【#12】連載小説 『 美容室「ヨアケ」、開店します。』 (第3章 「はい、どーじょ。」4話)
「お願いって?」
智子が聞いた。
「入江さんって、シュガポのファンクラブ、確か入ってましたよね?」
「うん、もちろん入ってるよ!…あ、今度ライブやるって発表されたよね!」
「シュガーポット」略して「シュガポ」とは、最近人気の上がって来た男性アイドルグループで、吉祥寺は大ファンだった。智子も家族で応援している。
テレビ出演の次の日などは、「昨日観ました?!」「うん!観たよー!ダンスめちゃめちゃかっこよかったね!」などと、二人で盛り上がったりしていた。
「あの~僕、今度のライブ、どぉーーーっしても行きたいんですよ!…で、チケットなんですけどぉ…一緒にとってもらえないですか?」
「えっ?一緒に?」
「そう!僕のファンクラブでとるのと、入江さんのファンクラブでとるのと…日にちをずらして…確か、三枚までオッケーですよね?あっ!でもマッサンも行きます??だったら四人になっちゃうからダメかぁ…」
「マッサンは仕事だから、もともと美久と私の二人分、申し込む予定だったけど…」
バーベキューの後も、美久が店に遊びに来たり、マッサンと吉祥寺の二人で釣りに行ったりもしていたので、さらに親しくなっていた。
「でももし当選したら、美久と私と三人で行くことになっちゃうけど…いいの?」
「もっちろん、むしろ一緒に行きたいです!!あっ!!でもマッサンに聞かなくちゃ!無理には大丈夫ですからね!」
「あははは!吉祥寺くんなら大歓迎だよ~。マッサンにも一応、聞いてみるね」
「うわぁっ、やたっ!!ありがとうございまーっす!!」
そのとき二階から、なかなか戻ってこない吉祥寺にしびれを切らした店長が降りて来そうになったので、
「すみませーーーん!!今、戻りまぁーす!!」
と言って、吉祥寺は階段を駆け上がって行った。
***
「これ、拾ったんすけど、店のじゃないみたいで…。誰のかわかります?入江さんの?」
1月のある日。智子が休憩室に入ると、新城が動物のイラストのついたスティックのりを見せながら言った。
「あっ!それ私のっ!!」
智子が慌てて新城に近づいたので、椅子にぶつってテーブルに当たり、ガゴッという音がした。
「あいたっ!…え、なんで?ありがとう!…どこにあったの?」
智子が言った。
「あ、休憩室っす」
「そっかぁ。カバンから落ちちゃったのかなぁ…気をつけなくちゃ。あー良かった、ほんっとにありがとう!」
「いえいえ」
新城はノリを落としただけで、どうしてそんなに?と不思議に思ったが、何も言わなかった。
新城が行ってしまうと、智子はひとり、スティックのりを眺めながら、二十年も昔のことを思い出していた。
***
18歳の時。智子は実家のある山梨で、初めての子どもを産んだ。男の子だった。高校を休学し、周囲の反対を押し切っての出産だった。
彼は二歳上でとても優しく、大好きだった。けれど優しいというよりは気が弱いだけだった、と気づいたのは、何でも親の言いなりになっている姿を見てからだった。
産まれて数か月は息子と一緒にいられたが、産むのも結婚も、高校を卒業することが条件だと、双方の親に言われていた。
子育てしながらだと難しいからと彼の実家に預けさせられ、病気で休学していたことにし、少し離れた場所の高校に通った。
週末に会いに行くと、かわいらしい息子の姿にずっと一緒にいたくなるけれど、高校を卒業するまでだから、そしたら一緒に住める、と自分に言い聞かせ、帰り道は泣きながら帰った。
一方、若く遊びたい盛りで、息子を時には足かせのように感じてしまうのも本当だった。
友達と遊んでいるときなど、ふと考えてしまう。
そんなときは、罪悪感に押しつぶされそうになった。
そうしているうちに、週末に会える日が、彼の親に延期にされることが多くなってきた。電話で理由を聞いても、のらりくらりとかわされるばかりだった。
ある時、あまりにも会わせてもらえないので、約束は取らずに家に行ってみると、引っ越したあとで家はもぬけの殻になっていた。
電話も通じず、結局、探しても行き先は分からずじまいだった。
智子の親も知らないらしかったが、それも本当だったのか、親同士が何か裏で話し合っていたのかなど、今となってはもう分からない。
いずれにしても、もともと結婚も出産も反対していたので、両親は積極的に探そうとはしてくれなかった。
親権はどうなっていたのかなど、全く知識もなく、まだ若かった智子は、それ以上何もできなかった。
息子の名前は「佐伯 大」で、今は二十二歳のはずだ。
しかもなんとなく吉祥寺に似ている気がしたので、智子はもしかして…と思ってしまったのだが、苗字が違うのはもちろん、出身地も山梨ではなかった。
ときどき「大」という名前を聞くと、ドキッとしてしまう。大らかであって欲しい、無事に大きくなって欲しいという願いを込めて、彼とつけた名前だった。
今更会ったところで、落ち着いて幸せに暮らしているのであれば、自分はむしろ邪魔になってしまう、と思い、あえて探してはいなかった。
智子は、今はマッサンと結婚し、美久もいる。でも自分で育てられなかった息子のことは、ずっと気にかけてしまう。
最後に会ったのは夏祭りの日だった。
この動物のイラストのついたスティックのりはそのときの思い出の品だった。
会えなくなって以来、ずっと大切に持っている。
*
「えっ、うそ………えっ??」
スティックのりが、二本に増えていた。
新城が拾ってくれたものを智子がポーチに戻そうと思って開けてみると、もともとの一本が入っていたのだった。
(…私のじゃない?!えっ?!そんなわけないよね…?じゃあこれって…誰の?)
文房具屋や百均に行くと、買うわけでもないのにスティックのりコーナーをつい見てしまう。もう十年以上、同じデザインのものを見かけたことはなかった。
呆然としているとガラリと引き戸が開き、吉祥寺が入ってきた。
「あー喉乾いたっ…あ、お疲れ様でーす!休憩中おじゃましまぁーす……あっ!それ僕のスティックのりだ!」
「えっ…?!」
「いやぁーどっかで落としちゃったって思ってたから良かったー!それ、けっこう大事にしてたんで…」
「…ど、どうして?」
「それ、ちょっと…ていうか、かなり古いんですよぉ。小さい頃のダイジダイジカンカンに入ってて…あ、缶の宝物入れってことです!」
「だいじだいじ…。え、それ、えっと…なんで…大事なの?」
「たぶんなんですけど、僕のお母さんにもらったっぽくて…」
智子は息をのんだ。
「あ、僕のお母さん、めっちゃ若くて僕を産んじゃって、育てんのキツイからってばあちゃんに預けて出て行っちゃったらしくて。僕が一歳くらい?のときに」
「………」
「そんで、これ、たぶんお母さんにもらったっぽくて、いなくなってからずっと離さなかったって…だからダイジダイジカンカンに入れてたんですけど、この間どーしてもすぐにノリが必要で」
吉祥寺は智子の前に置かれたスティックのりをさっと取ると、フタを開けた。
「でもほら、古いから乾いちゃってて、ちっともつかなくて…そりゃそーだ、って思って……あっ!なーんか重い話!すみません!!」
「いえ、ぜ、全然…あ、あの吉祥寺くんってさ…あの…東京出身だったよね?」
「はいっ!…あっ、いいえっ!」
吉祥寺は少しバツが悪そうに言った。
「実は…産まれたの山梨みたいです。覚えてないくらい小っちゃい頃引っ越して東京に来たんで、出身地はトーキョーっていうことにしてるんですよぉー、すみませんっ!その方がカッコいいかなーって。
あ、ノリ、ありがとうございまーす!!」
吉祥寺はポケットにスティックのりを入れると、冷蔵庫から出したエナジードリンクを、
「ぷはー、しみる~!」
と言いながら飲み干し、テーブルに置いてあった誰かのお土産のチョコレートを
「いっただっきまーっす!」
と一粒口に放り込むと、急いで仕事に戻っていった。
智子は椅子から一歩も動けなかった。
*
その後、それとなく智子が聞いたところによると、もともとは佐伯大だったそうで、吉祥寺、という名前は大の祖母の旧姓だった。
その名前を残したいという理由から、祖母は祖父とわざわざ離婚し、大を養子に迎えたとのことだった。
普段からわがままで強引なところがあり、大にも厳しかったのでなかなか上手くいかず、高校を卒業したタイミングで大は家を出たのだった。
*
結局、シュガーソニックのライブは、吉祥寺の申し込んだ分は抽選にはずれ、智子の分のみ当選したので、智子と娘の美久、吉祥寺の三人で行くことになった。
知らせを聞いた吉祥寺は、その場で大ジャンプとターンを決めて喜んだ。
「うわぁーーーっ!やたーーーっ!!入江さんの推し活運サイキョーッ!!絶対めっちゃトク積んでたんだぁー!
ありがとうございまーすっ!!」
大は喜んでいたが、智子は複雑な気持ちだった。
夫の正弘には、昔子供を産んだこと、音信不通になっていることなど、結婚前から洗いざらい話してあった。
今回のことも、きちんと伝えてある。
「そんな偶然ってある?!」と驚いてはいたが、息子であることを本人に伝えても伝えなくても、智子の思うようにしたらいいよ、と言ってくれていた。
「いい子に育ったんだね」とも言ってくれた。
けれど吉祥寺の祖母は、智子のことをやはり良くは伝えていないようだった。これ以上関わってもし母親だということがばれてしまったらどうしよう、と思うと恐怖だった。
「今さら出てきた、自分を捨てた母親」
と思われるのが怖かった。
「家族ぐるみのお付き合いの、職場のおばさん」
という立場でいたほうがいい。
…自分さえ言わなければ、母親だと気付く可能性は低いだろう。
でも、もし、バレてしまったら…?
吉祥寺は優しいから、せっかく入れたヨアケを辞めてしまうかもしれない。それは絶対にダメだと、智子は思った。
自分が、あの子の将来の邪魔をする訳にはいかない。
…シュガーソニックのライブの後、ヨアケを辞めよう。
智子はそう思った。
***
ライブ当日。カラッと寒く、少し風は強かったが空はきれいに晴れ渡り、気持ちの良い天気だった。
グッズ売り場に並ぶために、三人は早めに待ち合わせした。
美久と吉祥寺はずっとテンションが高く、ウキウキと跳ねるように歩いていた。
「あああっ!楽しみすぎて、く、苦しい…!」
吉祥寺が大げさに胸を押さえながら言った。
「美久も~!!」
美久も真似して倒れるふりをし、二人でキャハハハ!と笑っていた。
智子は後ろから眺めながら、嬉しいような苦しいような、複雑な気持ちだった。
会場は早い時間でも混雑していた。
推しのメンバーカラーで全身をコーディネートしている人、写真付きのうちわを持ち、トートバッグに小さなぬいぐるみや缶バッジをたくさん付けている人などがいて、それを見るだけで智子たちもテンションが上がった。
楽しみにしていた日がやっと来た…!という大勢の人々の思いが、ライブ会場周辺に華やいだ空気をつくっていた。
「うわぁーっ、かわいい!!美久、やっぱりキーホルダーもほしい!!」
グッズ売り場の上に掲げてある看板に商品の写真があったので、美久はそれを指さして言った。
「僕もっ!!ねー、美久ちゃん、おそろいにしよーよ!」
「いーよ!ママは?」
「そうですよーっ!入江さんも!」
吉祥寺が振り返って言った。
ペンライトとうちわを買うために並んだのだが、おしゃれな色違いの星形キーホルダーもあったので、それぞれの推しメンバーのカラーを買うことにした。
智子は三つ買い、一つを吉祥寺に手渡した。
「はい、どうぞ。プレゼント」
「ええーーーっ?!いいんですかっ?」
「記念だから、もらってくれると私も嬉しいよ」
「わーーい!ありがとうございます!大事にしまーす!」
*
ライブが始まった。
暗闇が瞬時に照らされ、イリュージョンのようにメンバーがステージに登場すると、会場にはうねりのような歓声が沸き起こった。
智子はライブが好きで、いろいろなアーティストのものに行ったことがあるけれど、オープニングではいつも涙があふれてしまう。
別に歌詞が感動的なバラードなどではなく、大体はノリのいい曲なのだが、この場所へ自分がいられる喜びや、非日常のキラキラした景色に感極まってしまうのだった。
集まった観客がそれぞれの人生を抱えながら、その一瞬を楽しむために全力で集中しているエネルギーのようなものが、一つになって会場を覆っているような気がした。
席は二階席で少し遠かったが、三人は思う存分楽しんだ。
吉祥寺はペンライトを持って踊りまくっていた。
智子はライブ中、吉祥寺の全力で楽しむ横顔を、何度もそっと眺めた。
目に焼き付けておこうと思った。
*
帰り道、美久はクタクタになり、吉祥寺に抱っこされたまま寝てしまった。
「吉祥寺くん重いでしょ?大丈夫??」
駅へ続く道を歩きながら、智子が言った。
真冬の風が頬を刺すようだったが、ライブの余韻でむしろ気持ち良いくらいだった。
「ぜーんぜん、大丈夫てす!!ライブでアドレナリン出まくりなんで!それに、むしろあったかくって助かりまーす!」
吉祥寺が元気に言った。
電車は満員だったが、地元の駅に近づくにつれすいてきて、車内には数人しかいなくなっていた。
美久を挟んで三人で並んで座ると、美久は再び吉祥寺にもたれかかって寝てしまった。
智子は暗い窓に映る自分たちの姿と、その向こうに時折小さく見える、さっきまでいた辺りの都会のビル群を眺めていた。
吉祥寺も珍しく静かだったので、一緒に寝ちゃったのかな?と、智子は思ったが、起きて、窓の外を見つめていた。
そして吉祥寺は、美久を起こさないようにと、小さな声で話し始めた。
「いやぁ、ライブ、ほんとに最高でしたよね!美久ちゃんも全力だったからぐっすり寝て、シュガポの夢でもみてるのかも…そういえば、僕、小さい頃からみる夢の話って、しましたっけ?」
吉祥寺が言った。
「あ…たしか前、聞いたかも。なんかを誰かに渡して、匂い?がしてきて、その人が顔だけイヌだった、とか…」
「そうそう!それです!!その謎がね~、ついに解けたんですよ~」
「え?なんだったの?」
「それがですね~」
吉祥寺は話し始めた。
