大がベンチからぴょんと飛び降りた。
「大?もうごちそうさま?」
智子が言うと、さっきからスティックのりの袋を大事そうに抱えていた大が、いきなりそれを逆さまにして振った。袋のテープがはがれかけていたので、中身が地面に転がった。
「あーあ、大、だいじだいじ、落ちちゃったよー」
智子が拾おうとすると、大が小さな手で一本拾い、
「はい、どーじょ。」
と、膝をまげ、あいさつするようなかわいらしい仕草で渡してくれた。
智子は嬉しくなり、笑いながら丁寧におじぎをして、
「ありがとう。」
と、受け取った。
もう一本は智子が拾って手渡すと、大は手をパチパチして喜んでいた。
*
吉祥寺にもたれかかっていた美久がモゾモゾと動いた。
《つぎは、〇〇、〇〇駅です》
智子たちの降りる駅が近づいてきて、電車の速度が緩まるのが分かった。
吉祥寺はやさしいリズムで、トントンと美久の腕を叩いていた。
すぐ横を急行列車が抜かしていく。数秒間だけ同じ速度で走っていて、まるで同じ車内にいるように乗客の顔がよく見えた。
みんなスマホをいじっているか目を閉じていたので、智子が見つめていても気づくことはなかった。
しばらく黙っていた吉祥寺が、口を開いた。
「で、そのイヌのお面をかぶった人なんですけど…」
吉祥寺は、膝の上で持っていたスティックのりを握りしめながら言った。
「…僕の母さんだったんです」
智子の心臓はきゅっとなった。何か言わなきゃ…と思ったが、口が少し開いただけで、声は出なかった。
「この間、実家に帰って父さんに聞いてみたんです、母さんのこと。そしたら、いろいろ話してくれて」
「………」
「ばあちゃんボケちゃって施設に入ったから、今までばあちゃんに止められてたけどもう話せるって。遅いですよねぇー。じいちゃんも父さんも、ばあちゃんのこと、どんだけ怖がってんだよって感じ!」
「………」
「あーっ!すみませんっ!こんな話、えと…あの……やっぱり聞きたくないですか?」
「ううん!そんなことない…聞きたいよ…話してほしい」
智子は答えた。
「うん……」
窓の外には、見慣れた街並みが見えてきた。
「僕って…」
吉祥寺は、手にしたスティックのりのフタを、開けたり閉めたりしていたが、やがて言った。
「母さんに捨てられたんじゃなかったって!ばあちゃんが僕をムリヤリ預けさせて、そんで母さんに黙って引っ越しちゃって、僕を養子にしたんだって。父さん、何もできなくてごめん、とか言ってて。もはや、誘拐!!」
「………」
「それって何もできなくて、じゃなくて、何もしなかったんでしょ、って言ったら、父さん黙っちゃった!!
だから、母さんのこと、ばあちゃんに色々悪く言われてたのって、あれウソだったんだなーって。まあ、前から何となく怪しいなー、とは思ってたんだけど…」
「…」
「それから…」
吉祥寺は、前を向いたまま言った。
「母さんも、智子、っていうんです」
「………」
智子は膝に置いたカバンの中に手を入れて、スティックのりが入ったポーチを、ぎゅっと握りしめた。
しばらくの間、沈黙が訪れ、智子が口を開きかけると、吉祥寺が言った。
「あっ!せっかくライブの余韻やばかったのにすみませんっ!!
でも僕、いろいろ分かってすっきりして、すげぇ嬉しかったから、どうしても話したくて…入江さんに」
その時、ぐっすり寝ていた美久が起き上がった。
「あっ美久ちゃん、起きたかな?」
吉祥寺が言った。
「……おなかすいた」
美久が目をこすりながら言った。
智子も横を向き、そっと目をこすっていた。
「ねえ入江さん!また次のライブも一緒に行きませんか?!フロントでシュガポの推し活ばなしするの、毎日楽しみなんですよぉ~」
吉祥寺が言うと、美久が、
「行きたーい」
と、あくび交じりに行った。
「いいですか?」
吉祥寺が智子の顔をまっすぐ見ながら言ったので、智子は小さくうん、とうなずいた。
三人のカバンには、昼間買った星形の色違いのキーホルダーが、電車がガタン、となるたびに揃って揺れていた。
***
「何してんの?」
ライブの前、猫が手紙を置いていった数日後のことだった。
吉祥寺がヨアケの休憩室のシンクで「あれ~?」「やっぱ、だめかぁ~」などとつぶやきながら、なにやら洗っているのを見て、後からきた新城が聞いた。
「これ、ふるーいスティックのりなんですけど、もうカラッカラに乾いちゃってて…。水つけたら、何とか復活しないかなぁ~とか思って」
「そんなの無理じゃね?もう捨てちゃえば…あれ?これ、入江さんのでしょ?」
「え?!僕のですよ?」
「でもこの間、俺が入江さんに拾って渡したよ。確かにこの、黄色い動物のヤツ。じゃ、吉祥寺も同じの持ってたんだ」
「入江さんが…同じの…」
「なんか大事だったみたいで、めちゃくちゃ感謝されて。ただのノリなのに、って思ったけど…」
「…そうですよね!ただのスティックのりですよねっ!」
吉祥寺はそう言うと、ティッシュで水を丁寧にふき取り、自分のカバンにしまった。
数日前、昼寝していたらいつの間にか現れた手紙には、手書きで、
「お父さんに、お母さんのことを聞きにいってみてごらん。いなくなってしまわないうちに」
と書かれていた。
意味が分からないのでそのままにしていたが、その夜、実家に帰って父親にいろいろ聞いてみよう、と思ったのだった。
父親は今までのことを洗いざらい話してくれ、祖母に見つからないように隠し持っていた、母親と撮った写真も見せてくれた。
そこには父親と並んでピースする、若いころの智子の姿があった。
***
ダダダダダ…!!!
「吉祥寺っ!階段はかけおりないっ!!」
坂本の声が響く。
「はぁーいっ!!すみませーん!!…ねねね、入江さんっ!!!昨日…」
「シュガポのインスタライブでしょ?美久と観たよー」
「僕、風呂はいっててぇ…急に通知きたからびっくりしてシャワー落としちゃいましたよ~ユニットバスだから、トイレまでびしょ濡れっ!」
「ははは!相変わらずだね~。慌てすぎだよ~。あっ、そういえばマッサンがさ、今度また二人で釣り行こうって言ってたよー」
「うわぁー!行きたい行きたい!!こんどは海釣りもいいな~。ラインしまーぁす!」
カッ!カッ!カッ!カッ!…
固い靴音が響き、坂本が殺気とともに降りてきて、低い声で言った。
「吉祥寺ぃ…………クビになりたいの?」
「うわっ、なりたくないです!クビだけは…今行きます!!すみませーーん!!!」
吉祥寺の声は二階まで届き、スタッフや常連客がどっと笑うのが聞こえた。
バタバタと吉祥寺が行ってしまうと、智子は店のポストを確認しようと表に出た。
「あれ…?猫?」
シルバーグレーの毛並みの美しい猫が見えた。猫は少し開いていた地下倉庫のシャッターの隙間からすっと出てきた。
そして智子を、深い海のような瞳で少しの間見つめると、ゆっくり歩き去っていった。
「倉庫に住み着いちゃってるのかな…?そういえばこの間、新城くんが言ってたかも…。店長に言わなきゃ」
智子は郵便物をとるとうーん、と伸びをし、フロントに戻って行った。
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