【#27】連載小説 『美容室「ヨアケ」、開店します。』 (第5章8話「そっちからみたら」吉祥寺の場合③)
「あっ!!!イタタタタタタ…!!」
「ばあちゃん?」
「こ、腰が…」
急に立ったので祖母はぎっくり腰になってしまい、結局話はそのままになってしまった。
けれど大は、初めて祖母にしっかりと意見を伝えられたことが嬉しかった。いつも言い返しているのは夢の中だけだったから。
*
部屋で一人になると、大はベッドに寝転がり天井を見つめた。
「…絶対、ぼくは絶対に美容師になるんだ」
電気のスイッチの紐の先には、大好きなアニメのキャラクターのキーホルダーがぶらさがっていた。それを見つめながら、大は、
「僕の人生だ」
と、つぶやいて、目を閉じた。
***
それから大は、徐々に自分を出せるようになっていった。
本来の底抜けに明るい性格がやっと顔を出し、
(このままじゃ僕の人生、すげぇつまんないものになっちゃう)
と真剣に考えるようになり、人の目を気にすることがあまり無くなった。
最初はどうしても、人にどう思われるかが怖くなることもあったが、無理矢理にでも気にしないようにすることで、むしろ同じような趣味を持つ仲間とつながることができた。
そして高校を卒業するころには、周りを照らすほどに明るい、ときには激しく巻き込むような、本来の吉祥寺大になっていた。
結局、美容学校に行くことを祖母は最後まで許さなかった。
しかし大が高校を本気で辞めて、就職してお金を貯めるつもりなのを理解すると、高校中退じゃ体裁が悪いから…と渋々黙認するかたちになった。
祖母にとって、思い通りに誰かが動かなかったのは初めてだったが、それで自分を顧みるなんて思いもよらないことだった。
物事を生涯深く考えないひとがいるということを、大は祖母を通して学んだ。
祖母の不機嫌な様子で家の中の空気はさらに悪くなった。
だから美容学校を卒業し、就職して家を出られたときは、自分で借りた六畳一間のボロアパートに大の字に寝転がり、豪邸に引っ越したような気持ちでとても嬉しかった。
***
何か、美味しそうな匂いがする。
(ソースのにおい?あ!やきそばだっ!)
大は口の周りにベタベタとついた、ソースと青のりを舐めた。
(おいしかった…。あっそうだ、これママにあげよう!)
しっかりと抱えていた袋を逆さまにする。地面に黄色いスティックのりが二本落ちた。
一本拾おうと、手を伸ばす。自分の小さな手は思ったよりうまく動かせない。
ようやくつかむと、
『はい、どーじょ』
と言って、目の前の浴衣を着た女性に差し出した。
その人は犬のお面を被っていたが、ずらしてつけていたので振り返ったときに顔が見えた。
『ありがとう』
若くてきれいな、お姉さんのような…え?!
え…?!
「入江さん?!」
大は目を覚ました。
見慣れた、自分のアパートの天井が見えた。
「あ…夢か…」
大が美容室「ヨアケ」に入ってから、半年ほどが経っていた。
幼い頃から何度も見ていた夢。
何かの匂いがして、自分の小さな手で何かを「はい、どーじょ。」と手渡した人は、顔だけ犬だった、という変な夢だったが、今回はやけにはっきりしていて、色もついていた。
そしていつも顔だけ「犬」の人が、美容室「ヨアケ」で一緒に働いているフロントの三十代の主婦、入江さんになっていた。
(顔が犬なんじゃなくて、お面だったんだ…!でもなんで入江さん…?!…あっ、でも夢か。
浴衣で焼きそばって、お祭りかな?そういえば渡したのって、あのスティックのりだったのか…)
「…あれ?手紙…?!」
枕元にはいつの間にか、一通の手紙が置かれていた。飾り文字の「Y」と刻印された蝋で封がされている。
中には、
吉祥寺大くんへ
『お父さんに、お母さんのことを聞きに行ってみてごらん。いなくなってしまわないうちに』
とだけ書かれていた。
***
(えーーっ?!入江さんって…。入江さんって、やっぱりもしかして…)
(いやぁ、そんなまさかっ!こないだのはただの夢だし!そんな偶然あるわけないよな)
数日後。ヨアケの休憩室で、スタイリストの新城が同じスティックのりを入江さんが大事そうに持っていた、と言っているのを聞いて、大は驚いた。
大は小さな頃から文房具売り場に行くと、同じスティックのりがあるかどうか、見るともなしに探してしまう癖があった。
けれど、今まで一度も見たことが無かった。
大切にしている理由は自分でも謎だったのだが、言ったら何だか取り上げられてしまいそうで、家族には聞けなかった。
大は、父親や祖父母から、母親の話はほとんど聞いたことが無かった。父親が少しでも話そうとすると、祖母が、
「あんなアバズレのこと、口にしないでちょーだい!虫唾が走るわ。大、あんたのお母さんはあんたを捨てて男と逃げたのよ。もう関係ないから、もともと居ないものと思いなさい!」
と遮るので、詳しくは聞けなかった。
祖母のいない時に聞き出そうとしても、長年支配されている父や祖父は、多くは語ってくれなかった。
(でも…)
大は、何年か振りに来た手紙のことを思った。
(いなくなっちゃうってことは、もう今僕の近くにいるってこと…?!)
大はスティックのりを手のひらで転がしながら、久しぶりに実家に帰ってみよう、と思った。
***
「大、本当にごめん」
父親が言った。
「…じゃ、やっぱさ、母さんは自分で出て行ったんじゃなかったんだね」
その日の夜、久しぶりに実家に帰った大は、ダイニングテーブルで父親と向かい合って座っていた。
「今までは、母さん、あ、うちのばあちゃんの方だけど、詳しく言うなって止められてて…。でももういいな。全部話すよ」
父親が言った。
祖母はここ数年認知症がひどくなり、最近施設に入所した。
祖母に会いたくなくて、大はほとんど実家に寄り付かなかったのだが、久々に帰って実家の空気が変わったのが分かった。
家具や置いてあるものなどは全く変わっていないはずだったが、祖父も父親も、何だかのびのびとして表情が穏やかだった。
(いなくなったら家族が喜んじゃうなんて、そんな人生って…)
大は複雑な気持ちだった。
衣食住でお世話になったことは確か。美容学校の費用だって、結局出してもらった。感謝もしている。
いろいろあったが長年一緒に暮らしてきた家族なんだから、不在になったら少しは淋しく感じるものと思っていた。でも。
(自分は、いなくなったらホッとされちゃう人生なんて絶対に嫌だ。ちゃんと悲しんでもらえるような人にならなくちゃ)
大は強く思った。
父親は立ち上がって慣れた手つきでお茶をいれると、大の前に湯気の立ったマグカップを置いた。そして座ると、自分の分を一口飲んでから、話し始めた。
「生まれて少しの間は、大はお母さんの家で一緒に過ごしてたんだ。お母さんは僕の一つ下で、高校を休学して大を産んだ。
でも卒業はするって条件だったから、うちの母さんは大を無理矢理自分に預けさせて、別の高校に通わせた。最初は週末だけ会わせてたけど、それも最後の方は適当な理由をつけて、断ってた」
父親の目線は、ずっとテーブルの上にあった。
「大のお母さんは、大をすごくかわいがっていたよ。早く一緒に住みたいからって、遠くの高校に頑張って通ってた。でもある日、うちの母さんの独断で、俺たちは黙って山梨から東京に引っ越した」
「えっ?!僕を連れて?」
「ああ。大のお母さんには内緒で。行き先も教えなかった」
「………」
「それ以来、僕も彼女に会っていないんだ」
祖母が言う母親に関することはあまり信用できないとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。
「じゃあ…じゃあ、母さんは…ぼ、僕を、す、捨てたんじゃなかったってこと?」
「むしろ、自分で育てたいって願ってたと思う。…大、今まで言えなくて、本当にごめん」
父親が頭を下げた。大は驚きのあまり、すぐにはそれ以上何も言えなかった。
大はマグカップから立ちのぼる湯気を見つめていた。
しばらくして、やっと声がでるようになり、大は言った。
「ばあちゃんのしたことって…それってさ、もうさ…誘拐じゃん」
大は顔を上げて、父親を見た。
くたびれた紺色のスエットを着て、髪は少し薄くなっていた。メガネの奥の目は小さく、普段からあまり表情豊かなほうではない。
長年、信用金庫に勤めている。年齢的には成人した息子がいるようには見えないはずだったが、あまり覇気がないからか、歳よりだいぶ上に見えた。
父さんはずっと、ばあちゃんのために生きてきたのだろうか。
でも、何度もお見合いさせられていたのに結婚はしなかった。
(今でも母さんのこと…?そんなことないか…)
大には父親の考えていることは、よく分からなかった。
「大、父さん何もできなくて、本当にごめん」
父親が言った。
大は再び頭を下げた父親を見つめながら、はっきりとした声で言った。
「父さんは何もできなかったんじゃなくて、…何もしなかったんでしょ」
父親は黙ってしまった。
しばらく沈黙が続いたが、大が言った。
「でもさ、母さんは僕を探したの?見つけられなかったのかな?」
「たぶん、そうだと思う。まだ十八歳で、俺も十九歳で、二人とも子供だったからね。彼女もどうしたらいいか分からなかったんじゃないかな」
「父さんはさ…ばあちゃんのこと、まだ怖いの?」
大は思い切って聞いてみた。父親はしばらくの沈黙の後、
「………わからない」
と小さな声で答えた。
父さんは結局、誰の人生を生きていたんだろう。
大には父親が、急に祖母から解放されて呆然としているように見えた。
「そうだ、ちょっと待ってて」
父親は立ち上がり、二階の寝室へ上がって行った。しばらくすると降りてきて、大の前に一枚の写真を置いた。
「携帯の写真は全部、母さんに削除されたんだけど、これだけは隠しておいたんだ。いつか大にあげようと思って…」
大は写真を見るなり、目を見開いた。予想はしていたが、それでも驚いてしまった。
そこには父親と、顔を寄せてピースをしている、若い頃の母親の姿が映っていた。
「お母さんの名前はね、智子、っていうんだよ」
父親が言った。
***
「シュ…シュ…なんだったっけ?えーと…ま、いっか。この間、吉祥寺くんが、入江さんと美久ちゃんと行ったアイドルのライブ、それ終わったら吉祥寺くんは、ヨアケを辞めるつもりだったみたいだね」
ヨアケの地下倉庫の奥で、末継が言った。
アンティークのスタイリングチェアの上には、シルバーグレーの猫が座っていた。
「え?俺のこと?…吉祥寺くん、何となくは気付いている感じがしたけど、あえて言わないみたい。そいういところ、彼らしいよな」
猫がニャーと鳴いた。
「うん、そう。あの子は優しいからね。入江さんの家族に親子だって知られたら迷惑が掛かるって思ったみたい。入江さんも、吉祥寺くんに知られたら、彼の人生の邪魔になるからって、辞めるつもりだったようだよ。まったく、本当に親子だね」
猫が目を細めた。
「君が吉祥寺くんのところに行ってくれなかったら、大事な人材を二人も失うところだったよ」
猫は、私が優秀なのは当然でしょう、というように胸を張った。
「しかし、吉祥寺くんの件は、ずいぶん長い時間がかかったね。すっかり親戚のおじさんみたいな気分だよ」
猫が同意するように「ニャー」と鳴いた。
「あの子はいい子だからね。まわりの人を幸せにする力を持ってる、珍しい子だよ。でもさ、彼を引き留めたのを坂本に知られたら、だいぶ荒れそうだけどね」
それを聞いた猫は、目を丸く見開いたあと、ニヤリと笑ったように見えた。
(第5章6話「吉祥寺の場合」終わり・7話「末継の場合」に続く)
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