芥川龍之介・じつは必死に闘っていた【手のひらの偉人伝8】
芥川龍之介(1892~1927)は、よくみかける写真のイメージでは、いかにも知的でクールです。心を病んで35歳で自殺したので、病的で暗い印象もある。社会に関心の薄い「芸術至上主義」だともいわれます。
そして、「東大生のときに夏目漱石から絶賛され文壇デビュー」という、華々しい経歴でした。
ただし、芥川は大学を出て3年ほどは、海軍の(技術者養成の)士官学校で英語教師をしながら作家活動を続けています。すぐに作家専業とはいかなかったのです。評論家から酷評され傷つくことも度々でした。
また、社会にも関心を寄せました。例えば新聞社の企画で中国に長期の取材旅行をして、中国人の苦悩や反日感情に触れるとともに、社会主義に共感するといったこともありました。そして、軍国主義を批判することも。
ただ、中国旅行については「仲がこじれた気の強い愛人の女性から逃げる」という目的もあったようですが。
そして、多くの家族を養い、親族の借金の始末など、生活の苦労もありました。
そんな中で、ぼう大な読書や刺激しあう仲間との交流を糧に、自分がめざす知的に構築された美しい作品を書き続けたのです。
その姿は「クール」ではなく、いろんなものを背負って「必死に闘う」感じです。芥川に限らず、大作家とはそういうものなのでしょう。
長くはなかった生涯ですが、芥川は精いっぱい生きて、自分のできることを残したのです。
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*古今東西の偉人を数百文字で切り取って紹介した記事を、その都度思いつきでアップしています。
(参考文献)
・関口安義『芥川龍之介』岩波新書、1995年
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